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第4巻「闇の声の戦い」

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15.朝

 翌朝、ゼンが目を覚ますと、部屋は明るくなっていて、フルートとメールだけが眠っていました。ポポロとポチの姿はなく、ただ、ポポロが使っていた毛布だけが布団の上に残されています。ゼンはすぐに起き上がると、足音をしのばせて部屋を出て行きました。

 エルフの家は不思議でした。地下にあるはずなのに、どこからともなく光が差してきて、家全体を明るくしているのです。それは作られた光ではなく、朝の太陽の光そのものでした。

 ゼンは通路とカーテンをくぐり抜けて、前の晩エルフと話をした居間に出ました。けれども、そこには誰もいません。ただ、子どもたちの武器や荷物が、きちんと壁際に並べられていました。荷物が前の晩より大きくなっているのを見て、ゼンはエルフが夜の間に旅支度を調えてくれたのだと気がつきました。ゼンのエルフの弓矢は弓弦が張り直されていましたし、フルートの二本の剣は綺麗に磨き上げてありました。

 そのとき、部屋の入り口のほうから風の流れを感じました。魔法の石の扉を抜けて、朝風が吹き込んできたのです。誰かが外に行ったのだと気がついて、ゼンはすぐに扉をくぐって、地上へ向かう階段を上っていきました。

 

 階段の一番上の木の扉が大きく開け放してあって、まぶしい朝日が階段の上にまで差し込んでいました。外に出てみると、緑の草におおわれた丘は一面に朝露を宿して、日の光に星のようにきらめいていました。その中に、小さな少女が立っているのを見て、ゼンは思わず立ち止まりました。少女の黒い衣は、朝露に負けないほど美しいきらめきを放っています――。

 ゼンは、ためらいながら、そっと声をかけました。

「ポポロ……」

 少女が振り返りました。宝石のような緑の瞳が、ゼンの姿を見て、たちまち輝きます。

「おはよう、ゼン」

「おはよう」

 ゼンは何だかとても嬉しい気持ちになって、笑顔でポポロの隣まで行きました。

「よく眠れたか? 昨夜はずいぶんくたびれてたみたいだな」

 ポポロはちょっと顔を赤らめると、うん、とうなずきました。

「ごめんなさい、話し合いにも参加しないで……。占い師のユギルさんに会いに、ロムド城まで行くことになったって、おじさんから聞かされたわ。ありがとう。ルルのためにあっちこっち行かせることになっちゃって、ごめんなさいね……」

 本当にすまなそうな顔をしてそんなことを言う少女に、ゼンは思わず笑いました。

「決めたのはフルートだぜ。あいつがそんなこと気にするわけないだろう。地獄の底までだってルルを助けに行くって言ってたぞ」

 すると、たちまちポポロは不安そうな表情に変わりました。

「ルルは……本当に地獄にいるのかしら? ルルはもう、あたしたちを仲間だと思っていないんだ、っておじさんが言ってたわ。あたしたち、本当にルルを助けられるのかしら……?」

 と言ってうつむきます。その瞳は、早くも涙でうるみ始めていました。

 ゼンはちょっと苦笑すると、片手でポポロの頭をなでてやりました。ドワーフの血を引いていて背が低いゼンですが、小さなポポロは、それよりももっと小柄です。

「心配するなって。俺たちがいるんだ。絶対に助け出してやるさ」

 ポポロが見上げてきたので、ゼンは精一杯優しくそれに笑って見せました。

「うん……」

 ポポロは涙ぐんだ目のまま、にっこりほほえみ返しました――。

 

 メールは、目を覚まして寝室に自分しかいないのに気がつくと、驚いて跳ね起きました。大急ぎで居間に行ってみましたが、そこにもやっぱり誰もいません。家の中は静まりかえっています。メールは、ちょっとためらってから、石の壁に見える魔法の扉に思い切って飛び込みました。なんの抵抗もなく、石の扉を通り抜けられます――。

