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第3巻「謎の海の戦い」

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44.再見

 その場に居合わせた者たちは、誰も何も言えなくなっていました。

 海王の城の大広間、家臣や子どもたちの目の前で、渦王と海王のお妃は寄り添いあい、抱き合って立っているのです。渦王の胸に顔を埋めた王妃が、すすり泣きの声を立て始めます。

 メールがわなわなと震え始めました。歯を食いしばって二人の姿をにらみつけていましたが、ふいに腰から短剣を抜くと、それをかざして駆け出そうとしました。ぎょっとなったフルートとゼンが、あわててそれを止めます。

「放せ! ゆ――許すもんか――! 裏切り者――!」

 メールが滅茶苦茶に暴れます。短剣を握っているので、危ないことこのうえありません。

 ところが、その時、どすんと何かが床に落ちる音がしました。はっと振り向いた一同は、自分の目を疑いました。渦王の足下に海の王妃が倒れています。金の留め金が外れた髪と薄いドレスが水中に広がって、まるでゆらめく青い炎のようです。渦王が、自分にすがりつく王妃を突き飛ばしたのでした。

 

 信じられないように見上げてくる海の王妃に、渦王が言いました。

「今度このような真似をしたら許さない、と二十年前にあなたに言っておいたはずだ、義姉上」

 どなりつけるよりもはるかに恐ろしい、遠雷のようなうなり声でした。

 海の王妃は身を起こすと、泣き顔のまま叫びました。

「それでも……! それでも、私のこの心は変えられません! あなたを愛しているんです、リカルド! 何故わかってくださらないの!?」

 すると、渦王が膝をついて王妃にかがみ込みました。腰の大剣をすらりと抜いて、青い刃を王妃の首元に突きつけます。ひっと王妃は息を飲みました。

「それ以上、何も言わないのが身のためだ、義姉上。あなたが兄上を裏切ることを、わしは絶対に許さない。あなたは海王の妻だ。わしの妻ではない」

 そっけない口調の影に、激しい感情が見え隠れしていました。炎のような怒りです。海の王妃は目を見張りました。他の者たちも、声も出せずにただただそれを見守ります。メールだけが、自分でも気がつかないうちに、父上……とつぶやいていました。

 ふいに、王妃がわっと声を上げて泣き伏しました。少女のように背中を震わせながら泣きじゃくります。

「なぜ……何故、私は渦王の妻になれなかったんでしょう!? あなたが海王に勝ってくだされば、私はあなたの妻になれたのに! あなたが海を駆けてきて海王と戦うたびに、私は期待に胸震わせておりましたのに……!」

 すると、渦王は立ち上がりました。剣を鞘に戻し、冷ややかな目で王妃を眺めます。

「あなたは大きな思い違いをしている。泣けばわしが心動かされるとでも思っているのか? あいにくだが、わしの妻の座はすでに埋まっているのだ」

 王妃がまた顔を上げました。美しい顔をゆがめながら、必死で叫びます。

「でも、フローラはもう、この世にいないではありませんか!! あなたはもう、お一人の身です!!」

 フローラという名前を少年たちは初めて聞きましたが、メールの母親である森の姫のことだと、すぐに想像がつきました。

 すると、渦王が口元を大きくゆがめて笑いました。遠くから近づく雷のような声で、低くこう言います。

「フローラはいない? この世を去った――? とんでもないことだ」

 メールは大きく目を見張ったまま、父親の姿を見つめ続けていました。フルートたちは背筋がそくぞくするのを止められませんでした。前に渦王がこの言い方をした時、島は大嵐に見舞われたのです。

 ついに、渦王は、落ちる雷のような大声を海の王妃にたたきつけました。

「フローラは今でもわしと共にある!! わしの妻は生涯フローラただ一人!! わしがこの世にある限り、その妻の座を、他の女に引き渡すつもりはない!!」

 ごごぉっと音をたてて、大広間の中の海水が渦を巻き始めました。あっという間に大渦巻きが起こり、周囲に立っていた海王の家臣たちを巻き込んでいきます。激しい流れに広間のカーテンがちぎれ、岩の壁が崩れて飛びます。渦王たちだけは、渦の中央に立っていたので巻き込まれることはありませんでしたが、彼らの周囲で渦巻く水は、大広間を壊しながら、窓の外へ、通路の外へと流れ出していきました。多くの海王の家臣や魚たちが、急流に巻き込まれて、城の外へと放り出されていきます。

