「勇者フルートの冒険」シリーズのタイトルロゴ

第3巻「謎の海の戦い」

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53.天使

 光と共に現れた黒い天使は、両腕を広げてフルートとポチに舞い下りてくると、その胸の中にふたりを抱きしめました。

 すると、落下が止まり、彼らは空中にふわりと浮きました。天使が宝石のような瞳を涙でいっぱいにしながら呼びかけてきました。

「フルート……! フルート、ポチ! しっかりして!」

 天から差すまばゆい光が彼らを包んでいます。すると、不思議なことが起き始めました。フルートの胸に下がる金の石から、うめき声と共に無数の幽霊たちが現れたのです。ものすごい勢いで次々と石から飛び出して、光の外へ逃れようとします。強烈な光はたちまち幽霊たちを焼き尽くし、跡形もなく消滅させていきます――。

 幽霊たちが離れるにつれて、金の石が再び輝きを取り戻し始めました。黒い闇の色から灰色へ、鈍い金色へ、そして、あの輝くような澄んだきらめきをまた放ち始めます。

 とたんに、フルートとポチの全身から痛みや苦しみが消えました。フルートはまた楽に息ができるようになり、ポチの体からはすべての傷が消えました。フルートの体内から矛の毒が消えて、熱くて冷たい感覚が薄れていきます……。ふたりは天使に抱かれたまま、しばらくはじっと身動きもしないで息を整えていました。

 が、フルートたちは突然我に返りました。がば、と跳ね起きるように顔を上げて、自分たちを救ってくれた天使を見ます。

 それは、天使ではありませんでした。緑の目を今にも泣き出しそうに涙でいっぱいにした、赤いおさげ髪のポポロでした。黒い翼と見えたのは、ひるがえるポポロの黒い衣の裾だったのです。

 フルートたちが呆然としていると、ポポロがにっこり笑いました。

「やっと……やっと呼んでくれたわね……!」

 とたんに、その目から涙がこぼれ出しました。ポポロはまたフルートに抱きつくと、声を上げて泣き出してしまいました。

 

「呼んだ……?」

 フルートは、まだこれが現実だと信じられなくて、ぼんやりと繰り返しました。夢の続きを見ているようです。ただ、それにしては、しがみつくように抱きしめてくるポポロの腕に、いやに存在感がありました。

 すると、ポチが言いました。

「ワン、フルートはポポロを呼んだんですよ。夢の中でだったのかもしれないけど……すごく小さな声だったけど」

「声の大きさなんて、関係ないのよ」

 とポポロが泣き笑いしながら言いました。

「みんなの声なら、あたしには、どんなに小さくてもちゃんと聞こえるんだもの。間に合わなかったらどうしようって、ずっと心配してたわ。間に合って良かった。本当に良かった……!」

 ポポロがいっそう大きな声を上げて泣き出します。両腕の中にフルートとポチを抱きしめたままです。

 その時ようやく、フルートたちは自分たちが空を飛んでいるのに気がつきました。ポポロの犬のルルが、風の犬に変身して彼らを乗せていたのです。

 まばゆい光は、まだ雲の間から彼らを照らし続けていました。光を受けて、金の石がさらに輝きを強めます。すると、強い風が吹いてきて、空をおおった暗雲を追い払っていきました。再び青空が現れます。

 けれども、その空の真ん中には、黒雲にも劣らない巨大な黒い影がありました。彼らの上におおいかぶさるように、頭上の空をおおっています。それを見上げたフルートたちは、また、驚きで息を飲みました。

 それは天空の国でした。巨大な空飛ぶ岩盤の上に築かれた、正義と魔法の国が、頭上に音もなく浮かんでいます。空の上から照らす日の光を返して、尖塔の屋根がきらきらと輝いています。岩の上を吹く風が、森をざわめかせ、花の香りを運んできます……。

 ポポロがフルートを見上げて、また泣き笑いの顔で言いました。

「この光は、天空の国の貴族たちが送ってくれているの。みんなで力を合わせて、聖なる光を作りだしてくれているのよ。この中にさえいれば、もう悪霊なんか怖くないわ」

 まばゆい光は確かに天空の国から差していました。そして、ルルが飛ぶのに合わせて、どこまででもついてくるのです。光に照らされると、空を飛ぶ幽霊たちは次々に消滅していきました。海面を照らすと、死の藻が溶けるように縮んで海の中へ消えていきます。フルートとポチは、まだどこか夢でも見ているような気分で、ぼんやりとそれを眺めていました。

 

 すると、ルルがポチに言いました。

「ねえ、あなた、もう怪我は治ったんでしょう? いいかげん風の犬に変身しなさいよ。みんなを乗せてると、重たくって」

「あ……ワン、ご、ごめん」

 ポチはあわてて風の犬に変身すると、フルートの腕から飛び出し、すぐに戻ってきてルルと並んで飛び始めました。幻のような長い風の体をなびかせて飛ぶ二匹は、別の大陸にいるという、異形のドラゴンのようでした。そのドラゴンは、まるで蛇のような体をしていて、空を自在に飛び回り、雨雲を操ると言うのです。

