第二の門の向こう側は一面の緑でおおわれていました。
目の前に新しい城壁がそびえ、その周りを水路が取り囲んでいるのは同じですが、足下の地面は石畳ではなく土で、いたるところに草や木が生え花が咲き乱れています。城壁に取り付けられた松明が揺れるたびに、木々の間で黒い影が踊りました。
その様子が第二の門の広場とあまりに違うのでフルートが驚いていると、シルヴァが言いました。
「渦王の城全体がこんな感じなんだ。植物が多いのさ。城内はもっと緑だらけだぞ」
それを聞いて、フルートは思わず第三の城壁の向こうを眺めてしまいました。水路の上にそびえる石の壁は、向こう側から伸びてきた緑のツタにおおわれて、ほとんど見えなくなっていました。その中央に、例によって跳ね橋が上がっています。
ふっと、フルートは違和感に襲われました。シルヴァは、渦王が島の森を独占した、と言っていました。けれども、フルートの目には、城が森を支配していると言うよりも、森が城に入りこみ、城を占領しているように映ったのです。外から見た時の城の様子もそうでした。緑の中に紛れ、森に埋もれるようにして存在していたのです……。
けれども、フルートはそれ以上考え続けることができませんでした。行く手の水路から水音が聞こえてきたからです。
シルヴァとフルートはたちまち緊張して身構えました。何かが水路の中を近づいてきます。
フルートは剣を構えながら言いました。
「シルヴァ、ぼくから離れるんだ。戦いに巻き込まれるよ」
そして、水路を見据えながら、まっすぐに走り出しました――。
ザザザザーーッと激しい水音がして、水路から水柱が上がりました。十メートルもの高さまで吹き上がり、それが見る間に形を変えていきます。巨大な鎌首、太い胴体、青くきらめく体、二つの銀の目……それは砂浜でゼンをさらっていった、青い水蛇でした。
「ハイドラ!」
中庭の木の後ろから、シルヴァが悲鳴を上げました。渦王直属の水蛇です。シルヴァは思わず木にすがりつきました。
「無理だよ……いくらなんでも、絶対無理だよ……ハイドラと戦うなんて。殺されちゃうじゃないか……!」
けれども、フルートは身構えたまま水蛇とにらみ合っていました。負けるつもりはさらさらありませんでした。この敵を倒さなければ、ゼンたちがいる城の奥に入ることができないのです。
水蛇が襲いかかってきました。水の鎌首がかみついてきます。
フルートはすばやく身をかわすと、横なぎに剣を振るいました。ジュッと音がして、白い蒸気が上がります。炎の剣が、切った瞬間に、蛇の体を蒸発させたのです。
けれども、砂浜で戦った時と同じように、蛇の水の体はすぐにくっつきあって、傷口がたちまち消えてしまいました。炎の剣は、水の敵には効果がないのです。
また蛇がかみついてきました。かろうじてフルートがそれをかわすと、蛇は代わりにそこに立っていた木を噛み砕きました。見上げるような木が音をたてて倒れていきます。水とはいえ、鋭い牙です。
フルートは息をはずませながら、どこかに蛇の弱点はないかと考えました。水の蛇、水の体――ポポロがここにいて冷凍魔法をかければ、凍りついて攻撃することもできるようになるのですが……
フルートは、ぎゅっと唇をかむと、自分から蛇に切りかかっていきました。襲いかかってくる鎌首を正面からまっぷたつにすると、また激しい蒸気が上がってあたりを充たします。その中に紛れて、フルートはさらに蛇に駆け寄り、太い胴体を切り払いました。あたりはもうもうたる蒸気でいっぱいになります。
けれども――やはり、水蛇は元に戻ってしまいます。切っても切っても、まるで効果がありません。
すると、突然蛇の頭が宙を走り、水の体がフルートに巻きついてきました。あっと思う間もなく、フルートは蛇に絡みつかれてしまいました。
「フルート!!」
シルヴァが思わず木の陰から飛び出しました。風にちぎれていく蒸気の間にそれを見たフルートは、叫び返しました。
「来るな、シルヴァ! 危ない!」
とたんに、蛇がものすごい勢いで水路の中に戻っていきました。大きな水音を立てて、絡め取ったフルートごと水の中に消えてしまいます。
「まずい!」
シルヴァは水路に駆け寄りました。。巨大な波紋が水面に広がって静まっていきます。いつまで待ってもフルートは浮いてきません――。
「あいつがおぼれる!」
とシルヴァは叫ぶと、ためらうことなく身を躍らせて、水路に飛び込んでいきました。
シルヴァは水路の底へまっすぐ泳いでいきました。
水路の両脇は石の壁ですが、底はどこまでも深く、その奥から海水がゆるやかに噴き出して流れを作っています。前にフルートに話したように、水路は水底であちこちの場所の泉や海とつながっているのです。そこを通り道にする者たちのために、水路の壁には灯りがともされていました。自ら光を放つ海藻や海の虫やヒトデの照明です。
水路の底に近い場所に、水蛇のハイドラに巻きつかれたフルートが見えました。水に引き込まれてから、もう一分以上が過ぎています。早くしないとフルートの息が続きません。シルヴァはさらに速度を上げて、そちらへ向かって泳ぎました。
すると、蛇のとぐろの中から、フルートが顔を上げました。シルヴァを見上げる目は、驚くほどしっかりしたまなざしをしていました。
