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第3巻「謎の海の戦い」

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第10章 夜の海

38.月夜

 子どもたちを乗せた戦車を、マグロと三匹のカジキが引いていきます。戦車が海の中を飛ぶように進んでいきます。やがて、戦車は海流に出会い、その流れに乗りました。けれども、彼らが戦っている間に、渦王の軍勢はずっと先まで進んでしまっていました。

 海の上に夕暮れが訪れているようでした。海面から差してくる光がほの赤く染まっています。

 マグロが言いました。

「渦王の軍隊はこのまま海流に乗っていって、海王様の城に近いところで流れから抜け出すはずです。その場所は私が存じております。このまま海流に乗って進んでいきましょう。明日の朝までには軍隊に追いつけるはずです」

「渦王の軍も君も、眠らなくて大丈夫なの?」

 とフルートが尋ねると、マグロが笑いました。

「私たちは泳ぎながら眠るんです。特に、海流の中なら寝ていてもひとりでに運んでもらえますからね。勇者様たちもお休みになったほうが良いですよ。戦いはこれからですから」

 やがて、海上はすっかり日が暮れたようで、海の中が暗くなりました。その中を戦車は流れに乗って進み続けます。

 見上げた海面に銀の光が輝きだしたのを見て、ゼンが言いました。

「お、月が出たな。マグロ、海面に出てくれないか? 飯にしたいんだ」

 そこで、魚たちは浮上しました。そのあたりでは海流も海面近くを流れていて、すごい勢いで戦車を運んでいきます。満月を過ぎた明るい丸い月が戦車を照らし、涼しい夜風が子どもたちのかたわらを吹きすぎます。

「うーん、やっぱり俺たちはこっちの方がいいな!」

 とゼンが大きく伸びをしました。フルートとポチも、思わず深呼吸をしていました。肺いっぱいに空気を吸い込めることが快感でした。

 夕食は、出発の時に配られた携帯食でした。城の台所で料理人たちが必死で作っていたものです。海藻と魚の肉を練り合わせたような食べ物で、初めて口にするフルートたちにも案外おいしく感じられました。マグロとカジキも一緒にそれをわけてもらいました。本来、彼らは海中の魚を捕まえて食べるのですが、今は先を急ぐので、餌を捕っている暇がなかったのです。

 

 月は東の空から海面を照らしていました。波の動きに月の影が何万にも砕け、きらきらと波間に揺れて見えます。子どもたちが海上を喜んだので、食事がすんだ後も、戦車は海の上を進み続けていました。

 やがて、彼らは交代で休息をとることにしました。最初にゼンが見張りに立ちます。フルートはポチを腕に抱くと、戦車の中に横になって、あっという間に眠ってしまいました。――戦士はどこででもすぐ寝られなくてはいけません。フルートもだいぶ戦士らしくなってきた、ということのようでした。ポチもすぐに寝息を立て始めます。

 けれども、メールだけはしばらく戦車の中に座ったまま、黙って夜の景色を眺めていました。そのうちにひときわ強い風が吹いてきて、長い髪を乱しました。メールはうるさそうな声を上げると、どこからか金の櫛を取りだして髪をすき、後ろ手に束ねて紐で結い上げました。緑の髪が月の光を返して、銀の粉を振ったように輝いています。

 その様子をじっと見ていたゼンが、口を開いて言いました。

「おまえって、本当に綺麗だよな」

 メールはとても面食らった顔になると、すぐに、うさんくさそうにゼンを見上げました。

「なんだい、急にほめたりして……気味悪いね」

「おかしいか? 俺だって、綺麗かそうでないかくらいはわかるぞ。綺麗なものは綺麗なんだよ」

 ゼンが大まじめでそんなことを言うので、メールはますますとまどった顔になりました。日中、あれほどぽんぽん言い合ってきたのに、こんな風に言われるとなんだか調子が狂って、逆に何も言えなくなってしまいます。

 すると、ゼンが海面に目を向けました。何万もの月がきらめきになって波間に揺れています。

「この海も綺麗だよな。そう思いながら、ずっと見てた。俺が住む北の山脈の森も綺麗だぜ。春夏秋冬、季節ごとに違う顔を見せて、それぞれがやっぱり綺麗なんだ」

 遠い目は、記憶の彼方の自分の森をじっと見つめているようでした。

 

 そんなゼンを見上げていたメールが、やがて、こんなことを言い出しました。

「あんた、人間の血が混じってるって言ってたよね。ドワーフのくせに地面の中より森が好きなのは、そのせいなのかい?」

 ゼンはメールを振り返りました。面白そうな顔で見返します。

「そんなふうに考えたことはなかったな。うーん? 多分、関係ないとは思うけどな。俺んちは、親父もじいちゃんも猟師なんだ。猟師ならみんな、自分の森を愛してるもんなのさ」

