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第3巻「謎の海の戦い」

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60.暗闇

 そこは真っ暗闇でした。

 何も見えません。何も聞こえません。

 真の暗がりの中に、フルートはたったひとり存在していました。

 

 いくら待っても、暗闇に目が慣れてきません。立っているのか座っているのかもわからない暗い虚無の中で、次第に自分自身の存在さえあやふやになってきて、フルートは思わず自分の体をつかみました。

 堅い鎧の感触が手に触れます。それと同時に、右手に握りしめたままの光の剣の存在も感じました。――どうやら死んであの世に来たわけではなさそうです。

 フルートは、ほっとして、改めて闇を見回しました。ナイトメアの悪夢に肉体ごと引き込まれた時と、どこか少し似た気配がします。ただ、悪夢では夢の場面が広がったのに、ここではただ闇が続くだけです。幻さえも現れません。

 フルートは、そっと声に出して呼んでみました。

「ポチ……?」

 魔王の闇のボールに飲み込まれた時、風の犬のポチも確かに一緒にいました。ポチもここに来ている可能性は高いのですが……。

 

 すると、突然鋭いものがかたわらをかすめていく気配がしました。フルートは反射的に身をかわして、たちまちぞっとしました。剣です。鋭い剣がフルートを狙って切りつけてきたのです。

 フルートはとっさに光の剣を構えました。けれども、真の闇の中では、どこから切りつけられるか、まるで見当がつきません。当てずっぽうで突きだした剣に、また何者かの剣が当たって堅い音を立てました。

「誰だ!?」

 とフルートは闇に向かって叫びました。返事はありません。三度、何者かが剣を振り上げる気配がします。どこから刃が振り下ろされてくるのか、まるでわかりません。

 ところがその時、闇の中から大きな声が上がりました。

「ワンワンワンワン……!!」

 ポチが激しく吠えながら何かに飛びかかっています。争うような物音、誰かの怒りの声、そして――

「キャウン!」

 鋭い悲鳴を上げて、ポチがフルートの足下に落ちてきました。

 フルートはとっさにかがみ込んで手を伸ばしました。ポチの体が手に触れます。風の犬ではなく、いつもの子犬の姿になっています。毛の生えた体を触れていくうちに、その手がぬるりと滑りました。血です。ポチは深手を負って、血を流して倒れていたのでした。

「ポチ! ポチ!」

 フルートは必死で呼びながら、子犬の上にかがみ込みました。すると、激しい衝撃があって、フルートの背中が何かに強く打たれました。敵の剣がフルートの背中を突き通そうとして、魔法の鎧に跳ね返されたのでした。

 フルートはかばうように片腕を子犬に回し、胸の金の石をまさぐりました。石が手に触れます。フルートは強く心に念じながら叫びました。

「金の石!!」

 闇の中で、石がぼうっと光り出しました。小さなロウソクの火を思わせるような、淡く弱々しい光です。その中にあたりの様子がぼんやり浮かび上がってきます。

 フルートは思わず息を飲みました。ポチは背中に深い傷を負って倒れていました。傷から真っ赤な血があふれ続け、闇の中に血だまりを作っています。

「ポチ!」

 フルートは大あわてで金の石を子犬に押し当てようとしました。

 するとまた空を切る気配がして、後ろからフルートの頭が激しく殴られました。金の兜が外れて、闇の中を飛んでいきます。振り向いたフルートの目に飛び込んできたのは、黒い剣を構えた、大きな魔王の姿でした。

 

 底知れぬ暗闇を背景に、魔王が目を細めて笑いました。

「さても人間というのは不便なものだな。これしきの闇でも何も見えなくなるのだから。この中には外からは何も入り込めない。光の力も失われる。きさまの持つ光の剣は、もう普通の剣とまったく変わらなくなっているぞ――」

 けれども、フルートは剣を握るより先に、金の石をポチに押し当てました。石は、今にも風に吹き消されそうになっている灯りのように、弱々しく光り続けています。それでも、ポチの傷から血が止まりました。ところが、怪我が治っていきません。ポチは血にまみれたまま、ぐったりと横たわっていました。

 魔王がまた笑いました。

「無駄だ。金の石もここでは外のような力はない。じきにその光も闇に吸い取られてしまうぞ」

 フルートの頭を狙って大剣が振り下ろされてきました。とっさにフルートは盾を構えると、がっきと剣を受け止めました。衝撃に左腕がしびれます。

 ふん、と魔王がまた目を細めました。

「無駄だと言っておるに。ここではわしにかなわぬということが、まだわからんのだな。では、これでどうだ――?」

 魔王がどしん、と足を踏みならしました。闇の中に振動が響き渡ります。

 と、突然、フルートの体中から金の鎧が音を立てて外れました。胸当ても、籠手も、すね当ても……鎧のひとつひとつのパーツに分かれて、ばらばらと落ちていきます。背中の炎の剣と、左腕の盾も、革の帯がひとりでに外れて、大きな音を立てて下に落ちます。フルートは、布の服を着ただけの姿になって、目を見張って立ちつくしました。

「だいぶ身軽になったな、勇者よ。良い格好だ」

 と魔王が笑いました。

 すると、フルートの後ろでポチが弱々しい声を上げました。

「フルート……フルート、逃げてください……。こいつ、今までの魔王とは違います……もっと強くなってる。わかるんです……とてもかなわない……」

 ポチが突然口から血を吐きました。魔王の刀傷は、子犬の背を切り裂き、肺にまで達していたのでした。激しく咳きこみ、また声が出せなくなります。

「ポチ!!」

 フルートはまた叫びました。金の石の光はますます弱くなっています。これ以上、子犬を癒す力がないのは、見ただけで明らかです。

 魔王がまた、からからと笑いました。

「犬めが、よくわかっておる。そう、ここはわしが作った闇の世界の中だ。この中では、わしの力は最大限まで強められておる。無限の闇はすべてわしの力。わしはこの世界の創世主。わしは無敵なのだ――!」