「父上……」

 メールは信じられない顔のまま、父親を見つめていました。

 すると、渦王がメールを振り返りました。青い目を細めて娘をじっと眺めます。

「これでもまだ、おまえはこの父を信じられないと言うのか? おまえの母は、姿は見えなくなっても、魂はおまえやわしの中に今でも生きて共にいる。そうではないのか?」

「父上……!」

 メールは両手で口をおおいました。海の中では見ることができませんが、その両目からは熱い涙が次々とあふれ出していました。そんなメールに、隣に立っていたゼンが笑顔になり、フルートとポチも優しい目になって眺めました。

 

 ところが、その時、地の底からわき起こるような低い声が聞こえてきました。

「なるほど、これはとんだ誤算だった。噂を当てにするわけにはいかん、ということだな……」

 フルートとゼンとポチは、いっせいに身構えました。聞き覚えのある男の声です。それは床に倒れている王妃のあたりから聞こえていました――。

 彼らの目の前で、青い王妃がみるみる黒く染まり、まったく別の人物に変わり始めました。華奢で美しい王妃の姿は溶けるように消え、黒づくめの服を着た、大きな男の姿になります。その頭に、牛のような大きな二本のねじれ角が現れます。驚く人々の前にそびえるように立ち上がったのは、冷酷な黄色い目をした魔王でした。

 ゼンは即座に弓矢を構えました。渦王とその家臣たちも武器を抜きます。

「おのれ! きさまが魔王か! 義姉上をどうした!?」

 と渦王がどなります。魔王は黄色い目を細めて笑いました。渦王の質問には答えずに、少年たちに目を向けます。

「久しぶりだな、チビの勇者ども。もっとも、フルートだけは、夢で何度もわしに会っていたがな」

 フルートは真っ青でした。魔王の姿を見たとたん、エレボスを見た時のように体が動かなくなって、剣を抜くことさえできなくなっていました。そんなフルートに、魔王がまた笑いました。

「そう、何もせずに見ていることだ。そうすれば、おまえの大事な仲間たちの命くらいは助けることができるだろう」

 とたんに渦王が青い刃の剣をかざして切りかかってきました。

「きさま、義姉上をどうしたと聞いているのだ!?」

「やれ。まったく気の短い王だ」

 魔王は軽く剣をかわすと、渦王に向かって片手を上げました。

「危ないっ!!」

 とゼンとポチは思わず声を上げました。魔王の得意技、魔弾です。黒い魔法の弾が手のひらから飛び出して、渦王目がけて飛んでいきます。

 けれども、とたんに海の水が寄り集まって壁になり、黒い弾を跳ね返しました。渦王が水のバリアを張ったのです。

「ほう。さすがは渦王、大海の西半分を統べる海の王だ」

 と魔王は感心した声を上げ、それから、笑うように続けました。

「王妃は城の自分の部屋で冷たい石に変わっておるわ。お付きの者たちと一緒にな。できるだけ音便に事を進めたかったのだが、こうなっては、そういうわけにもいかんようだ」

「おのれ、よくも!!」

 渦王がまた魔王に切りかかっていきました。ギルマンたち渦王の家臣も、矛や剣をかざして駆けつけていきます。とたんに、魔王は両手を自分の前で交差させ、気合いを込めて、それを外に放ちました。

「はぁぁぁ……っ!!」

 とたんにすべてのものが色を失って、灰色一色になりました。

 海王の城の大広間も、その中に立つ人々も、ギルマンたちも、そして渦王自身も、冷たい石に変わってしまいます。大広間の中を泳いでいた美しい魚たちも、石の彫刻になって床に落ちていきます。大広間は静寂に充たされました。魔王以外、もう何も動くものはありません――。

 

 けれども、次の瞬間、魔王は大きく目を見張りました。

 灰色一色になった世界の中で、たった一カ所だけ、色を留めている所があったのです。

 それは、フルート、ゼン、ポチ、メールの四人の子どもたちと、彼らが乗ってきた戦車がある場所でした。彼らは石に変わってはいませんでした。フルートの鎧の内側から、澄んだ金の光があふれ出して、彼らを包み込んでいます。

