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第3巻「謎の海の戦い」

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56.花使い

 ポポロは手のひらの上の貝を見つめました。

 美しい緑色の貝は、じれるように震え続けています。まるで内側から誰かが必死で殻をたたいているようです。

 海上では少年たちが、渦王が、命かけての激戦を繰り広げています。天空の国から差す守りの光の中で、貝は必死にもがいて外に出ようとしているようでした。

 それを見て、ポポロがつぶやきました。

「メール……って言った? あなたも一緒に戦いたいのね……」

 貝は何も答えることができません。ただ、その動きがひときわ大きくなったように見えました。

 ポポロは少しの間、黙って考え込んでいましたが、やがて、静かな声でこう言いました。

「あなたを貝にしたのは魔王の闇の魔法。あたしの光の魔法でなら、元に戻して上げられるかもしれないわ」

 すると、ポポロを乗せていたルルが、驚いたような声を上げました。

「ちょっと、ポポロ、何を言っているのよ! その貝の魔法を解くつもり? そんなことのために、大切な魔法を使っちゃうつもりなの!?」

 ポポロの魔法は強力ですが、一日に一度しか使えません。それを使い切ってしまったら、翌日の朝日が昇ってくるまで、もう魔法を使うことができなくなるのです。

 空飛ぶ犬は言い続けました。

「あなた、みんなを助けるつもりなんでしょ!? 魔法はそのために取っておかなくちゃダメよ! 当てにされているんでしょう!?」

 ポポロは思わず仲間たちのほうを見ました。フルートが、ゼンが、ポチが、海の上で死の藻と激しく戦っています。渦王と魔王がお互いに譲ることのない一騎打ちを続けています。その均衡が破れた時、仲間たちは一気に危険な状況に陥るかもしれません。

 けれども……。

 

 ポポロはまた、じぃっと緑の貝を見つめました。その中から死にものぐるいで呼び続けている少女が見えるような気がしました。

「だって、わかるんだもの……。この人の気持ち、あたしにも痛いくらい良くわかるんだもの……」

 仲間たちが呼んでくれるのを泣きながら待ち続けた時間を思い出して、宝石のような瞳が涙ぐんでいました。

 貝がまた、じれたように震えます。

 ポポロはそれを空に高くかざすと、声高く呪文を唱えました。

「レドモレドモレドモニルーメ!」

 とたんに、ガラスが砕けるような音が響いて、ポポロの腕の中に一人の少女が現れました。鮮やかな緑色の髪をした長身の少女です。海を思わせる深い青い目をしています。

 そして、それと同時に、彼らはいきなり空から落ち始めました。ルルが、茶色の毛並の普通の犬に戻っていたのです。海に向かって真っ逆さまに落ちていきます――。

 と、すぐにルルがまた風の犬に変身して、ふたりの少女を背中に拾い上げました。

「ホントにもう、ポポロったら! きっとこうなると思っていたのよ!」

 とぷりぷりして言います。

 ポポロが使う魔法は非常に強力なので、たいてい周囲のものまで巻き込んでしまいます。今は貝を元の姿に戻そうとして、ルルまで風の犬から元の犬の姿に戻してしまったのでした。

 

 長身の少女は自分の体を見回していました。色とりどりの袖無しシャツにウロコ模様のズボンをはいた姿は、まるで一本の若木のようにすんなりと伸びやかです。と、その美しい顔が大きく崩れて、満面の笑顔になりました。

「やったぁっ!! 元に戻れたよ!!」

 まるで少年のように歓声を上げます。ポポロが思わず面食らっていると、少女はその両手をつかんで激しく振りました。

「ありがとう、ありがとう! 恩に着るよ! ああ、やっぱり人間の姿はいいなぁ! 最高だよ!」

 興奮しながらそう言って、メールは笑い、すぐに黒衣の少女をのぞき込んできました。

「あんたがポポロだね! へぇ、ホントにかわいい子なんだ。噂通りだね!」

 ポポロは相手の勢いに目をぱちくりさせながらも、おずおずと海上を指さしてみせました。

「あ、あの……あれ……」

 そこでは少年たちや渦王が敵と戦い続けています。

 メールはすぐに真顔になってうなずくと、ポポロに向かって言いました。

「ねえ、あんた、魔法で花を出せないかい? あたいは花使いなんだ。花さえあれば、あたいも戦えるんだよ」

 ポポロは困ってしまいました。一回の魔法はさっきもう使ってしまいました。魔法で花を出せと言われても……。

 けれども、すぐにポポロはひらめきました。花ならあります。彼らの頭上に浮かんでいる、巨大な天空の国。その上になら見渡す限りの花野が広がっていて、色とりどりの花が一年中咲き乱れているのです。

 ポポロは天空の国から差す光を見上げて、大きな声で呼びかけました。

「みんな、お願い! 花を送ってよこして……!」

 

