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第3巻「謎の海の戦い」

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57.エレボス

 海面に現れた大きな渦を見て、メールが不思議そうに尋ねてきました。

「どうしてこんなもの作るのさ、父上?」

 渦王は海面に立ったまま頭を振りました。

「わしではない。魔王が作っているのだ」

 その足の下でも海の水は激しく渦の中心へ流れていますが、海の王はさすがにそんなものには影響を受けません。地面の上に立つように、じっと立ったまま、何が始まるのかと渦を見つめています。

 大藻海の死の藻がどんどん渦に巻き込まれていきます。それと一緒にマグロも渦に流され始めたので、ゼンがあわてました。

「わわ……! おい、大丈夫か!?」

 マグロは急な流れの中を必死で泳いでいましたが、渦がますます回転を速めたので、次第に渦の中心へ引き寄せられてしまいます。

 すると、そこへ空から一本のロープが飛んできて、ゼンの腕に絡みつきました。色とりどりの花とその緑の茎をより合わせた、花のロープです。

「しっかりつかまってなよ!」

 とメールがどなります。花のロープにつながった花鳥は、大きな翼を羽ばたかせると、あっという間に渦の外へマグロとゼンを連れ出しました。

「助かったぜ、メール」

「どういたしまして」

 ゼンに向かってメールがにこっと笑いました。そうすると、男勝りな顔が急にかわいらしくなります。皆と一緒に戦えるのが嬉しくてたまらないという表情です。ゼンは、なんとなくちょっとまぶしそうな目をしました。

 

 すると、ポチの背中からフルートが叫びました。

「見ろ!」

 渦の中心から現れるものがありました。黒い巨大な影……エレボスです。けれども、それがすっかり渦の中から姿を現した時、一同はあっと声を上げて驚きました。エレボスは水蛇からドラゴンの姿に戻り、しかも、その体にはうねうねと蛇のように動く死の藻を一面に生やしていたのです。

 エレボスが黒い大きな翼を広げて空中に浮き上がりました。うごめく海藻で身を包んだエレボスは、まるで無数の蛇かウジ虫に体中をおおわれた、死者の国のドラゴンのように見えます。ゼンが顔をしかめてつぶやきました。

「ちぇ、相変わらず趣味悪いぞ、魔王」

 ポチに乗ったフルートが仲間たちのところへ飛んできました。光の剣を構えながら仲間たちの前に立ちます。その背後でマグロに乗ったゼンが海の剣を構え、さらに、花鳥に乗ったメールが海上近くまで舞い下りてきました。

「なんだい。エレボスと死の藻が合体したからってどうだって言うのさ。ただ海藻の服を着ただけじゃないか」

 とメールが言ったので、ゼンが答えました。

「油断するな。こいつは闇のドラゴンだぞ」

 そのとたん、エレボスの体から海藻が伸びてきました。どこまでも飛んできて、子どもたちのバリアを破り、絡みついてきます。動けなくなった子どもたちをひと飲みにしようと、エレボスが巨大な口を開けます。

 フルートはとっさに光の剣をふるいました。ゼンも海の剣で海藻を切り払います。エレボスの前から身をかわすと、ばくりと巨大な口が襲ってきて、たった今まで子どもたちがいた場所の海水を飲み込みました。メールはひと足先に鳥を羽ばたかせて頭上に逃げています――。

 

 ドラゴンからまた海藻が伸びました。バリアを砕いて少年たちに絡みつきます。

 再びそれを断ち切ろうとした時、いきなり少年たちの内側に、真っ黒いどろどろしたものが流し込まれてきました。強い毒が体の中を焼くように、彼らの心の内側を焼き始めます。死の藻を通じて魔の気を心に流し込まれたのでした。

 少年たちは思わずおののきました。彼らの内側で魔の気が暴れ回り、どんどん心の奥に食い込んできます。それはすさまじい痛みと恐怖でした。少年たちの心の中にナイトメアが残した古い傷跡を、魔の気がこじ開け、押し広げて、魂の奥まで入り込もうとしてきます……。

 フルートはポチの背中であえいでいました。ポポロがふさいでくれたはずの、心の中の闇の道に、今また魔の気が侵入してくるのが感じられます。振り切ろう、押し返そうとするのに、どうしてもそれができません。金の石を呼ぼうとしても、声さえ出すことができません。

 フルートの下ではポチがぶるぶる震えていました。やはり大きくあえいでいます。風の体が薄れて今にも消えそうです。

 ゼンはマグロにしがみついてうめいていました。ゼンほどの体力と気力の持ち主でも、闇の道の痕をたどろうとする魔の気は追い払えないのです。ナイトメアと遭遇したことのないマグロは、魔の気をすぐに外に追い出していたので、驚いたように叫んでいました。

「ゼン様! ゼン様、どうしたんですか――!?」

 すると、ふっと焼ける苦しみが弱まりました。恐怖と痛みが、まるで朝日に霧が消えるように、たちまち薄れて少年たちの内側から消えていってしまいます。

 驚いて顔を上げた少年たちが見たのは、自分たちを守るようにすぐそばに浮いているポポロの姿でした。ポポロは、自分の周りに差す天空の光で少年たちを包み込み、その中から魔の気を追い出したのでした。

「大丈夫? 気持ちをしっかり持ってね」

 ルルに乗って空を飛びながら、ポポロが言います。その時、また風が吹いて、ポポロの黒い衣の裾を天使の翼のようにはためかせました。

 