 フルートは、とっさに鎧の中からペンダントを引き出しました。金の石はいっそう強く光り輝き、子どもたちを守るように、鮮やかな光を周囲に放ち始めました。

 魔王は顔をしかめました。

「またか。古ぼけた石が無駄なあがきをする」

「この野郎! 渦王を元に戻せ!!」

 とゼンがどなって光の矢を放ちました。水の中ですが、至近距離なので、矢が銛のように魔王へ飛んでいきます。けれども、魔王が片手を上げたとたん、矢は黒い光で破壊され、あっという間に消えていきました。ゼンが思わず歯ぎしりをします。

 すると、メールが金切り声を上げて飛び出しました。

「よくも――よくも父上を――!!」

 短剣をかざして魔王目がけて突進していきます。

「馬鹿! やめろ、メール!!」

 ゼンが仰天して後を追います。

 メールは走りながらわめきました。

「この卑怯者! 父上と正々堂々戦って勝つ自信がないもんだから、こんなだまし討ちをして! 腰抜け! 意気地なし! それで魔王だなんて、聞いてあきれる!!」

 すると、魔王はつまらなそうにメールへ黄色い目を向けました。

「騒々しい娘だな。少しおとなしくしておれ」

 魔王の指先から黒い光が散ったとたん、メールの姿が消えました。今までメールがいた場所に小さな丸いものが現れ、ゆっくり床に落ちてコトリと音をたてます。――それは小さな二枚貝でした。貝の殻はメールの髪と同じ色です。

 

 ゼンが駆け寄って貝を拾い上げました。思わず大声を上げます。

「メール! メールッ……!!」

「ほほう。それはおまえのガールフレンドだったか。それはすまないことをしたな、ゼン」

 と魔王がからかうように言います。

 ゼンは歯ぎしりをしてショートソードを抜きました。魔王に向かって切りかかっていきます。魔王がゼンに手のひらを向けました。黒い魔法がゼンに襲いかかります。

 が、それより一瞬早く、フルートが追いついてきて、ゼンに飛びつきました。ゼンを押し倒し、一緒になって床に転がります。その二人の上で、黒い魔法が砕け散りました。フルートの胸元で輝く金の光が、少年たちを包んで守ったのでした。

 魔王は驚いたような顔をしました。恐怖で動けなくなっていたはずのフルートが、ゼンを助けに駆けつけたのが意外だったのです。すると、フルートが顔を上げました。その顔色は真っ青でしたが、二つの目は強い光をたたえて魔王をにらみつけていました。

 魔王はわずかに身を引くと、ふん、とつぶやきました。

「急がねばならんな。きさまたちの相手は、また改めてしてやろう。今はなすべきことをなさねばならん」

 そう言うと、魔王は目の前で石になっている渦王をひっかかえ、大きな声で呼びました。

「来い、エレボス!」

 とたんに、外から窓を壊して、城の大広間に黒いものが入りこんできました。巨大な黒い水の蛇――エレボスです。

 エレボスの姿を見たとたん、またフルートの全身を恐怖が駆け抜けました。体も心も硬直してしまって、身動きがとれなくなります。が、そのフルートの下でゼンがうめいて身動きしたとたん、呪縛が解けました。フルートは跳ね起きると、背中から炎の剣を抜きました。まっすぐエレボスに切りかかっていこうとします。

 そこへ魔王の魔弾が飛んできました。また金の石の光が広がって、黒い魔法を砕きます。けれども、その隙に魔王は渦王を抱えたままエレボスに飛び乗り、ふわりと水中に浮かび上がっていました。

「仕切り直しだ。おまえたちは、わしが完璧になってから相手をしてやる。それまで待っておれ!」

 そう言い残すなり、魔王はエレボスと共に城の大広間から飛び出していきました。巨大な蛇の体が柱や窓を壊し、大小の岩が城の外へ崩れ落ちていきます。

「待て!!」

 フルートは窓に駆け寄りましたが、黒い水蛇は海の彼方へ泳ぎ去って、姿を消してしまいました――。

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