 何もかもが、まだ夢の中のようでした。正気に返れば、ポポロも天空の国も跡形もなく消えてしまうんじゃないか……そんな気がして、フルートは身動きすることさえできませんでした。ちょっとでも動けば、夢が覚めてしまいそうに思えたのです。

 すると、ポポロがまた、じっとフルートを見上げてきました。緑の瞳がフルートの青い瞳の中をのぞき込みます。と、ポポロは強い痛みを感じたように目を細めました。そこにまた大粒の涙が浮かんできたので、フルートは思わずあわてました。

「ポ、ポポロ……?」

「動かないで。そのまま、じっとしていて」

 ポポロはそう言うと、涙ぐんだ目のままフルートの体を抱きしめ、胸に顔を寄せました。金の鎧の胸当てに、赤い果実のような唇を押し当てます。

「ポポロ……?」

 フルートはますますどぎまぎして、うろたえてしまいました。胸に顔を埋めた少女の髪から、かすかに花の香りが漂ってきます。

 ふーっとポポロがフルートの胸に息を吹きかけました。深く長い息です。すると、その息が鎧の胸当てを通り抜け、フルートの胸の中にまで吹き込んできました。とても暖かくて優しい風です。フルートの胸の中にわだかまっていた、暗く恐ろしいものを、跡形もなく溶かして吹き飛ばしていきます――

 突然、フルートの体に活気があふれ始めました。心が躍り上がり、いきなり頭が正気に返ります。フルートは夢から覚めた人のように、まじまじと胸の中の少女を見下ろしました。

「ポポロ」

 少女が宝石の瞳を上げて、にっこりほほえみました。

「天空の光を心に送り込んだの。ナイトメアが作った闇の道はふさいだから、もう大丈夫よ」

「闇の道?」

 驚くフルートにポポロは話しました。

「ナイトメアに侵入されるたびにね、心には闇の道が作られていって、外から闇のものが侵入しやすくなるの。フルートの心にも、たくさんの悪霊が入りこんでいたのよ。だから、金の石にも悪霊が取り憑いてしまったの……。つらかったでしょう、フルート。もう大丈夫よ………」

 もう大丈夫、ということばを繰り返して、少女はまた涙をこぼし始めました。

 フルートは自分の胸を見下ろしました。もちろん、ふさがれたという心の闇の道は、目には見えません。金の石はまた輝きを取り戻して、明るく強く輝いています。フルートはそっと石を握りしめると、自分の胸に押し当てました。本当に、もう何一つ苦しいものを感じません。ずっと胸にのしかかっていた重苦しさもありません。心はどこまでも澄んでいて、力に充ちています。そして、それは、目の前で涙ぐむ、小さな少女が運んできてくれたのでした……。

 

 突然、大きな水音を立てて海中から黒いものが現れました。エレボスです。長い鎌首を振り立てて、海を激しく泳いでいます。――いえ、のたうっています。エレボスの背に乗った魔王が、驚いたように声を上げていました。

「どうしたのだ、エレボス――!?」

 突然、また、エレボスが鎌首を大きく空に振りました。とたんに、その大きな口の中ほどから、ばっと黒い水が飛び散り、白いものが飛びだしてきました。それはエレボスの牙でした。根元から折れ、黒い水の血しぶきと共に口から外に飛んでいきます。

 すると、その場所の蛇の上あごが、ぐにゃりと上に動きました。蛇は懸命に口を閉じようとするのですが、中からの力で無理やりにこじ開けられてしまいます。そこから姿を現したのはゼンでした。折れた歯の隙間から外をのぞき、口の中を振り返ってどなります。

「いいぞ、行け!!」

 すると、ゼンを後ろから突き飛ばすようにして、口の中から黒い影が飛び出してきました。マグロです。ゼンを背中に乗せて、エレボスの口から空中へ、そして、海面に向かって飛び下りていきます。

 ゼンがエレボスと魔王を振り返って、勝ち誇ったような声を上げました。

「へへーん、見たか! 俺たちを食おうだなんて、百万年早いんだよ!」

 大きな水しぶきを上げてマグロが海に飛び込みました。すぐにまた海面に浮いてきて、威勢良く宙に飛び跳ねます。

「ゼン!!」

 フルートとポチとポポロはいっせいに歓声を上げました。その声にゼンは顔を上げ、フルートと一緒に空を飛ぶ少女の姿を見つけて、こちらも大きな歓声を上げました。

「ポポロ! ポポロじゃないか!!」

 ひゃっほう、とゼンは鋭く叫び、その声に合わせてマグロがまた飛び跳ねました。

 フルートとポポロ、彼らを乗せたルル、そして同じ風の犬に変身しているポチは、まっすぐゼンのところへ飛んでいきました。

 これでようやく、金の石の勇者の一行は、全員勢揃いしたのでした――。

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