翌日は、前の日とうって変わった天気になりました。
空は一面鈍色の雲に厚くおおわれ、今にも雨が降ってきそうです。明け方から吹き出した風は、五月とは思えないほど冷たくて、長い時間それに吹かれていると、体の芯まで冷え切ってしまいます。それでも、森の中にいる間はよほど良かったのです。森から荒野に出たとたん、風はものすごい勢いで子どもたちの真っ正面から吹きつけてきて、服の裾を激しくはためかせ、体温を奪っていきました。
それでも、子どもたちは風に逆らって進み続けました。朝、ゼンたちが謎の声のことを話して以来、子どもたちは口数少なくなっていました。彼らにつきまとい、命を狙っている闇がいるという事実は、この暗い天候のせいもあって、なんとも言えず不気味に感じられます。
フルートがふと振り返って、自分の後ろに乗っているメールに声をかけました。
「大丈夫? 寒くないかい?」
袖無しのシャツに半ズボンという格好のメールは、フルートからマントを借りて体に絡めていましたが、それでも吹きつける風に手足が冷え切って真っ赤になっていました。寒く感じていないはずはないのですが、メールはそっけなく答えました。
「平気だよ」
実際、メールは自分の心の中で渦巻くものを処理するのに手一杯で、寒さを感じている暇などなかったのでした。彼らの前を、今日もポポロとゼンが乗った馬が行きます。ポチは冷たい風を避けるのに、ゼンの荷袋の中に潜ってしまっています。ゼンもポポロも、今日はほとんど話をしませんが、ゼンが風から守ろうとするように、ポポロの小さな体にさりげなく腕を回しているのが、後ろからでもはっきりと見えていたのです。彼らに迫っている闇の声よりも何よりも、メールにはその光景が胸に重くのしかかっていました――。
昼前に、とうとう雨が降り出しました。
厚い雲から落ちてきた大粒の雨が、風と一緒にまともにたたきつけてきます。子どもたちは雨宿りできる場所を探して荒野を早駆けし始めました。
雨はますます激しくなり、荒野は夕暮れのように暗くなります。フルートは馬をゼンの馬に寄せると、大声で呼びかけました。
「北の方へ向かってみよう! 地図に山地が描いてあったんだ。雨宿りできる場所が見つかるかもしれないよ!」
「進路から外れるってのか!?」
ゼンが答えました。雨音に負けないように大声を出しているだけなのかもしれませんが、なんだか怒っているように聞こえる声でした。フルートは負けずに言い返しました。
「このまま雨の中を走り続けられないよ! ぼくたちは良くても、メールやポポロが風邪をひいちゃうよ!」
とたんに、ゼンはまたムッとしました。昨夜からというもの、フルートがポポロの名前を口にするたびに、なんだか腹が立ってしかたがありません。
「回り道はできないぞ! 急がなくちゃいけないんだ! こっちにも、きっと雨宿りできる場所は見つかるさ!」
と言い捨てると、馬の足を速めます。
「ゼン……」
フルートは思わず絶句しました。ポポロを乗せたゼンの馬が先へ先へと走っていきます。フルートの背中でメールが怒ったような声を上げましたが、激しい雨音の中では、なんと言っているのか聞き取ることができませんでした。
さらに子どもたちは走り続けました。雨はいっこうに止みません。荒野にはそこここにぬかるみができて、小川のように水が地面を走っていました。ゼンは必死であたりを見回していましたが、雨が強すぎて見通しがききません。雨宿りできそうな木陰も岩陰も、すべてが暗い雨のカーテンの向こう側に隠されてしまっていました。
すると、また馬が追いついてきて、フルートが呼びかけてきました。
「ゼン!」
ゼンはわざと聞こえないふりをしました。自分でも驚くくらい意固地な気持ちになってしまっています。またフルートが呼びました。
「ゼン!!」
前より大声ですが、それでもゼンは無視して馬を走らせ続けました。
とたんに、フルートの声が鋭くゼンの耳を打ちました。
「馬鹿! ポポロをよく見ろ! 落ちるぞ!」
ゼンはびっくりして自分の目の前を見ました。黒い服を着た少女は、雨にたたかれて全身ずぶ濡れになっていましたが、その小さな体が右に左に大きく揺れ始めていました。とっさにゼンが腕を回したとたん、ずるりとポポロの体が鞍から滑って、腕の中に倒れ込んできました。
「ポポロ!?」
ゼンがあわてて抱き起こして引き上げても、ポポロは自分で馬にまたがり直すことができません。力なくゼンの胸に寄りかかってしまいます。濡れた服越しに感じるポポロの体は、火のように熱くなっていました。
「熱を出したんだ。一刻も早く雨宿りできる場所を探さないと」
