波の馬たちはフルートとポチを乗せて海の上を駆け続けていきました。
目ざしているのは西の水平線です。どこまで走っても青い海原が続くだけで、島影ひとつ見えません。
フルートは頭の中で世界の地図を思い浮かべていました。
フルートやポチが住むロムドの国や、ゼンが住む北の山脈は、中央大陸と呼ばれる大きな大陸にあります。その西に広がっているのがユーラス海です。
泉の長老は、ユーラス海が東の大海のことだと言っていました。ということは、西の大海は、ユーラス海のさらに西側にある海ということになります。
「グロンゴン海のことだな、きっと」
とフルートはつぶやきました。ユーラス海と同じくらいの広さがあって、その西側は中央大陸の東海岸と接しています。ユーラス海とグロンゴン海は海続きになっていますが、南のほうに別の大陸があって、それが二つの海を隔てる目印になっています。フルートは試しに南へ目を向けてみましたが、やはり、陸地のようなものはまるで見えませんでした。
すると、フルートの膝に乗っていたポチが、あえぎながら言いました。
「ワン。フルート、水を少しもらえますか? ぼく、さっきから咽がからからで……」
「あっ、ごめん」
フルートは驚いて、あわてて背中のリュックサックを下ろしました。フルート自身は魔法の鎧のせいで感じなかったのですが、海上は日差しが強くて、かなりの暑さになっていたのです。
水筒を取りだして器に水を入れてやると、ポチは夢中で飲み始めました。その様子に、フルートはふっとポチと出会ったときのことを思い出しました。霧の中で迷って今にも飢え死にしそうになっていたところを、ゼンと二人で介抱して命を助けたのです。今は、そのポチが、フルートと共にゼンを助けに向かっています。広い広い海原の上、ポチだけはフルートと一緒です……。
フルートがじっと見つめているのに気がついて、ポチが顔を上げました。
「どうしたんですか?」
「あ、ううん」
フルートは我に返ったように首を振ると、あわててまたリュックサックをかき回しました。
「水だけでなくて、何か食べたほうがいいよね。干し肉はきっと大丈夫だと思うな……」
なんとなく、フルートが表情を隠したような気がして、ポチはけげんな顔になりました。
海はどこまでも続いています。
聞こえてくるのは、馬たちが脚の下で立てる激しい波の音と、吹きすぎていく風の音だけです。太陽は頭上を通り過ぎて、正面の空で輝いていましたが、それ以外には何も変化のない、単調な風景が広がっています。
フルートはまた行く手を見ながら考えていました。どこまで行けばよいのでしょう? どこに渦王の島はあるのでしょう? 見通しがまるで立たなくて、不安が泡のようにわき起こってきます。波の馬にも何度も尋ねてみたのですが、馬は口がきけないのか、黙ってひたすら走り続けるだけでした。
ポチは、満腹になってフルートの膝の上で眠っていました。馬が波の山を駆け下った拍子にずり落ちそうになって、フルートがあわてて押さえましたが、それでも気がつかないで眠り続けています。フルートは、またポチを見つめました。手に触れるポチの毛並みはなめらかで、とても心地よく感じられます……。
すると、突然すぐ近くから甲高い声が上がりました。
「ニャア、ニャア、なぞなぞ! なぞなぞ!」
フルートはびっくりして顔を上げました。いつの間にやってきたのか、灰色の翼の白い鳥が、波の馬と並んで、すぐ近くを飛んでいました。猫のような鳴き声の鳥で、「なぞなぞ」が「にゃぞにゃぞ」と言っているように聞こえます。
「君は誰?」
とフルートは思わず尋ねました。
すると、鳥は黄色いくちばしを開きました。その尖端には紅を差したように赤い色がありました。
「ニャアと鳴いてもネズミは捕らない。風を切り、風に乗り、魚を追う猫、これなんだ」
なぞなぞです。フルートには、鳥が自分のことをなぞなぞにしているのだと気がつきました。けれども、フルートは海に来たのは初めてです。海に住む生き物の名前も、まるで知らないのでした。
「え……わからないよ」
と思わず口に出したとたん、鳥は激しく羽ばたいて、ニャアニャア、と甲高く鳴き出しました。怒ったような金切り声です。
その声でポチが目を覚ましました。間近を飛ぶ鳥に一瞬驚きましたが、すぐに言いました。
「ウミネコだ」
とたんに、鳥は鳴くのをやめました。赤い縁取りのある目で、悲しそうにフルートたちを見つめると、にゃぞにゃぞ、にゃぞにゃぞ、と鳴きながら、滑るように遠ざかっていってしまいました。
「ど、どうしたんですか?」
と驚くポチを、フルートは思わず抱きしめました。
「君を起こせば良かった。君ならちゃんと答えがわかったのに……。呪いでなぞなぞしか話せなくなった者たちは、なぞなぞが答えられないと、もうぼくたちを手伝うことができないんだ。でも、ぼくが、わからない、って言っちゃったから……」
ポチは遠ざかっていく白い鳥を眺めました。鳥は振り返りもせず、まっすぐに東のほうへ去っていきます。
「ワン、次はぼくも一緒に考えますよ。そんなにがっかりしないで」
とポチはフルートの頬をなめました。
ポチが言っていた「次」は案外早く来ました。
ウミネコが去ってから一時間とたたないうちに、別の鳥が近づいてきて、また「なぞなぞ」と鳴いたのです。この鳥はウミネコよりずっと小さくて、全身が黒っぽい色をしていました。
とたんに、ポチは心配そうに首をひねりました。
「あれ、この鳥は……?」
ポチだって全部の海鳥を知っているわけではありません。どこかで見たことがあるような気はするのに、名前がどうしても思い出せなくて、考え込んでしまいました。
