行き先が決まれば、次は道中の算段でした。エルフがいる白い石の丘はロムドの国の南のはずれにあります。歩いていこうとすれば、一ヵ月以上かかってしまう道のりです。
すると、ゼンが泉を見ながら言いました。
「そういや、この泉の底は前に魔法で東の大海とつながったよな。あんなふうに、エルフがいる場所の近くの泉かなんかにつなげられないのか？」
彼らは前の戦いの時に「人魚の涙」と呼ばれる魔法の真珠を飲んだので、水中でも平気で移動することができます。なかなかよいアイディアのように思えましたが、泉の長老は穏やかに首を振りました。
「残念ながら、それはできんな。物見の丘の賢者の元には、どのような手段であれ、自分たち自身で訪ねていかなければ、決してたどりつくことができん。その道のりに近道はない。知恵に至る道というのはそういうものなのじゃよ」
それを聞いて、ゼンは大きく肩をすくめました。まったくめんどくさいな！ と心の中で言っているのが、見ただけでわかりました。
すると、天空王が言いました。
「そなたたちの案内役を呼ぼう。来たれ！」
と空をふり仰いで呼びかけます。すると、青空の彼方できらりと何かがきらめき、星のようなものが二つ近づいてきました。昼間でもはっきりと見える、明るい星です。やがてそれは大きな白い翼に変わり、翼が生えた二頭の白馬になりました。白馬は翼を打ち合わせて、まっすぐ空を駆けてきます。
「ペガサスだ！」
と少年たちは思わず声を上げました。天空の国に住む魔法の生き物でした。
二頭のペガサスは大きな羽音を響かせながら、ふわりと泉のほとりに下り立ちました。信じられないほど白くて美しい体と翼をしています。流れるたてがみと尾は、まるで金糸の束のようです。その馬たちに天空王が言いました。
「誇り高き天の馬たちよ。この子どもたちを物見の丘の賢者の元まで送ってもらいたいのだ。この世界にまた闇の手が迫っている。勇者たちを道しるべの元へ送り届けねばならん」
ペガサスたちは、天空王にさえ媚びることなく堂々と向き合っていましたが、それを聞いて、青い瞳を鋭く光らせました。
「我々は天空の馬だ。天空の民以外の者には手を触れることさえ許さないが、天空王のたっての頼みとあれば、我々の決まりもあえて曲げよう。乗るがいい、人の子たちよ。おまえたちが我々を侮辱するようなことさえしなければ、物見の丘までは、おまえたちを運んでやろう」
話を聞いているだけで、天の馬たちのプライドの高さが伝わってくる言い方でした。ゼンはムッとしたような顔になりましたが、フルートはていねいに頭を下げました。
「ご厚情に感謝します。どうかぼくたちを賢者の元まで連れて行ってください」
ペガサスたちは、それでもちょっと耐えかねるようにブルルと鼻を鳴らして蹄（ひづめ）で地面を蹴りましたが、フルートが手をかけても、それを振りほどこうとはしませんでした。
フルートは仲間たちを振り返りました。
「ぼくとゼンが一頭ずつに別れよう。ポポロはどっちに乗る？」
「え？」
ポポロは一瞬迷うような顔になりましたが、即座にゼンが口をはさんできました。
「そりゃもちろんフルートのほうだ。風の犬の戦いの時にも一緒に馬に乗ってるんだから、そっちのほうが慣れてるだろう？」
「ワン。じゃ、ぼくはゼンのほうに乗っていいですね？ ゼンの荷袋に入れてもらえば大丈夫だと思うんだけど」
とポチは言うと、ぴょんとゼンに飛びついてささやきました。
「ぼくも気を利かせましたよ。これでいいんでしょう、ゼン？」
ポチも、フルートがポポロに寄せる気持ちには気がついています。ゼンは苦笑いしながらささやき返しました。
「おう、上出来だ」
