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第4巻「闇の声の戦い」

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11.銀毛の犬

 それはみるみるうちに近づいてきて、その姿をはっきりさせてきました。幻のように白くおぼろな犬の頭、犬の前足、異国の竜のように空に長く伸びた白い胴……それは、確かに風の犬でした。

 野営地の兵士たちと一緒にそちらを見ていたポポロが、鋭く叫びました。

「ルル! やっぱりルルよ!」

 今にも泣き出してしまいそうな声でした。

 フルートは剣をすばやく鞘に戻すと、オーダの足下にいた子犬に呼びかけました。

「ポチ!」

「ワン!」

 一瞬のうちにポチも風の犬に変身して、フルートのもとへ飛んできます。野営地の中にももう一頭の風の犬が現れたので、兵士たちは仰天し、恐慌状態に陥りました。悲鳴を上げ、わけのわからないわめき声を上げ、ある者は逃げだし、ある者は武器を構えてポチに切りかかってきます。けれども、それより早くフルートはポチの背に飛び乗ると、空に舞い上がりました。

 すると、空を見上げてポポロがまた叫びました。

「あたしも連れてって、フルート! あたしも行く!」

 フルートは空の上で一瞬ためらいました。ポポロは、ひしとフルートを見つめています。今にも泣き出しそうなくせに、意外なほど強いまなざしです。フルートは小さく溜息をつくと、すぐにポチを降下させて手を差しのべました。

「おいで、ポポロ」

 魔法使いの少女の手をつかんで、ポチの背中に引き上げます。そこへまた兵士たちが切りかかってきましたが、彼らはそれをかわして、上空へと駆け上がっていきました。

「メール、俺たちも行けないのか!?」

 とゼンがわめきましたが、メールは首を振りました。ここは野営地の真ん中です。どこにもメールが使える花は咲いていません。ゼンは歯ぎしりをして、風の犬に向かっていくフルートたちを見送りました。

 

 風の犬が近づいてきました。フルートの目にも、犬の白い体に銀色の毛が混じって光っているのが見え始めます。それは、確かにルルでした。風の犬の戦いの時に、魔王に操られて町々を襲っていた姿にそっくりです。

 すると、子どもたちの下からポチが叫びました。

「ワンワン、ルル! いったいどうしたの!?」

 近づいてくる風の犬は返事をしません。ゴオッと風のうなる音だけが響いてきます。と、突然ルルは身をひねらせ、空を飛ぶポチのかたわらを飛び抜けながら、さらに身をくねらせました。

「キャン!」

 ポチが悲鳴を上げました。ルルの風の体がいきなりポチの長い体をまっぷたつに切り裂いたのです。幻のような胴の後ろ半分が消え、傷口から青い霧のような血が噴き出します。

「ポチ!」

 フルートは思わず叫び、首の金の石をはずしてポチの体に押し当てました。みるみるうちに傷が治って体が再生していきます。

 ポポロが悲鳴のように叫びました。

「やめて、ルル! どうしちゃったの!? 目を覚まして!」

 けれども、やっぱり風の犬は返事をしません。身をひるがえして飛び戻ってくると、風の刃を持つ体で襲いかかってきます。ポチは大きく体をひねって、かろうじてそれをかわしました。かたわらを通り過ぎたルルが、荒野に生える立木の梢をかすめ、そのてっぺんをすっぱりと切り落としました。音を立てて枝葉が地面に落ちていきます。

「ワン……やっぱり魔王に操られてたときとおんなじだ」

 とポチがつぶやくように言いました。ポチにはルルのように相手を切り裂く力はありません。風の刃と呼ばれる攻撃は、激しい風の流れが真空を生む「かまいたち」と呼ばれる現象を利用しているのですが、それは、魔王に操られた風の犬だけに与えられた力だったのです。

 ポポロがルルの首もとに目をこらしました。風の犬に変身するための風の首輪は、綺麗な銀糸と美しい宝石でできています。けれども、ルルの首の周りにあったのは、闇の色に染まった石をはめ込んだ、真っ黒な首輪でした。

「闇の首輪……」

 ポポロは声を震わせました。間違いありません。ルルは闇のものの手に落ちて、その思いのままに動くようになっているのです。

 