 愛してる、ということばに、メールはなんとなくどきりとすると、あわててことばを続けました。

「でも、でもさ、他のヤツと違ったことをしていて、気にならなかったのかい? ドワーフなんだから地面を掘らなくちゃいけない、とか……考えなかったの?」

 ゼンは、はっきりと面白そうな顔になってメールを見つめました。

「おまえは考えたんだな。他の海の民と同じことをしなくちゃいけないって」

 単刀直入に言われて、メールは、かっと赤くなりました。

「思っちゃいけないかい! あたいは渦王の娘だよ。海の民らしくありたいと思うじゃないか。ただでさえ、あたいはこんな緑の髪なんだし」

「だから、それが綺麗だって言ってるんじゃないか」

 とゼンが言いました。あまりにもストレートな言い方に、メールはまた面食らって、何も言えなくなってしまいました。怒りとは別の感情で、顔が真っ赤に染まります。

 ゼンが静かに言いました。

「いいじゃないか、髪が緑だろうが青だろうが。海にいたって、その髪はすごく綺麗だぜ。別に気にすることないじゃないか――」

 けれども、ふいにゼンは何かを思い出した顔になると、小さく吹き出しました。

「なぁんてな。今は偉そうなこと言ってるけど、ホントは俺も昔は気にしてたんだよな。自分の髪や目が他のヤツより黒いってこと」

 メールは目を丸くしました。

「他の人はどんな色なのさ?」

「ドワーフの髪は赤いんだ。目ももっと薄い茶色だな。俺は、人間だったおふくろが黒髪で黒い目をしていたらしいんだ」

「らしい? わからないの?」

「ああ。おふくろは俺を生んで間もなく死んじまったからな。顔も覚えてないんだ」

 メールは、またまじまじとゼンを見つめてしまいました。しばらく考えてから、尋ねます。

「あんた、恨まなかったの? 自分の親を」

「恨まなかったと思うか?」

 とゼンが面白がるように聞き返します。メールは黙って首を横に振りました。

 ゼンは短い笑い声を上げると、腕を組んで戦車の車体に寄りかかりました。夜風が彼らの間を吹きすぎていきます。

「ほんと、お互い、その辺のことはわかっちまうよな。親が悪いわけじゃないと頭ではわかっているつもりでも、いじめられたり、からかわれたりすりゃ、腹も立てば親を恨みたくもなるんだよなぁ。なんで違う種族同士で結婚したりしたんだ、ドワーフ同士の親なら、こんな想いもしないですんだのに、ってな」

 メールは何も言いませんでしたが、じっと戦車の床に向けた目が、ゼンと同じ想いを見つめていました。

 

 すると、ゼンがまた笑いました。

「でも、俺には親父とじいちゃんがいたからな。そんなふうに言うと、いつもすぐにぶっ飛ばされた。ドワーフかどうかは他人が決めることじゃない。自分の心が決めるんだ、ってどなられてな。血筋がどうだって、自分がドワーフだと誇りを持ってれば、やっぱりドワーフなんだ――って、それこそ、耳にタコができるくらい聞かされたもんだ。親父とじいちゃんも、やっぱり人間の血を引いてるから、子どもの頃には俺と同じような目にあっていたらしいんだな」

 メールはまた、まじまじとゼンを見つめ、それからあきれたように言いました。

「それなのに、どうしてまた人間と結婚する気になったわけ? あんたのお父さんは。子どもが自分と同じ目にあうだろうって考えなかったの? 無責任じゃないか!」

 ゼンもストレートですが、メールの物言いもなかなかストレートで歯に衣着せません。ゼンは肩をすくめました。

「さぁな。なんでも、俺のおふくろが、熊から助けてくれた親父に一目惚れして、ドワーフの洞窟まで押しかけて女房になったって話なんだが、本当のところどうだったのかは、俺は知らない。何しろ、俺が生まれる前のことだからな。親父自身はどっちかって言うと人間嫌いなほうだ。ていうか、ドワーフ全体が人間を好いていないんだ。人間はずる賢くて、俺たちをだまして利用することばかり考えているからな。俺もずっと人間をそんなふうに思ってたし、だから、俺の中に人間の血が流れているのも、あまり嬉しくなかったんだ」

「今は違うんだ」

 とメールがゼンを見ながら言いました。小柄なはずのゼンが、その位置から見上げると、妙に大きく目に映ります。

 すると、ゼンはまた笑って、彼らのすぐわきで寝ているフルートを目で示しました。

「そいつと出会ったからだよ……。そいつは、筋金入りのお人好しさ。人間だろうがドワーフだろうが魚だろうが、誰か危険な目にあって困っているヤツがいると、自分のことも考えないで助けに飛び込んでいっちまうんだ。俺たちの洞窟では、グラージゾっていう馬鹿でかい毒虫と戦ったんだよ。仲間でも友だちでもないドワーフのためにな。ああ、人間にもこんなヤツがいるんだ、って思ったぜ。その時からずっと、こいつと一緒に冒険して闇の敵と戦ってるけどな、なんか、こいつを見てると、自分に人間の血が流れてるのも悪くないかもしれない、って気分になってくるのさ」

