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第4巻「闇の声の戦い」

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第5章 混乱

17.意地っ張り

 賢者のエルフに見送られて白い石の丘を後にした子どもたちは、二頭の馬で北東に向かいました。

 丘の周りの花野は、じきに乾いた荒野になり、さらに一面の草原に変わります。馬の背中まで届く丈の高い草が、緑の海のように東へ続いています。一年前、刺客に追われてフルートたちが馬で逃げた草原です。ここからは見えませんが、さらに東へ進むと、そこはもうエスタとの国境で、恐ろしい怪物がうようよする闇の森が行く手をふさいでいるのでした。

 やがて、低い山にさしかかったところで草原は終わり、そこから先は森と荒れ地が続く丘陵地帯になりました。正午はとっくに過ぎていたので、一行は山の上でエルフが持たせてくれた弁当の包みを広げました。パンやチーズ、薫製肉や果物や飲み物が食べきれないほど出てきます。青空からは暖かい日差しが降りそそぎ、木々の梢をさわやかな風が吹き抜けていきます。これがピクニックだったら、どんなに気持ちいいだろう、とつい考えたくなるような昼下がりです。食事が終わると、子どもたちはまたすぐ馬に乗って進み始めましたが、なんとなく歩みがのんびりしたものになってしまったのは、無理のないことかもしれませんでした。

 

 ゼンは自分の黒馬の前にポポロを乗せ、両脇から支えるようにしながら手綱を握って、馬を進ませていました。ときおり、二人が何かことばをかわしているのが聞こえてきます。景色のこととか空を飛ぶ鳥のこととか、他愛もない話ばかりのようでしたが、後ろからついていくメールとしては、なんだか気がもめてしかたありませんでした。ポポロにゼンの馬に乗るように言ったのは自分自身なのに、気がつくと、二人に向かってひどく腹をたててしまっていました。

 フルートはと見ると、相乗りする二人を見ても少しも動じず、いつもと同じ物静かさで馬を進ませています。メールはそんなフルートを後ろからにらみつけるように観察していましたが、ふいに手を伸ばすと、少年が握る手綱を強く引っ張りました。馬が驚いて立ち止まります。フルートはびっくりして振り返りました。

「な、なに、急に、メール?」

 その意外そうな顔がまた腹立たしく感じられて、メールはふくれっ面になりました。

「フルート、あんたさ、これで平気なわけ?」

 とがった声でそう尋ねます。フルートはますます面食らった顔になりました。

「いったい何のこと? ほんとに何をそんなに怒っているのさ?」

「あの二人だよ!」

 とメールは言いました。強い口調ですが、先を行く二人に聞かれたくないので、ささやくような声になっていました。

「あんなに仲良くされてて平気なの? ポポロをゼンに取られちゃって、悔しくないのかい!」

 フルートが、わずかに、ぎくりとした表情になりました。けれども、それは本当にごくかすかな変化だったので、腹をたてているメールには気がつくことができませんでした。

「取られちゃうって……ポポロは誰のものでもないよ」

 とフルートが苦笑いで答えると、メールはかみつくような勢いで切り込んでいきました。

「なに物わかりいいこと言ってんのさ! ちゃんとわかってるんだよ! あんただって、ポポロのことが好きなんじゃないか! どうしてそんなに平気な顔してられんのよ!?」

 

 たちまちフルートは苦笑いをやめました。突然、すべての表情を消して、じっとメールを見つめ返します。何ひとつ感情が読めなくなった顔に、メールはなんとなく、ひやりと冷たいものを感じました。何かひどくまずいことを言ってしまった予感がします。メールは、少年の青い目に自分の本音をすっかり見透かされているような気がしてきて、思わず目をそらしてしまいました。

 すると、フルートが言いました。

「メールったら……。そんなことを言うからには、ゼンがポポロを好きなのは知ってるんだね?」

 あまりにも静かな声でした。メールは思わずフルートに目を向け直し、少年が微笑しているのを見て、愕然としました。

「……あんたも知ってたんだ……」

 と思わず言ってしまいます。フルートの様子を見て、ゼンの気持ちにうすうす勘づいているのだろう、とは考えていたのですが、こんなにはっきり気がついているとは思わなかったのです。