本当は――本当は、ゼンもフルートとまったく同じ気持ちをポポロに抱いています。自分のほうこそポポロを前に乗せたくてたまらないのですが、いつもと変わらない態度のまま、これっぽっちも本音は口に出しませんでした。
子どもたちが二頭のペガサスにわかれて乗り、出発しようとしたところへ、泉の長老が話しかけてきました。
「待て。大事な仲間をもう一人忘れてはおらんか？」
とたんに、子どもたちは、はっとした顔になりました。金の石の勇者の一行は、ここにいる四人と行方不明になっているルルで全員でした――謎の海の戦いに向かうまでは。海の戦いがすんだとき、もう一人だけ、仲間に加わりたいと言ってきた人物がいたのです。
フルートが答えようとすると、それより先にゼンが口を開きました。
「メールのことだろ？ そりゃ確かにあいつは仲間に入りたいって言ってきたけどよ、あいつはもともとすごい気まぐれなんだ。それに、あんなでも西の大海の王女だぞ。西の大海とこことでは、世界の反対側くらい離れてるって言うじゃないか。いくらなんでも、海の王女様がこんなところまでは来るわけないだろう」
なんとなく、どこか投げやりな口調でした。
すると、泉のほとりに、いきなりぴんと張り詰めた高い声が響きました。
「誰がすごい気まぐれだって？ あんなでも王女だなんて、言ってくれるじゃないか！」
子どもたちはびっくり仰天して、声が聞こえてきた泉を見つめました。その声には、確かに聞き覚えがあります――。
すると、金の砂を敷き詰めたような泉の底から、大きな影が浮かび上がってきて、水面にぽっかり頭を出しました。黒光りのする魚です。その背びれには、緑の髪を一つに束ねた細身の美少女がつかまっていました。青い強い瞳で子どもたちを見上げると、口をとがらせて話しかけてきます。
「ちょっと。あたいを置いて行くつもりだったのかい？ あんまりじゃないのさ！」
西の大海を統べる渦王の王女、メールでした。
メールは濡れた髪を日の光に輝かせながら泉の縁に上がってくると、驚きのあまり何も言えないでいる子どもたちに、にやっと笑って見せました。
「何ぽかんとしてんのさ。せっかく世界の反対側の海から駆けつけてきたんだよ。歓迎くらいしてくれたっていいじゃないか」
色とりどりの花のような袖無しのシャツに、ウロコ模様の短いズボン。格好といい、言葉づかいといい、渦王の王女は相変わらず全然王女らしくありません。フルートとポポロとポチは、思わず歓声を上げるとペガサスから飛び降りました。
「メール！」
「メール、来てくれたの！？」
「ワンワン、わぁい！ ホントにメールだ！」
いっせいに駆け寄って、次々にその手を握ったり、足下に体をすり寄せたりします。
すると、一番最後にペガサスから降りたゼンが、あきれたように言いました。
「ちぇっ、おまえホントに来たのかよ。あーあ、これでまたうるさくなるな」
とたんにメールはまた口をとがらせてゼンをにらみつけました。
「ホントにあんたってば、ご挨拶だよね。あたいのどこがうるさいってのさ。あんたのほうがよっぽど騒々しいじゃないか」
「俺は落ち着いてるぞ。だいたい、俺たちが今回旅するのは陸地なんだぞ。海の王女様に行けるのかよ」
「なに寝ぼけたこと言ってんのさ。あたいは半分は森の民だよ。陸歩きはあんたたちより得意なんだから。あんたがついてこられなくたって、待っててなんてやらないよ」
そう、メールは海の王女ですが、その母親は森の姫と呼ばれた森の民です。二つの種族の血を引いているところは、人間とドワーフの両方の血を引くゼンと同じでした。口が達者で全然言い負かされないところも、ゼンと同じです。
とうとうゼンは吹き出してしまいました。ばん、とメールの細い背中をたたくと――メールは痛みにちょっと顔をしかめました――声を上げて笑いながら言います。
