「ゼン!!」
フルートは叫びました。
ずっと心配していた仲間が、怪我もなく目の前に立っています。けれども、その格好はというと、青い防具に身を固め、抜き身の剣を握って、今にも戦いを始めそうな様子なのです。フルートを見る目にも、親しそうな感情はありませんでした。
「ゼン……?」
フルートはとまどい続けました。何が起こっているのかわからないのですが、確かに、目の前にいるゼンは様子が変でした。
すると、ドワーフの少年が、フルートとその後ろに立つシルヴァを眺めました。その目の中に激しい怒りと憎しみがひらめいたのを、フルートははっきり見ました。
「ゼン?」
フルートはまたつぶやきました。他に言うべきことばが見つかりませんでした。
すると、ゼンの頭上の玉座から、渦王が声を張り上げました。
「さあゼン、行くのだ! 金の石の勇者をたたき伏せて見せよ!」
フルートはびっくりしました。渦王の隣の席に、白い子犬の姿を見つけたからです。ポチです。怪我もなく元気ですが、玉座に座る渦王のすぐわきにいて、親しそうに王の膝に前足をかけていました。その首には、見慣れない青い首輪がはまっていました。
フルートは唇を強くかみました。
ゼンもポチも、渦王の魔力のとりこにされてしまったのです。渦王の意のままに従い、命じられれば戦うようになってしまったのでした。
ゼンがうなるような声を上げながら襲いかかってきました。真っ正面からフルートに切りかかってきます。
フルートはとっさに剣でそれを受け止めると、声を限りに叫びました。
「目を覚ませ! ゼン! ポチ!」
けれども、ゼンは続けざまに激しく切りつけてきました。ショートソードとはいえ、ゼンの怪力でふるわれると、大剣のような勢いと威力があります。いくら防いでも攻撃の手をまったくゆるめないので、フルートは防戦一方になって苦労しました。炎の剣をロングソードに持ち替えたいのですが、ゼンはその余裕さえ与えてくれません。
隙をついて、ゼンの剣が繰り出されてきました。ゼンは手や剣の短さを補うために、フルートのすぐ目の前に立っています。フルートがとっさに盾でそれを受け止めると、いきなり足払いを食らいました。後ろ向きに、どおっと倒れます。
ショートソードが振り下ろされてきました。狙いは唯一の急所の顔です。フルートは必死で転がり、かろうじて切っ先をかわしました。飛び起きた時に、ようやく武器を持ち替えることができました。
ゼンがまた声を上げて襲いかかってきました。その太刀筋は、迷うことなくフルートの急所を狙い続けています。ゼンも剣で戦ってきた経験が少なからずあります。フルートのように正式に剣を習ったわけではありませんが、実践の中でその腕前を磨いてきたのです。
フルートは剣で剣を跳ね返して切り込みました。鋭い刃がゼンの体をかすめ、その服の裾を切り落とします。
それを見たゼンが、じろりとフルートをにらみつけました。その目の中にあるのは、ただ怒りの炎だけでした。
「ゼン!」
フルートは思わずまた叫びました。
こんな理不尽な戦いは嫌でした。フルートが本気になれば、ゼンを切り伏せることは簡単です。でも、そんなことができるわけはないのです……。
すると、突然ゼンがものも言わずに襲いかかってきました。フルートの剣を盾で押し返し、その勢いでよろめいたフルートに飛びついて、金の兜をむしり取ります。
兜が宙を飛び、金に輝く髪と少女のような顔がむき出しになりました。
「行け行け!」
「ドワーフ、いいぞ!!」
「勇者にとどめを刺せ!!」
コロシアムの観客席は興奮のるつぼと化していました。さまざまな姿をしたものたちが、笑い、体をたたき、熱狂的に叫び続けています。
その異様な雰囲気に包まれながら、コロシアムの隅でシルヴァが震えていました。
「なんだ……なんなんだよ、いったいこれは……」
広場の中では激しい戦いが続いていました。フルートが、助けに来たはずのゼンと死闘を繰り広げているのです。
「フルート……」
シルヴァはつぶやきました。金の少年の気持ちを思うと、さすがのシルヴァも、胸のつぶれそうな思いがするのでした。
兜のなくなった頭を狙って、ゼンがまた剣を繰り出してきました。
フルートは盾でそれを受け止めると、友人をにらみつけました。ゼンは本気です。そして、そんなゼンに、いいかげんな気持ちで臨んでいれば、いつか必ずこちらがやられてしまいます。
フルートの瞳が強い光を放ち、剣がひらめきました。刀身と刀身が絡みつき、次の瞬間、フルートの剣がゼンの剣を勢いよく跳ね飛ばしました。ゼンの武器がなくなります。