 フルートはポチの背中の上でためらっていました。

 闇の力に落ちた風の犬を解放するには、首輪を切るしかありません。首輪がなくなれば、風の犬はもとの普通の犬の姿に戻るからです。

 ですが、闇の首輪はそれをはめられた者の体と同化して、一つにつながってしまっています。普通の武器でも傷つけることができる唯一の場所ですが、光の武器以外のもので切ってしまうと、血を吹き出して、持ち主の命まで奪ってしまうのでした。フルートが今持っているのは、自分のロングソードと炎の剣だけです。どちらも、安全にルルを闇の首輪から解放することはできませんでした。

 

 ルルは大きく身をひるがえすと、子どもたちではなく、エスタ軍の野営地に向かって飛び始めました。最初から、ルルの目的はそちらだったのです。鋭いまなざしで野営地とそこで右往左往する兵士たちを見据え、うなりをあげて野営地の真ん中に飛び込んでいきます。

 いっせいに矢が放たれ、槍がルルに向かって飛びます。けれども、風でできた魔法の犬がそんなものに傷つけられるはずはありません。空気を切り裂く鋭い音を立てながら、低く野営地の中を飛び抜けていきます。

「危ねぇ!」

 ゼンがメールを抱きかかえたまま地面に身を伏せました。そのすぐわきをルルが飛びすぎていきます。逃げ遅れた何人もの兵士が、背中や腕を切り裂かれ、血を吹いて倒れます。無造作に立てられたテントも、鋭利な刃物で切られたようにちぎれ、風にあおられてばたばたと倒れていきます。

「やめて、ルル!!」

 追いついてきたポチの背中から、ポポロが必死で叫びました。

 野営地を飛び出したルルが、Uターンして、また襲いかかろうとしています。その前にポチが飛び出しました。ガウゥゥッ……と激しく吠えながら、ルルにかみついていきます。風の犬は、同じ風の犬の攻撃だけはまともに食らうのです。ばっと青い霧の血が吹き出し、ルルが悲鳴を上げました。

「ギャン!」

 とたんに、ポチは思わずルルから牙を放してしまいました。ためらうように身をひいてしまいます。

 すると、ルルが目に怒りをひらめかせてポチに噛みついてきました。青い霧の血が、ルルの時より大量に飛び散ります。

「ポチ!」

 フルートは思わず声を上げ、反射的に背中の剣を抜きかけました。が、次の瞬間、それを思いとどまると、自分の前に乗るポポロに呼びかけました。

「魔法だ、ポポロ! 君の光の魔法でルルを闇の首輪から解放するんだよ!」

「あ……!」

 ポポロは、はっとした顔になると、必死で解放に使えそうな魔法を考え始めました。

 

 その間にも、風の犬のルルはまた野営地に襲いかかっていました。テントを次々に切り裂き、大勢の兵士たちを傷つけて行きます。その様子に、ゼンが歯ぎしりをしていました。

「ちきしょう……! ルルでなかったら殺してでも止めてやるのに!」

 メールは、ただただ空を見上げていました。やっぱり何もできません。その無力さが悔しくて、緑の髪の少女も拳をふるわせていました。

 野営地の中にひときわ大きな声が響いています。

「逃げるな、馬鹿者ども! 戦え! 戦うのだ!」

 辺境部隊の隊長が部下をどなりつけているのでした。

 すると、ゼンたちのかたわらで黒い鎧の大男が立ち上がりました。空をにらみながら、腰の大剣を抜いて、高くかざします。まるで炎の剣を使うときのフルートのようです。それを力任せに振ったとたん、剣の先から激しい風が巻き起こり、迫ってくるルルをまっぷたつにしました。

「ルル!!」

 子どもたちは空と地上から思わずいっせいに声を上げました。オーダが使う大剣は、疾風の剣と呼ばれる魔剣で、その切っ先からは強い風を起こすことができるのです。

 けれども、ルルが切り裂かれていたのは、一瞬のことでした。すぐに霧のような体がより合わさって、また元の長い竜のような姿に戻ってしまいます。

 オーダが舌打ちしました。

「ち、やっぱりこいつにゃ効果なしか。厄介な奴だな」

 ルルが音を立ててオーダに突進してきました。白い牙をひらめかせて襲いかかろうとします。

「オーダ!」

 フルートがポチを駆ってオーダの前に飛び込みました。フルートの前では、ポポロが黒い衣を着た両腕をルルに向けていました。

「ローデローデリナミカローデ……」

 と雷を呼ぶ呪文を唱え始めます。風の犬の戦いの時、雷の杖が呼んだ巨大な稲光が、一瞬で風の犬たちを闇の首輪から解放しました。闇の首輪は強力な光の魔法に弱いのです。ポポロはそれを再現しようとしたのでした。

