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第3巻「謎の海の戦い」

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42.海の王妃

 「気になる? 何が?」

 海の上を走る戦車の上で、ゼンがフルートに尋ねました。フルートは座りこむと、子犬の姿で空から戻ったポチに携帯食を食べさせ、自分自身も同じものをかじりながら話し始めました。

「今回の、この遠征だよ。ぼくたちが渦王の島にたどりついて、誤解を解くために海王の城に向かおうとしたら、とたんに海王のお妃から、海王救出のために力を貸してほしい、って申し出があっただろう? タイミング良すぎる気がする、って話したじゃないか」

「ああ。だから、東と西の軍勢を正面衝突させるために、魔王が偽の呼び出しをかけたんじゃないか、って思わず考えたんだよな」

とゼンが答えます。

 フルートは、戦車のすぐわきを並んで泳いでいるマグロを示しました。

「そのことについて、聞いてみたんだ。今回の西への出動要請が、本当に海王のお妃さまから出ているのかどうか」

 海王のお妃、と聞いて、なんとなくメールは胸に重くのしかかるものを感じていました。さっき思い出していた、青い貴婦人のことです。

「で? 実は王妃が出した命令じゃなかったとか? 声だけが命じてきて、王妃の姿はそこにはなかった、とか言うのか?」 とゼンが聞くと、フルートは首を横に振りました。

「確かに今回の要請命令は海の王妃が出したものだった。このマグロくんも、直接王妃を見て、それを聞いていたんだ。そうだよね?」

 とフルートに振り返られて、マグロはうなずきました。

「はい。海王の城の大広間に、私や、お使いの魚たちが呼ばれて、その前で王妃様が命じられたのです。今までのことはすべて誤解であった、海王様を捉えているのは渦王ではなく、まったく別の謎の敵であった、とおっしゃって、渦王に謝罪かたがた協力を願う手紙を書いた、とお使いの魚に手紙を渡されました。私は何も命じられませんでしたが、渦王の軍勢と共に金の石の勇者の一行も来てくれるだろう、と王妃様がおっしゃっていたので、一足先に勇者様をお出迎えに、と思って、お使いとは別に出てきていたのです」

「それだよ」

 とフルートは言いました。マグロや他の仲間たちには、何が「それ」なのかわかりません。すると、フルートが続けて言いました。

「海の王妃はどうしてぼくたちが渦王のところにいるって知っていたんだろう? ぼくたちは、トンネルの中で急流にあって、マグロくんとはぐれてしまった。その後、ぼくたちがどこへ向かったのか、王妃様は知らなかったはずなのに」

 すると、マグロが答えました。

「波の馬が海王の城に戻ってきて伝えたのです。勇者様を渦王の島まで送り届けた、と。ですから、城のものは皆、勇者様たちが渦王の元にいることを知っておりました」

「それじゃ、もうひとつ」

 とフルートは言いました。

「王妃様はお使いの魚に手紙を渦王の元へ届けるように命令した。だけど――どうして、王妃様はなぞなぞの呪いにかかっていなかったんだろう?」

 

 ゼンとポチとメールは、思わずあっけにとられてフルートを見ました。マグロも愕然とします。

 重ねるように、フルートが言いました。

「東の大海に住むもので、ことばが話せるものはみんな、なぞなぞしか言えない呪いにかかったはずだよね? 城のものたちも、全員呪いにかかったんだろう? どうして、王妃様だけは無事で、普通のことばがしゃべれたんだろうか?」

「ワン、でも――」

 とポチが口をはさんできました。

「確か、波の馬が話していましたよね。みんなが呪いにかけられた後、海王が『今度という今度は渦王を許さない』と言って怒っていた、って。海王も呪いにはかからないで、普通のことばをしゃべっていたわけだから、海の王妃も、海王の魔力か、自分自身の魔力で呪いを跳ね返していたんじゃないですか?」

 フルートはうなずきました。

「それは充分に考えられるよね。じゃ、三つ目の疑問だ。――呪いを跳ね返して普通のことばが話せていたはずなのに、海の王妃が天空の国に助けを求めようとしなかったのは、何故なんだろうか?」

 聞いているものたちは、また目をぱちくりさせました。

 フルートは立ち上がると、今度は戦車の縁に腰を下ろしました。海の上を渡る風が、兜の奥の金髪を吹き乱します。

「東の大海になぞなぞの呪いがかかったと聞いた時、ぼくは、東のものたちに助けを呼ばせないために、そうしたんじゃないかと思った。泉の長老も、そうかもしれない、って言っていた――」

 とフルートは何かをたどるように、はっきりした口調で話し始めました。

「呪いをまぬがれたのは、海王のお使いで東の大海を離れていたマグロくんだけだった。海王も確かに呪いを跳ね返していたようだけれど、すぐにさらわれて行方不明になってしまった。それで、マグロくんは、天空の国に助けを求めて、天空王から、泉の長老のところへ行ってぼくたちを呼ぶようにと教えてもらった。だけど――ねえ、これって、普通は王妃がするべきことだと思わないかい? いや、王妃でなくてもいいんだけれどさ、王族にまともにことばがしゃべれるものがいたら、その人はすぐに天空王を思い出して、絶対に助けを求めるはずだと思うんだ」