「よく来たな、メール！ また会えて嬉しいぜ！」
それを聞いて、メールもにっこり笑いました。気の強そうな顔が、とてもかわいらしい表情に変わります。
「あたいもさ！ また、みんなの仲間にまぜておくれよね！」
勇者の一行の子どもたちは、笑顔で大きくうなずき返しました――。
「お久しぶりです、勇者の皆様方。今日は、海王様と渦王様のご命令で、メール様をお連れしました」
と泉の中から黒い魚がていねいに言いました。海王の家臣のマグロです。前回の戦いでは魔王やドラゴンのエレボスを相手に子どもたちと大活躍した友人でした。
フルートは泉にかがみ込むと、笑顔で話しかけました。
「マグロくんも元気そうで良かった。でも、どうして渦王たちはぼくらが出発することを知っていたのかな？」
「天空王様が、ポポロ様の愛犬のことを海の王たちにお尋ねになったからです。きっと勇者様たちが探しに出られるだろうとお考えになって、メール様をよこされたのです」
「もちろん、あたいが絶対に行くって言い張ったからなんだけどね」
とメールが屈託なく口をはさんできます。この海の王女は本当におてんばで、じっとしていられないたちなのです。
「今回は私はご一緒できません」
とマグロはとても残念そうな口調で言いました。いくら人のことばを話せる魔法の魚でも、さすがにを陸を行くことはできないのです。
「勇者の皆様方の上に、海と空の守りが限りなくあることを祈っております」
「ありがとう」
フルートはまたほほえんで答えました。
子どもたちはまた、ペガサスの乗り手になりました。フルートとポポロ、ゼンとメールとポチという組み合わせです。
泉の上やほとりから見送る者たちを振り返って、子どもたちは頭を下げました。
「それじゃ、行ってまいります」
「そなたたちに地の守り、水の守り、天の守りが限りなくあらんことを。今回も、金の石を信じていくのじゃぞ」
と泉の長老が子どもたちの道中の無事を祈ってくれました。天空王も言いました。
「わしたちは常にそなたたちのそばにいる。助けがほしいときには、忘れずに呼びなさい」
マグロは泉の表面に頭を出したまま、黙ってじっと子どもたちを見つめ続けていました。まるで自分の心だけでも一緒に送ろうとしているようなまなざしでした。
子どもたちはもう一度、深く頭を下げ、フルートがペガサスに呼びかけました。
「行こう！」
白い翼が広がって、羽音と共に天の馬は空に駆け上がりました。あっという間に空の高みに上っていって、風に乗りながら、白い石の丘がある方角を目ざし始めます。
泉の長老と天空王は、その姿が見えなくなるまで、ずっと見送っていましたが、やがて、天空王が言いました。
「長老。あの子どもたちは無事にルルを助け出すことができるでしょうか？」
「わからぬ」
と長老は物思う目になって答えました。
「よどんでいる闇はあまりにも濃く深い。賢者にもその奥底が見通せるかどうか、定かでないほどじゃ。だが、あの子たちに見いだせる道は、今のところ、そこしかない。それを進むしかないのじゃ」
すると、水面に浮いていたマグロが、頭を下げながらていねいに口を開きました。
「偉大なる自然の王の会話に口を差しはさむご無礼をお許しください。勇者様のご一行は、とらわれの者がいれば、命かけても助け出さずにはいられない勇敢な方々です。勇者の皆様方なら、どんな困難が待ち受けていても、必ずお友だちを助け出されることと信じております」
「そうじゃな」
と長老は空を見上げました。
「その純粋な勇気が、あの子どもたちの最大の力じゃ。それが闇を打ち砕き、仲間を救い出すことを、ただ祈るばかりじゃ」
それきり、長老は黙り込み、天空王と共に、子どもたちが消えていった空をいつまでも見つめ続けました――。
