いよいよ子どもたちが白い石の丘を旅立つ時間が来ました。
丘のふもとの花野で子どもたちが待っていると、少し遅れて、丘からエルフが下りてきました。その後ろに、手綱をつけ鞍を置いた二頭の馬がついてくるのを見て、フルートとゼンは思わず声を上げました。
「コリン!?」
「黒星!」
ちょうど一年前、風の犬の戦いに向かう時に別れた、二人の愛馬でした。茶色の毛並みと、黒い毛並みに額に星を抱いた二頭の馬は、嬉しそうにいななくと、主人の下へ駆け寄ってきました。鼻を鳴らしながら長い顔をすり寄せてきます。
「うわぁ……コリン! エルフのところにちゃんと着いていたんだね! 元気そうで良かった!」
フルートは大喜びで馬の首を抱き、たてがみを何度もなでました。コリンは、フルートが金の石の勇者として旅立ったときから一緒だった馬です。おとなしいけれども、主人思いで忍耐強い性格をしています。
ゼンも久しぶりに再会した黒馬を抱きしめて、嬉しそうに声をかけていました。
「よーしよし、いい子でいたな! エルフに面倒見てもらって、いい思いしてたんだろう。こんなに毛づやが良くなりやがって!」
彼らは、一年前、国境の闇の森を越える際に連れて行けなくなった馬を、エルフの元まで戻らせたのでした。ポチとポポロもこの馬たちとは顔なじみだったので、やはり、嬉しそうに声をかけ、なでたり体をすり寄せたりしました。
「ロムド城まで、この馬で行くといい」
とエルフが子どもたちに言いました。
「このまま北東の方角を目ざすと、大きな湖に出る。リーリス湖だ。その湖畔にあるハルマスの街から南の街道に入ると、城のある王都ディーラまでは一本道だ」
「ハルマス!」
とフルートが声を上げたので、ゼンが聞き返しました。
「どんな街なんだ?」
「ロムド一の保養地だよ。ええと、つまり……お金持ちの人たちが休暇を過ごしたり、のんびりしたりするための街なんだ」
すると、ポチがワン、と鳴いて言いました。
「ハルマスはいいところですよ。綺麗な湖があるから、貴族の別荘がたくさん建っているんだけど、温泉もあって、怪我や病気の人たちが大勢入りに来るんです。ぼくも昔、一度だけ入りました。気持ちよかったですよ」
「昔って……お前、何歳だったっけ、ポチ?」
とゼンがあきれ顔をしますが、ポチは悪びれずに答えました。
「もちろん十歳ですよ」
「嘘だろ。もう十歳くらいサバ読んでるんじゃないのか? おまえ、どう考えても博識すぎるぞ」
「ワン。だって、ぼくは小さい頃からずっと、このあたりの国々を転々と旅してきたんだもの。時々は、人間に飼われたりもしましたからね。その人にいろんなところに連れて行ってもらうこともあったんですよ。――北の峰の洞窟から全然外に出ないドワーフとは違うんですよ」
ポチは最後のことばをわざとからかうように言いました。案の定、ゼンがムッとした顔になります。
「この野郎! やっぱりおまえ、最近すごく生意気だぞ。昔の謙虚な素直さはどこにやった!?」
「そんなの、一緒にいる人たちの影響で変わっちゃうんですよ」
とポチは笑うように答えると、このぉ! と怒ってつかまえようとするゼンの手をすり抜けて、花野を逃げ回りました。……人のことばを話せるばかりに、ずっとおびえて生きてきた子犬も、フルートやゼンたちと一緒にいるうちに、だいぶ変わってきたようでした。
そんな二人を笑って見ていたフルートに、エルフが言いました。
「食料はおまえたちの馬に充分なだけつけておいた。ハルマスまでは余裕で行けるだろう。だが、よく気をつけていくのだぞ。おまえたちには、闇の気配がつきまとっている」
フルートは、はっとして、たちまち真顔になりました。
「それは……」
と言いかけ、少し離れたところに立つ二人の少女たちを見て、ことばを止めました。エルフが、あの謎の声のことを言っているのはすぐにわかったのですが、得体が知れないだけに、うかつに口にして、少女たちを不安がらせたくないと考えたのです。そして、尋ねてこない者には何も教えようとはしないのが、賢者というものでした。
それから、エルフは魔法使いの少女に声をかけました。
「お前にはこれを贈ろう、ポポロ」
と手渡してきたのは、細い腕輪でした。金と銀を流し込んだような輪の真ん中に、黄色い石がはめ込まれています。ゼンがめざとく気がついて飛んできました。