 

 ところが、声高く笑っていた魔王が、突然表情を変えました。目玉を大きく引きむき、声にならない声を上げて、一瞬のけぞります。その胸には、後ろから突き刺さってきた光の矢の尖端がのぞいていました。

「けっ、うるせえ。自分のセリフに酔って馬鹿笑いしてるんじゃねえや」

 そう言いながら背後の闇から現れたのはゼンでした。手には、まだ弦の震える弓を持っています。

「ゼン!」

 フルートは歓声を上げました。ゼンは魔王が光の矢を溶かしている間に、さっさとそのわきを駆け抜けて、フルートの元まで来ました。

「暗闇に光が見えたんで来てみたんだ。……ポチはどうした?」

「金の石が傷を治せないんだよ」

 とフルートは答えて唇をかみました。ゼンは、ちらっとポチに目をやって、短く言いました。

「早くしようぜ」

 ぐずぐずしていたらポチの命がなくなると、一目で見て取ったのでした。

 魔王がゼンに黄色い目を向けました。胸の矢傷は跡形もなく消えてしまっています。

「相変わらずチョロチョロとうるさい奴だな。おまえもこうしてくれよう」

 魔王の足音と共に、ゼンの装備もいっせいにばらばらと外れていきました。青い胸当てと盾とショートソードが落ち、矢筒が背中から滑り落ちて、矢が足下にばらまかれます。と、大きな音を立てて、エルフの弓の弦がはじけました。普段、どんなことをしても切れない弓弦が、真ん中からぶっつりと切れていました。

 ゼンは顔色を変えて魔王をにらみつけました。

「よくもやりやがったな!」

「これできさまには武器が何もなくなった。素直に負けを認めろ、ドワーフ」

 と魔王が笑います。

 その大きな姿を、ゼンは上目づかいで見ました。

「で? おとなしく降参したらどうしてくれるって言うんだ?」

「死ぬまでの時間を半分に縮めてやろう。降参せねば、一刻も早く殺してほしいと願うような苦しみを、たっぷりと味わわせてやるぞ――」

 魔王がにやぁっと顔をゆがめ、大声を上げて笑い出しました。ゼンは顔をしかめました。

「結局殺すんだろうが。なら、降参する必要もないな」

 それから、ゼンは声をひそめてフルートにささやきました。

「さっき、矢を撃ってわかった。光の武器は力は弱まってるが、まったくヤツに効かないわけじゃないぞ。俺がヤツを引きつける。その隙に光の剣を使え」

 フルートは真剣な顔になると、右手の光の剣を握り直しました。

 

「今さら作戦会議などしてどうなる。きさまらはここで死ぬのだぞ!」

 と魔王が大剣を振り下ろしてきました。フルートは、とっさに光の剣でそれを受け止めました。すさまじい力が剣を通じて響き、腕がじぃんとしびれて、危なく剣を取り落としそうになります。

「俺に任せろって言っただろう!」

 とゼンがどなりながら、足下から光の矢を拾い上げ、魔王目がけて飛び出しました。剣を振り下ろした魔王に、顔と顔がつくほど間近に迫り、にやりと笑って見せます。

「俺の武器がもうないって――? 残念だな、魔王。俺はドワーフだ。この怪力こそ、俺の本当の武器なんだぜ!」

 そう言うなり、両手で光の矢を握り、力一杯魔王の顎の下に突き立てました。矢が魔王の頭を貫通します。

 魔王はすさまじい悲鳴を上げ、両手で顔をおおってよろめきました。矢が突き刺さった場所から黒い霧が吹き出します。

「行け、フルート!」

 ゼンの声にフルートが飛び出しました。光の剣で魔王の胴を大きくなぎ払います。胴からも激しく黒い霧が吹き出し、魔王がのけぞって倒れていきます。闇の中に大きな地響きが鳴り渡ります。

 少年たちは魔王を見つめ続けました。ほんの一瞬の攻撃だったのに、ふたりとも肩で息をしています。魔王は仰向けに倒れたまま動きません。

「やったか……?」

 ゼンが用心しながら魔王に近づきました。魔王の傷から黒い霧が吹き出し続けているのが見えます。ゼンは、そっとかがみ込みました。

 

 と、出しぬけにゼンの両足首が大きな手につかまれました。あっというまに持ち上げられて、逆さづりにされてしまいます。

 魔王が立ち上がっていました。頭の矢傷も胴の刀傷も、一瞬のうちに消えてしまっています。ゼンは魔王につかまって、片手にぶら下げられたのでした。

「ちくしょう! この、放せ!!」

 ゼンがもがきますが、どんなに力をこめても、魔王の両手を振り切ることができません。ゼンの怪力を上回る力の強さです。魔王がまた目を細めて笑いました。

「まったく、子どもというのはかわいいものだな……。怪力? 光の剣? そんなもので、本気でわしにかなうつもりでいるのだからな。だが、おまえたちと遊ぶ時間もそろそろ終わりだ。わしにはやらねばならぬことがあるのだからな――」

 そう言うなり、魔王はいきなり大剣を振り上げ、ゼンに向かって振り下ろしました。ためらいのない太刀筋が、ゼンの腹から胸にかけてを斜めに切り裂きます。血しぶきが飛び、ゼンが血を吐きます。

「ゼン――!!!」

 フルートは悲鳴を上げました。

 

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