日差しが強くなってきた中、海から島へ風が吹き始めました。
いつの間に現れたのか、コロシアムの観客席に一人の男が立って、抱き合う少年たちを見つめていました。青い髪に青いひげ、金の冠の立派な人物です。
ポチがそれに気がついて振り返りました。
「ワン、渦王様」
フルートとゼンも顔を上げてそちらを見ました。
渦王は少年たちに近づいてくると、穏やかに話しかけてきました。
「どうやら仲直りできたようだな。……本当にすまないことをしたな、金の石の勇者。まさか、あのような誤解を生んでいるとは思わなかったのだ。本当につらい思いをさせてしまった」
渦王は、ゼンが言うとおり、全然偉ぶらない王でした。子どものフルートに向かっても、誠実に頭を下げて謝罪します。
フルートは首を振りました。
「もうけっこうです。ゼンもポチも無事でしたから……」
すると、とたんにゼンが口をはさんできました。
「渦王、あんた、メールによくよく嫌われてるぞ。娘に王様をやめさせられそうになるなんて、恥ずかしいと思わないのかよ」
王様を持たないドワーフ族の特徴でしょうか。ゼンは王族が相手でもちっとも敬意を払いません。聞いているフルートの方がはらはらするようなことを遠慮もなく言いますが、渦王は気を悪くする様子もなく、ただ苦笑いをして答えました。
「まあそう言うな、ゼン。我が子とは言え、女というものはよくわからんのだ。特にあれは最近、何を考えているかさっぱりわからなくなったからな……。せめて、あれの母親が生きていてくれれば、話も聞いてやれるのだろうが、男親のわしではな」
そんな渦王のことばを、フルートはなんとなく目を丸くする思いで聞いていました。ここに立っているのは、世界の海の半分を支配する偉大な王です。なのに、言っていることといえば、身近にいるごく普通の父親と同じような悩みなのです。
けれども、この渦王を、メールは母を殺した仇だと言っていました。どうやら、この父娘の間には、本当に何か大きな誤解があるようでした。
「メールは黒い岩屋の中なのか?」
とゼンが渦王に聞きました。心なしか、心配そうな顔をしています。それを見て渦王が急ににやりとしました。
「あれを気にしてくれているのか? 岩屋の中で元気に悪態をついておるよ。なんとか脱出しようとしているが、海底にはあれに使える花はないからな。まあ、わしが岩屋に兄上を閉じこめているなどという、根も葉もない噂を自分の目でしっかり確かめたら、頃合いを見計らって出してやるとしよう」
と渦王は笑い声を立て、またまじめな顔になるとフルートを見ました。
「あれはシルヴァと名乗っておっただろう? シルヴァというのは、メールの死んだ兄の名前なのだ。生まれつき弱い子でな、生まれて一週間しか生きられなかった。その後、長いこと我々は子どもに恵まれず、十年目にようやく生まれたのがメールだ。おかげでわしも妻も甘やかして育ててしまったのかもしれん。昔からおてんばな子ではあったが、最近では、本当にちょくちょく男の格好をしては、シルヴァと兄の名前を使うようになったのだ。とはいえ、それを完璧に信じたのは、金の石の勇者が初めてだったがな」
と言われて、フルートは思わず顔を赤らめました。ゼンが、どん、とそれを肘でこづきます。
「こいつが鈍すぎるんだよ! どうやったら、あれが本物の男に見えるんだ。ったく、信じられないぜ!」
「そ、そんなこと、考えてる余裕がなかったんだよ! 君たちを助けるので、頭がいっぱいだったから……」
とフルートは弁解口調になります。
すると、渦王が意味ありげにのぞき込んできました。
「では、金の石の勇者、改めて女として見たメールはどうかな? 確かに少々男まさりなところはあるが、美人だし、気性もまっすぐな良い娘だと思うのだが。こういう娘は気に入らぬかな?」
フルートは目をまん丸にしてしまいました。たまりかねて、ゼンが叫びました。
「ホントにもう、いい加減にしてくれよ、渦王! 俺たちはまだたったの十三歳だぜ! メールなんか、まだ十二なんだろう? 結婚なんて、絶対に早すぎるぞ!」