「おっ、今回も魔法の道具がもらえるんだな? これはどんな効果があるんだ?」
「これは継続の腕輪――ポポロの魔法を補助するものだ」
とエルフが答えました。
「ポポロの魔法は、強力だがほんの二、三分しか続かない。その魔法の効果を、この石が継続させるのだ」
へぇっ、と子どもたちは感心しました。それは確かに、かなり役に立ちそうな道具です。
「どのくらいの時間、継続するの?」
とポポロが尋ねると、エルフは答えました。
「石が壊れるまで、永久に」
子どもたちは今度は目を丸くしました。フルートが考え込みながら言いました。
「ということは、つまり……たった一度しか使えない道具だってことですね? ひとつの魔法をずっと継続させる力があるんだ。よくよく考えて使わなくちゃいけないんですね」
「そのとおりだ」
理解の良い勇者を、賢者のエルフは笑うような目で見つめました。ゼンが肩をすくめました。
「気をつけて使えよ、ポポロ。冷凍魔法なんかに使っちまったら、永久に解凍できなくなるかもしれないぞ」
「う、うん……」
とまどいながらも、ポポロは腕輪を右の手首にはめました。黒い衣の袖口で金と銀の輪が光り、黄色い石が穏やかに輝きました。
最後に、エルフはメールの前に立ちました。メールはこの日、朝食の時からほとんど口をきかなくなっていましたが、エルフが自分を見つめてきたので、意固地な顔で目をそむけました。
「おい! ホントにおまえ、今朝から何をすねてるんだよ?」
とゼンが叱るような声を出すと、それがメールの意固地の虫にますます拍車をかけました。怒ったようにそっぽを向いてしまいます。ゼンが重ねて注意しようとすると、エルフは目でそれをやめさせて、さらにじっとメールを見つめ続けました。二分、三分とただ黙って見つめられて、とうとうメールは目を上げました。エルフの深い緑の瞳を、ちらりと見上げます。
すると、エルフは静かに口を開きました。
「魂に青い炎を持つ、海と森の姫よ。おまえに私から贈るものは何もないのだ。おまえに必要なものは、すでにおまえの中にある。ありのままで行くが良い。それがおまえを最も輝かせるのだ」
メールは目を見張りました。エルフのことばはとても謎めいていましたが、なんだか、ひどく意外なことを聞かされたような気がしました。それってどういうこと? と聞き返そうとしましたが、その時にはもう、エルフはフルートのほうへ行ってしまっていました。
「まっすぐに進むがいい」
とエルフは言いました。
「おまえたちの道は、必ず闇の底にたどりつく。おまえたちの信じる道を進んで行け。金の石の守りが、堅くあらんことを」
最後にいつものように祈ってくれたエルフへ、フルートは深く頭を下げました。本当に、いつも道を示し、助けになる道具を与えてくれるエルフには、いくら感謝しても足りないほどでした。
太陽は次第に頭の上に近づいていました。花野の上を暖かい風が吹き渡ってきます。いいかげん出発しなければ、日暮れまでにいくらも進めなくなってしまいます。フルートは自分の馬の手綱を取りながら、ゼンに呼びかけました。
「また、みんなに二頭の馬に分乗してもらおうよ。ぼくのほうには――」
「あたいが乗るよ!」
と突然メールが声を上げました。その声があまりに大きく強く響いたので、他の子どもたちは思わずびっくりしました。
すると、メールがフルートに迫りました。
「いいだろ、フルート? それとも何、あんたの馬にはポポロ以外の女の子は乗せられないの!?」
フルートは、メールのその剣幕のほうに驚きながら答えました。
「そんなことはないさ……メールがそれでいいなら、ぼくのほうは全然かまわないよ」
「ポポロはゼンの馬に乗りなよ!」
とメールは乱暴な調子で言い続けました。――どこか、自暴自棄な響きのする声でした。
女の子たちが馬に乗っている間に、フルートは、そっと親友に尋ねました。
「ゼン、何をしてあんなにメールを怒らせたのさ?」
「知るか。俺は何もしてないぞ」
憮然とした顔でゼンが答えます。女の子の心理というものは、少年たちにとっては、謎また謎の彼方でした。
そんな子どもたちを、エルフは黙って見守り続けていました。その目には、子どもたちを慈しむような、気づかうような、深く優しい色がありました……。