嵐は去りました。
空は輝くバラ色の雲でいっぱいになり、波を同じ色で染めていました。夕暮れがやってきたのです。
海の上を、一頭だけになった波の馬が駆け続けていました。背中ではフルートとポチが眠っています。嵐をやり過ごして、疲れと安心から寝入ってしまったのです。金の石はもう光のベールを放つのをやめて、ただ静かに光り続けていました。彼らの先をウミツバメが飛び続けています。
やがて、ふっと目を覚ましたポチが、夕映えに照らされた海に気がついて、あわててフルートを起こしました。
「ワン、フルート、フルート、見てください! すごく綺麗ですよ!」
フルートも目を覚まして周りを眺め、思わず息をのみました。海上は赤と金でいっぱいでした。弱まった風が起こすさざ波に夕日が反射して、ちらちら、きらきらと輝き続けています。浜辺で出会ったカニたちは、夕焼けを波にララの花が浮かぶと表現しましたが、まさしくそんな感じでした。
行く手の水平線に、真っ赤な太陽が沈み始めました。水平線に太陽の端がかかったと思うと、まるで溶けるように、海の向こうへ消えていきます。フルートとポチは、太陽がすっかり沈みきるまで、ずっとそれを見つめ続けました……。
空と海から赤い輝きが消えると、空が暗くなって、星が見え始めました。夜の中でもウミツバメは飛び続け、その後を追って、波の馬が走り続けていきます。
ポチがフルートを見上げてきました。夜になっても、星明かりでポチの白い姿は見えます。
「渦王の島って遠いんですね。どこにあるんでしょうね?」
フルートは首を振りました。フルートこそ、それを知りたいのは山々なのですが、波の馬は口がきけないし、ウミツバメに尋ねればなぞなぞが返ってきてしまいます。うまく答えを言い当てられれば良いのですが、もしも間違えてしまったら、ウミツバメは彼らから離れてしまうでしょう。水先案内人を失うようなことはできませんでした。
「お腹空いてない?」
と言いながら、フルートはまたリュックサックを下ろして、中から干し肉と水筒を取り出しました。ポチは喜んで食べ始めましたが、フルートが何も口にしようとしないので、また顔を上げました。
「どうしたんですか? フルートも食べないと」
「ぼくはいいよ。お腹が空いてないんだ。水だけ飲めば充分さ」
とフルートは答えると、水筒の中身を一口だけ飲みました。水筒は手の中で大分軽く感じられるようになっています。実は、水も食料もだいぶ乏しくなってきていたのです。周り中を水に囲まれているのに、海水では飲むわけにはいきません。早く目ざす渦王の島にたどりつかなければ、飢えや渇きで倒れてしまいかねないのでした。
けれども、フルートは何も言わずにポチの分の水を器に注ぐと、じっと行く手に目を向けました。水平線の上にも星がまたたいています。島影はまだ見えません――。
真夜中、ふいにウミツバメがキィーッキィーッと鋭い声を上げました。この鳥は、小さな体で延々と海の上を飛び続けていたのです。
波の馬の背でうとうとしていたフルートとポチは、はっと目を覚ましました。海は、いつの間にか空に昇ってきた月に照らされて、銀の鏡のように光っていました。
「なぞなぞ、なぞなぞ」
ウミツバメがすぐ近くまで飛び戻ってきて、せわしない声で言いました。
「海の中行く獣の魚、島の背中に大きな噴水、なぞなぞ、なぞなぞ、これは何!?」
嵐を告げたときと同じように、ひどくせっぱつまった声です。けれども、フルートには全然わかりません。
「海の中行く獣の魚……?」
すると、ポチがワン、と吠えて言いました。
「ぼく、聞いたことがあります。海には魚のような姿をした獣がいるんだそうです。中には、島みたいに大きなやつもいるって」
「それは!?」
とフルートはせき込んで聞きました。
