子どもたちは一面の花野の中を歩いていました。
本当に、どこまで進んでも、あふれるほどに花が咲き続けています。初めてここに来たメールが嬉しそうに見回しているので、ゼンが声をかけました。
「この花で何を作る気でいるんだ? これだけ咲いてりゃ、どんなもんだって思いのままだよな」
すると、メールはたちまちムッとした表情になりました。
「勘違いしないでよね、ゼン。あたいは確かに花使いだけどさ、必要のないときにまで花を操ったりはしないんだよ。花は自分が育った場所で咲いてるのが一番いいのさ。花使いに使われると、それだけで花は弱っちゃうんだから」
それから、メールは花野にまた目を向けて続けました。
「ここはすごいとこだよ。花たちがすごく生き生きしてる。不思議な力で守られてるみたいだ。さっきからずっと、花たちの声が聞こえてるんだけどね、あたいたちを歓迎してくれてるんだよ」
ゼンは驚いた顔をしていましたが、やがて頭をかくと、ごめん、と素直に謝りました。メールはそれを横目で見て、にやりとしました。あまり女の子らしくない笑い方です。
「ゼンこそ、花で何を作ってほしかったのさ? ここの花たちはすごく優しいから、きっとなんでも言うこと聞いてくれると思うよ」
「いや、花鳥にでも乗っていけば、丘までひとっ飛びでいけるんじゃないかと思ったのさ……。みんな、ずっと馬に揺られて疲れただろうからな」
それを聞いたとたん、メールから笑顔が消えました。ゼンが言う「みんな」が誰を差しているか、わかってしまったのです。
早駆けするエスタ軍の馬に半日以上揺られても、フルートとゼンはまったく疲れた様子がありませんでした。体力のあるドワーフのゼンだけでなく、小柄なフルートまで元気なのは、きっと金の石のおかげに違いありません。
メール自身も元気です。メールは細身ですが、もともとかなり体力があるたちなので、あれくらいの強行軍はなんでもないのです。子犬のポチも、いつもと変わらない様子で、一行の前や後ろになりながら走り続けています。
ひとり疲れ切った様子でいたのはポポロでした。激しく揺れる馬の鞍にしがみついているだけでも、馬に慣れない人は疲れ果ててしまいます。きっと筋肉痛や関節痛で体中が痛くてたまらないはずなのに、それでもポポロは一言も泣き言を言わず、ただ黙々と丘に向かって歩き続けているのでした。
フルートにも、ゼンが誰の心配をしているのかがわかりました。気がかりそうにポポロを振り返ります。
「大丈夫? なんだったら、ここでひと休みしようか?」
けれども、ポポロは黙ったまま、首を横に振りました。その目は白い石の丘を見つめ続けています。
メールは口をへの字に曲げて、少しの間何も言いませんでしたが、ふいにその両手を差し上げると、花野に向かって呼びかけました。
「おいで、花たち! あたいたちを丘まで連れてっておくれ!」
とたんに、ザアッと音を立てて花が茎を離れ、子どもたちの周りに集まってきました。彼らの足下をすくい上げ、花の絨毯の上に乗せると、あっという間に一頭の巨大なトラに変わります。全身色とりどりの花でできたトラです。一声鳴くと、子どもたちを背中に乗せたまま、風のような速さで丘を目ざして走り出しました。
「あ、ありがとう、メール……」
とポポロが礼を言いましたが、メールはトラの首に座ったまま、一言も返事をしませんでした。
たちまち目の前に丘が迫ってきました。白い石の柱が、高い塔の群れのように空に向かって伸びています。
すると、魔法使いの少女が叫びました。
「おじさん! おじさんがあそこに立ってるわ!」
と近づいてくる丘の上を指さします。じきに他の子どもたちの目にも、丘の上に立ってこちらを見ている人物の姿が見え始めました。長い緑の衣を着て、銀に光る髪を風になびかせた、長身の男性です。子どもたちが白い石の丘のエルフと呼んでいる、物見の丘の賢者でした。
花のトラは一気に丘を駆け上がると、再び音を立てて崩れ、その場でまた花に戻りました。緑の草におおわれた丘に、突然花畑ができあがります。
エルフはじっと立ったまま、子どもたちを見つめていました。その瞳は深い森を思わせる緑色をしています。何もかもを見透かすようなエルフのまなざしに、子どもたちはふいに恐れ多い気持ちでいっぱいになって、その場に立ちつくしてしまいました。この賢者に出会うと、いつもそういう気持ちになってしまうのです。
けれども、ひとりポポロだけは一散に駆け出すと、手を広げてエルフに駆け寄り、そのまま抱きついて泣き出してしまいました。
「おじさん! おじさん、助けて! ルルが――ルルが泣いてるの! ずっと泣き続けてるのよ――!」
ポポロは一年前、天空の国から迷子になってこの丘にたどりつき、しばらくの間、エルフと一緒に暮らしていました。ポポロにとっては、白い石の丘のエルフは賢者ではなく、保護者のような存在なのです。いつもは淡々として感情をほとんど見せないエルフが、泣いている少女をしっかり抱きしめて、その髪をいとおしむようになでました。
