渦王の城は、森の奥深いところに、緑に紛れるように建っていました。
普通の城のように上に高くそびえるのではなく、横に低く広がっている平城(ひらじろ)です。城全体は白っぽい石で造られていましたが、庭や城の周りのいたるところを植物の緑がおおっているので、どこに城があるのか、一目ではわからないくらいでした。
城の外側を石造りの壁と水路が取り囲んでいて、跳ね橋が上がっていました。跳ね橋が下がると水路の上に橋がかかり、門の入り口が開くのです。
門が見えるあたりまで近づいたフルートとシルヴァは、茂みの陰に隠れながら城の様子をうかがいました。日は暮れてしまいましたが、まだ空が明るいので、あたりの様子を見通すことができます。
水路の手前に人のようなものが見えました。大きな槍を手に、森を向いて立っています。丈の短い服を着ていますが、体のむき出しになった部分は銀のウロコでおおわれていて、頭は魚にそっくりでした。腕や足にはひれのようなものも見えます。
「あれが半魚人……?」
とフルートが尋ねると、シルヴァはうなずきました。
「ギルマンって言って、半魚人の中でも特に強くて頭のいいヤツさ。渦王の親衛隊長だ。いつもは渦王のそばで守っているはずなのに、なんで今日に限って門番なんかやってるんだ?」
といまいましそうな顔をすると、声を潜めて、さらに続けます。
「あの城の周りの水路は海水だ。森の泉と同じように、底で海やいろんな場所とつながってる。今はあのギルマンしか見えないけど、あいつが合図をすれば、きっと水路から渦王の手下が大勢現れる。ここは危険だから別の場所から入ろう」
けれども、フルートはじっと半魚人を見つめながら言いました。
「他に、もっと簡単に城に入れる場所があるの?」
シルヴァは一瞬ことばに詰まりました。壁はぐるりと城を取り囲んでいるし、海水が充ちた水路もずっとそれを取り巻いています。実を言えば、どこから行っても入りにくいことは同じくらいなのでした。
「でも、あいつはやばいよ。まともに相手になんてできない」
とシルヴァが懸命に言うと、フルートはきっぱりと答えました。
「周りのどこからも入れないのなら、行く場所はひとつさ。正面から乗り込むだけだ」
「お、おい……!」
あわてて引き止めようとするシルヴァを振り切って、フルートは茂みの中から出ていきました。魚人の立つ門目ざして、まっすぐ歩いていきます。
「あいつ、本物の大馬鹿だ」
とシルヴァがあきれてつぶやきました。とばっちりを食らって、自分まで見つかってしまってはたまりません。シルヴァは茂みの奥へそろそろと下がって、注意深く自分の姿を隠しました。
フルートが門の前まで行くと、半魚人が槍で行く手をふさぎました。
「待て。どこへ行くつもりだ」
と丸い目をぎょろぎょろさせながら尋ねてきます。その顔は本当に魚そのもので、開いた口には短く鋭い歯がずらりと並んでいました。
フルートははっきりした声で言いました。
「友だちを取り返しに来たんだ。そこをどけ」
「ほう」
半魚人のギルマンが面白そうにフルートを見下ろしました。ギルマンは長身で、二メートル近い身長があります。
「小さいくせに威勢がいいな、人間の小僧。なるほど、おまえが金の石の勇者だな。渦王様から話は聞いている。中に入りたければ、わしを倒していけ。わしを破れば橋が下りる。だが――永遠に城に入れる日は来ないがな!」
そう言って、いきなりギルマンが槍を繰り出してきました。フルートの胸をまともに突こうとします。
フルートは素早く飛びのくと、背中から炎の剣を抜きました。目にもとまらない早さで槍の柄を切り払います。とたんに、木でできた柄は火を吹いて燃え上がりました。
驚いて槍を手放したギルマンに、フルートはためらうことなく切りかかっていきました。炎の剣がウロコの体をかすめそうになります。
かろうじて身をかわしたギルマンは、大きく飛びのくと、フルートを見ながらにんまりと笑いました。
「なるほど、確かにおまえは勇者か。では、わしも本気で相手をしなくてはならんな」
また切りかかっていくフルートをかわして、水路に駆け寄ります。水面に手を突っ込んで水の中から取りだしたのは、長い三つ又の矛(ほこ)でした。全体が黒っぽい銀色に光っています。
ギルマンが矛でフルートを突いてきました。今度はフルートが身をかわします。
その後を追うように次々と矛を繰り出しながら、またギルマンが笑いました。
「渦王様からじきじきにいただいた海の矛だ。鎧など簡単に突き通すぞ。それ!」
高い位置から矛が襲いかかってきました。避けられません。フルートは、とっさにダイヤモンドの盾を構えました。矛が盾に当たって跳ね返されます。
「なに……!?」
ギルマンが驚きに目を見張りました。
その隙にフルートは飛び起き、矛の上を飛び越えて、ギルマンの目の前に立ちました。炎の剣で切りつけます。剣が敵の服を切り裂き、炎を上げます。ギルマンは悲鳴を上げて、水路の中に飛び込みました。
「嘘だろ、ギルマンに一太刀浴びせたぞ……」
茂みの奥から戦いを見守っていたシルヴァが、信じられないようにつぶやいていました。
