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第3巻「謎の海の戦い」

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12.怪物

 怪物の腹の中で、フルートたちは無事でいました。

 怪物が海水ごと彼らを飲み込んだとき、波の馬が水の流れに乗って一気に腹の中まで駆けていったので、鋭い歯にかみ裂かれずにすんだのです。

 怪物の胃袋の中は湿っぽくて暖かく、そして、むっとするような悪臭でいっぱいでした。ほんの少しの光も差さないので、本当に真っ暗闇です。

「ワン、何も見えませんね」

 とポチが困ったような声を出しました。夜目が利く犬でも、まるで光がない場所では何も見ることができません。

 フルートも困ってしまいましたが、ふと、黒い霧の沼に行ったときのことを思い出して、鎧の内側から金の石を引き出してみました。真っ暗な霧の中で金の石は自ら輝いて、行く手の道を示してくれたのです。思った通り、外に出たとたん、ペンダントの石は光り出して周囲の様子を照らし出しました。

 そこは薄紅色の洞窟でした。怪物が巨大なので、胃袋も十メートル近い奥行きがあります。周りの至るところで、ひだの寄った肉の壁が大きくうごめいています。

 彼らの足下には水がたまっていました。どのくらいの深さがあるのか、見当がつきません。波の馬は今は立ち止まって、水面の動きに合わせて揺らめいていました。その水の中に、半ば溶けて骨になりかけている魚や鳥を見つけて、フルートはどきりとしました。あわてて腕の中のポチを抱き直します。

「絶対に馬から下りちゃだめだ。下にあるのは胃液だよ。中に入ったら、ぼくたちまで消化されてしまうんだ」

 ポチは思わず毛を逆立てて、波立つ胃液の海を眺めました。確かに、そこに浮かぶ死骸は見る間に溶かされて小さくなっていきます。ただ、波の馬だけは、水でできているので、消化される心配はないようでした。

 

「ワン、これからどうしましょうか?」

 とポチがフルートに尋ねました。とりあえず溶かされる心配はないものの、時折、胃袋の洞窟は上下が入れ替わるほど大きく動き、そのたびに胃液が激しく流れ動きます。波の馬は器用に流れに乗りながらやり過ごしますが、いつ何時、フルートたちが馬の背から落ちてしまうかわかりませんでした。

 フルートは、周りを見回しながら考えていました。怪物の胃を切り裂き、腹を割いて外に飛び出すという強行手段はありますが、怪物が巨大なので、どのくらい切っていけば外に出られるのか、見当がつきません。おそらく、たっぷり十メートル以上の距離があるでしょう。ゼンと違ってフルートは非力です。それだけの肉と脂肪を切り進み、丈夫な皮膚を切り裂いて外に出られる自信はありませんでした。剣も途中で折れてしまうかもしれません……。

 すると、突然波の馬が言いました。

「クジラの口を開けさせてください。そうすれば、私が駆けて外に飛び出します」

 フルートとポチは、びっくり仰天しました。馬はここまで一言も口をきかなかったので、てっきりしゃべれないのかと思っていたのです。

 けれども、フルートは驚きながら、二つの不思議なことにも気がついていました。

「クジラって……やっぱり、これはクジラなの? それに、君はなぞなぞの呪いにかかっていないんだね……?」

 波の馬が水の首を巡らして、フルートたちを振り返ってきました。その瞳は深い海の青、口から聞こえてくる声は、波の泡立つ音によく似ていました。

「私は呪いの後で生まれた生き物なので、普通にしゃべれるのです。渦王が東の大海に呪いをかけたとき、海王様は大変お腹立ちになって、自ら渦王の島に乗り込もうとされました。そして、海の馬車を引かせるために、波から私たちを作られたのです。けれども、その直後、海王様は渦王に拉致(らち)されてしまいました。海王様を助けたくても、しょせん私たちは波。島の上までは助けに行けません。そのとき、金の石の勇者の一行が東の大海に来られたという噂を聞いたので、洋上を駆けて手伝いに来たのです。ただ、私たちは波になって走るときには、それだけでもう精一杯です。これまで、とても話をすることはできませんでした」

