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第3巻「謎の海の戦い」

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58.闇の触手

 「このぉ!!」

 ゼンがわめいて、海の剣で黒い触手を切り落としましました。フルートも光の剣で自分とポチを縛る触手を断ち切ります。 メールを襲った触手は、花鳥に絡みついたとたん、青白い炎に変わって消滅してしまいました。触手も闇に属しているようで、光の花に触れると消えてしまったのです。けれども、それと同時にメールの乗った花鳥も消えてしまい、メールは宙に放り出されました。

「きゃあぁ!!」

 メールはエレボスに向かって落ちていきました。黒い触手の真上です。まるでイソギンチャクのようにうごめく触手の真ん中に、底知れない深い口が見えていました。

 すると、ざばぁっと水しぶきを上げて、マグロが空高くジャンプしました。大きな弧を描いてエレボスの上に飛び、落ちてくるメールをゼンがはっしと受けとめます。エレボスを飛び越して再び着水した彼らを、黒い触手が追いかけてきました。そこへ空から音をたててポチが駆けつけ、フルートが剣で触手を切り払いました。

 ゼンの腕の中でメールは目をぱちくりさせていました。本当に一瞬の出来事で、何が起きたのかさえ、よくわからなかったのです。ゼンは、自分より背が高いはずのメールを、本当に軽々と抱きかかえています。それに気がついたとたん、メールは真っ赤になってもがき、マグロの背中に飛び下りました。

「ちょっと、放しとくれよ! 荷物じゃないんだ、自分で立てるよ!」

 すると、ゼンがにやっと笑いました。

「なんだ、エレボスに食われそうになって腰を抜かしてるのかと思ったぜ」

「なんだって――!?」

 メールは真っ赤になって言い返そうとしましたが、目の前の光景を見て思わず黙りました。エレボスの割れた背中から、うねうねと動く触手が伸びてきて、また子どもたちに絡みつこうとしています。死の藻のように引き裂くのではなく、つかまえたらあっという間に取り込み食らい尽くそうとする動きです。

 

 フルートが彼らの前に降りてきて叫びました。

「早く、ここから下がるんだ! あの触手は危険だよ! 金の光でも防げないんだ!」

 仲間たちは目を見張りました。フルートの胸の上で金の石は光り続けています。けれども確かに、黒い触手は光を恐れる様子もなく子どもたちへと手を伸ばし続けてくるのです。

「あれがエレボスの正体なんだと思う」

 とフルートは言い続けました。

「死の藻よりももっと貪欲な闇の触手だ。つかまったらたちまち食べられてしまうよ」

 ゼンはいきなりにメールの手をつかむと、自分の背中に放り上げて、後ろから首にしがみつかせました。

「しっかりつかまってろ!」

 とどなられて、メールが抗議しました。

「はじめにそう言ってよ! 乱暴だね!」

「ぐずぐずしてられるか!」

 ゼンはどなり返すと、マグロの手綱を握り直しました。マグロが猛スピードで逃げ始めます。その後を追ってくる黒い触手を、ポチに乗ったフルートが防ぎ続けます。触手は長さに限りがないかのように、どこまでもどこまでも伸びて追いかけてきます。

 と、ふいにマグロが急停止しました。背中に乗ったゼンとメールは前方の海に投げ出されそうになり、そこに後ろ向きで下がっていたポチとフルートがぶつかって、全員が危なく海に落ちそうになりました。

「なに……?」

 行く手を振り返ったフルートとポチは、思わず息を飲みました。そこではドラゴンのエレボスが頭をもたげ、巨大な口を開いて子どもたちをひと飲みにしようとしていたのでした。

 行く手にはドラゴンの口、後ろからはドラゴンの背中から伸びる闇の触手――フルートたちは行くも戻るもできなくなりました。

 