とたんに、ゼンが体当たりをしてきました。まるで弾丸のような勢いです。フルートが思わずよろめくと、その隙にゼンがフルートの剣をもぎ取りました。
「……!」
フルートは、はっとしました。ゼンがフルートの剣を振り下ろしてきます。熊でさえまっぷたつにするドワーフの怪力です。体勢の整っていないフルートには、受け止められません――
ところが、剣がフルートの頭を直撃する寸前、ふっと、その切っ先の勢いが鈍りました。ほんの一瞬のことですが、フルートが盾を構えるには充分な時間でした。堅い音が響いて、ロングソードが跳ね返されます。
「?」
フルートは息をはずませながらゼンを見つめました。ゼンは、確かに直前で手加減したのです。
ゼンがまた切り込んできました。フルートが盾で受け止めるのを見越して、次の瞬間、脇から切り込んできます。フルートはとっさに背中から炎の剣を抜いて、剣を受け止めました。剣と剣とが火花を散らします。
と、今度はゼンが体勢を崩しました。小石を踏んで足がすべったのです。よろめいた拍子に、がら空きの脇がこちらを向きました。
フルートは反射的にそこに剣を突き刺そうとして、あわてて思いとどまりました。とんでもありません。そんなことをすれば、ゼンはあっという間に炎に包まれて死んでしまいます。
すると、その迷いの隙をついて、またゼンが剣を突き出してきました。フルートの顔を真っ正面から突き刺そうとします。フルートには避け切れません――
すると、また、ゼンの剣が止まりました。
観客席からいっせいにブーイングが起こりました。足を踏み鳴らし、羽ばたき、水面を打ちながら、口々に不満の声を上げます。勇者にとどめを刺せ! とわめきます。
けれども、フルートにはそんな騒ぎはまったく聞こえていませんでした。フルートが見ていたのは、ゼンの目でした。明るい茶色の瞳には、まぎれもないゼン自身の意志が宿っていて、ためらうようにフルートを見つめていたのでした。
フルートは思わず自分の剣を地面にたたきつけました。客席から驚きの声が上がります。ゼンも目を丸くします。
その友人が持つ剣を、フルートはいきなりわしづかみにすると、ぐいと引っぱりました。怪力のドワーフが、面食らったようによろめいて、近づいてきます。フルートは右手を拳に握ると、力任せにゼンの顔にたたき込みました。
ゼンが地面に倒れました。鼻血が出ています。
「ってぇ……いきなり何しやがる!?」
かっとしたようにわめく声は、いつものゼンの口調でした。すぐに跳ね起きると、今度はゼンがフルートを殴り飛ばします。フルートの小柄な体が吹っ飛んで倒れます。口元が切れて血が流れ出しました。
けれども、フルートもすぐに飛び起きるとどなりました。
「いい加減にしろよ、ゼン! いったい何のつもりさ! 正気なんだろう!?」
二本の剣は二人のかたわらに落ちています。けれども、二人はもうそれを使うつもりはなく、ただ、お互いに拳を握りしめてにらみ合っていました。
「何のつもりだってのは、こっちのセリフだ!」
とゼンがどなり返しました。
「どうしてポポロはダメでメールならいいんだ!? 何を考えてやがる! そんなに渦王の跡継ぎになりたいのかよ。見損なったぞ!」
フルートは思わず眉をひそめました。
「渦王の跡継ぎ……? いったい何のことさ」
全く意味がわかりません。それにメールというのは、確か渦王の王女の名前のはずです。何故それが突然ここで出てくるのか、フルートには理解できませんでした。
ところが、ゼンはさらにいきり立ってどなり続けました。
「とぼけるのもいい加減にしろ! この戦いに勝ち残った方がメールと結婚して、渦王の跡を継げるんだろうが! そんなに王様になりたいのか、フルート!?」
フルートはぽかんと立ちつくしてしまいました。結婚? 王様? ――本当に、全然意味がわかりません。
すると、突然コロシアムの隅からうなるような声が上がりました。
「結婚だって……? 勝ち抜いた方が、渦王の跡継ぎ……? そんな……そんなくだらないことで……」
森の少年が、全身をわなわなと震わせていました。青い瞳が怒りで炎のように燃え上がっています。
「シルヴァ?」
フルートはあっけにとられてそれを見つめました。
すると、シルヴァがつかつかとコロシアムの中央に歩み出てきました。立ちつくすフルートとゼンのそばまで来ると、玉座の渦王に向かって声を張り上げます。
「海王様をさらっただけでなく、そんなくだらない理由で勇者たちを戦わせていたのかい!? 今度という今度は、本当に愛想が尽きたよ、父上! 最低だ!」
「父上!?」