 すると、フルートは微笑したまま、前を行くゼンとポポロを眺めました。二人は話に夢中になっていて、フルートたちが立ち止まっていることに気がつきません。

「風の犬の戦いが終わる頃から、ずっと知ってたよ。ゼンったら、ポポロにだけは全然態度が違うからね……。それなのに、ぼくがポポロを好きだと思って、遠慮したり、けしかけてきたりするんだから、ほんとに参っちゃうよな」

 メールは目を丸くしました。

「違うっての? あんた、ポポロを好きじゃなかったのかい?」

「好きだよ」

 フルートの声はあくまでも穏やかでした。

「でも、女の子として好きなんじゃないんだ……。ポポロはぼくの妹なんだよ」

 メールは、思いっきりうさんくさそうにフルートを見つめ返しました。けれども、それでもフルートは動じません。

「ポチがぼくの弟なのと同じだよ。ポポロは大切なぼくの妹さ。だから守ってあげたい。でも、それ以上じゃないんだ……」

 ほんの少しですが、自分自身に言い聞かせるような響きが声に混じりました。けれども、それはあまりにもわずかな変化だったので、耳の良いポチならばともかく、メールにはとても聞き取ることができませんでした。

 すると、フルートが逆に聞き返してきました。

「君はどうなの? 大丈夫なの? ぼくはずっと、君がゼンを好きなんだと思っていたんだけど」

 メールは、思いがけない質問に、一瞬口がきけなくなってしまいました。フルートに、こんなにあからさまなことを言われるとは思っていなかったのです。思わず耳の先までかあっと赤くなると、またかみつくような勢いで言い返しました。

「あ、あたいは……! あたいだって、別に何とも思ってなかったよ! ゼンは喧嘩友だちさ! いっつも意地の悪いことばかり言うんだから、ホントに憎ったらしいったら!」

「ゼンはすごくいいヤツだよ」

 とフルートは笑いながら言いました。

「ぼくには、ゼンの真似はとてもできないんだ……。でもまあ、いいや。君がゼンのことを好きだったらつらいんじゃないかな、って考えてたんだけど。そう聞いて安心したよ」

 あまりにもストレートなフルートの言い方に、メールはまた赤くなったり青くなったりしました。こんな話で安心するんじゃないよ! と心の中ではわめいていましたが、口に出すわけにはいかないので、代わりにふくれっ面でこう言いました。

「ホント、あんたたち男の子ってデリカシーないよね! もうちょっと気をつかった言い方ってできないのかい?」

「それを君が言うの?」

 とフルートが笑いながら聞き返しました。そう、人の背中からいきなり馬を引き止めて、「あんたはポポロを好きなはずでしょう!?」と尋ねてくるメールのほうが、よほどデリカシーに欠けています。メールは思わずまた赤くなって黙り込みました。

 

 フルートは前に向き直ると、また馬を進ませ始めました。丘のあちこちに生える立木が、透きとおるような緑の葉を風にそよがせています。本当に気持ちのよい五月の午後です。

 けれども、メールはそんな美しい景色など、これっぽっちも見ていませんでした。フルートの背中を憎らしげに見つめて、口の中でつぶやきました。

「あんたは大人だよね。まったく……やってらんないよ!」

 けれども、そんなふうにフルートに対して腹をたてること自体、実は八つ当たりもいいところなのでした。

 先を行く二人が笑い声を立てました。ワンワン、とポチが元気に吠える声も聞こえてきます。こちらとは対照的な、とても楽しそうな様子です。メールはこれ以上できないくらい、思い切り口をへの字に曲げると、二人の後ろ姿から目をそらしました。

 そして……メールの前で馬にまたがっているフルートもまた、そっと、先行く二人から目をそむけてしまっていました。

 何も言いません。何も態度には出しません。ただ、じっと唇をかみしめて、自分の両手を見つめています。その指先は、手綱を強く握りすぎて、血の気を失った白い色になっていました。

 自分自身に素直でないことでは、フルートもメールにまったく劣らないのでした――。

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