 長い階段の上から、朝の光と風が流れ込んでいました。誰かが外へ出たようです。メールはちょっと首をかしげてから、階段を上り始めました。

 すると、上の方から足音がして少年が下りてきました。――フルートです。メールを見て、一瞬ぎくりとしたように足を止めましたが、すぐに口を一文字に結ぶと、メールを押しのけるようにしてわきを通り抜けていきました。一言も口をきかずに石の扉の中へ消えていきます。

「なんだい、あれ……?」

 メールは呆気にとられてフルートを見送ると、階段の上まで行ってみました。すると、朝の丘の上にゼンとポポロが並んで立っているのが目に飛び込んできました。二人ともこちらに背中を向けて、丘の下の景色を眺めています。

 そのゼンの手がポポロの髪をなで続けているのを見て、メールは思わずどきりとしました。とても優しい手つきです。ゼンがこんなに優しく誰かに触れているところを、メールは今まで見たことがありませんでした。

 メールは、ふいに胸を突かれて立ちすくみました。まったく動けません。声も出ません。朝日の中に寄り添っている二人を、ことばもなく見つめてしまいます――。

 

 すると、ゼンがポポロに話しかけるのが聞こえました。

「どれ、フルートを探さないとな。これからの打ち合わせをしないと。一緒に下に戻るか?」

 ううん、とポポロが首を振りました。

「もう少しここで花野を見ていたいわ……。この景色、久しぶりなんだもの」

「そうか」

 それじゃ、また後でな、と言って、ゼンが戻ってきました。

 メールはあわてて階段を駆け下りようとしました。何か、見てはいけないものを見て、悪いことでもしてしまったような気がします。

 けれども、メールはふいに階段の途中で立ち止まると、ぎゅっと眉を寄せて口をへの字に曲げました。階段の壁に触れていた手を拳の形に握ります。

 ゼンが階段を下りてきて、途中にメールが立っているのに気がつきました。

「おう、起きたか。何してるんだ、こんなところで?」

 ゼンの口調はいつもとまったく変わりがありません。いつもと同じ――フルートやポチに話しかけるときと、まったく同じ調子です。メールはふいに泣きたいような気分になって、あわてて唇をかみました。

 すると、その顔を見て、ゼンが言いました。

「何怒ってんだよ? 朝っぱらから訳のわからんヤツだな」

 メールは本気で腹をたてました。ゼンを乱暴に押しのけると、そのわきを通り過ぎます。

「あんたじゃないよ。この上に用事があるのさ」

 と言い捨てて、階段を駆け上がっていきます。なんだか本気で声を上げて泣いてしまいたいような気持ちになりましたが、泣き顔をゼンに見られるのが嫌で、必死になって唇をかんでこらえ続けました。ゼンは首をひねると、肩をすくめて、また階段を下りていきました。魔法の扉をくぐり抜けていきます――。

 階段を駆け上がってきたメールの足音に、ポポロが振り返って目を見張りました。

「どうしたの? 何かあったの?」

 血相を変えているメールに本気で心配するポポロに、メールは思わずまた立ちつくしてしまいました。その様子を見ただけで、ポポロがゼンの気持ちにまったく気づいていないことがわかってしまったのです。ゼンがポポロだけを特別扱いしていることも、それにメールが心穏やかでない気持ちでいることも、ポポロ自身は全然理解していないのでした。

 メールはなんとなくとまどいながら、ゆっくりとポポロのところへ行きました。ポポロは相変わらず不安そうな顔をしています。メールはちょっとためらってから、試しにこう言ってみました。

「今さっき、そこの階段でフルートとすれ違ったよ。怒ったような顔をして、一言も口をきかなかったけどね」

 それでも、ポポロは意味がわからない顔で、きょとんとメールを見返します。メールは思わず苦笑しました。ゼンからもフルートからも特別な想いを持たれているポポロ。なのに彼女は、そんな二人の気持ちにまったく気がついていないのです。メールは、なんだか急に体中の力が抜けて、その場に座りこんでしまいました。世の中は不公平だ、ということばが頭の中に浮かんできて、思わず大きな溜息が出ました。

