メールは荒野を走り続けていました。
涙が後から後からあふれてきて止まりません。と、足がぬかるんだ地面で滑りました。転びそうになって、とっさに地面に手をついたメールは、そのまま立ち上がれなくなりました。とにかく腹立たしくて、どうしようもありませんでした。
ずうっと、自分はひとりぼっちだったような気がします。海の民の王である父と、森の民の姫である母の間に生まれたメール。二つの民の血を引いた者は、島には他にいませんでした。城にも森にも海の中にも、誰も自分の気持ちをわかってくれる人はいなかったのです。王女らしくない跳ねっ返りだ、鬼姫だと笑われるたびに、メールは反発し、どなり返してきました。王女らしい王女なんてくそ食らえだよ! あたいは渦王の娘さ! 戦いになれば、男にだってひけをとらないんだからね――!
そんなメールをたったひとりだけ理解してくれていたのが母でした。けれども、その母も病でこの世を去り、忙しすぎる父は娘にろくに目をかけることもできず、メールはますますひとりぼっちになっていきました。渦王の王女という身分も、メールという名前の自分自身も、全部どこかへ捨ててしまって、別な人間に生まれ変わりたい、とメールは考えました。女じゃなくて、男に生まれていれば良かったのに――とさえも。
けれども、そんなところへ、ゼンやフルートたち金の石の勇者の一行がやってきました。彼らは子どものくせに強くて勇敢で、そして、メールを海の民や森の民という目で見ませんでした。メールがメールだから友だちになってくれたのです。特に、ゼンは、ドワーフと人間の間に生まれているだけあって、メールの気持ちを本当によくわかってくれました。これほど気持ちが通じ合える相手には、これまで出会ったことがありませんでした。
メールは、嬉しくて嬉しくて、有頂天になりました。彼らが戦いに勝って故郷へ帰るという時には、別れがたくて、金の石の勇者の仲間に加えてほしいと申し出ました。ゼンがポポロを好きでいたのはわかっていたのですが、「あたいのほうをもっと好きにさせてみせるよ」と宣言したくらいです。……それは、実際にはことばの弾みの冗談でしたが、それでも、その時メールは、ゼンにとって特別な存在になりたい、と心から思ったのでした。
なのに――。
メールは溜息をついて立ち上がりました。なんだか、自分で自分を笑ってしまいたい気持ちになります。
あたいは何を期待していたんだろ、とメールは皮肉な気持ちで考えました。やっぱり、あたいの気持ちをわかるヤツなんていなかった。ただそれだけのこと。ずっと昔から、わかりきっていたことなのにさ――。
本気で彼らの仲間になれるような気持ちでいた自分が、ひどく滑稽に思えて、メールは本当に笑ってしまいました。いつの間にか、涙もひっこんでしまっています。けれども、その笑顔は青ざめていて、泣くよりももっと悲しげに見えていました。
ふぅっとメールはまた、深い溜息をつきました。
「これからどうしようかなぁ」
と声に出してつぶやきます。本当に、自分はこれからどうしたらいいのでしょう……。
すると、後ろから近づいてくる足音が聞こえてきました。
メールの胸が、どきんと鳴りました。振り返って、誰が追ってきたのか確かめようとしましたが、何故だかできなくて、意固地に荒野を眺め続けます。すると、その人物が話しかけてきました。
「ったく、どこに行こうとしてるんだよ。もどってこいよ」
ゼンでした。
メールは嬉しくて思わず振り返りそうになって、あわててそれを止めました。ゼンが来てくれて喜んでいる顔など、素直に見せてしまいたくありませんでした。口を結ぶと、相変わらず、かたくなに荒野に目を向け続けます。
ゼンがあきれたように肩をすくめた気配がしました。
「ホントに、このところずっとおかしいぞ、おまえ。何をそんなに怒ってるんだよ。俺たちが何をしたって言うんだ」
本当に、ゼンはあきれるくらいメールの気持ちをわかっていません。メールはまた、急に皮肉な気持ちになってきました。あんまり馬鹿馬鹿しくて、自分のこともゼンのことも、何もかも笑い飛ばしてしまいたくなります。
メールは皮肉な笑顔のまま、くるりとゼンに向き直りました。
「いいのかい、ゼン? あたいのことを追っかけてきたりして。岩屋の中ではフルートがポポロと二人っきりなんだろ?」
思い切り悪意を込めて、そうからかいます。言いながら、心のどこかでまた、涙があふれそうになりました。
案の定、ゼンが顔色を変えます。本当に正直すぎるくらい自分に素直なゼンです。これだもん、ポポロを好きなことをいくら隠そうとしたって、フルートにばれるよねぇ、と、メールはひどく冷めた気持ちで考えました。頭と心がどこかで遠くに離れてしまったような、不思議な感覚がしていました。
「ちぇ、そんなこと言うなら、俺は岩屋に戻るぞ」
とゼンは顔をしかめて舌打ちしました。
「だいたい、フルートが追いかけろって言うから来てやったんだ。おまえがそんなつもりなら――」
その瞬間、メールの胸の内で、何かが、ぷつりと音を立てて切れました。そこまでこらえてきたものが、抑えようもなく一気にあふれてきます。メールは拳を握り、ゼンに向かってわめき出しました。
「あっちへ行って! とっとと岩屋へ帰りなよ! あたいのことなんか、ほっといておくれよ!!」
「おい」
その剣幕に、またゼンが驚いた顔になり、すぐに不愉快そうな表情に変わりました。
「ったく、いいかげんにしろよな。すねてわがままを言ってる場合か? 仲間たちが大変なんだぞ。もっと考えろ」
