その日、子どもたちは一日歩き続け、日暮れにたどりついた森で野宿することにしました。協力して枯れ枝を集め、夕食を作り、寝場所を整えます。見張り番も、話し合って、フルートとゼンとメールが交代ですることにしました。ポポロは見張りには向きませんし、ポチは寝ていても敵が近づけばすぐに気がつくので、わざわざ見張りに立てる必要がなかったのです。メールは、相変わらず怒ったような不機嫌そうな顔をしていましたが、それでもちゃんと話し合いには加わっていました。
その晩の見張りの一番手はゼンでした。エルフの弓矢を背負って立ち、森の中に目を配り、耳を澄まします。森は暗く、たき火の放つ光が、周りで横になって眠る子どもたちを赤く照らし出していました。
すると、森の奥で鳥が一声鳴きました。昼にさえずる鳥の声だったので、ゼンは鋭くそちらへ目を向けました。けれども、それ以上何も変わった気配はなく、森はまた静かになっていきました。
すると、たき火のわきで横になっていたポポロが、不安そうな声を上げました。
「ゼン……」
ドワーフの少年はちょっと驚いて振り返りました。
「なんだ、まだ起きてたのか? 何でもないぜ。鳥が寝ぼけて鳴いたんだろう」
うん、と言いながら、ポポロは起き上がりました。たき火の光が赤い髪を輝かせ、黒い衣をきらめかせます。それを見て、ゼンは何となく胸がどきどきしてきて、思わず顔を赤らめました。この小さな少女の姿は、夜の暗さの中にあると、星のように本当に美しく輝き出すのです。
すると、ポポロが膝を抱えて溜息をつきました。
「ねえ、ゼン……ロムド城のあるディーラまでは、あとどのくらいかかるのかしら?」
「日数か? 俺もこっちのほうから行ったことがないからよくわかないけど、フルートの地図で考えると、一週間かそこらってところじゃないかな。ハルマスの街までは少しかかるだろうけど、その先は街道になるから、きっと早いぜ」
とゼンは答えましたが、いつもの口調を作るのにちょっと苦労しました。
すると、ポポロは抱えた膝をさらに強く抱きました。
「……そんなに長い間かかって、間に合うのかしら? エスタ軍のオーダさんたちは、ルルを退治するために来ているのよね。ロムドの国王様だって、自分の軍隊に風の犬退治を命令しているでしょうし……。あたしたち、間に合うのかしら? 本当にルルを助けられるのかしら……?」
夜の暗がりの中で、涙が光り始めていました。ゼンは思わず苦笑いしました。
「そのために俺たちはディーラに向かってるんだろうが。間に合うさ。間に合ってみせる。だから、そんなに心配するなって」
けれども、ポポロは涙ぐんだまま、じっと膝を抱え続けていました。
「……ずっと、声が聞こえてるのよ……」
とポポロは言いました。
「ルルの声なの。夕方くらいから聞こえてきて、夜になったら、ますますはっきり聞こえるのよ。ずっと泣いてるの。泣きながら、あたしを呼び続けてるのよ……ここから助けて、って……」
緑の瞳から涙がこぼれました。
ゼンは真顔になると、ポポロにかがみ込みました。ポポロは膝に顔を埋めて泣き続けています。ゼンは、その頭にそっと片手を置きました。
「心配するなってば。必ず助けてやるからさ……。明日はもっと急ごうぜ。そうすりゃ半日でも一日でも早く、ディーラに着けるんだから。そのためにも、もう寝ろ。寝ないと体が持たないぞ」
うん、とポポロはまたうなずき、べそをかきながらも、素直にまた横になりました。その泣き顔が眠りにつくまで、ゼンは見守り続けていました。なんだか、せつないような、幸せなような、わけのわからない想いで胸がいっぱいになってきます。ゼンは思わずまたひとりで苦笑いをすると、森の梢ごしに暗い空を見上げました。
その時、森の中を風が、どっと吹きすぎていきました。
静まりかえっていた森の木々がいっせいにざわめき、たき火の炎が音を立てて激しく揺らめきます。
と、その中に声が聞こえてきました。恨みのこもった、低い声です。
「ヨクモ……憎イ。殺してヤル……」
ゼンは、ぎょっとして反射的に身構えました。腰のショートソードを抜きます。
そして、それと同時に、たき火のわきからフルートも跳ね起きました。かたわらの炎の剣を一瞬で引き抜いて身構えます。その反応の早さに、ゼンは、フルートが今までずっと起きていたのだと気がつきました。寝たふりをしていただけなのです。さっきのポポロとのやりとりを聞かれていたのだと知って、こんな場面なのに、ゼンは思わず真っ赤になってしまいました。何故だか、腹立たしいような想いが胸をよぎります。
けれども、フルートはそんなゼンの表情には気がつきませんでした。ただ青ざめるほど真剣な顔で剣を構え、あたりを見回し続けています。風はあっという間に吹きすぎてしまって、謎の声はもうどこからも聞こえてきませんでした。
フルートは剣を構えたままゼンを見ました。
「やっぱり聞いたね? ぼくの気のせいなんかじゃなかったんだ」
ゼンはうなずきました。
「殺してやる、って言ってやがったぞ。そうとうやばいヤツじゃないのか?」
フルートは鎧の内側からペンダントを引き出しました。けれども、やっぱり金の石はいつもの通りで、まったく反応を示していないのでした。
「エルフが言っていたんだ。ぼくたちには闇がつきまとっている、って。あの声のことだよね……」
「ただ恨み言を言ってるだけならいいんだが、どうも、それだけじゃすまないような気がするな。そのうちに何か仕掛けてくるんじゃないのか?」
「うん、ぼくもそう思う。何となく、声が前より近くなってるような気がするんだ……。今夜はぼくも一緒に起きて見張るよ」
「誰が狙われるかわからないんだ。明日の朝になったら、メールやポポロにも教えようぜ――」
ところが、ゼンがポポロの名前を出したとたん、フルートが反応しました。とまどうように目をそらしてしまったのです。あわててすぐにまた視線を戻しましたが、ゼンがそれに気がつかないはずはありませんでした。
ゼンは急にまた腹立たしいような気分になって、ぶっきらぼうに言いました。
「俺はこっちの方向を見張る。おまえはそっちだ」
「うん、わかった――」
フルートの声は静かでした。静かすぎて、淋しいくらいに響きます。けれども、ゼンは振り返らず、ショートソードの代わりにエルフの弓矢を構えて森を見張り始めました。たき火をはさんで反対側では、フルートが同じように見張りを始めています。
たき火のわきで眠り続ける少女たちや子犬を守りながら、少年たちは一晩中、一言も口をききませんでした。