 海の上を一陣の風が吹き抜けていきました。白い波頭が、大藻海の面を渡っていきます。

 と、冬の初めの雪のように、空から白いものが降ってきました。はじめは一つ二つだけ……やがて、その数は増え始め、みるみるうちにあたり一面に降りしきり始めました。赤、青、黄、ピンク……色とりどりの雪が海の上に降ってきます。もちろん、それは雪ではありません。天空の国に咲く花たちでした。

 メールがまた歓声を上げました。ルルの背中で両手を高く差し上げると、降りしきってくる花に向かって呼びかけます。

「おいで、花たち! あたいと一緒に戦っておくれ!!」

 ザーッと音をたてて花が渦を巻き、一つところに集まり始めました。空を飛ぶ少女たちの目の前で、色とりどりの雲になり、それが形を変えて一羽の大きな鳥の姿になります。翼の端から端まで十メートル以上もある巨大な花の鳥です。

 メールはルルから花鳥の背に飛び移ると、ポポロを振り返りました。

「ホントにありがとう! あんた、小さいけど本当に頼りになるよね。フルートとおんなじだ」

 魔法使いの少女は、思いがけずフルートと並べられて、目をまん丸くしました。メールは、ふふっと笑うと、花鳥を戦場に直行させました。そこで戦う者たちに、大きな声で呼びかけます。

「父上! ゼン、フルート! あたいも一緒に戦うよ!!」

 仲間たちは顔を上げると、いっせいに歓声を上げました。

「メール!!!」

 

 ゼンがひときわ大きな声を上げました。

「メール! おまえ、どうやって戻れたんだよ!?」

「ポポロに戻してもらったのさ! この花も天空の国から送ってもらったんだよ! すごいよね!」

 とメールが笑いながら答えます。

 ひゃっほう! とゼンがまた歓声を上げ、マグロが高く飛び跳ねました。風の犬のポチとフルートが共に駆けつけます。

「ワン、ホントにメールだ!」

「無事で良かった! 怪我はないよね?」

 フルートもほっとしたような笑顔になっています。メールはまたにっこりしました。

「心配かけてごめんね。もう大丈夫さ。で……あんな目に合わせてくれた魔王には、きっちり礼を返さなくちゃね!」

 と、ぽきぽき指を鳴らします。とても女の子とは思えない迫力です。

 

 魔王と渦王も一騎打ちの手を止めて、空に現れた花の鳥と少女を見上げていました。魔王が低くつぶやきました。

「まったくいまいましいガキどもだ……次から次と、じたばたと無駄なあがきをしおって」

 手のひらをメールに向けて魔弾を撃ち出そうとします。

 と、ガキィッと音をたてて、二つの武器がぶつかり合いました。渦王がまた踏みこんで矛を繰り出し、魔王が黒い大剣でとっさに受け止めたのです。そのまま、また激しい戦いが始まって、魔王は魔弾を撃てなくなります。

 すると、渦王の後ろから水しぶきと共に黒い水蛇が姿を現しました。巨大な口を開けて渦王を飲み込もうとします。

「父上!」

 メールが花鳥を急降下させました。鳥は渦王の後ろに降りたって、大きな花の翼を激しく羽ばたかせ、エレボスをつつきます。花とはいえ、鋭いくちばしです。

 思いがけない反撃にエレボスがひるみました。不愉快そうに頭を振ると、海の中にまた潜っていってしまいます。

 メールは花鳥の上からまた叫びました。

「父上、エレボスはあたいに任せてよ! 父上になんて、絶対さわらせやしないから!」

 魔王と激しく戦いながらも、渦王はそれを聞いて思わず苦笑いしました。

「まったく、あの跳ねっ返りが。全然こりておらん」

 渦王の矛が音と共に魔王の大剣を跳ね返し、魔王が大きくよろめきます。その時、渦王の顔に浮かんだのは、勝利の喜びではありませんでした。娘が無事に戻ってきたことを喜ぶ、当たり前の父親の表情でした――。

 

 渦王の一撃をかわした魔王は、黄色い目で周囲を見回しました。

 海上には渦王と、ゼンとマグロが、空中にはポチに乗ったフルートと、ルルに乗ったポポロ、そして、新たに花鳥に乗ったメールも現れました。さらに、彼らの頭上には、巨大な空飛ぶ岩盤に乗った天空の国も控えています。

「さすがに、ちと、こちらに不利か」

 魔王は誰にともなくそうつぶやくと、ふいに剣を引いて両手を上げ、海に向かって呪文を唱え始めました。

 海面がまた黒く染まっていきます。そして、それと同時に海水が大きく渦を巻き始めたのです。大藻海をおおう死の藻を巻き込んで、次第に速く回転し始めました――。

 

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