「来るんじゃない、シルヴァ! 早く外に出るんだ!」
水中なのに、フルートの声がはっきりと聞こえてきました。
シルヴァは驚いて水中で立ち止まりました。それに向かって、フルートが力強くうなずき返します。
フルートに何か考えがあるのだと気がついて、シルヴァはすぐに上へ引き返しました。途中で振り返ると、フルートを絞め殺そうとして難儀している水蛇が見えました。魔法の鎧がフルートを守り続けているのです。フルートは、じっとシルヴァを見上げていました。シルヴァが外に逃げるのを待っているのです。水中でも、全く苦しそうな様子がありません。
「あいつ、人魚の涙を飲んでいるのか……」
とシルヴァはつぶやくと、急いで水面に出て岸に上がりました。
水路を振り返って見守ると、やがて、その水面に大きな泡が上がってきました。ボコリ、と音をたてて泡がはじけます。
続いて、二つ三つとまた泡が上がってきてはじけ、次第にその数が増えてきました。ごぼごぼとわき上がるように、水中から泡の塊が浮かんできます。
シルヴァは驚いて水面を見つめました。何がこんな泡を立てているのか、想像がつきませんでした。
すると、突然また激しい水音を立てて、水中から水蛇が飛び出してきました。体にはまだフルートを巻き付けたままです。真っ白な蒸気がまたあたり一面にたちこめ、シュウシュウという音が響き渡ります。
フルートは絡みつかれたまま、蛇の体に炎の剣を突き立てていました。どんなに蛇が暴れ狂っても、突き刺したまま、決して手を離そうとしません。蛇の巨大な水の体が、炎の剣の熱で次第に温度を上げ、ついに沸点に到達して蒸発を始めているのでした。青い水の体の中は、真っ白な泡でいっぱいになっており、それが体の表面から音をたてて吹き出して、白い蒸気に変わっていました。
シルヴァは立ちすくんでしまいました。こんな光景は今まで見たことも、想像したこともありません。渦王最強の魔法の生き物が、金の鎧の少年の手で蒸発させられそうになっているのです。
ついに水蛇がフルートを放しました。鎌首を大きく振り回し、苦しそうに水面でのたうちます。
けれども、フルートは剣にしがみついたまま、蛇を突き刺し続けていました。熱湯に変わった蛇の体が、激しく泡立ち、蒸気に姿を変えて、原形を失っていこうとします――
その時です。
城の中庭でザザッと何かが揺れる音が響いたと思うと、木立や草むらの中からいっせいに飛び立ったものがありました。まるで虫か小さな鳥の大群のように空に舞い上がり、いっせいにフルートに襲いかかってきます。
それは、何千という花の群れでした。
赤、青、黄、紫、白……色とりどりの大小の花が、ひとりでに花首を離れ、羽根のはえた生き物のように飛びかかってきます。島に上陸した時、ポチを襲い、フルートの腕を絡め取った花の群れと全く同じ動きでした。
フルートは、とっさに剣を引き抜くと、襲いかかってくる花を切り捨てました。宙で炎が上がり、花が燃えながら地上に落ちていきます。けれども、花は数え切れないほどの量で、いくら切り捨てても、後から後から押し寄せてきました。
ついにフルートは、すっかり花に取り囲まれて、何も見えなくなってしまいました。強烈な花の香りに包み込まれます。
すると、突然水蛇が大きく体をふるいました。蛇にまたがっていたフルートは、はじき飛ばされて地上に落ちました。かなり激しくたたきつけられたのですが、もちろん、魔法の鎧を着ているので平気です。次の瞬間にはまた跳ね起きましたが、水蛇は目の前で水路の中に姿を消していくところでした。
大きな波紋が水面に広がり、やがて消えていきます……。
フルートの体にへばりついていた花たちが、力を失ったように地上に落ちていきました。空中に浮いていた花も、雪のようにばらばらと落ちてきます。そして、地面に触れたとたん、またそこで根を張り、茎や葉を伸ばして、一面の花畑に変わりました。
その様子にフルートは目を見張りました。間違いなく、魔法の仕業です。
そこへシルヴァが近寄ってきました。その目は、驚きを通り越して、怯えるような色さえ浮かべていました。すぐには声も出せない様子です。
フルートはシルヴァに話しかけました。
「花がひとりでに襲ってきたよ。例の渦王のお姫様の魔法だね」
「ああ……メールだ。どこかで見ているんだろう……」
とシルヴァはまだ呆然とした顔で答え、それから、ゆっくりと第三の城壁を見ました。
「メールだけじゃない。渦王も、他のヤツらも、みんなあんたの戦いを見ているよ……。みんな、自分の目を疑っているだろう。なにしろ、あのハイドラを消滅させかけたんだからな……」
そして、シルヴァは横目でフルートの様子を盗み見ました。フルートはもう城壁を見つめて、剣を握り直しています。勇ましい姿とは裏腹な、少女のように優しい横顔が、松明の明かりに照らし出されていました。
彼らの目の前で、最後の跳ね橋が下りてきました。音をたてて水路の上にかかり、その先に入り口を開きます。
「いよいよ城内だね。行こう」
とフルートが先に立って橋を渡り始めました。
シルヴァは小さく頭を振ると、後について歩き出しました。その唇が何かをつぶやきましたが、それは誰の耳にも届きませんでした。