「ワン、クジラっていう生き物です。鼻が背中についていて、そこに入った水を勢いよく噴き上げるんだそうですよ」
「あたり、あたり、あたり」
とウミツバメが甲高い声を上げて、行く手を見ました。月に照らされた海面が、ふいにぐうっと持ち上がったように見えました。
フルートは、とっさに馬に向かって叫びました。
「危ない! 避けるんだ!!」
波の馬が大きく向きを変えました。フルートとポチは背中から振り落とされそうになって、あわてて馬にしがみつきます。
すると、海中から真っ黒いものが姿を現しました。小山のように大きな生き物です。醜いライオンのような頭が高々と持ち上げられ、月に向かって吠えます。
オォォォ……ン! と咆哮が海上に響き渡ります。
「こ、これがクジラ?」
とフルートは驚きました。魚のような姿と言うより、怪物そのもののようです。
すると、何十メートルも離れた海上に、大きな魚の尾が突然現れて、激しく水面を打ちました。そこまでクジラの体があるのです。信じられないほどの大きさでした。
「なぞなぞ! なぞなぞ!」
ウミツバメが悲鳴のように叫び続けていました。本当のなぞなぞを言う余裕さえないようでしたが、「逃げろ、逃げろ!」と叫んでいるのは、はっきり伝わってきました。
波の馬がいっそう速く駆け出しました。脚の下で激しい波の音が上がります。
クジラが後を追ってきました。みるみるうちに後ろに迫ってきます。と、突然、水中から太い前足が現れて、波の馬とその背中の子どもたちを打ちたたこうとしました。前足にはライオンのような鋭い爪がついています。馬はきわどいところでそれをかわしましたが、爪の先が水の尾を引き裂いて、真っ白なしぶきが上がりました。
「ワン、変です!」
ポチが叫びました。
「クジラに足があるなんて、聞いたことがない! これはクジラじゃない! 本物の怪物ですよ!」
フルートは唇をかんでいました。波の馬にしがみつき、もう一方の手でポチを抱きしめているので、剣を抜くことができないのです。
また怪物が襲いかかってきました。爪のついた前足が、今度はすぐ近くの水面をたたきつけます。ポチがまた、ワン! と吠えました。
「フルート、ぼくを離してください! 風の犬になって戦います!」
けれども、フルートはそれでもポチを離すことができませんでした。手を離したら最後、広い海上でポチと離ればなれになるような気がしてしまったのです。ポチを抱く腕にいっそう力をこめると、波の馬の上に身を伏せます。
怪物がすぐ後ろまで迫ってきました。波の馬は矢のように駆け続けていますが、それを上回る速さです。
「ワン、フルート、フルート……!」
「キィーッ、なぞなぞ、なぞなぞ!」
ポチとウミツバメの叫びが混じり合います。
怪物が音を立てて水中に潜りました。突然海は静かになり、月の光が水面を銀に照らすだけになります。フルートは思わず顔を上げて、あたりを見回しました。どこにも怪物の姿は見えません。
「どこだ……?」
その時、ウミツバメがまたキィーッ! と鳴きました。フルートたちが、はっとした瞬間、行く手の水面が大きく盛り上がり、水しぶきを上げながら巨大な頭が現れました。その真ん中に、鋭い牙の並ぶ巨大なトンネルが開いています。怪物の口です。
「逃げろ!」
とフルートはまた馬に叫びました。馬が必死で方向転換します。けれども、怪物はおおいかぶさるように迫ってくると、海水ごと波の馬を飲み込みました。背中の上のフルートとポチも、もろともにです。そして、次の瞬間には、海中深く潜ってしまいました。
海は再び静かになりました。風がとだえて波が消えた海面を、月がこうこうと照らすばかりです。もうどこにも怪物の姿はありません。波の馬とフルートたちの姿も見えません。
「キィーッ。なぞなぞ、なぞなぞ、なぞなぞ……!」
ウミツバメの叫び声が、いつまでも夜の海上に響き続けていました。