 マグロが海中を見て叫びました。

「エレボスの腹からも触手が伸びてきます! こちらに迫ってきますよ!」

 前も後ろも海の中も、どこにももう逃げ場はありません。

 すると、ゼンが突然言いました。

「上へ飛べ、フルート、ポチ! おまえらなら逃げられるぞ!」

 メールとマグロは、はっとしました。そう、フルートたちだけは逃げられます。闇の触手も、上空はるか高い場所までは届かないでしょう。けれども、それは自分たちを触手から守ってくれるものが誰もいなくなる、ということにもなるのです。

 すると、フルートがどなり返しました。

「そんなこと、できるわけないだろう! 君たちを置いていけるもんか!」

「馬鹿野郎! そんなこと言ってる場合か! 一緒にエレボスに食われたら、誰があいつや魔王を倒すんだよ!」

 とゼンもどなります。恐ろしいほど真剣になっているのが、背中にしがみついているメールにも伝わってきます。

 けれども、やっぱりフルートは頑固に言い続けました。

「絶対に嫌だ! 君たちを見殺しになんてできないよ! ぼくは、絶対にもう誰も死なせないんだ!」

「そんなこと言ったって、どうやってこの状況から抜け出すつもりだ!? 手はあるのかよ!」

「手なんてない! でも、嫌なものは嫌だ!!」

「この……大馬鹿野郎!! 意地を張るのもいいかげんにしろ!!」

 激しく言い争いながらも、少年たちは後ろや下から襲ってくる触手を必死で切り捨て、追い返していました。マグロとメールは、恐怖に充ちた目で行く手を眺めました。そちらからは、何万という歯がずらりと並んだエレボスの口が、海の上を滑るようにして、こちらへ迫ってくるのです――。

 

 すると、その時、海の上に少女の声がりんと響きました。

「レオコー!」

 フルートたちは、はっとして、思わず戦うことも忘れて空を見上げました。

 ルルに乗ったポポロが、彼らの頭上まで飛んできていました。両手をエレボスに向かってまっすぐに差し伸べています。その両目は燃えるような緑色に輝いていました。

 少年たちはあわてふためいてひとかたまりになり、フルートは胸のペンダントを握りしめて叫びました。

「金の石!!」

「な、何なの、いったい……?」

 メールとマグロが驚いています。

 そこにポポロの声が続けて響いてきました。

「レオコーテイツリオコー……ロケダク!!」

 最後のことばが響いたとたん、ガシャーン!! とガラスが割れるような激しい音を立てて、エレボスの全身が突然砕けました。ドラゴンの体もそこから伸びる触手も、ずらりと歯が並ぶ巨大な口も、すべて固く凍り付いて、粉々に砕け散ってしまったのです。飛び散った黒い氷のかけらが、ばらばらと海面に降りそそぎ、あっという間に海に沈んで、水中で溶けて消えていってしまいます。その海面がみるみるうちに白い氷におおわれて、ひび割れていきます……。

 

 フルート、ゼン、メール、それにポチとマグロの三人と二匹は、声もなく寄り添い合っていました。彼らの周りの海は白く凍りつき、そして、無数の破片に割れて盛り上がっていました。かろうじて彼らがいる周りの半径二メートルほどだけが、凍らずに海水をたたえています。金の石が光のバリアで包んだ場所です。海上は、吐く息が真っ白に見えるほど寒くなっています。

「なに、これ……?」

 とメールが呆然としながら言いました。

「海がこんなに凍るだなんて……そんなことありえないよ。なんでこんなに急に寒くなったのさ……?」

「ポポロの魔法だ」

 とゼンが答えて、頭上の少女を見上げました。なんとも言いようのない表情をしています。ポポロはルルの上で小さな体をいっそう小さくして、すまなそうに繰り返していました。