フルートはまたびっくりしました。渦王を父と呼ぶからには、シルヴァは王子です。いえ……確か、渦王には一人娘があるだけです。ということは……
フルートは信じられない思いでシルヴァを眺め、突然手を伸ばして、その頭を包んでいた茶色の布を引きほどきました。
ばさっと音がして、輝く緑の波がシルヴァの背中に流れ落ちました。美しく波打つ緑の髪です。長い髪を垂らしたシルヴァは、まぎれもなく少女の顔をしていました。青い強い瞳をした、長身の美少女です。
「君が……メールだったのか……」
とフルートが呆然とつぶやくと、ゼンがまた目を丸くしました。
「え、知らなかったのか? まさか!」
とたんに、コロシアム中をふるわせるような渦王の声が響き渡りました。
「メール!! おまえは勇者にいったい何を吹き込んでいたのだ!?」
「吹き込んでなんているもんか!!」
とシルヴァ、いえ、メールが言い返しました。渦王の大音声にも負けてはいません。
「あたいはあんたを止めたかっただけだよ、父上! 西の大海や緑の森を支配するだけじゃ飽き足りなくて、とうとう海王様を幽閉して、東のものたちに呪いまでかけるだなんて! 王のすることじゃないじゃないか!」
少女の姿とことばづかいになっても、メールの口調は激しいままです。フルートを指さしながらどなり続けます。
「あいつがどんな気持ちでここまで来たのか、考えたことがあるのかい!? あんたはいつだってそうさ! なんでも自分の意のままにしようとする! そんなヤツ、王様でいる価値はないよ! 勇者に倒されちまえばいいのさ!」
しん、とコロシアムの中が静まりかえりました。観客席のすべての生き物が、息を殺して海の王とその娘の言い争いを見守っています。
すると、遠くの空から低い音が鳴り響き始めました。雷です。
とたんに、客席がざわめき、生き物たちが腰を浮かしました。不安そうにあたりを見回します。
その雷にそっくりな声で、渦王が低く言いました。
「わしが海王を幽閉した、と言ったか……メール?」
聞く者の背筋をぞくぞくとふるわせるような迫力のある声でした。
メールは青ざめると、ふいにその両手をさっと上げました。とたんに、コロシアム中をおおっている植物から花がひとりでに離れ、ザーッと音をたててメールの元へ飛んでいきました。花使いの魔法です。花は、緑の髪の少女のかたわらに集まると、大きなトラの姿になってうなりました。
「わしが東の大海のものたちに呪いをかけたと……? 誰が、そんなことを言った?」
王の声はますます危険な響きを帯びていました。雷が急速にこちらに近づいています。
メールは青い顔のまま、どなり返しました。
「みんなが知ってることさ! あんたはすべての海を自分のものにしたいんだ! いいや、海だけじゃない! あたいは知ってるよ! あんたが本当に手に入れたいのは、青い貴婦人――海の王妃なのさ!!」
しーん、と恐ろしいほどの沈黙がコロシアムを充たしました。
息詰まるような雰囲気に、フルートとゼンは思わずあたりを見回しました。誰もが渦王とその王女を、恐怖を宿した目で見つめていました。
雷がすぐ近くで鳴り響きました。
「わしが、誰を手に入れたがっている、だと……?」
渦王が娘を見据えました。怒りに青く燃え上がる瞳は、娘と瓜二つです。また上空で雷が鳴り響き、不吉な風が吹き始めました。
キャン! と突然ポチが悲鳴を上げて、渦王のそばから飛びのきました。熱いものにでも触れてしまったような勢いです。
渦王が玉座からすっくと立ち上がりました。割れるような大声で、娘をどなりつけます。
「わしは、兄上を幽閉などしておらぬ! 東の大海に呪いなどかけてはおらぬ! 父を信じず、くだらぬ風評を信じるとは何事か! この大馬鹿者――!!」
ガラガラと激しい雷鳴が頭上で響き渡り、稲光が空にひらめきました。どうっと強い風が巻き起こり、次の瞬間、大粒の雨が空からたたきつけてきました。たちまち、あたりは雷鳴と雨の音でいっぱいになります。
メールはあわてて花のトラを壁に変えて引き寄せましたが、花は、あっという間に、強い風と雨に吹き散らされてしまいました。
「黒い岩屋で反省せい!!」
渦王の声が嵐の中にもはっきり響き渡り、ふいにメールの姿がコロシアムから消えました。
それでも激しい風と雨は止まず、ごうごうとうなりをあげながら、生き物たちをたたきのめし、木や草を吹きちぎり引き倒していきました。生き物たちは嵐の中を逃げまどい、森へ、水中へと逃れました。
フルートたちも嵐に飲み込まれ、周りがまったく見えなくなってしまいました――。