門をくぐって城の中に入ると、そこは石畳の広場になっていました。誰もいないがらんとした空間のあちこちにかがり火がたかれ、行く手にはまた石造りの塀とそれを取り囲む水路が見えています。水路の上には、また跳ね橋が上がっていました。
「第二の城門だ」
とシルヴァが言いました。
「渦王の城は三つの城壁と水路で守られているんだ。それぞれの城壁にひとつずつ門があって、その前に跳ね橋がかかっている。これは二つ目の城壁さ」
「ということは、この奥にもうひとつ城壁と橋があるってことだね?」
とフルートは言いながら、水路に向かって歩いていきました。手には抜き身の炎の剣を握りしめて、油断なくあたりを見回しています。跳ね橋が上がっているということは、また何かが行く手に現れる前触れのような気がしました。
すると、ガボリ、と水路の中から水音がしました。とても大きなものが水中でうごめく音です。フルートは、とっさに身構えると、後ろに立つシルヴァに呼びかけました。
「下がれ、シルヴァ! 城の外に出るんだ!」
けれども、そのとき、先の橋が音をたてて跳ね上がり、後ろの出入り口をふさいでしまいました。フルートたちは第一の城壁と第二の城壁の間に閉じこめられたのです。
水音を立てながら大きな獣が水路から現れました。蹄(ひづめ)のついた前足を石畳にかけて上がってきます。――それは見上げるように大きな白い雄牛でした。
シルヴァが目と口を大きく開いて叫びました。
「シーブル! 嘘だろう!?」
「何、それは?」
とフルートはシルヴァに駆け寄りながら尋ねました。
「渦王が魔法で作った怪物だよ。むちゃくちゃ……強いんだ!!」
雄牛がとどろくような雄叫びを上げて突進してきました。鋭い角を振り立てて、まっすぐ二人に向かって突っ込んできます。フルートはシルヴァをとっさに突き飛ばしました。
「隠れて!」
と叫びながら、自分自身も横へ飛びます。
とたんに、雄牛は素早く向きを変え、フルートめがけてまた襲いかかってきました。牛とは思えない敏捷性です。
あわてて城壁の際まで下がったシルヴァが、震えながらつぶやきました。
「なんでシーブルが城内にいるんだよ……いつもと比べものにならないくらい警備が厳しいじゃないか……」
フルートはまた雄牛の突進をよけて、剣を手に身構えました。荒い鼻息を立てて前足で地面を蹴っている雄牛は、まるで小山のように大きく見えます。
またシーブルが突っ込んできました。フルートは素早く身をかわします。が、とたんに向きを変えたシーブルの角に引っかけられ、小柄な体が高々と宙に跳ね飛ばされました。石畳の上にたたきつけられて、ガシャンと鎧が派手な音をたてます。
「フルート!」
とシルヴァは思わず声を上げました。死にはしなくても、大怪我は間違いのない勢いでした。
けれども、フルートはすぐに跳ね起きると、そのまま大きく飛びのきました。たった今までフルートが倒れていた場所を、シーブルの大きな体が通り抜けていきます。一瞬遅ければ踏みつぶされるところでした。
また剣を構え直したフルートを見て、シルヴァはつぶやいていました。
「な、なんだ、あいつ……どうしてあんなに強いんだよ……?」
フルートが突進してきた牛をかわしながら、炎の剣で切りつけました。剣の切っ先が牛の顔の片側を切り裂き、頭が突然炎に包まれます。牛は城中が粉々になるような雄叫びを上げると、狂ったように突進を始めました。めくらめっぽうに突き進んでいく先には、シルヴァが立ちすくんでいました。
「シルヴァ!」
フルートは叫びながら、炎の剣を思い切り振りました。切っ先から炎の弾が飛び出していって、雄牛の背中で炸裂します。とたんに雄牛は全身を炎に包まれ、すさまじい勢いで第一の城壁に激突していきました。石塀が崩れ、大きな穴があきます。そのまま雄牛は壁の外に飛び出していくと、大きな水しぶきを上げて水路に飛び込みました。
シルヴァは、壁に開いた大穴のすぐわきにへたり込んでいました。きわどいところで雄牛が向きを変えたので助かったのです。
「シルヴァ、大丈夫!?」
とフルートが駆け寄りましたが、少年はすぐには声も出せないほどでした。
フルートは剣を構えたまま、城壁の穴に近づきました。厚さが一メートルもある石の壁が、見事なまでに粉々になっています。すさまじい勢いと力でした。
外の水路の水面が静まっていくのを見て、フルートはつぶやきました。
「逃げていったかな……?」
その時、はぁぁ、とシルヴァが大きな息を吐きました。ようやく口がきけるようになったのです。頭が痛むように額を押さえながら話し出しました。
「ホントに……何なんだよ、あんた。さっきまでと全然様子が違うじゃないか。なんでそんなに強いのさ。あんなにすごい勢いでたたきつけられたのに、どうしてぴんぴんしてるんだ?」
「魔法の鎧だから」
とフルートは答えて、金の鎧に触れて見せました。エスタ王に仕えるノームの鍛冶屋が仕立てた、特別製の鎧兜は、どんな衝撃にも暑さ寒さにも平気なのです。
ちぇっ、とシルヴァが舌打ちしました。