「なんの。わしや兄上が運命を感じる女性に出会ったのは、わしらが十三のときであったよ」
と渦王が笑いながら答えます。
「早熟の海の民と一緒にするな!」
とゼンはぶつぶつ言いましたが、フルートが真剣な顔をしているのを見て、頭に一発食らわせました。
「この馬鹿、何を本気で考え込んでるんだよ!?」
フルートは顔をしかめて頭をさすると――兜をかぶっていなかったので、まともにゼンにぶたれたのです――まじめな声で答えました。
「ぼくが考えてたのは、海王のことだよ。東の大海に呪いがかけられて、海王がさらわれたのは事実だ。誰が、それをやったんだろう? ――渦王様、本当にあなたの仕業ではないんですよね?」
とたんに渦王の表情が豹変しました。それまでの気の良い父親の表情が消え去り、燃えるような怒りが一気に顔全体をおおいます。額には青筋さえ浮き上がってきます。
「お、おい、フルート……!」
さすがのゼンも青くなって友人を押さえました。遠くに雷の音を聞いたのです。
けれども、フルートはまっすぐ渦王を見上げながら続けました。
「失礼は承知の上でお聞きしています。大事なことなんです。もう一度、はっきり答えてください」
水平線の彼方に黒雲がわき起こり、雷鳴がまた響きます。風が乱れ、島の森が不安げに大きく揺れます。
渦王はうなるような低い声で答えました。
「わしは兄上にも、兄上の海にも、指一本触れてはおらぬ。あれはわしの仕業ではない。――これで満足か、金の石の勇者」
「フルートでいいです」
と少年は答え、まっすぐなまなざしのまま話し出しました。
「ぼくが東の大海を越えてここに来るまでの間、いろいろな妨害がありました。水蛇がゼンをさらったのが手違いだったのはわかったけれど、それ以外にも、嵐が起こったり、お化けクジラに飲み込まれたりしたんです。波の馬は、それはすべて渦王の仕業だと言っていました。でも、渦王様がやっているのでなければ、いったい誰の仕業なんでしょう――?」
そして、フルートは足下にいたポチを抱き上げて続けました。
「ゼンがハイドラにさらわれる寸前、ゼンが吐き出した人魚の涙を、怪物のような魚が飲み込んでいったそうです。ぼくらが出会ったクジラも、何かの魔法で怪物の姿に変えられていました。金の石が反応したからには、闇の魔法だと思います。海に、闇の敵が現れているんじゃないでしょうか。渦王様には、思い当たることはありませんか?」
渦王は、じっとフルートを見ていました。遠い黒雲は消え、雷の音も聞こえなくなっています。口を開いた渦王は、また静かな声に戻っていました。
「なるほど、金の石の勇者は賢いな。いや、フルートと呼んでほしいのだったな。確かにその通りだ、フルート。海に得体の知れないものが侵入してきている。東の大海でも、この西の大海でも、見慣れない黒い水蛇が何度も目撃されている。わしのハイドラや、兄上のネレウスのような、巨大な水蛇だ。これまで、そんなものは海にはいなかった。そして、何よりおかしいことには、そいつの動きがわしにわからぬのだ。自分の海の出来事なら、わしには手に取るようにわかるはずなのにな……。東の大海の生き物が怪物に変わった報告は入っておったし、そいつらがこの西の大海に入りこんでくることもあるが、それもまた、わしには把握できん。まるで、何かの魔力でわしの目から隠されているようだ」
そして、渦王は森の向こうに広がっている海原へ目を向けました。青く輝く海には、銀の波がちらちらと揺れています。
「こう見えても、わしは西の大海の王だ。また、兄上も東の大海を統べる偉大な海の王だ。我々の魔力は並たいていのものではない。その兄上をいとも簡単に捕虜にし、わしの目をくらますからには、敵は相当の魔力の持ち主と思って間違いないだろう」
それを聞いて、ゼンがあきれたような声を上げました。
「それだけわかってるなら、なんで兄貴を助けに行かないんだよ? おめおめと、兄貴を誘拐した、なんて汚名を着ていることないだろうが!」
すると、渦王ははっきりと苦笑しました。