「よく来た、ポポロ……それに小さな勇者たち。待っていたぞ」
子どもたちはポポロを追うようにエルフの前まで来きました。
「ポポロ、ルルが泣いているって――?」
とフルートが不思議そうに尋ねると、泣きじゃくるポポロに代わって、エルフが答えました。
「ポポロとルルは、常に一緒に育ってきた。二人の心が奥深い場所でつながっていているので、ルルの気持ちがポポロに伝わってくるのだ」
相変わらず、この賢者には余計な説明をする必要がありません。子どもたちが何も言わなくても、どういうことがあって、今何が起きているのかを、人にはわからない手段ですっかり理解してしまっているのです。
エルフはことばを続けました。
「ルルは確かに闇にとらわれている。だが、心すべてを奪われているわけではない。だから、ポポロに泣き声が聞こえてくるのだ。今ならまだ間に合うだろう。来なさい」
と、まだ泣いているポポロをかたわらに抱き寄せながら、岩の柱の間の階段を下り始めます。子どもたちはその後に続いてエルフの家に入っていきました。
ところが、一番最後になったメールだけは、階段の奥で石の壁に突き当たって、目を白黒させました。エルフも他の子どもたちも、まるで当然のことのように、石を通り抜けて中に入っていきます。でも、メールには石の壁がくぐり抜けられないのです。両手を伸ばして壁に触ってみましたが、ザラザラした堅い石の感触がするだけで、どうしても中に入ることができませんでした。
「ゼン!」
とメールが腹立たしそうに呼ぶと、ゼンがひょっこり石の中から頭をのぞかせました。
「なんだよ」
「通れないよ、どうすんのさ!」
とメールがますます腹をたてると、ゼンは石の中で肩をすくめました。
「通れると思えば通れるんだよ。ぐずぐずしないで早く来いよ」
茶色の頭が石の中に引っ込んでしまいます。メールはあわててそれを引き止めようとしましたが、伸ばした手はまた石の壁に跳ね返されてしまいました。
すると、今度は金の兜をかぶったフルートが石の中から顔を出しました。
「メール、これは魔法の扉なんだよ。大丈夫、通れると信じれば、ちゃんと通り抜けることができるんだ。ほら、手を貸して」
と金の籠手でおおわれた手を差し伸べてきます。メールがそこにつかまると、フルートはゆっくりと手を引いて石の中に導いていきました。石の壁が目の前に迫ってきて、メールは思わず目をつぶりました。が、次に目を開けると、もう石の壁を通り抜けて、エルフの家の中に入っていました。
先に来ていたゼンが、笑いながら言いました。
「石の壁に頭をぶつけそうで、怖くてくぐり抜けられなかったんだろ。案外気が小さいヤツだな」
メールは、たちまちかっと赤くなると、ものも言わずにそっぽを向いてしまいました。その瞳が、いつにもまして意固地な色を浮かべ始めていました――。
薄い布を何枚も下げた部屋の中央にはテーブルがあって、料理が湯気を立てていました。例によって、エルフは子どもたちが到着する「時」を読みとって、すっかり準備を整えていたのです。
「さあ、食事にしよう。話はそれからだ。おまえたちは食べなくてはいけないからな」
とエルフが言ったので、子どもたちは歓声を上げて食卓に突進しました。エスタ軍を出発してからここまで、駆け通しに駆けてきたので、子どもたちは早朝に朝食を食べたきり、後は何も口にしてきていませんでした。「まずは食え」が口癖のゼンさえ、今回ばかりは先を急ぐので、その鉄則を曲げてしまっていたのです。
勢いよく食べたり飲んだりする子どもたちに、エルフは次々と料理をとりわけ、飲み物をついでくれました。料理の中には、子どもたちに馴染みのない香草がふんだんに使われていましたが、それでもどれもおいしくて、子どもたちは夢中で食べ続けました。
すると、ふいにポポロがぱたりとテーブルに頭を落として、そのまま動かなくなりました。
「ポポロ!?」
仲間たちが驚くと、エルフはゆっくりとそれに歩み寄りながら言いました。
「おまえたちの疲れが癒える薬草を混ぜておいたのだ。だが、ポポロの疲れはとりわけ深かったようだな。薬草に眠りを誘われたのだ」
テーブルにつっぷしたまま寝息を立てているポポロを見て、フルートは思わず溜息をもらしました。
「体だけでなく、心も疲れきっていたんだと思います。ずっとルルのことを心配していたから……」
「そうだな。そして、眠りもその心労を取り去ることはできない」
と言いながら、エルフはふわりとポポロの小さな体を抱き上げました。
「だが、眠りはいっときの休息と、次への活力を養ってくれる。ポポロはこのまま寝せておいてやろう。食事を続けなさい。戻ってきたら、我々だけで話をすることにしよう」
そして、エルフはポポロを抱いたまま、壁際に下がったカーテンをくぐり抜けて、家の奥へと消えていきました。他の子どもたちはその後ろ姿を見送りました。余計なことをいっさい言わないエルフが、何故だか、とても心痛めているように、子どもたちには見えました――。