黒い鎧の男は、顔色を変えている子どもたちをじっと見つめました。
「やっぱり、思い当たることがあるんだな」
と穏やかに言うと、立ち上がっているフルートに、まあ座れ、と手を振りました。
「おまえらと同様、ロムド国王も事件を知ってすぐに風の犬の仕業だと見当をつけたんだよ。エスタ国王に、風の犬と戦った経験のある者をよこしてほしい、と要請してきたんで、この俺に出動命令が下ったんだ。辺境部隊つきの出動だぞ。我ながら出世したもんだと思うが」
そう言って、オーダは声を上げて笑いました。けれども、フルートたちは笑うどころではありません。
「そのジーナって町まで、ここからどのくらいあるんですか? 行って止めないと――」
「止める、か。倒したくはないわけなんだな。おまえたちの知り合いの犬なのか?」
とオーダが口ではあくまでのんびりと言いながらも、まじめな目に変わりました。
「それならなおのこと、慎重に動いたほうがいいぞ。これは辺境部隊だが、エスタ軍には違いない。エスタの連中は、一年前、国中を恐怖のどん底に陥れた風の犬を、まだ忘れてはいないんだ。今回の出動命令が下ってから、あいつらは毎晩いつも以上に大騒ぎだ。みんな内心では恐れてるんだよ、風の犬と対決することをな」
子どもたちは、思わず顔を見合わせました。
すると、ずっと黙っていたポポロが、思い切ったように口を開きました。
「それは――その風の犬は、きっとルルだと思うの。行方不明なのよ。闇にさらわれてしまったの――」
涙ぐみながらも、必死でオーダを見上げます。
「お願い。あたしたちを隊長さんに会わせて。早く何とかしないと、大変なことになるわ。一緒にジーナまで連れて行って!」
「そのルルってのは何者だ?」
とオーダが聞き返します。
「あたしの……大事なお友だちなの。お姉さんみたいな、大切な家族よ……」
ポポロの緑の瞳は、すでに涙でいっぱいでしたが、それでも懸命に泣き出すのをこらえて、オーダを見つめ続けます。
オーダは苦笑いの顔になると、少女の頭を軽くたたきました。
「そんな目をするなって。ちゃんと会わせてやるよ。だが、その前に準備が必要なんだ」
「準備? 何の」
子どもたちが目を丸くすると、たちまちオーダはからからと笑い出しました。
「女っ気のない辺境部隊だぞ。お嬢ちゃんたちみたいなべっぴんさんをうっかり連れてってみろ、オオカミの群れに子羊を投げ込んでやるようなもんだ」
子どもたちはますます目を丸くすると、何も言えなくなって、また互いに顔を見合わせてしまいました。
三十分後、子どもたちはオーダに連れられて、辺境部隊の野営地の中を歩いていました。ポポロもメールも、女の子だと気づかれないように、頭からすっぽりとマントや布をかぶり、顔や体を隠しています。その前後を守るようにフルートとゼンが行き、足下を子犬のポチが進みます。
辺境部隊の兵士たちはすっかりできあがっていて、いたるところでわけのわからない騒ぎが起こり、そこここに酔いつぶれた男たちが寝ころんでいました。その間を白いライオンを従えたオーダが通り抜け、その後に子どもたちがついていきます。
すると兵士たちが声をかけてきました。
「よう、オーダ。そのガキどもはなんだぁ? どっから連れてきた?」
「俺の友だちだ。応援に来てくれたのさ」
とオーダがすまして答えると、男たちたちはどっと笑いました。
「えらくかわいい応援部隊だな」
「隠し子じゃないのかぁ? 歳の割にゃたくさんの子持ちじゃないか。食わせてやるのが大変だろう」
「軍隊に入れろよ。俺たちが鍛えてやるぜぇ。それこそ、戦い方から女の扱い方まで、みっちりなぁ」
口々にからかってくる男たちを、オーダは適当にあしらいながらやり過ごしていきました。どのみち、みんな相当酔っています。まともな話などできる状態ではないのです。
フルートたちは行く先々で兵士たちから目をつけられ、不思議がられましたが、その割にしつこくつきまとう者はいませんでした。なにしろ、オーダは部隊きっての大男ですし、そばには放し飼いの白いライオンが従っています。それにしつこく絡んで怒らせようとする勇気のある者はいないのでした。
ところが、酔って寝ころんでいた男のわきを通り過ぎたとき、その男がふいに跳ね起きて叫びました。