「ごめんなさい、ごめんなさい……やっぱり巻き込んじゃった。ごめんなさい……!」

 ポチに乗ったフルートがポポロのところまで飛んでいきました。涙ぐみながら必死で謝り続けるポポロを見て、優しい目になります。

「変わらないね、ポポロ。謝ることなんてないのに……。魔法をありがとう。おかげでみんな助かったよ」

 ポポロは真っ赤になると、涙ぐんだ目のまま、にっこりと嬉しそうに笑いました。

 すると、海上からゼンが声をかけてきました。

「でもよぉ、ポポロ……おまえ、今日はもう魔法を使っていたはずだろう? メールを元に戻すのに。なのに、どうしてまた魔法が使えたんだ?」

 ポポロがそれに答えようとすると、それより早く、犬のルルのほうが口を開きました。

「ポポロはね、ずっと修行してたのよ! あなたたちが平和に浮かれてぼーっと過ごしている間も、天空の国の修行の塔にこもってたの! 半年間よ、半年間! 大の大人だって耐えられない人が続出する厳しい修行を、そんなに長い間して、ポポロはやっともうひとつ……一日に二回まで魔法を使えるようになったのよ! あなたたちがまた闇の敵と戦う時に役に立てるように、ってね!」

 そんなポポロを、あなたたちはずっと呼ばずにいて――とルルの文句は続いていましたが、フルートはもう聞いてはいませんでした。目の前の黒衣の少女をまじまじと見つめてしまいます。長い間ずっと心にひっかかりつづけていた疑問が、ようやく解けていました。

「だからだったのか……。だから、ずっとぼくたちに会いに来られなかったんだね……?」

 ポポロは宝石の瞳に涙を浮かべてうなずきました。その顔も声も、今にも泣き出してしまいそうでした。

「本当はずっと会いに行きたかったわ……。でも、一度修行を始めたら、それが終わるまでは、外の人とは誰にも会えなかったの。お父さんやお母さんにも会えなかったのよ……。ものすごく淋しかった。だけど、あたし、絶対にもっとみんなの力になりたかったから……みんなに呼ばれた時に、必ず力になりたかったから……それであたし、がんばって……そして……そして……」

 ポポロがしゃくりあげはじめました。ことばがことばにならなくなり、ついにフルートにしがみつくと、大きな声を上げて泣き出してしまいます。仲間たちのためを思って厳しい修行に耐え、仲間たちに呼んでもらえることを待ち続けて、我慢に我慢を続けてきた気持ちが、とうとう一度にあふれ出したのでした。

 ポポロに泣きつかれたフルートは、どうしていいのかわからなくなって、海上にいる親友を振り返りました。ゼンは腰に手を当てて彼らを見上げていましたが、その視線に気がつくと、ほらみろ、という表情を返してきました。フルートは自分の下にも助けを求める目を向けましたが、ポチは視線をそらして知らん顔をしました。どうしようもなくなって、フルートはまたポポロに向き直りました。

 ポポロはフルートの胸にしがみついたまま、声を上げて泣き続けていました。赤いお下げ髪が激しく揺れ、小さな肩が震え続けています。戦いなどまるで無縁そうに見える、華奢な姿の少女です。けれども、彼女は仲間たちの知らないところで精一杯にがんばって、戦うための力を養っていたのです。仲間たちのために――仲間たちに呼ばれた時のために――。

 フルートは、そっとポポロの背中に手を回しました。

「ごめんね、ポポロ……本当にごめんね……」

 それ以外、言うべきことばが思いつきませんでした。

 ゼンが空から目をそらして海を見回しました。

 自分たちを取り囲んでいる氷が溶け始めていました。ポポロの魔法は強力ですが、二、三分間しか続かないのです。それでも、砕けて海の中で消滅していったエレボスは、もう二度と復活してくることはありませんでした。

 と、ゼンの表情が変わりました。

「おい……魔王のヤツはどこだ?」

 まだゼンの背中にしがみついていたメールも、はっとした顔になりました。

「父上もいないよ!」

 エレボスと共に死の藻も消えた大藻海。その海上のどこにも、魔王と渦王の姿は見当たりません。

 子どもたちは顔色を変え、必死で海を見回し続けました――。

 

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