 それから、馬はまた首を巡らして、胃袋の洞窟の中を見回しました。

「ウミツバメが言っていたとおり、これは確かにクジラです。本来の姿とは似ても似つかない姿になっています。渦王の呪いが海をおおったとき、多くの海の生き物たちがこんなふうに姿を変えられて、凶暴な怪物になってしまったのです」

 ワン、とポチが鳴いて口を開きました。

「ゼンが吐き出した『人魚の涙』を飲み込んだ黒い魚! あれも三本の角を生やしていて、怪物みたいな形をしていましたよ!」

 波の馬はうなずきました。

「怪物になった生き物は、渦王の意のままに動くようです。海王様を助けに来た勇者たちが目障りで、次々に妨害してきているのです。このクジラもそうです。明らかに勇者を狙っていました。さっきの嵐も自然のものではありません。その金の石が守ってくれなければ、全員が海に飲み込まれてしまったでしょう」

 

 フルートは金の石を手にとってじっと眺めていました。石は金に光りながら、奥のほうから、きらりきらりとまた別の輝きを放っています。

「石が反応してる……」

 とフルートはつぶやくと、顔を上げて馬に尋ねました。

「渦王は乱暴者で、よく嵐や津波を起こすって聞いていたけど、こんなふうに呪いをかけてきたことは今までにもあった?」

 馬は小首をかしげました。

「私は生まれて間もないので詳しくは知らないのですが、おそらく、初めてのことだろうと思います。海王様が私たちを生み出されたとき、『今度という今度は渦王を許すわけにはいかない』と大変お腹立ちでしたので」

「フルート?」

 とポチが不思議そうに尋ねました。馬の返事を聞いたとたん、フルートの顔が怖いほど真剣になったからです。

「闇の力だ」

 とフルートは言いました。

「金の石は闇の力が近くにあると反応する。きっと、このクジラだ。闇の力がクジラを怪物に変えたんだよ」

「じゃ、闇の敵がいる、ってことですか?」

 とポチが驚くと、波の馬が言いました。

「ですが、先ほどの嵐、あれは確かに渦王の仕業ですよ。あれほど大きな海の魔法を使えるのは、渦王以外にはいません」

 フルートは考え続ける顔で答えました。

「今回のことは、確かに渦王の仕業だと思う。だけど、その後ろにきっと闇の力がいて、渦王に荷担しているんだよ。だから、力が互角のはずの海王も、あっさりと渦王に捕まってしまったんだ」

「その闇の力ってなんでしょう? また闇の敵が動き出しているんですか!?」

 とポチがまた背中の毛を逆立てました。黒い霧の中に潜んでいた闇の卵、天空の国を乗っ取っていた魔王――そんな闇の敵の姿が思い浮かびます。

 フルートは厳しい声で続けました。

「敵の正体はわからない。でも、渦王のそばに闇の敵もいるんだとしたら……ゼンが危ない!」

 ポチは無言で目を見張りました。背筋を冷たいものが走り抜けて、逆立った毛を震わせていきます。

 

 フルートは背中の鞘から炎の剣を抜きました。

「こいつに口を開けさせればいいんだね?」

 と波の馬に言いながら、両手で剣を構えます。お化けクジラの胃袋は大きくうごめき続けています。フルートは、その胃壁めがけて、思いっきり剣を振りました。

 ゴウッ!

