フルートは、海底に落ちると、すぐさま跳ね起きて駆け出しました。駆け寄ってくるゼンとポチの目の前を素通りして、全速力で走ります。その先には、傷つき血を流したマグロが倒れていました。
「マグロくん!」
フルートは首から金の石のペンダントを外しました。マグロはエレボスに内臓まで食い破られて、ほとんど死にかけていましたが、それでも、まだかすかにエラを動かし続けていました。フルートはマグロに金の石を押し当てると、祈るような気持ちで見守りました。
間に合いました。見る間に傷ついた内臓や骨や肉が再生されて元の形に戻り、黒い皮膚がその上をおおいます。細かいウロコが皮膚に重なり、大小のひれが復活してきます。エラが大きく二、三度動いたと思うと、マグロは突然海底から跳ね起きました。あたりをすごい勢いでぐるりと泳ぎ回ると、またフルートの元へ戻ってきました。
「ありがとうございます、勇者様! おかげで助かりました!」
そこへ、ようやくゼンとポチもやってきました。ゼンがフルートの顔をのぞき込みます。
「おまえ――」
もう大丈夫なのか、と尋ねようとして、フルートがまだ真っ青な顔をしているのを見て、ゼンは思わずことばを飲みました。とても大丈夫そうには見えません。
すると、フルートはその場に座りこみ、全身の力が抜けてしまったように、ぐったりと鎧の膝の間に頭をたれました。手にはまだ抜き身の剣を握ったままです。
「今度こそ、本当にだめかと思った……」
と低い声でつぶやきます。自分自身のことではありません。フルートが恐れているのは、いつだって、仲間たちの命のことなのです。ゼンとポチは何も言えなくなってしまいました。
すると、そこへメールがやってきました。魚のように、とまではいきませんが、鎧を身につけたまま、巧みに泳ぎ寄ってきます。緑の長い髪が水中に海藻のようになびきます。
「おう、無事だったな」
とゼンが言うと、突然メールがそれにくってかかりました。
「なんなのさ、あんたはホントに! あたいにやらせて、って言ったじゃないか! なのにあたいのことを突き飛ばしたりして!」
エレボスに追われる戦車から、ゼンがメールを追い出したことを怒っているのでした。ゼンは肩をすくめました。
「しょうがないだろう。ふたりも乗っていたんじゃ戦車が重くて走らなかったんだから」
「冗談じゃない、ちゃんとわかってるよ! あたいが弱いからだろ! だから、あんたは、あたいをかばったんだ! 馬鹿にするんじゃないよ! あたいだって、ちゃんと戦えたんだ! それを――」
「頭抱えて悲鳴を上げてたのは誰だ?」
とゼンはからかうように言い、それからまじめな顔になりました。
「メール、おまえ、本当に自分がちゃんと戦えたと思ってるのか? 意気込みや意地だけで勝てるほど、戦いは甘くないぞ。まして相手はエレボスだ。俺だって、マグロが駆けつけてくれなかったら、今頃は死んでたさ」
メールは一瞬ことばに詰まりました。ゼンが戦う様子は海底からずっと眺めていました。確かに、メールさえ、何度もゼンはもうだめだと思ってしまったのです。
けれども、次の瞬間、少女は青い目に持ち前の負けん気をひらめかせました。
「あたいは海の民だ。海の一族は勇敢なのさ! 戦って死ぬことを怖がったりするようなヤツはいないんだよ!」
ゼンは目をむきました。馬鹿か、おまえは! と言おうとすると、すっかり元気になったマグロが、ひれを震わせながら口をはさんできました。
「その通りです、海の王女様。私だって自分の命を惜しいとは思っておりません。勇者様たちをお守りするためなら、何度でも、またこの命を捨てて見せます」
マグロの声は大まじめでした。ゼンとポチはあっけにとられてしまいました。メールだけが当然のことのようにそれにうなずきました。
すると、座っていたフルートが、突然どん、と海底をたたきつけました。拳の下から、砂が煙のように舞い上がります。皆がびっくりして振り向くと、フルートが顔を上げました。――その瞳は、これまで見たことがなかったほどはっきりと、強い怒りの色を浮かべていました。
「馬鹿を……馬鹿を言うな!!」
とフルートはあえぎながらマグロとメールに向かってどなりました。
「ぼくたちは、君たちのために戦ってるんだ! 君たちが死んで、どうするのさ! ぼくはマグロくんをもう一度死なせるために助けたわけじゃない! 死ぬのは偉いことでもなんでもない! 戦って死ぬのが名誉だなんて、そんな馬鹿な! 死んじゃだめだ。生きなくちゃ、だめなんだよ!!」
一同は、ぽかんとフルートを見つめてしまいました。こんなに怒りをあらわにしたフルートの姿は初めてです。
すると、フルートは海底にたたきつけた拳を震わせて、突然ぱっと立ち上がりました。すぐ近くに立っていたゼンに向かって殴りかかっていきます。
「おい」
とっさにその拳を片手で受け止めて、ゼンが目を丸くしました。いったいどうしたんだ、と表情で尋ねます。
フルートはゼンの目をまっすぐに見ました。
「死なせない。絶対に、もう誰も死なせない。魔王にもエレボスにも、君たちを渡したりするもんか。絶対に――絶対に、負けるもんか!」
親友にたたきつけた拳に万感を込めて、そう言い切ります。 ゼンはさらに目を丸くすると、ふいに、にやりと笑いました。
「おう、そう来なくちゃな――。安心しろ、俺たちだって殺されたりするもんか。魔王とエレボスを倒して、この東の大海を解放してやる」
ワンワン、と足下でポチが吠えました。
「ぼくだって、やりますよ。海中ではあまり力にならないけど、魔王たちが海の上に出たら、ぼくにだって戦い方はあるんです!」
フルートはうなずき、拳を引くと、海底から炎の剣を拾い上げました。それを鞘に戻して、黒い水蛇が去っていった方向を見ます。
「一度逃げても、あいつは絶対またやってくる。魔王も、この海を手に入れるまではあきらめるようなやつじゃない。必ず、また仕掛けてくる。メールは戦車がなくなったから、みんなでひとつの戦車に乗るしかないな。マグロくん、君、カジキたちと一緒に戦車を引けるかい? ぼくたちは、海王の城の方向もわからないんだ」
「喜んでご案内します」
とマグロはていねいに答えました。フルートから「死ぬのは偉くも何ともない」と言われたことに、何か感じることがあったようで、予備の引き綱で戦車につながれる間中、ずっと神妙な様子をしていました。
メールもおとなしく戦車に乗り込みましたが、わきにフルートが立つと、その顔をまじまじと見つめました。
「ホントに、あんたってば、強いんだか弱いんだか、勇敢なんだか臆病なんだか、さっぱりわかんないね」
「ぼくにもよくわからないよ」
とフルートは答えました。さっきまで恐怖と不安で真っ青になっていた顔が、今は毅然と前だけを見つめています。
「だけど、みんなを死なせたくないって気持ちだけは本物さ。だから、ぼくは精一杯それをやるだけなんだ」
メールはそれを聞いて、思わず肩をすくめました。
フルートは手綱を握って、仲間たちに呼びかけました。
「行くよ! めざすは海王の城だ。渦王の軍隊に追いつかなくちゃ」
戦車の上で、ゼンとポチとメールがうなずきます。手綱を引くと、マグロと三匹のカジキたちは飛ぶような速さで泳ぎ出し、戦車は再び海の中を走り始めました――。