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第3巻「謎の海の戦い」

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51.幽霊

 上へ上へ……フルートの体は泡の渦に巻き込まれて押し上げられていました。

 渦王が心配したように、速すぎる上昇でした。海の底から海面へ一気に浮上すると、体にかかる水圧が急激に減って、それが原因で死ぬこともあるのです。魚でさえ、水圧の高い深海から一気に海面に引き上げられると、体内の浮き袋が破裂して死んでしまいます。

 けれども、彼らは泉の長老から水の守りの魔法をかけてもらっていました。海に潜る際には必ず大きな困難になる水圧が、彼らにとっては、ほとんど問題にならないのです。恐ろしい減圧症から守られながら、フルートは海中を急上昇していました。

 海の中が明るくなってきました。海面が近づいてきたのです。

 とうとう、泡は海面に達すると、とどろくような音をたてて弾けました。泡に持ち上げらたフルートの体が、そのまま宙に放り出されます。

 と、フルートはぎょっと目を見張りました。

 死の藻におおわれた大藻海の中央の、なにもない水面に泡が次々とはじけ、揺れる水があるものの形を作っていました。

 それは、巨大な人の顔でした。うつろな目、こけた頬の死者の顔です。底知れないまなざしで空中のフルートをじっと見つめ、口を大きく開きます。歯が一本も残っていないその口は、暗く深い奈落へとつながっていました。

 死者の国への入り口だ、とフルートは直感しました。かつて戦場になり、海を夕日よりも紅く血で染めた大藻海は、今も大勢の死者を抱き込んで、死の国への入り口をその海面に隠していたのです。

 フルートの胸で金の石が輝き始めました。勇者を守るように、光で包み込みます。けれども、フルートの体は落ちるのをやめません。地獄へと続く死者の口へと、まっさかさまに落ちていきます――。

 

 ひゅっと耳元で風の音がして、フルートの体がふいに、ふわりと何かに受け止められました。風の犬に変身したポチでした。フルートの後を追って一緒に泡の渦に飛び込んだポチは、海上に飛び出したとたん風の犬に変身して、フルートを助けに駆けつけたのでした。

 海面すれすれを飛びすぎて、また空中に戻る彼らを、海面の死者の顔は恨めしげに見上げ、海底から響くようなうめき声を上げました。

 その時、同じく後を追ってマグロと上がってきたゼンが、海面に飛び出して、ぎょっとした顔をしました。

「な、なんだ……?」

 うめき声の元を確かめるように、あたりをきょろきょろします。まさか自分たちがいる海面に、その声を上げた顔が浮かんでいるとは思ってもいません。フルートはポチの背中から叫びました。

「逃げろ、ゼン! 君たちは幽霊の顔の上にいるんだ!」

「なに?」

 ゼンはまたぎょっとしました。マグロが飛び跳ねて、また海の中に潜ります。とたんに、その後を追うように、死者の顔から白いものが飛びだしてきました。無数の幽霊たちです。やがて、顔はすべて白い幽霊になり、海上と言わず、海面と言わず、あたりいっぱい飛び回るようになりました。海中に潜っていくものもあります。大藻海は、みるみるうちに、夜のような黒い色に染まり始めました。

 

 すると、海中からまた、ゼンを乗せたマグロが飛び出してきました。宙に大きく跳ねて、フルートに向かって叫びます。

「大変です、勇者様! 死の藻が動き出しました!」

「幽霊の奴が海藻に取り込まれていくんだ! ものすごい勢いで成長してるぞ!」

 とゼンもどなります。

 そのことばを証明するように、海中から、海藻が姿を現し始めました。まるで蛇のようにくねりながら海面高くまでその茎を伸ばし、黒い葉を広げます。海の中でやっていたように、空中にいるフルートたちをその葉先で捉えようとします。