「そんなこと、あたいの知ったことじゃないさ! あんたたちなんて、最初から仲間でもなんでもなかったんだから! どうせあたいはわがままだよ! だから、あたいのことなんかほっといて、って言ってるんじゃないか!」
すると、ゼンは腕組みをしてメールを眺め、ふいに、にやりと笑いました。
「おまえって、あれな。自分の本音と逆のこと言う癖があるんだよな。おまえの言い方は、どう聞いても、自分を放っておくな、って言ってるように聞こえるぞ」
ついに、メールは完全に切れました。他の誰に言われても、今のゼンには絶対に言われたくないことばでした。メールはものも言わずに背中を向けると、憤然と荒野を歩き出しました。
「おい、どこへ行くんだよ」
とゼンが声をかけてきます。メールは無視して歩き続けましたが、二度三度と声をかけられたので、腹をたててどなり返しました。
「海へ帰るんだよ! 決まってるじゃないか!」
「どうやって? 西の大海は、この世界の裏側にあるんだぞ」
あくまでものんびりと、ゼンが言います。メールは歩き続けながら、またどなりました。
「花鳥に乗っていくさ! 心配してもらわなくても、それくらい自分でちゃんとできるよ! あんたはポポロといちゃいちゃ仲良くやってなよ!」
ゼンが表情を変えてにらんできたのが、後ろを向いていてもわかりましたが、メールは振り返りませんでした。振り返ったら最後、その場にしゃがみ込んで、大声で泣き出してしまいそうでした。絶対に――ゼンの目の前では、絶対にそれはやりたくありませんでした。
「もう知るか! 勝手にしろ!」
ついにゼンもそうどなると、くるりときびすを返して歩き出しました。岩屋に向かって戻り始めます。
メールは涙をこらえながら歩き続けました。ゼンの気配がどんどん後ろに遠ざかっていきます。気がつけば、夕方の空にまた黒い雲がわきだしていました……。
メールは足を止めました。
けげんそうな目を空に向け、あわてて空一面を見回します。
夕日に赤く染まりだした空が、みるみるうちに黒雲におおわれていきます。湿った強い風がどおっと吹いてきて、荒野の草や木の葉を引きむしっていきます。まばたきする間に、あたりは夜のように暗くなっていきます――。
メールは思わずゼンを振り返りました。
「ゼン!」
ゼンは振り返りません。肩を怒らせて、どんどん歩いていってしまいます。
メールは必死でまた呼びました。
「ゼン! ゼンったら――!」
やっぱりゼンは立ち止まりません。メールは声を限りに叫びました。
「ゼン、おかしいよ! この雲、普通じゃない! 父上がよく嵐を起こすから、あたいにはわかるんだ! これは魔法に呼ばれた嵐だよ――!!」
「なに?」
ぎくりとしたように、ゼンが振り返りました。
その間にもあたりはどんどん暗くなり、風はますます強くなってきました。空を厚くおおった雲の間に、ぴかり、ぴかりと青白い稲妻がひらめき始めます。その黒雲の中心は、彼らが出てきた岩屋の真上にありました。
メールとゼンは、顔色を変えました。
「まさか……!」
「しまった!!」
同時に叫んで岩屋目ざして駆け出します。魔法の嵐は岩屋を狙っています。そこにはポポロとポチと、そして、闇に命を狙われたフルートが残っているのです――。
雲の間で稲妻がひらめき、荒野を真昼のように照らしました。一瞬遅れて雷鳴が響きます。何もかもをたたき壊そうとするような猛烈な音が、あたり一帯を激しく震わせます。
わき上がる黒雲よりももっと暗い不安に襲われて、ゼンとメールは必死で駆け続けました。一刻も早く岩屋に戻ろうとします。
すると、そんな彼らの目の前で、白く長い竜が空に駆け上がっていきました。
いえ、それは竜ではなく、風の犬に変身したポチでした。その背中にはフルートが乗っています。フルートは手に抜き身の炎の剣を握っています。けれども、休むときに防具をはずしていた彼は、金の鎧兜を身につけていません――。
「フルート!!」
ゼンとメールはまた同時に叫びました。その声は荒野に吹きつける激しい風に吹きちぎられてしまいます。
ポチとフルートは、まっすぐに空を駆け上がり、暗雲の中心から逃れるように、荒野の上を飛んでいきました。魔法の雲がその後を追って動いていくのが、目にもはっきりとわかります。 と、黒雲の中心でまた稲妻がひらめきました。二度三度と雲の中で光をかわし、一瞬、沈黙するように真っ暗になります。
そのとき、突然ポチの背中からフルートが落ちました。空の高みから地上に向かって墜落していきます。ポチが驚いたように身をひるがえして、助けに向かうのが見えました。
ゼンとメールはまた叫ぼうとして、思わずその声を飲みました。頭上の雲の中から、今までで最大級の光が輝いたからです。それは、巨大な稲妻となって、まっすぐにフルートに撃ちかかっていきました。すさまじい光の中に、その小柄な姿を飲み込んでしまいます。
次の瞬間、稲妻は荒野を直撃し、激しい光と音を立てて、荒野中を震わせました。水蒸気が一瞬のうちに空に立ち上り、猛烈な風が周囲を襲います。
「あぶねぇっ!」
ゼンはとっさにメールに飛びついて地面に押し倒しました。その上をすさまじい風が吹き抜けていきます。魔法の稲妻が起こした風は、まるで熱湯のように熱い蒸気を含んでいました。
その時、吹き抜けていく熱風の中に、ひとつの声が響きました。
「殺シテ、ヤル――」
その声は低くはっきりと、そう言っていました。