エスタ軍の野営地で風の犬のルルと戦った翌日、フルートたちは軍馬に乗って、白い石の丘を目ざしていました。四頭の馬に鎧を着けたエスタ兵が乗り、その鞍の前のほうに子どもたちをひとりずつ乗せて走っています。先頭を行くのはオーダで、前に乗っているのはフルートです。その足下を、白いライオンの吹雪が少しも遅れることなくついてきています。ポチは子犬の姿でフルートのリュックサックに入り、体半分を外に出して、フルートの肩に前足をかけていました。そうやって、身を乗り出すようにしながら、進行方向を確かめています。
「ワン、このまままっすぐで大丈夫です! 白い石の丘が近づいてきました。匂いがしますよ!」
馬の蹄の音に負けないようにポチが声を張り上げると、オーダがそれを聞いて後続の兵士たちに呼びかけました。
「このまままっすぐだとよ! 遅れるなよ!」
それは奇妙な一行でした。子どもたちは皆、大人たちの前で堂々と馬にまたがっています。乗せてもらっている、という遠慮のようなものが、みじんも感じられないのです。厳めしい鎧兜で身を包んだ兵士たちが、うやうやしくそれを運んでいきます。兵士たちは昨夜の子どもたちの戦いぶりを目の当たりにし、オーダからそれが金の石の勇者の一行だと聞かされて、すっかり恐れ入ってしまったのでした。
ワン、とまたポチが吠えました。
「見えてきました! 花野です! 白い石の丘ですよ!」
物見の丘とも呼ばれる石の丘は、エスタ軍の野営地から案外近い場所にありました。地図でその場所を確かめたフルートたちは、夜明けと共に出発して、まっすぐ丘を目ざしてきたのでした。太陽は頭の真上を過ぎていましたが、彼らは走り通しに走って、少しも休みませんでした。それでも、子どもたちは弱音ひとつ吐かないのです。少年たちだけでなく、細身のメールや華奢なポポロさえ黙って乗り続けているので、兵士たちは密かにひどく感心していました。
ついに、一行は花野の端にたどりつきました。荒野の中に、突然一面の花畑が現れます。その彼方には、薄い靄(もや)にかすみながら、白い石が立ち並ぶ丘が見えていました。
四頭の馬は次々に足をゆるめ、やがて立ち止まりました。オーダが行く手を眺めながら、低い声で尋ねます。
「着いたのか……?」
フルートはうなずきました。あの白い石の丘にエルフが住んでいるのです。これまでにも何度もフルートたちに助言を与え、手助けしてくれた賢者です。
「行こう」
とフルートは言いましたが、オーダも他の兵士たちも馬を進めようとはしませんでした。立ちつくしたまま、行く手を眺め続けています。
「どうしたんだよ? 何ぼーっとしてんだ?」
とゼンが不思議そうに尋ねると、またオーダが口を開きました。いつも大声で話す彼が、ここでは低い声のままです。
「丘ってのは、どこにあるんだ?」
フルートは思わずオーダを振り返りました。
「あそこですよ。少しかすんでるけど、見えているでしょう?」
「花野ってのもあるんだな?」
そう言って、オーダは、はっきりと苦笑いの顔になりました。他の大人たちも、皆、ひどく奇妙な表情をしています。
ポチが気がつきました。
「ワン! まさか――見えないんですか? 丘が見えていないの!?」
子どもたちはびっくりして、自分たちの後ろの大人を振り返りました。
オーダがまた苦笑いをしました。
「見えん。白い石の丘も花野とやらも、まるっきり見えないぞ。俺の目には、ただずーっと荒れ野が続いて見えるだけだ」
他の兵士たちも、いっせいにそれにうなずきます。子どもたちはますます驚いてしまいました。彼らの目には、丘も、色とりどりに咲き乱れる花野も、これ以上ないほどはっきりと見えているのです。
「匂いはしないのかい? こんなに花の香りがしてるのに」
とメールが尋ねました。花の香りだけでなく、花や草が風に揺れるざわめきもあたりに充ちています……。
兵士たちは首を振りました。本当に、大人たちには何も見えず、何も感じられなかったのです。彼らの前に広がっているのは、今まで走ってきたのと少しも変わらない、赤茶色に乾ききった荒れ地と、そこを吹き渡る風の砂っぽい匂いと音だけでした。
オーダは広い肩をすくめると、ふいに大声で笑い出しました。
「まぁったく! これだから、子どもってやつは侮れないんだよなぁ……! どうやら、俺たちみたいに汚れきった大人には、白い石の丘も花野も見えないってことらしいぞ。お目にかかりたくとも、賢者のエルフには会えないってわけだ!」
子どもたちはそれぞれの馬の上から、思わず顔を見合わせてしまいました。すると、オーダが馬から飛び降りて、行く手を示しました。