「海には海のしきたりがあり、決まりがある。東の大海のものたちが助けを求めてこなければ、わしとしても助けには駆けつけられぬ。求めもないのに大群を率いて海王の城に駆けつければ、連中はわしらがいよいよ東に攻め込んできたと考えて、大戦争が始まる。海の生き物たちの半数以上を死なせるような、かつて見たこともないような戦いになってしまうのだ」
「でも、あんた、これまでにも時々海王のところへ攻め込んでいったって言うじゃないか」
とゼンが言いました。本当に、海の王相手にタメ口です。
「たまにはな。あまり東の連中の態度が目にあまる時には、思い知らせるために海を駆けていったが、それも兄上がいればこそだ。兄上の行方が知れない今、わしが東の大海に行けば、それこそ、わしが兄上をさらったいう誤解を宣伝しに行くようなものだ。わしの方からは、何も動けんのだよ」
と渦王は難しい顔で言いました。
フルートたちは考え込んでしまいました。
確かに、東の大海で出会ったものたちは、一人残らず今回の仕業を渦王のしたことだと思っていました。彼らは、渦王を乱暴で冷酷な王と堅く信じているのです。うかつに動けば、本当に東と西の二つの海が全面戦争になってしまいます。
「じゃあよぉ」
とゼンが口を開きました。
「俺たちが東の大海の海王の城に行くってのはどうだ? 城の連中に俺たちから事情を話せば、誤解も解けるんじゃないか?」
「危険だぞ」
と渦王はまた苦笑いしました。
「東の連中は、おまえたちがこの島にたどりついたのを知っている。そのおまえたちが、海王も助け出さずに、渦王の使いだと言って戻れば、連中はおまえたちがわしの方に寝返ったと思い込むだろう。それこそ、おまえたちの命が危なくなるぞ」
ゼンは、うーん、とまた考え込み、ずっと何も言わないフルートをつつきました。
「おい、おまえも何か思いつかないのかよ。こういう時こそおまえの出番なんだぞ」
フルートはそれでもなお黙っていましたが、やがて、静かに言いました。
「やっぱり、ぼくたちが海王の城に行って話をするのが、一番いいと思います。どう考えても、海王を助け出すのが先決だし、西と東の二つの海が協力しなければ、それはかなわないでしょうから」
「行ってくれるのか」
と渦王がフルートを見つめました。フルートは、はっきりとうなずきました。
「海の平和のためならば、喜んで」
すると、ゼンが笑いました。
「ま、いつものパターンだよな。俺たちってのは結局こういう役割になるんだ。……おい、フルート、いい加減ここらでポポロを呼ぼうぜ。あいつも絶対に待ってる。待ちぼうけを食い過ぎて、怒っているかもしれないぞ」
とたんに、フルートが顔色を変えました。たった今までの固い決意の表情が消え去り、青ざめた顔であわてて首を振ります。
「それはだめだ……だめだよ……」
「おい!」
ゼンは思わず大声になりました。
「おまえ、ここまで来て、まだ夢のことなんか気にしてやがるのか!? いいから、とっととポポロを呼べ! でないと、今度は本当に手加減なしでぶん殴るぞ!」
けれども、フルートは青い顔のまま、かたくなに首を横に振り続けます。
「ったくもう! まだわかんないのかよ、こいつは!」
とゼンが本当に拳を握りました。ポチが足下でおろおろしています。
すると、渦王が少年たちの間に割って入りました。
「夢だと? どのような夢だ?」
ゼンはぷりぷりしながら答えました。
「俺たちが殺される夢を見るんだとよ。この馬鹿、それが正夢になると思いこんでやがる。俺たちが、そんなに簡単に殺されるもんか。曲がりなりにも、金の石の勇者の一行だぞ!」
フルートは思わず目をそらして唇をかみました。全身が震えるような恐怖が、体の中からわき起こってきます。何か言い返すことさえできませんでした。
すると、渦王がフルートの顎に手をかけました。顔を上向かせて、じっとその目の中をのぞき込みます。
「何か影が見えると思ったが」
と渦王は重々しい声で言いました。
「フルートよ、おまえ、ナイトメアに取り憑かれておるな――」