 ポチは宙に伸びてくる死の藻をかわしながら言いました。

「ワン、どうします!? このままじゃゼンたちがつかまっちゃいますよ!」

 マグロはゼンを乗せたまま、ものすごい速度で海藻から逃げ回っていました。海中では死の藻がいっそう密に茂っているので、潜って逃げるわけにもいかないのです。フルートは首の金の石をつかんで言いました。

「ポチ、そばに行って――!」

 すると、行く手を無数の幽霊たちがふさぎました。

 フルートが呼びかけます。

「金の石!」

 澄んだ金の光が石からほとばしって、彼らの周りを照らします。光に当たった幽霊たちが霧のように消えていきます。

 

 ところが、次の瞬間、消えたはずの幽霊たちが、また空中に現れました。骨の見える腐りかけた腕を伸ばし、幻の鎧兜を鳴らしながら、またフルートとポチに迫ってきます。フルートは目を見張りました。

「金の石が効かない……!?」

 かつて数え切れないほどの戦死者を出した大藻海。無数の魂とその恨みを飲み込んだ海は、魔王の闇の魔法に刺激されて、これまでなかったほど活発になり、ありったけの幽霊と魔の気配とを吐き出してきたのでした。以前、天空の城で闇の怪物ボーンドラゴンと戦った時にも、魔の気配が濃すぎるためにドラゴンを消せなかったことがありましたが、それと同じことが、この大藻海でも起こっていたのです。

 海上から大きな声が上がりました。ゼンとマグロが、海中から伸びてきた死の藻につかまっていました。あっという間に黒い海藻が絡みついてきます。ゼンは手綱を放すと、振り返って光の矢を射ました。マグロの尾をつかんでいた海藻が霧と消えます。

 が、次の瞬間、その霧がまた寄り集まって、海藻に戻りました。再び蛇のようにくねり、マグロの全身を捉え、ゼンにまで絡みついてきます。

「くそっ、この……放せ!」

 ゼンは光の矢を手に握って死の藻を突き刺しました。でも、何度やっても、海藻は一瞬霧となるだけで、すぐにまた復活してしまいます。気がつけば、海面だけでなく、上空も一面真っ黒な雲におおわれていました。吹いてくる風まで黒い闇の色に染まっているようです。

「ゼン!」

 フルートは叫びました。ポチが幽霊たちを振り切って急降下しようとします。

 すると、そのとたん、フルートは胸にどしんと衝撃を受けました。鎧を着ているのに、胸を思い切り打たれて息が詰まります。さらに衝撃は続き、フルートは胸の真ん中を次々に打たれて本当に息ができなくなりました。目の前に一瞬真紅の幻がひらめきます。

 やっとの思いで目を開けて胸を見たフルートは、とたんにぎょっとなりました。何百という幽霊たちが、まっすぐフルート目がけて飛んできて、胸の金の石に飛び込んでいたのです。幽霊は石に吸い込まれるように消えていきます。そして、そのたびに少しずつ金の石の光は鈍く弱々しくなっているのでした。

 やがて、石はとうとう最後の輝きまで失いました。灰色のただの石ころのようになった金の石に、それでも幽霊は取り憑き続けます。石の中の影は次第に濃くなり、ついには、闇の石のように真っ黒に染まります。

 フルートは驚きのあまり声も出せずにいました。光の失われた金の石を、信じられない目で見つめ続けます。

 すると、そのとたん、体がいきなりずしりと重くなりました。ここまでの疲労と緊張が一気にあふれて、フルートに襲いかかってきたようです。目の前にまた、真紅の色がひらめきます。フルートは、激しいめまいに襲われて、ポチの背中から滑り落ちてしまいました。落ちていく先は、どう猛な死の藻がうごめく海面です。

 ゼンとマグロは、すでに半分以上、海藻の中に取り込まれていました。海面に落ちれば、フルートもたちまち同じ目にあって、海藻に引きちぎられてしまいます。

「ワン、フルート! ゼン!」

 ポチは吠えて、空から急降下していきました――。

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