 そして、フルートは一同を見回すと、確かめるように言いました。

「王妃は、ことばがしゃべれたのに、どうして天空王に助けを求めなかったんだろう? それから、もうひとつ。いくら誤解が解けたからと言って、ずっと敵対していたはずの渦王に、こんなにあっさり救援を要請してきたのは何故なんだろう? ……不自然だよね。なんだかしっくり来ないんだ」

 

 仲間たちはしばらく何も言えなくて、呆然とフルートを見上げていました。考え深いまなざしで、目には見えない何かを追いかけているフルートは、悩んでいる時とも、勇敢に敵と戦っている時とも、また違った表情を見せていました。

 やがて、ゼンが口を開きました。

「おい、ってことは、今回の一件は海の王妃が――」

 フルートはすぐに片手を上げてそれをさえぎりました。

「その結論を出すのはまだ早すぎるよ。もう少し、確かめなくちゃならないことがあるんだ」

 そして、フルートは今度はメールを見ました。

「ぼくたちがどんなに渦王はいいお父さんだと言っても、君は信じようとしないよね。確かに、人魚たちは渦王についてひどいことばかり言っていたけど、それを鵜呑みにするほど君は馬鹿じゃないと思う。何か他にもあるんだよね? お父さんが信じられなくなるような、何かが。それはいったい何なの? ――海の王妃に関係するようなことじゃないのかい?」

 フルートの青い瞳が、メールの瞳の中をじっとのぞき込みました。同じ青でも、メールの瞳は深い海の色、フルートの瞳は、よく晴れ渡った青空を思わせる色です。メールはふいに、何もかもをフルートに見透かされているような気分になって、うろたえて目を伏せてしまいました。色合いは違うのに、何故か死んだ母のまなざしを思い出しました。

「……宝石箱さ」

 長い沈黙の後、メールがやっと言いました。けれども、それきりまた黙ってしまったので、ゼンが促しました。

「宝石箱? それがどうしたんだよ」

 メールは重い口を開いて話し出しました。

「母上が一番大事にしていた宝石箱があったんだよ……。蓋には砕いた貝と真珠で森の絵を描いてあって、いつも鍵のついた飾り棚の一番奥にしまってあった。あたいがどんなに母上に頼んでも、さわらせてもらうこともできなかったんだよ……」

 ふうっとメールはため息をつきました。

「母上が死んでからは、その宝石箱はずっと父上の部屋にあった。それで、あたい、父上が遠征に出かけている間に、こっそりその箱の中を見てみたのさ。……中に入っていたのは、たった二つのものだった。金と真珠で作った腕輪と、姿絵さ。腕輪には名前が彫ってあったけど、それは、母上の名前じゃなかった。青い貴婦人――海の王妃の名前だったのさ。そして、姿絵も、やっぱり海の王妃を描いたものだったんだよ」

 メールは、きっと顔を上げると、フルートに向かって挑むように笑って見せました。

「これって、いったいどういうことだろうね? 母上が大切にしていたはずの宝石箱の中に入っていたのは、かつて父上が愛した女性の腕輪と姿絵。母上がそんなものを自分で箱に入れてたはずはない。父上が後からしまったんだ。ねえ、何が本当のことなんだろ? 父上が本当に、ずっと心から愛してきていた人は、いったい誰!? 母上は、ずっと父上を信じて、父上が遠征に出るたびに信じて城で待ち続けていたのに! いつも、いつまでも、父上を待ち続けていたのに――!!」

 ふいに、メールの両目からどっと涙があふれました。それを拳でむやみにぬぐいながら、メールは叫び続けました。

「偉大な海の王が聞いてあきれるよ! 何が公正で立派な王だ! ずっと母上をだまして、ほったらかしにしてきたくせに! 自分は何十年も、別の男の妻になった女性を忘れられないでいるくせに! 母上が死んだのは父上のせいさ! 父上が気苦労をかけすぎたんだよ――!!」

 とうとうメールは拳を目に押し当てて、声を上げながら泣き出してしまいました。

 

 フルートは目を丸くして困惑していました。メールを問いただしはしましたが、まさか、こんなふうに泣き出されてしまうとは思わなかったのです。助けを求めるようにゼンを見ると、ゼンはやれやれ、と言うように肩をすくめました。ちょっと考え込んでからメールに話しかけます。

「へぇ、鬼姫の目にも涙か。めったにお目にかかれない見物だな」

 からかうような口調です。とたんに、メールは、かっと顔を上げました。

「な、泣いてなんかいるもんかい――!!」

 けれども、その顔は涙でぐしょぐしょです。ゼンは、にやっと笑いました。

「そうかぁ? どう見ても、目から出てるそれは涙に見えるぞ? そうしてると、けっこう女らしく見えるぜ。いつも涙を浮かべていろよ。そうすりゃ、慰めようとして男どもが大勢集まってくるから」