とフルートは言いました。声も顔つきも厳しくなっています。ゼンは何も言うことができなくて、呆然とポポロを抱きしめてしまいました。
「ポチ!」
とフルートは呼びました。即座にゼンの荷袋から子犬が顔を出します。
「ワン、なんですか!?」
「ほんとはこんな雨の中では変身させたくなかったんだけど、どうしようもないんだ。お願いだよ、風の犬になって、雨宿りできる場所を探してきてくれ」
「ワン、わかりました!」
ポチはぐったりしているポポロに心配そうなまなざしを投げると、すぐに風の犬に変身して、土砂降りの雨の中に飛び出していきました。強すぎる風雨の中で風の犬に変身するのは、本当はとても危険なことなのです。けれども、今はポチに頼るしかありませんでした。フルートは唇をかみしめたまま、ポチが飛んでいった方角を見つめました。
メールは、少しの間迷ってから、自分がはおっていたフルートのマントを、ゼンに向かって投げました。
「そら! ぼさっとしてないで、ポポロにかけてやりなよ!」
と怒ったようにゼンにどなります。
「お、おう……」
ゼンはようやく我に返った顔になると、マントをポポロの上に広げました。たたきつける雨から、少しでも少女を守ろうとします。
同じ雨は、マントを脱いだメールの全身もたたきました。痛いくらいに激しい雨です。けれども、メールにはそんなものは少しも感じられませんでした。雨よりも、冷え切った手足よりも、自分の心が痛かったからです――。
じきにポチが風雨をしのげる場所を見つけて戻ってきました。低い岩山のふもとに、大きな岩が何枚も重なって、自然の岩屋のようになっている場所があったのです。入り口がちょうど風向きと逆になっている上に、岩屋のすぐ前に大きな木が枝を広げていたので、雨も風も岩屋の中にはほとんど吹き込んできませんでした。
馬は木の下で雨宿りさせておいて、少年たちはポポロを岩屋の奥に寝せました。本当にひどい熱を出していて、苦しそうな息をしています。
フルートはすぐにペンダントをはずして、金の石を押し当てました。みるみるうちに熱が引いて、顔色が落ちついていきましたが、それでもポポロは目を開けません。ぐったりと横になったまま、浅い息を続けています。
「疲れ切ってるんだ……」
とフルートはつぶやきました。あらゆる怪我や病気を治せる魔法の金の石も、疲れを癒すことはできません。疲れをとるためには、とにかく休むしかないのです。
子犬の姿に戻ったポチが、せっせと木の下から枯れ枝をくわえて岩屋の中に運んできました。雨に濡れて湿った枝でしたが、フルートが剣を振って炎の弾を食らわせると、枝は一瞬で乾いて燃え出しました。フルートがそのそばに剣の鞘を置いたとたん、火が音を立てて激しく燃えだしたので、メールは目を丸くして驚きました。
「炎の剣の鞘には、燃えている火をずっと大きく燃やし続ける魔力があるんだ。これで今晩一晩はずっと消えないから、服も乾くよ」
とフルートが説明をしながら、自分の鎧兜をはずし始めました。雨は鎧の中まで流れ込んでいたので、仲間たちと同じように、服がずぶ濡れになっていたのです。
けれども、ゼンは自分の胸当てをはずそうとはしませんでした。何も言わずにポポロのかたわらに座りこんでいます。そんなゼンに、フルートはただこう言いました。
「見張りの順番を決めないとね」
そう言いながらも、フルートは自分が見張りの一番手に立つつもりでいました。ポポロが熱を出したことにショックを受けて、呆然としているゼン、そんなゼンを怒りの目でにらんでいるメール。さすがのフルートにも、メールがどんな気持ちでいるのか、わかってしまったのです。こんな状況で、彼らがまともに見張りをできるとは思えませんでした。
ところが、とたんにメールが声を上げました。
「あたいがやるよ! 昨夜は結局あんたたちだけで夜通し見張りしてたんだろ? 今夜はあたいの番だよ!」
やたらととがった声でそう言うと、仲間たちの返事も待たずに岩屋の入り口へ行って、外をにらんで立ち始めます。
フルートは、なんとなくメールの気持ちがわかる気がしたので、何も言わずに彼女に任せて、自分は火のそばに横になりました。乾き始めた服から湯気が立ち上っています。湯気の向こうには激しく燃え続けるたき火の炎、そして、その向こう側に、横たわるポポロと、かたわらに座り続けるゼンの姿が見えます。
すると、ゼンがゆっくりと横になっていきました。少女に並んで横たわると、肘枕で少女を見守り続けます。
フルートは、目をつぶると、誰にも聞かれないように、そっと深い溜息をつきました――。