「ちょっと卑怯くさくないか? 炎の弾が出せたり敵を燃やしたりできる魔法の剣と、どんな怪我も毒も直せる魔法の石と、それに魔法の鎧? 装備良すぎるよ、あんた」
と、どっちの味方かわからないようなことを言います。
フルートはちょっと目を丸くすると、やがて、静かにほほえみ返しました。
「しかたないよ。だって、ぼくが戦う相手はいつも、これくらいの装備がないと勝てないような敵なんだもの。ぼくたちはみんな子どもだしね。いろんな人たちが、ぼくたちに強力な装備を与えてくれたよ。そして、みんな必ず言うんだ。闇の敵を倒せ、ってね……」
そう言って城の奥へ目を向けたフルートは、どこか少し淋しそうに見えました。
シルヴァがそれにまた何かを言い返そうとした時です。
外の水路から、低い水音が聞こえてきました。何かが水路をこちらへ近づいてきます。
フルートは、はっとすると、すぐにシルヴァの前に飛び出しました。
「下がって、シルヴァ! 何かが来る!」
べちゃり、と湿った音がして、何かが水路からはい上がってきました。雄牛が開けた大穴から、城壁の内側に入りこんできます。青と赤の派手な色をした、巨大なナメクジのような生き物でした。全長が三メートル近くあります。
その頭の片側に白い火傷のような傷跡があるのを見て、フルートは目を見張りました。
「え、まさか……」
「シーブルだ!」
とシルヴァが叫びました。
「こいつがヤツの正体なんだよ! お化けウミウシだ! 食われるぞ、気をつけろ!」
そう言っている間に、ウミウシのシーブルが飛び上がり、襲いかかってきました。まっすぐに声のした方――シルヴァに飛びかかっていきます。
「シルヴァ!」
フルートがまた前に飛び出して剣をふるいました。
すると、ウミウシは宙で向きを変え、派手な色合いの体にさざ波を立てながら落ちました。そのまま、信じられない速さで地面を移動し始めます。
と、またウミウシが飛びかかってきました。今度はフルートを狙っています。
フルートが炎の剣で切りつけようとしたとたん、その頭から水が噴き出しました。巨大な水鉄砲のように、勢いよくフルートの体を打ちます。その水圧にフルートがよろめくと、ウミウシが飛びついて体の下敷きにしました。ウミウシの巨体はのっしりと重く、とてもフルートの力でははねのけられません……。
「フルート! おい、フルート!」
シルヴァが真っ青になって叫びました。助けようとするのですが、森の少年にはどうすることもできません。みるみるうちにウミウシはフルートの体をおおいつくし、その派手な体の下に金の鎧をすっぽりと取り込んでしまいました。
ウミウシの下で、フルートは必死でもがいていました。ウミウシがかみついてくる音が何度も響きますが、魔法の鎧はびくともしません。ただ、湿った柔らかい体に顔まですっかりおおわれてしまって、呼吸ができませんでした。もがいても、もがいても、ウミウシを引き離すことができなくて、フルートは次第に意識がもうろうとしてきました。シルヴァが必死に呼ぶ声が遠くなっていきます……
遠くで少女が呼んでいました。
今にも泣き出しそうに、懸命にフルートを呼び続けています。
ずっとずっと聞きたかった、でも、聞くことのかなわなかった優しい声です。
フルートの胸が震えました。
本当はずっと待っていたのです。いつだって呼びたかったのです。その声が聞きたくて。美しい緑の瞳を見つめたくて。
フルートは姿の見えない少女に向かって手を伸ばし、思わずその名を呼びそうになりました。
けれども、その瞬間、フルートの脳裏で深紅のしぶきが散りました。降りかかってくる血の雨の中、少女が息絶えていく夢がよみがえってきます――。
フルートの全身が氷のように冷たくなり、一気に意識が戻りました。ウミウシが包み込むようにへばりつき、鎧をこじ開けて中のフルートを食おうとしていました。
フルートは右手に持ったままでいた炎の剣を握り直すと、力任せにウミウシに突き刺しました。
ウミウシの体に大きなさざ波が走ったと思うと、いきなり激しく炎を吹き上げました。あっという間に、ウミウシもフルートも炎の中に飲み込まれてしまいます。
「フルート! フルート……!!」
シルヴァがこれ以上ないほど青ざめながら叫びました。炎は夜空を焦がす勢いで、ごうごうと燃え上がっていました。
けれども、炎がおさまり、燃えかすが風の中に崩れていくと、その中からフルートが立ち上がりました。全身にこびりついた黒い灰をふるい落とすと、金の鎧が現れて光り輝きます。
シルヴァはぽかんとそれを見ていましたが、やがて、頭を振って言いました。
「わかったよ、これも魔法の鎧のおかげなんだろう……? あんた、これまでもずっとこんな戦いばかりしてきたのか?」
シルヴァのフルートを見る目が、今までとは変わっていました。
フルートは何も答えずに、ただ、ほほえみ返して見せました。やっぱり少し淋しそうな微笑でした。
その時、重い音が響き渡って、目の前の城壁から跳ね橋が下りてきました。地響きを立てながら水路の上に橋がかかり、第二の門が開きます。
「行こう」
フルートはそう言うと門に向かって歩き出しました。その手には炎の剣がしっかりと握られていました――。