「おい、ちょっと待て! こいつ、女じゃないのか!?」
そう言って腕をつかまれ、顔をのぞき込まれたのは、ポポロでもメールでもありませんでした。――金の鎧を着たフルートです。
たちまちオーダとゼンが吹き出し、フルートは真っ赤になって男の手を払いのけました。
「放せ! ぼくは男だよ!」
けれども、「女」という一言は、魔法のように周りの兵士たちの関心を集めました。わらわらと酔っぱらいどもが集まってきて、兜から見えているフルートの顔をのぞき込みます。金髪に青い目の、少女のように優しい顔です。
「ほほぅ、えらい綺麗どころじゃないか」
「ガキだし男の格好はしているが、こりゃ女だな。オーダ、どこへ連れて行くんだ?」
「さてはおまえ、そういう趣味だったのか」
「オーダばかりいい目を見せるか。この際、ガキでもなんでもかまわないから、こっちにも貸せ――」
笑い声と共に、また何本もの男の手がフルートの腕をつかみます。フルートは、ますます赤くなって、力任せにその手を振り払いました。
「放せったら! 男だって言ってるだろう!」
すると、突然ポポロが悲鳴を上げました。
「きゃあっ!」
別の男が、いきなりポポロに抱きついてきたのです。男は相当酔っていましたが、その声ににんまり笑いました。
「そーらな。やっぱりこいつも女だ。そうだと思ったぜぇ……」
とたんに、その鼻先をかすめて、研ぎすまされた剣が突きつけられました。男がぎょっとして、反射的にポポロを放します。出しぬけに剣を抜いたのはフルートでした。ものも言わずに男をにらみつけ、自分の後ろにポポロをかばいます。
「おいおい……」
オーダが、ぽかんとそれを眺めます。
けれども、酔った男どもはますます調子に乗ると、大笑いしながら言いました。
「こりゃあいい! えらく活きのいい娘っ子どもじゃないか!」
「俺はこっちのちっこいのをもらおう。ガキだが、酌くらいはできるだろう」
「俺はこっちの威勢のいいほうだな。男への礼儀作法ってやつを徹底的に教え込んでやる」
ゲラゲラ笑いながら、また二人をつかまえようとします。そのとたん、フルートの剣がひらめき、ポポロの腕をつかもうとしていた男の腰の剣帯が切れました。どさり、と重い音がして、鞘に入ったままの剣が地面に落ちます。
男が顔色を変えました。
「やりゃあがったな。甘く見てやりゃ、つけあがりやがって!」
傭兵にとって、自分の身を守る剣は、命の次に大切なものです。それを切りつけられて、怒りのあまり一気に酔いも醒めたようでした。地面の剣を拾い上げ、すさまじい形相で鞘から抜き放ちます。
フルートは剣を構えたままそれに向き合いました。一言も口をききませんが、その目には男に負けないほどの怒りが燃えていました。
「おいおいおい……」
オーダが、またあきれて声を上げました。
まわりは剣を構え合うフルートと男を取り囲んで、やんやの野次です。
「おぉい、殺すなよ。もったいない」
「尻の一つもひっぱたきゃおとなしくなるって」
「尻をたたく役は俺に任せろ!」
また、どおっと笑い声が上がります。ところが、次の瞬間、男が手から血を吹き出して剣を取り落としたのを見て、酔っぱらいどもは顔色を変えました。フルートが目にもとまらない素早さで男を刺したのです。
「こいつ!」
「痛い目に会わないとわからねぇようだな!」
かがり火の揺れる中、兵士たちの剣が次々と抜き放たれて、ぎらぎらと光ります。ポポロがフルートの背中にしがみつきながら泣き声を上げました。
「フルート……」
それを剣と自分の後ろにかばいながらフルートは言いました。
「大丈夫だよ。離れないで」
そんな二人の様子を、ゼンもオーダと同じようにあきれ顔で眺めていました。
「ったく。マジ切れするなよなぁ、フルート。相手は酔っぱらいだぞ」
ところが、今度は自分のすぐ近くでメールが金切り声を上げました。
「なにすんのさ!」
別の酔っぱらいが近づいてきて、突然メールがかぶっていた布を引きはがしてしまったのです。長い緑の髪と美しい顔が、かがり火の光の中にあらわになります。とたんに周りの男たちがどよめきました。
「こりゃまた……」
「大した上玉だ!」
