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第4巻「闇の声の戦い」

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20.黒い影

 馬の背より高い一面の草の中で、フルートは戦い続けていました。大きな男と剣を打ち合わせ、盾で攻撃を防ぎます。

 と、男の一撃がフルートの剣をはじき飛ばしました。あっとおもったとたん、フルートは男に飛びかかられて、草の中に押し倒されました。金の兜をはぎ取られてしまいます。

 そのとたん、敵の顔がはっきり見えました。黒いひげを生やした中年の男です。フルートは思わず目を見張りました。ジズ! と心の中で叫びます。かつてエスタ国の王弟の命令でフルートたちの命を狙ってきた、刺客の頭領です。ですが……

 ジズが両手をフルートの首に回してきました。力をこめて絞め上げてきます。

 フルートはその手を必死でつかみました。やめろ、ジズ! と叫ぼうとします。ジズは確かに敵でした。けれども、風の犬の戦いの中で、彼は、皮肉な笑いを浮かべながらもフルートたちの味方に変わってくれたのです。

 ジズがフルートの首を絞め続けます。息が苦しくなって、フルートはもがきました。何故、彼がフルートを殺そうとするのか、わけが分かりません。また締め上げてくる手の力が強くなりました。フルートは死にものぐるいでその手をつかんで、引き離そうとしました。

 すると、突然ジズの姿が崩れて、真っ黒なものが目の前に現れました。人のようであり人のようでない、黒い影です。揺れ動きながら形を変え続け、脈を打つように大きくなったり小さくなったりを繰り返しています。そして、そこから伸びる実体のない腕が、フルートの首を絞め続けていました。フルートはますます息が苦しくなり、意識がもうろうとしてきました。

 黒い影から、突然何かが広がりました。ばさり、と音を立ててはためいたそれは、真っ黒な羽毛におおわれた大きな翼でした。そして、次の瞬間には、また崩れて形を変え、得体の知れない影に変わってしまいます……。

 フルートは力を振り絞って首に絡まる手を押さえると、必死で声を上げました。

「金の石――!」

 実際には、切れ切れのかすれ声しか出てきませんでしたが、とたんに、金の石は反応しました。まばゆい金の光をあたり一面に放ち、フルートを殺そうとする影を、一瞬で跳ね飛ばします。

 

 とたんに、フルートは目を覚ましました。

 反射的に跳ね起きると、そのまま地面に突っ伏して激しく咳きこみます。本当に息が詰まっていたのです。咳きこみながら押さえた手の下で、首がひどく痛んでいました。夢ではありません。本当に、フルートは誰かから首を絞められていたのです――。

 その物音でゼンが目を覚まして飛び起きました。咽を押さえて苦しそうに咳をするフルートを見て、びっくり仰天します。

「どうした、フルート!?」

 フルートは脂汗を流して真っ青な顔をしていました。本当に、もう少しで息の根を止められてしまうところだったのです。

「な……何かに、首を絞められた……」

 やっとそれだけ答えると、フルートはまた、激しく咳をしました。

「ワンワン! フルート、大丈夫ですか!?」

 ポチも飛び起きて駆けつけてきます。

 ゼンは素早くあたりを見回しました。岩屋の中は、彼らが眠りについたときと何も変わりがありませんでした。炎の剣の鞘をかたわらに置いたたき火は、大きく燃え続け、岩屋の中を明るく暖かく照らしています。ポポロは横になって眠り続けています。まだぐったりしていますが、眠りについたときよりは顔色が良くなっています。

 岩屋の入り口に目を向けると、土砂降りの雨が止んで、外の景色が見えていました。雨に打たれて一面ぬかるみになった荒野に、夕暮れの光が差し始めています。そして、その入り口では、メールが腰を下ろし、大きな岩にもたれかかって、ぐっすりと眠りこんでいました。

 ゼンは、かっとなると、飛んでいってメールを乱暴に揺すぶりました。

「おい、起きろよ! 見張りがなんで寝てるんだよ!?」

 メールは驚いたように目を開けると、もっとびっくりした顔になりました。

「あ、あれ……? あたい、なんで寝てたんだろ? たった今まで起きてたはずなのに……」

 ゼンは顔をしかめました。

「何言ってやがんだ! おまえは居眠りしてたんだよ! フルートが誰かに襲われて首を絞められたんだ。何も見なかったのか?」

「えっ!?」

 メールは跳ね起きました。岩屋の中でまだ咽を押さえたまま荒い息をしているフルートを見て、青くなります。

「な、何も見なかったよ……何も感じなかった……」

 と声を震わせます。本当に、ずっと何も変わったことはなかったのです。メールは入り口に立って、土砂降りの雨が止み、荒野と空が明るくなって、少しずつ夕暮れの気配が近づいてくるのを眺めていただけなのです。ほんの少し前のことのように感じられます。本当に、いつの間に眠りこんでしまっていたのか、さっぱりわかりませんでした。