 彼らの頭上では、花鳥に乗ったメールがわめいていました。

「よくもやったね、このトカゲ野郎! ボロ雑巾くっつけたような、みすぼらしいなりしてるくせに、生意気じゃないか!」

 花鳥の何倍もの大きさがあるドラゴンに向かって悪口雑言を浴びせると、花鳥を急降下させていきます。

 ゼンが思わず叫びました。

「馬鹿、やめろ! 無茶だ!」

 すると、ドラゴンのすぐ上で、ふわりと花鳥が止まりました。その背中からメールが叫びます。

「お行き、花たち! あいつを縛っておしまい!」

 ザーッと音をたててメールの下で花が崩れました。色とりどりの霧の流れのように、海上近くに浮いているドラゴン目がけて降りかかっていきます。と、その霧が一気に広がって、ドラゴンの全身を包みました。花のロープに変わって、ドラゴンを縛り上げてしまいます。

 ドラゴンは羽ばたくことができなくなって、大きなしぶきを上げて海上に落ちました。腹立たしそうに首を伸ばすと、大声で鳴きます。

 とたんに体の表面をおおう死の藻がうねうねと腕を伸ばて、花のロープを引きちぎり始めました。ところが、ロープは元は小さな花の集まりです。いくらちぎられてばらばらになっても、またすぐに絡み合ってロープに戻ってしまいます。花の網が次第に狭まってきて、中のドラゴンを締め上げていきます。エレボスはいっそう激しく暴れ始めましたが、どうしても花の網を振り切ることができません。

「すごい……」

 と少年たちは思わずあっけにとられました。メールの花使いの力は、今まで何度か目にしていましたが、華奢な花たちがまさかこんな巨大なものまでねじ伏せられるとは思っていなかったのです。

 すると、ぐっと小柄になった花鳥の背から、またメールが叫びました。

「根をお張り、花たち!」

 花のロープはざわりと震えると、緑の茎を伸ばして、その先をエレボスの体にいっせいに突き立てました。緑の葉が次々と増え、新たな茎を伸ばしてそこにもまた花を咲かせ始めます。花はドラゴンの体の中に根を下ろして、そこで成長を始めたのでした。

 すると、不思議なことが起き始めました。エレボスが、今まで聞いたこともなかったほど苦しそうな声を上げて鳴き出したのです。海面に猛烈な水しぶきを上げて、のたうち始めます。まるで体中をばらばらにされかけているような苦しみ方です。

 子どもたちは驚いてその様子を見守ってしまいました。当のメールさえ、何故こんなに攻撃が効いているのか見当がつきません。

 すると、ドラゴンの体をおおう海藻から、すうっと白いものが抜け出しました。幽霊です。尾を引いて遠ざかりながら、みるみるうちに薄れて消えてしまいます。また一つ、またもうひとつ……ドラゴンの表面から次々と幽霊が抜け出して消えていきます。と、突然、無数の白いものが、一気にどっと外へ飛び出してきました。まるで爆発するような勢いです。それは青白い炎の輝きに変わり、エレボスが炎の中で天と海にとどろく声を上げました。

 

 青白い炎が消えた時、幽霊はもうどこにも見あたりませんでした。エレボスが海面に浮いて、波のうねりに合わせて、わずかに首を動かしています。その体から海に滑り落ちていくのは、燃えつきたように黒こげになった花と海藻の残骸でした。

 呆然とその様子を見ていたポポロが、はっとした顔になりました。

「天空の花だからだわ――!」

 え? と仲間たちは魔法使いの少女を振り返りました。

「メールが使ってるのは天空の花。光の花よ。悪霊や闇のドラゴンは死ぬほど光のものが嫌いなの! 光の花をメールがエレボスの体に植え付けたから、エレボスから悪霊が飛び出して、花と一緒に燃えてしまったのよ!」

「へぇっ、そんなにあたいの攻撃が効いたわけ?」

 他でもないメール自身が、目を丸くして驚きました。思いがけない効果です。

 よく見ると、海に浮いているエレボスは、前より二回りも体が縮んで小さくなってしまっていました。天空の花は闇のドラゴンまで燃やし尽くそうとしたのですが、さすがにドラゴンは巨大すぎて、そこまでは力及ばなかったのでした。

「よし、チャンスだ! あいつは弱ってるぞ。とどめを刺すんだ!」

 とゼンが叫んで飛び出しました。マグロの上で海の剣を構え、エレボスのわきを駆け抜けざま、水でできた刃を体に突き刺します。黒いドラゴンの体が切り裂かれ、血のように、白い霧を吹き出しました。エレボスが長い首を上げて鳴き叫びます。

「お、効いた?」

 ゼンが意外そうに振り返りました。威勢よく飛びだしたものの、内心では海の剣は闇のドラゴンにはあまり効果がないかも、と考えていたのです。

 すると、メールが言いました。

「父上の海の剣には、海のきらめきが含まれてる。光の力も少し入っているんだよ!」

「へえっ、そりゃありがたいぞ!」

 と言いながらゼンはまた引き返し、一刀のもとに、エレボスの尾を断ち切りました。黒い蛇のような尾が、霧を吹き出しながら海に沈んでいって、途中で溶けるように見えなくなりました。消滅したのです。

「よぉし、あたいももう一度!」

 メールが勢い込んで花鳥を突っ込ませようとすると、それを出し抜いて、ポチに乗ったフルートが飛び出しました。

「君の花は残り少ないよ! ぼくがやる!」

 光の剣を構えて、エレボスの上すれすれを飛びながら、剣をドラゴンの背へ突き刺します。また長い傷が走って、そこから白い霧が吹き出しました。すさまじい咆哮が、また響き渡ります。

 

 そのとき、ポポロの鋭い声が上がりました。

「みんな、危ないっ!」

 切り裂かれたエレボスの背中から、何かが飛び出してきました。真っ黒いものが突然大きく広がったと思うと、そばにいた子どもたちをいきなり絡め取ってしまいます。

 それは何百本という、鞭のような長い触手でした――。

 

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