「この先はおまえらだけで行くしかないな。どのみち、俺たちは招かれざる客だ。おまえらと一緒に行ったって、俺たちは白い石の丘にはたどり着けないだろう。……あの天空の国への階段と同じことだな」
そう言ってフルートを見上げた大男は、ほんの少し、うらやましそうな目をしていました。
「行け、チビの勇者ども。おまえたちに丘や花野が見えている限り、正義はおまえたちと一緒にあるんだろうよ。行って、おまえたちの友だちを闇から助け出してやれ」
子どもたちはいっせいにうなずくと、それぞれに馬から降り、兵士たちに別れを告げて歩き出しました。ところが、白いライオンの吹雪が子どもたちについて二歩三歩と進み出したので、オーダは目を丸くしました。
「吹雪、おまえにも見えているのか!」
ライオンが立ち止まって、けげんそうに主人を振り返りました。
オーダはまた苦笑いをしました。
「俺は行けないんだよ。だが、おまえが行きたいなら一緒に行っていいぞ。そいつらを守って助けてやれ」
と、まるで人に向かって言うようにライオンに話しかけます。吹雪は子どもの頃からオーダに育てられてきています。人のことばはわからなくても、主人の言うことなら理解できるのです。
ライオンは主人と子どもたちの顔を交互に見比べました。子どもたちも立ちつくして、思わず吹雪とオーダを見つめてしまいました。いつも陽気なオーダが、見たこともないほどしんみりした笑顔を吹雪に向けています……。
すると、吹雪はくるりと向きを変えて、主人のほうへ戻っていきました。オーダの足下まで来ると、もう一度子どもたちを振り返り、ガオン、と一声鳴きます。ワン、とポチがそれに答えました。
「なんだって?」
とフルートが尋ねると、ポチは笑うような顔で答えました。
「勇者たちの一行に日と風の守りがありますようにって。さようなら、って言ってくれてるんですよ」
子どもたちも思わず笑顔になると、見送る人とライオンにもう一度手を振りました。オーダは大きな体をかがめて吹雪に腕を回し、思い切り手を振り返していました。
歩いていく子どもたちの姿が、大人たちの目の前からふいに消えました。まったく突然、音もなく見えなくなってしまいます。見送っていた兵士たちは、思わず、おっと驚きの声を上げました。後には乾ききった荒野が広がっているばかりです。
「花野に入ったか」
オーダは微笑してつぶやくと、自分の元に戻ってきた相棒をもう一度抱いてから立ち上がりました。仲間の兵士たちに呼びかけます。
「どれ、俺たちの役目はすんだ。部隊に戻ろうや」
すると、兵士のひとりが、何とも言えない表情で子どもたちが消えた荒野を眺めながら言いました。
「オーダ、あの子どもたちはいったい何者なんだ……?」
「何者? そりゃもちろん、金の石の勇者の一行だろうが」
「いや、そういう意味ではなくて……」
言いかけて兵士が言いよどみます。自分が何を言いたいのか、自分でもよくわからなくなったのです。オーダは声を立てて笑い出しました。
「あいつらは正義の味方だよ。それこそ掛け値なしのな。嬢ちゃんたちさえ、友だちのためになら、半日以上ぶっ通しで馬に揺られたって泣きごとひとつ言わないんだから。まったくかなわんよなぁ」
そして、オーダは急に笑いを引っ込めると、がらりと口調を変えました。
「今夜また風の犬が襲ってきたら、今度こそしとめなくちゃならんぞ。狙う場所は首輪だ。そこだけは攻撃が効くし、首輪を切れば、あいつは犬の姿に戻って死んじまう。だが、しくじれば、こっちが奴にやられる。間違いなく狙えよ」
と、子どもたちがいる間は口にしなかった、風の犬の弱点を教えます。
彼らは軍隊でした。任務は遂行しなければならないし、敵は倒さなければなりません。それに、彼らだって自分の命は惜しいのです。例えそれが勇者の仲間の愛犬でも、そんなことで敵に温情をかけるわけにはいかないのでした。
「こういうところが、大人と子どもの違いなのかもしれんなぁ、フルートよ」
と、オーダは子どもたちが消えた荒野を振り返りながらつぶやきました。どんなにがんばったところで、彼らはフルートたちのようにひたむきではいられないのです。
「友だちを助けてやれよ。……俺たちに殺されてしまいたくないならな」
低くそう言うと、オーダはまた馬にまたがりました。他の兵士たちと共に、辺境部隊へと戻り始めます。そのかたわらを白いライオンの吹雪が走っていきます。
荒野から吹いてきた砂っぽい風が、彼らの間を通りすぎていきました――。