渦王の親衛隊長のギルマンは、海の矛を自在に操る勇猛な戦士で、今までどんな敵にも負け知らずだったのです。ウロコにおおわれた体はおろか、その服の端さえ敵に傷つけられたことがないと言われていました。
フルートが水路に駆け寄ってまた剣をふるいます。水の中からギルマンが矛で応戦しています。身長差がなくなって、フルートの方がむしろ優勢に見えます。
「あいつ、まさか本当に――」
と言いかけて、シルヴァはまたじっと戦いを見つめました。心の中で「本当に渦王まで倒すかもしれない」と考えたのですが、それを口に出すのが怖いような気がしたのでした。
ふいにギルマンが水路の中に潜りました。姿が見えなくなります。
フルートは息を弾ませながら水面を見渡しました。薄暗くなってきた景色の中、水路の水は黒々と横たわっていて、中をのぞき見ることができません。
フルートは全身の神経を研ぎすまして、水の中の気配を知ろうとしました。遠い昔、ゼンと一緒に地底湖でグラージゾと戦った時のことが、一瞬頭の中をよぎっていきます。息詰まるような緊張は、あのときと同じ感覚です。
すると、突然水しぶきを立てて、中からギルマンが飛び出してきました。宙高く飛び上がり、三つ又の矛を突き出してきます。
フルートは、とっさに盾で矛を受け止めました。が、力任せの攻撃に耐えきれず、よろめいて後ろ向きに倒れました。
その胸を狙って矛が突き出されてきます。
と、また堅い音がして、矛が跳ね返されました。フルートが着ている魔法の鎧の方が、矛の切っ先より強力だったのです。
フルートは咳きこみながら立ち上がりました。強烈な矛の一撃に胸を強く打たれて、一瞬息ができなくなったのです。その隙を逃さず、ギルマンがまた攻撃してきました。魔法の鎧のたった一カ所の弱点――フルートの顔を狙って矛を突き出してきます。
フルートはあわててのけぞり、きわどいところで矛先をかわしました。その鋭い刃先がフルートの額をかすめ、浅い傷を作ります――。
「あっ、やばい!」
茂みの中でシルヴァが思わず叫びました。
ギルマンが使う海の矛は、頑強なだけでなく、その刃先には猛毒が仕込まれているのです。案の定、みるみるうちにフルートの顔が土気色になり、足下がよろめき始めました。
ギルマンが、またにんまりと笑いました。
「これで決まったな、勇者。あの世から出直してこい」
とどめに海の矛をフルートの顔面にたたき込もうとします。
すると、フルートの体が下に沈みました。倒れたのではありません。自分から素早くかがみ込んだのです。
宙を貫いていった矛の下を、フルートが飛び出していきました。鎧を着た体を丸めて、魚人の足に体当たりしていきます。ギルマンが体勢を崩して前のめりになります。
フルートは、その体の下をかいくぐり、振り返りざま炎の剣でギルマンに切りつけました。鋭い刃が魚人の背中を切り裂き、傷口から炎を吹き出します。
ギルマンはすさまじい悲鳴を上げると、三つ又の矛を狂ったように振り回しました。フルートをしりぞけ、まっしぐらに水路に駆け寄って飛び込みます。魚人の姿は大きな水音と共に水中に消え、それっきり、いくら待っても、もう戻ってはきませんでした。
それでもフルートは炎の剣を構えたまま警戒し続けていました。水底でつながっているという水路から、新しい敵が現れるのではないかと思ったのです。けれども、その気配もなく、あたりは静まりかえっていました。
すると、がさごそと音をたてて、茂みからシルヴァが出てきました。大きなため息をつきます。
「はぁ。ホントに、何かの間違いじゃないのか? あのギルマンを撃退するだなんて……」
と信じられないものを見る顔でフルートを見つめますが、次の瞬間、驚いて声を上げました。
「あんた、矛の傷がないじゃないか!」
「ああ」
フルートは傷跡が消えた自分の額に触れて、ちょっと笑って見せました。
「大丈夫なんだよ。ぼくには魔法の金の石があるから。傷も毒も、すぐに消えてしまうんだ」
「それでか」
とシルヴァは納得しました。矛の猛毒を受けたはずのフルートが、今はもう普通の顔色をして平気で立っています。
そのとき、重い音を立てながら、跳ね橋がゆっくりと下り始めました。地響きを立てて、水路の上に橋がかかります。その向こう側の石壁に、城内に続く入り口がぽっかり口を開けました。
「ふぅん、本当にギルマンを倒したら入れるんだ」
とフルートはつぶやき、抜き身の剣を持ったまま歩き出しましたが、ふと立ち止まると、シルヴァを振り返りました。
「君はここでもう引き返したほうがいい。あとはもう、ぼくだけで大丈夫だよ。ここまで案内してくれて、本当にありがとう。」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
シルヴァがあわてて声を上げました。
「冗談じゃない、ここまで来て、おめおめと帰れるか! 俺も絶対一緒に行くぞ!」
それを聞いて、フルートは、ちらっとどこかが痛むような表情をしました。同じようなことを言って渦王に連れ去られてしまった仲間たちを思い出したのでした。
「気をつけてね」
とだけ言うと、フルートは先に立って橋を渡り、城門をくぐりました――。