「メール?」

 ポポロが驚いた顔をします。それを見上げたとたん、メールの胸に急に意地の悪い気持ちがあふれました。突然ぱっとまた立ち上がると、切り込むような鋭さでポポロにこう尋ねました。

「ねぇ、ポポロ。あんたいったい、ゼンとフルートのどっちが好きなのさ――!?」

 

 とたんにポポロが息を呑みました。みるみるうちに顔が真っ赤に染まり、それがいきなり青ざめていきます。

 そんなポポロをメールは追い詰めていきました。

「見てて不思議なんだよね。あんたったら、フルートに話しかけられたときにも、ゼンに話しかけられたときにも、どっちにもすごく嬉しそうな顔をするんだもん。二人とも友だちだから好きなのはわかってるよ。だけどさ、あんたが『本当に』好きなのは、あの二人のどっちのわけなのさ?」

 本当に、ということばを強調して、メールはじっとポポロを見つめました。強いまなざしです。うやむやな返事で逃がすつもりはありませんでした。

 ポポロは星空の衣を握りしめてうつむき、長い間黙り込んでいましたが、やがて、とても小さな声でこう答えました。

「自分でも、よくわからないの……」

 メールは眉をひそめました。鋭い口調で聞き返します。

「わからない?」

「うん……。どっちが好きなのか、自分でわからないのよ」

 そう言って、小柄な少女は目に涙を浮かべました。

「フルートは本当に優しいわ。あたしがどんなに失敗しても、どんなに頼りなくても、全然責めないの。優しくて、そして、とっても心が強いんだと思うわ。だから、大好き……。でも、ゼンも、本当はそれに負けないくらい優しいのよ。ぶっきらぼうだけど、でも、やっぱり優しいの。滅茶苦茶な魔法しか使えないあたしに、一番最初に『頼りにしてるぞ』って言ってくれたのはゼンだったわ。その時、あたし、本当に嬉しかったの。ゼンと話してると、あたし、勇気がわいてくるのよ。だから、ゼンも大好き……。二人とも大好きで……どっちのほうが本当に好きなのか、自分でも全然わからないのよ……」

 そう言って、ポポロは涙をこぼしました。水晶のかけらのように透きとおったしずくが、緑の草の上に落ちて、朝露と一緒になります。

「そんなぁ」

 うつむいたまま泣く少女を見ながら、メールは思わずそうつぶやいてしまいました。それ以外、ことばが出ませんでした。

 すると、涙をこぼしながらポポロが言いました。

「でも……あたし、本当はこんなことを言っちゃいけないのよ……」

 何故だか、ひどく厳しい響きのある声に、メールはまた目を見張りました。

「なんでさ?」

 と思わず聞き返します。

「だって……あたしみたいなできそこないには、誰かのことを好きになる権利はないんだもん……」

 強力すぎる魔法をコントロールできなくて、皆から叱られ続けてきたポポロは、自分自身を信じることができません。本気で、自分には誰かを好きになることなど許されないと思っているのが、その口調からありありと伝わってきました。

 メールは思わずポポロを見つめました。何か言おうと思うのですが、何もことばが思い浮かびません。朝の光の中で泣き続ける小さな少女を、ただただ見つめてしまいます。

 

 すると、エルフの家に続く階段の下から、ポチの元気な声が聞こえてきました。

「ワンワン! メール、ポポロ、朝ごはんの準備ができましたよ! 下りてきてくださぁい!」

 少女たちは夢から覚めたような顔になりました。ポチの呼ぶ声がまた聞こえてきます。少女たちはゆっくりと階段に向かい始めました。ポポロが衣の袖で涙をぬぐいます。メールは一言も口をききませんでした。その青い目は、何か見えないものをじっとにらみつけているようでした。

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