「か――からかうのもいいかげんにしなよ!」

 メールは握った拳をゼンに力任せに突き出しました。本気で怒っています。ゼンは軽くそれを受け止めると、メールが泣きやんだのを見て、またにやりとしました。

「それで良し。ポポロじゃないんだ。おまえに涙はあんまり似合わないぜ」

 メールは思わず目を見張ると、ゼンの手を振り切ってにらみつけました。

「ゼン、あんたって、本当に意地悪だね!」

「悪いな。俺はフルートみたいに優しくないんだよ」

 とゼンが涼しい顔で答えます。

 その優しいフルートは、すまなそうな顔でメールにこう言っていました。

「つらいことを思い出させてごめんね……だけど、大事なことだったんだ。渦王が海の王妃をどう思っているのか、確かめなくちゃならなかったんだよ」

 メールがまた泣き出しそうに唇を震わせましたが、ゼンを見ると、たちまち涙をこらえて、ふん、と顔をそらしました。そんなメールに、ゼンがそっと笑います。

 フルートは話し続けました。

「渦王はたぶん、今でも海の王妃を嫌いではないんだと思う。どのくらい好きなのかとか、そういうのは、ぼくたちにはわからないけれど。でも、海の王妃から助けを求められたら、やっぱり渦王は出動せずにはいられないんだろうと思う。――魔王は、それを狙ったんじゃないかな?」

 仲間たちは、またはっとして、まじまじとフルートを見つめてしまいました。フルートはうなずきました。

「魔王は巧妙だ。人の心の一番弱いところを狙って攻めてくる……。海の王妃から要請されれば絶対に渦王が出てくると知っていて、それで、渦王の軍を海王の城に呼び寄せたんじゃないだろうか?」

 一同は声が出せません。フルートが言ったことを、必死に頭の中で反すうして、理解しようとします。

 真っ先に声を上げたのはマグロでした。

「ですが! それでは、王妃様が我々を裏切っているということになります! そんな――そんな馬鹿な!!」

 フルートはじっと大きな魚を見つめました。

「それじゃ、王妃が天空の国に助けを求めなかったのはどうしてだろう? 君がすでに助けを呼んでいたことを、王妃が知っていたわけじゃないんだろう? そもそも、なぞなぞの呪いがかけられた時、王妃はいったいどこにいたの?」

 マグロは驚いてフルートを見つめ返し、やがて、低い声で答えました。

「お会いしていません……ずっと、王妃様にはお会いできませんでした。私は、城に戻って、呪いや海王様の行方がわからないことを知ったとたん、すぐに城を飛び出して天空の国に呼びかけましたから。王妃様はそのとき、城の大広間にいらっしゃらなかったのです。ですが――」

「もし、王妃が普通の状態だったら、君が城に戻る前に、絶対に助けを呼んでいたよね。王をさらわれた時点で、すぐに思いつくはずだ。でも、王妃はそうしなかった。それから、もうひとつ疑問だ。王妃は、どうやって海王が捉えられている場所を知ったの? 君たち海のものたちで、ことばを話せるものは、君以外みんななぞなぞしか言えなくなっているはずだろう? そのものたちに、王妃はどうやって王を探す命令を出して、その答えを知ることができたの? すごく難しいことだと思うよ」

「ってことは――海王のお妃が魔王とぐるになってる、ってことか? そんなのって、ありかよ!」

 とゼンがあきれた声を上げました。フルートは考え深い目を向けました。

「心を奪われて、操られてるのかもしれないよ。天空の国で魔王に操られていたポポロのお母さんみたいに。マグロくん、王妃様の首には黒い石のついた首輪がなかった?」

 天空の民を操っていた闇の石の首輪のことです。けれども、マグロはそこまではよく覚えていませんでした。

 

 ふいにメールが立ち上がりました。真っ青です。

「それじゃ……それじゃ、父上は……」

 フルートはまたうなずきました。真剣な表情です。

「魔王にはめられたんだ。魔王の目的は、この海すべてを支配すること。渦王を海王の城におびき寄せて、そこで渦王を倒すつもりでいるんだ」

 メールが悲鳴を上げました。海面でマグロが大きく飛び跳ねます。

「私を戦車につけてください! 早く! 一刻も早く、渦王の軍に追いつかなくては!!」

 戦車の動きがあわただしくなりました。マグロがカジキたちと共に、精一杯戦車をひき始めます。ポチが風の犬に変身して、行く手に渦王の軍が見えないか、何度も偵察に出かけます。フルートとゼンは難しい顔で何かを話し合い、それぞれに自分の武器を確認します。

 メールは青ざめて座りこんでいました。自分の短剣を握りしめ、行く手の海をにらみつけています。その瞳から、ふいに大粒の涙が転がり落ちました。

「ちくしょう!」

 メールは一言、そうつぶやきました。

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