「役に立たないヤツだな!」

 とゼンはメールをどなりつけると、岩屋の外に飛び出してあたりを見回しました。雨上がりの荒野には、うっすらと靄がかかっているだけで、怪しいものの姿や気配はまるで感じられませんでした。

 

 メールは、震えながらフルートに近づきました。

「大丈夫かい……あ、あたい……」

 ことばになりません。フルートはようやく体を起こして、息を整えました。

「うん、大丈夫だよ……」

 けれども、その首の周りには、くっきりと人の指のような痕が残っていました。確かに、フルートは何者かに首を絞められたのです。みるみるうちに金の石が癒して、指の痕を消していきます――。メールは思わず泣き出しそうになりました。

 ゼンが厳しい顔で岩屋に戻ってきました。怪しいものは何も見つからなかったのです。

「いつの間に入りこんできたんだろうな? 顔は見なかったのか?」

 と問われて、フルートは首を振りました。フルートはかつて、ジズに首を絞められて殺されそうになったことがあります。何者かに首をまた絞められて、その時のことを夢に思いだしていたのでした。……ふと、フルートはジズが黒い影と翼のようなものに変わったことも思い出しました。けれども、それもやっぱり夢の話でした。

「くそっ、例の声の主だ。いよいよ実際の攻撃を始めてきやがったぞ」

 とゼンが言います。厳しい声ですが、疲れて眠り続けるポポロを思いやって、少し声を抑えていました。

「狙いはぼくだったみたいだね……」

 と首を押さえながら、フルートは言いました。まだ青ざめてはいますが、意外なほど落ち着いた表情をしています。ゼンは顔をしかめました。

「ったく。また、自分で良かった、とか考えてやがるな。狙われたのが俺たちじゃなかったもんだから。いいか、金の石の勇者が殺されたら話にならないんだぞ! そこんとこ、ちゃんとわかってるのか!?」

 怒ってフルートを叱りつけるゼンは、以前の調子に戻っていました。フルートは、それが嬉しくて思わずにっこりして、またゼンにどなられてしまいました。

「だから、なんでそこで笑うんだよ、おまえは!? このお人好し!」

 

「ワン、それにしても得体が知れないですね」

 とポチが口を開きました。

「ぼくも全然何も感じなかったんですよ。敵がフルートのところまで来ていたなら、いくら寝ていてもわかるはずなのに……」

 犬の鋭い感覚でもつかめないというのは、間違いなく、本当に危険な敵だということです。子どもたちは少しの間、ことばを失いました。

 やがて、ゼンが不機嫌にまた言いました。

「それでも今夜はここにいるしかないんだ。今、ポポロをここから動かすわけにはいかないからな。油断しないで見張ろうぜ」

「あ、あたいが……! 今度こそ、しっかり見張るよ!」

 とメールが言いましたが、ゼンは即座にはねつけました。

「俺が見張りに立つ。おまえは当てにならねぇや」

 とたんに、メールの顔から血の気が引きました。青を通り越して、透きとおるほど白い顔になります。それを見て、フルートは思わず声を上げました。

「ゼン!」

「なんだよ?」

 けげんそうにゼンがフルートを振り返ります。

 メールは両手を拳に握りしめました。体中が激しく震え出し、熱いものが胸にせり上がってきます。今にも泣き出しそうになるのを必死でこらえながら、メールはゼンに向かってどなりました。

「どうせ、あたいは当てにならないよ! 役立たずで悪かったね! こんな――こんなの、もう、やってられるかい!!」

 そして、そのままメールは岩屋から外の荒野へ飛び出していってしまいました。

「なんだよあいつ、いきなり……? 相変わらずわけがわからんヤツだな」

 とゼンが目を丸くして見送ります。フルートは思わずまた声を上げてしまいました。

「後を追うんだよ! 連れ戻さないと!」

「なんでだよ? あいつの気まぐれは今に始まったことじゃないぞ。いちいちつきあってられるかよ」

 とゼンが憮然とした顔になります。

 フルートはメールが走り去った荒野を見て唇をかみました。メールの気持ちは、痛いくらいよくわかります。それは、フルート自身が密かに胸に抱えているのと同じ苦しさでした――。

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