 激しい音と共に剣の切っ先から炎の塊が飛び出し、肉色の壁に当たって飛び散りました。

 とたんに、胃袋の中が大荒れになりました。上下左右がめちゃくちゃに入れ替わり、胃液の海が大波を立てます。クジラが、突然胃を襲った熱と痛みに驚いて身もだえしたのです。

 あわてて馬にしがみついたフルートの膝から、風の犬になったポチが飛び出していきました。

「ワン! ぼくもやります!」

 風になってしまえば、胃液で溶かされる心配もありません。ポチは胃袋の中を縦横無尽に飛び回ると、鋭い風の牙で、ところかまわずかみついていきました。

 クジラはまた大暴れして、海の中を転げ回りました。胃の海もめまぐるしく回転しましたが、波の馬がぴったりとその動きに合わせて走るので、フルートが胃液に飛び込むようなことはありませんでした。

 フルートはまた剣を振りました。炎が音をたてて胃壁に炸裂します。

 すると、ぐうんと体が急上昇するような感覚がして、遠くから激しい水音が聞こえてきました。天井にぽっかりと穴が開いて、そこから冷たく澄んだ空気が流れ込んできます。お化けクジラの吠える声がとどろきます。クジラが海面に飛び出して、空に向かって悲鳴を上げたのでした。

 天井の穴の彼方に、一瞬星の輝く夜空が見えました。

「あそこが出口だ!」

 とフルートは叫びましたが、クジラがまた横転したので、いそいで馬につかまりました。

 クジラの口から胃袋の中に、どうっと水が流れ込んできました。胃を焼く熱と痛みを消そうとしたのでしょう。大量に海水を飲み込んできたのです。

「行きますよ!」

 波の馬が叫んで駆け出しました。

「ポチ!」

 とフルートは叫びました。風の犬が素早く飛び戻ってきて、フルートの腕の中で子犬に戻ります。

 馬は、流れ込んでくる海水の流れの上を、激しいしぶきを立てながら駆け上っていきました。まるで流れ落ちる滝をさかのぼっていくようです。猛烈な水音が彼らを包んで、それ以外には何も聞こえなくなってしまいます。フルートは剣を抱え、ポチを抱きしめて、必死で馬にしがみつき続けました。

 そして――

 彼らはクジラの口から海に飛び出しました。

 

 海面は暴れ回るクジラが立てる波で大荒れに荒れていました。波の馬はその上を越えて、どんどん遠ざかっていきます。

 すると、クジラがまた頭を上げて、空に向かって吠えました。オォォォォン、と悲鳴が響き渡ります。

 そして、その声を最後に、怪物は海の中深く潜っていって、二度と戻ってきませんでした。後には大きな渦巻きが残り、それもやがて消えていきました。

 波の馬は立ち止まりました。海面の波に合わせて揺れながら、怪物の消えた海を振り返ります。

「もう大丈夫ですね。やつは逃げていきました」

 金の石も、きらめく光がおさまって、また穏やかな金色に輝くだけになっていました。フルートは、ほっとすると、鞘に剣を戻しました。

「ワン、ウミツバメはもういませんね……」

 ポチが周りを見回しながら心配そうに言いました。月に照らされた海上は明るくて見通しがききましたが、ウミツバメの黒い小さな姿はどこにも見あたらなかったのです。クジラに飲み込まれたまま、だいぶ移動してしまったようでした。

 すると、波の馬が言いました。

「大丈夫です。ウミツバメのおかげで、ずいぶん近くまで来ることができました。ここからならもう、私にも渦王の島の場所が感じられます。間もなく夜明けです。明るくなる頃には、渦王の島に着くでしょう」

 フルートは海の上を見渡して、白み始めている水平線を見つめました。彼らが出発してきた東の大海の方向です。水平線の上の星たちが、急激に光を失って薄くなっていました。

「それでは、行きます」

 と馬が言って駆け出しました。明るくなってきた東の空を背後に、暗い海の上を走っていきます。スピードが上がるにつれて、その脚の下で白いしぶきが上がり、やがて泡立つ波しぶきに変わっていきます。水の蹄が海面をたたく激しい音は、とどろく波の音そのものでした。

 西へ、西へ、渦王の城のある島を目ざして。

 フルートとポチを乗せた波の馬は、ひたすらに走り続けていきました――。

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