 ポポロの華奢な指先に淡い光が集まり始めます。あたりの空気が帯電して、そばにいるフルートの肌をぴりぴりと刺してきます。フルートは思わず息を詰めました。

 すると、そのとたんに銀毛の風の犬が声を上げました。

「やめなさい、ポポロ! みんなを巻き込むつもり!?」

 少女の声でした。

 ポポロが、はっと息を呑んで真っ青になりました。たちまち呪文がとぎれ、指先に集まった光がちぎれて消えてしまいます。

 彼女の魔法は強力です。あまり強すぎて、たいてい狙った以上の範囲にまで及んで、周りの者たちを魔法に巻き込んでしまいます。風の犬のルルは、それを人のことばで警告したのでした。

 

「ルル……?」

 信じられないように目を見張っているポポロの前で、ルルが身をひるがえしました。ものすごい勢いで東の方角へ飛び去っていきます。ポチがあわててその後を追いました。

「ワンワン! ルル、ルル……!」

 ポチは普段は小さな子犬の姿ですが、変身すると、ルルにも負けないほど巨大な風の犬に変身できます。あっという間にルルに追いつき、ぴたりとわきに並びました。

「ルル!」

「待つんだ、ルル!」

 ポポロとフルートが同時に叫びますが、ルルは止まろうとしません。フルートはポチの背中に立ち上がると、並んでいるルルの背中に飛び移りました。銀毛の混じった白い体に腕を回してしがみつこうとします。

 ところが、フルートの腕が空振りしました。ルルの風の体をすり抜けてしまったのです。たちまちフルートは空から墜落していきます――。

「ワン!」

 ポチがうなりをあげて飛んできて、背中にフルートを拾い上げました。

「フルート! フルート!」

 ポポロが真っ青になって少年を引っ張り上げ、またポチの背中に座らせます。フルートは驚いた顔で自分の両手を見つめました。ルルをつかむことができなかったのです。いくら風の犬になっていても、今まではちゃんと背中に乗れたし、触れることもできたのに……。

 ルルは空の高みに立ち止まって、彼らをじっと見つめていました。その首に黒い闇の首輪が見えています。

 すると、ルルが一声大きく、ガウッと吠えました。憎しみのこもった、激しい声です。そして、そのまままた身をひるがえすと、夜空の彼方へ飛び去ってしまいました――。

 

 空から戻ったフルートたちを、ゼンとメールとオーダが出迎えました。エスタ軍の兵士たちが遠巻きにそれを眺めています。ポチが風の犬から子犬の姿に戻ると、驚きのどよめきが広がります。けれども、そんなことは気にもとめずに、フルートは仲間たちに言いました。

「やっぱりルルは闇のものの手に落ちてる。闇の言いなりになってるんだ」

「でも……でも、一瞬だけ、正気に返ったのよ。あれはいつものルルだったわ……!」

 とポポロが言います。涙がこらえようもなくあふれ出していました。

「ルルに乗れなくなってたな」

 とゼンが厳しい声で言いました。フルートがルルに飛び移ろうとして失敗したところを、しっかり見ていたのです。メールも言いました。

「やっぱり闇の手先になってるせいなんだろうね。どこへ飛んで行ったかわかったのかい?」

 フルートは首を横に振りました。おおまかな方角はわかっても、それでルルを探し出すことは不可能です。フルートは一瞬考え込んでから、顔を上げて黒い鎧の戦士を見ました。

「お願いだ、オーダ。ぼくたちを白い石の丘まで連れて行ってくれ。一刻も早くエルフに会って話さなくちゃならないんだ」

 それに賛同するように、他の子どもたちもいっせいにオーダを見上げます。

 そこにいたのは、酔っぱらいに絡まれて怒っていた少年少女たちではありませんでした。大人のように厳しい表情をした、金の石の勇者の一行でした――。

 オーダは大きく肩をすくめました。何かを言おうとして、すぐにそれをやめ、子どもたちの後ろを顎で示します。

「そら、隊長がこっちに向かってきてる。隊長に話をつけてやるよ」

 金の石の勇者たちにあれこれ言ってもしょうがない。オーダの表情はそう言っていました。

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