「こんな場所でこんなべっぴんを拝めるとは思わなかったぞ!」
男たちの目の色が変わっていました。
「どれ、どけどけ」
「俺にも見せろ!」
と、たちまちメールの周囲はものすごい騒ぎになってしまいます。フルートとポポロを取り囲んだ男たちは、からかい半分の調子でしたが、こちらはいやに真剣な雰囲気です。メールは上背がある上に大人びた顔立ちをしています。かがり火の光の加減もあって、実際の年齢よりずっと大人に見られてしまったのでした。
と、その中のひとりが、いきなりメールの細い体を担ぎ上げて人混みの中から走り出しました。
「へへ。こいつは俺がいただいたぜ。お先にぃ」
酔って、ろれつもよく回らなくなっているのに、メールがいくらわめいても殴っても、メールの体をがっちりつかんで放そうとしません。野営地の外に向かって走っていきます。
「待て!」
「ぬけがけは許さんぞ!」
他の男たちがどなりながら後を追いかけ始めました。本物の殺気がそこここでひらめき、今にもメールの奪い合いになりそうな気配です。いくら酔っていても尋常ではありません。――風の犬におびえてどんちゃん騒ぎをする辺境部隊は、その桁はずれた陽気さの裏側に、恐怖が生む狂気を抱え込んでいるのでした。
すると、突然ぬけがけ男がうめき声を上げました。メールを担いだまま、崩れるように倒れていきます。メールは地面に放り出されそうになって悲鳴を上げました。
「きゃぁぁ!」
とたんに、その体が強い腕に抱きとめられました。思わず目をぱちくりさせたメールを、ゼンがあきれたようにのぞき込んできます。
「何やってんだよ、おまえ。好きなようにされてるんじゃねぇや」
メールは、かっと赤くなりました。
「しょ、しょうがないじゃないか! ここには花が咲いてないんだもん!」
言い返しながら、メールは改めてあたりを見て、びっくりしました。メールを抱きかかえたゼンの周りに、ぬけがけ男を含めた数人の男たちが倒れています。全員完全に気を失っていて、うめき声さえ立てていません。さらにその周りでは、十数人の男たちが顔色を変えてゼンをにらみつけていました。
「よくもやりやがったな、チビ助!」
「いい気になってんじゃねえぞ!」
ゼンは、メールを連れ去ろうとした男だけでなく、それに追いすがろうとした男たちまで、まとめて殴り飛ばして気絶させたのでした。それを見ていた他の男たちが、殺気だって拳を握ります。
「しっかりつかまってろよ」
とゼンは言うと、メールの細い体をひょいと左肩の上に載せ、片手でそれを支えながら、襲いかかってくる男たちに向かっていきました。男たちがあっという間に殴り飛ばされ、肘打ちを食らって、地面に転がっていきます。片腕だけしか使えないのに、ゼンは信じられないほどの強さです。メールは、肩の上から目を丸くしながらそれを見ていました。
少女たちを守って戦う少年たちを眺めながら、オーダは頭をかきました。
「やぁれやれ、ガキどもめ。どうやって収拾をつけろと言うんだよ」
口ではぼやきますが、どこか事態を面白がる口調です。その足下で、ポチがワン、と鳴きました。
「ぼくが風の犬に変身しましょうか? そしたら、みんなびっくりして、騒ぎも止むでしょうから」
オーダは広い肩をすくめて、まじめな表情になりました。
「そいつは止めとけ。みんな恐怖でパニックになっちまわぁ。それこそ収拾がつかなくなる。血を見るぞ」
「もう血を見てると思うけど……」
酔った大人たちを相手に、剣をふるい拳で殴り倒しているフルートとゼンを見て、ポチはつぶやきました。
その時、突然、野営地の中から大声が上がりました。
「風の犬だぁ……っ!」
オーダは渋い顔で足元を見ました。が、ポチはちゃんと子犬の姿でそこにいます。オーダとポチが驚いて思わず目を見合わせると、また声が響きました。
「風の犬だ! 東から来るぞぉ……っ!!」
恐怖を帯びた叫び声でした。
たちまち、野営地にどよめきが走りました。酔っていた者はたちまち青ざめ、寝ていた者も跳ね起きて自分の武器に飛びつきます。フルートやゼンと戦っていた大人たちも、真っ青になって立ちつくしていました。
彼らがいっせいに振り向いた東の夜空を、白いものが、彗星のようにこちらに向かって近づいていました――。