けれども、幸い、この鳥は自分のことをなぞなぞにはしませんでした。代わりに、こんなことを言い出します。
「水平線の向こうから近づいてくる黒い巨人。その腕はつかめない、その足は見えない、その武器は防げない。ハンマーにたたかれ、鞭に打たれ、波の馬は散らされる。海に落ちて死にたくなければ逃げるが勝ち」
「えっ」
フルートとポチは顔を見合わせました。さすがのフルートにも意味が全然わかりません。ただ、鳥の声と様子がひどく緊張していて、なにか大事なことを伝えようとしていることだけは感じられました。
すると、ポチがワン、と鳴きました。
「思い出しました。この鳥はウミツバメです。別名が嵐ツバメ。この鳥を見かけると、嵐が来ると言われているんです」
とたんにフルートも声を上げました。
「わかった! つかめない腕、見えない足の黒い巨人は『嵐』だ! 嵐が水平線の向こうから近づいてくるんだ!」
「あたり、あたり、あたり!!」
ウミツバメが甲高く叫んで、行く手の海を見ました。その水平線の向こうから、みるみるうちに黒い雲がわき起こってきます。雲は水平線の上をおおい、ものすごい速さでこちらへ近づいていました。
「嵐が来る!」
とフルートは波の馬に叫びました。馬たちも、青い瞳で黒雲を眺めました。波の音をたてながら、いっせいに向きを変え、暗雲のない方向へ逃れようとします。ウミツバメがその後を追ってついてきます。
黒雲が空を走り、あっというまに頭上をおおいます。強い風が吹いてきて、波の馬たちを大きくあおります。次の瞬間、ざあっと音をたてて大粒の雨が降ってきて、フルートたちは目も開けていられないほどになりました。
海が大荒れになって、海面が上へ下へと大きく揺れ始めます。馬たちは大波の頂上から谷底へと駆け下り、駆け上がっていきます。まるで風の犬になったポチが急降下と急上昇を繰り返しているときのようです。
フルートは片腕で波の馬の首にしがみつき、もう一方の腕でポチをしっかりと抱きしめました。そうしないと、強風にあおられてポチもフルートも吹き飛ばされそうでした。波の馬のたてがみだけでなく、体全体が風で白いしぶきになり、どんどん崩れていきます。
「ワン! 波の馬が消滅します!」
とポチが叫びました。
「ぼくが風の犬に変身します! フルート、乗って――!」
「だめだ!!」
フルートはどなり返して、さらに強くポチを抱きしめました。嵐の中は激しい風と雨でいっぱいです。こんな中で風の犬に変身しようとすると、ポチ自身が強風にあおられて吹き飛ばされ、散らされてしまうのです。下手をすれば、ポチのほうが消滅してしまうかもしれません。
すると、嵐の中、バランスを取りながらウミツバメが追いついてきました。
「金の力、希望の光、勇者と共にいつもあって勇者を守る、これは何!?」
嵐の音にも負けない大声で、叱りつけるように言ってきます。
とたんに、フルートは、はっとしました。金の石です。守りの石のことです。フルートは、いつも肝心なときにこれの存在を忘れてしまうのです――。
けれども、猛烈な風と雨の中で金の石を鎧の中から取り出すことができませんでした。一瞬でも力をゆるめたら、馬から振り落とされるか、ポチを風にさらわれてしまいます。手を離すことができないのです。
ウミツバメが金切り声で繰り返してきました。
「なぞなぞ、なぞなぞ! これは何!? これは何!?」
「き……金の石だ……!」
風で息が詰まりそうになりながら、フルートはやっとそう答えました。
とたんに、金の光がフルートの鎧の胸元からあふれました。
雨と波しぶきを強い光で一瞬金色に染め上げると、柔らかなベールに姿を変えて、波の馬とその背中のフルートたちを包み込みます。
すると、体にたたきつけていた雨が止みました。激しい風もぴたりとおさまります。フルートとポチは驚いて顔を上げました。
海は相変わらず真っ暗で、猛烈な嵐に翻弄されていました。一緒に走っていた波の馬たちが、風に吹き散らされ雨に打たれてしぶきになり、次々と崩れて大波の中に飲み込まれていきます。最後に残ったのは、金の光に包まれているフルートたちの馬一頭だけでした。
相変わらず大きく上下に揺れる海面を、馬はひたすら走り続けました。風雨が届かなくなったので、また楽に走っていけます。
フルートは胸元から鎖についた金の石を引き出しました。石は金の澄んだ光を放ち続けていました。
「取り出さなくても、呼んだだけで守ってくれた……」
フルートが半ば呆然としながらつぶやくと、すぐ近くから甲高い声が上がりました。
「あたり、あたり、大あたり!」
ウミツバメが一緒に金の光の中に入りこんで、馬と並んで飛んでいました。
フルートはほほえみました。
「ありがとう。おかげで助かったよ」
「ワン、本当に命拾いしましたね」
とポチもほっとしたように言いました。周りは真っ暗な嵐が荒れ狂い続けています。この中に落ちてしまったら、おぼれることはなくても、絶対にもう巡り会えなくなるところでした。
すると、ウミツバメは得意そうな声で一言、なぞなぞ! と叫ぶと、翼を広げてすーっと馬の前に出ました。そのまま、先に立って飛び始めます。その様子は、まるで「自分についてきてください」と言っているようでした。
フルートは思わずうなずくと、波の馬に向かって言いました。
「後を追いかけて。きっと道案内してくれるつもりなんだ」
馬はそのことばがわかったように、鳥の後について駆け出しました。ウミツバメは小さな体を旋回させると、嵐の海の上をまっしぐらに飛び始めました。