 

 メールは、何も言えなくなって、横たわるフルートを見つめてしまいました。フルートは相変わらずポチを抱いたまま眠り続けています。厳めしい鎧兜からのぞく寝顔は少女のように優しく穏やかです。

 それをしばらく眺めてから、メールは口を開きました。

「ほんと、変なヤツだよね……。こんな顔してるし、小さいし、しょっちゅう泣いたり悩んだりしてるくせに、誰かが危なくなると信じられないくらい強くなるんだもん。こんな変なヤツ、今まで見たことないよ」

「ま、それがフルートだな」

 とゼンは答えましたが、少女がまだフルートを見つめ続けているのに気がつくと、肩をすくめて言いました。

「そいつには惚れるなよ、メール」

 メールはびっくりしたようにゼンを見ると、たちまち顔を真っ赤にしました。

「馬鹿なこと言わないでよ! なんであたいがこんなヤツに――」

「そいつにはもう、好きな子がいるんだよ」

 とゼンがさらりと答えます。メールは一瞬ことばに詰まると、自分でも気がつかないうちに声を低めて尋ねていました。

「それって、誰さ……?」

「ポポロって子さ。天空の国の魔法使いで、俺たちのもう一人の仲間だ」

 とゼンは言って、夜空を見上げました。空の隅から隅まで見渡しても、今は天空の国はどこにも見あたりません……。

「フルートは何も言わないけどな、でも、見てりゃ、それくらいわかるんだよ」

 メールはまたしばらくの間、何も言えずにいましたが、やがて、また低い声で尋ねてきました。

「そのポポロって子、どんな子なの?」

 そんなメールを見て、ゼンは、にやっと笑いました。

「かわいい子だぜ。赤い髪に、宝石みたいな緑の目をしてる。着てる服はいつも黒だ。魔法使いだからな。でも、美人という点では、おまえの方がだんぜん上だな」

 メールは目をまん丸にすると、また真っ赤になって言い返しました。

「そ、そんなこと聞いてないじゃないか、馬鹿っ!」

 しーっ、とゼンが口に指を当てて見せました。今の声でフルートたちが目を覚まさなかったのを確かめてから、話し続けます。

「まあ、いろんな面でおまえとは対照的だな。ポポロは引っ込み思案で、ものすごい泣き虫だし」

「泣き虫? 勇者の仲間なのに?」

「ああ、すごいぜ。何かっていうと、すぐに泣くんだ。怖いって言っちゃ泣き、心配だって言っちゃ泣き、嬉しければ嬉しいでまた泣くんだ。風の犬の戦いの時には、ほんと、ずいぶん困らされたぜ」

 メールはすっかりあきれた顔になりました。

「その子、そんなんで戦えるわけ?」

 すると、ゼンはまたにやっとしました。

「それが戦えるんだな。一日に一度だけなんだが、ポポロはものすごい魔法を使えるんだ。ドラゴンのエレボスを一瞬で凍らせたこともある。すごすぎて、周りの俺たちまで巻き込んじまうほどさ」

 メールはまた、寝ているフルートをつくづく見つめてしまいました。

「フルートって、そういうのが趣味なんだ……」

 とあきれきった声でつぶやきます。

 ゼンはまた笑いました。

「ポポロは、いつでも一生懸命だからな。泣いてばかりいるくせに、俺たちが危なくなると、必死で助けようとするんだ。自分は傷だらけになってもな。そういう子なんだよ」

 そして、ゼンも親友に目を向けました。

「本当は、誰よりもこいつがポポロに会いたがってるんだ。だけど、呼べば魔王との戦いに巻き込んじまうと思って、どうしても呼べないでいる。ホント、馬鹿だよな。ポポロを呼べって言われると、いつだってこいつ、泣きそうになるんだ――」

 そして、ゼンは腕組みしたまま、空を見上げて短いため息をつきました。

 メールは口をつぐみました。不思議な感情が胸の奥にあります。見たことも会ったこともない魔法使いの少女。少年たちから本気で慕われ、思いやられている彼女を、うらやましい、ねたましいと思ってしまう気持ちでした……。

 

 ところが、その時、戦車を引いて泳いでいたマグロが、突然声を上げました。

「勇者様! 勇者様、大変です!」

 それと同時に、ポチも跳ね起きて吠え出しました。

「ワンワンワン……! 血だ! 血の匂いがしますよ!」

 ゼンとメールは驚き、フルートも即座に目を覚まして飛び起きました。先を行くマグロがまたどなりました。

「勇者様! あれを見てください――!」

 子どもたちは行く手に目をこらし、波間に漂うものを見てぎょっとしました。メールが思わず悲鳴を上げます。

 月の光に照らされた海に浮かんでいたのは、数え切れないほどの死体でした……。

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