家の外に出たフルートは、一面の雪景色に目を細めました。日の光が雪に反射して、本当にまぶしいくらいです。ふり仰ぐと、白い雲をぽつりぽつりと浮かべた青空がどこまでも続いていました。いい天気です。
ポチが元気に吠えながら駆け寄ってきました。
「ワンワン! やっと降りましたねぇ! 去年はとうとう積もらなかったから、ぼく、この冬は雪がまともに降らないのかと思ってましたよ」
雪が積もったのがよほど嬉しかったのでしょう。そう言いながら、子犬はまた飛び跳ねて、くぼみの雪だまりにダイビングしました。
フルートは思わず笑いました。
「まだ一月だよ。雪はまだまだ降るさ」
「ワン。もしも雪が降らなかったら、ぼく、ゼンのところまで飛んでいって雪遊びしてこようかと思ってました」
とポチが大まじめで言うので、フルートはまた笑いました。
「うん、ゼンがいる北の山脈なら、どっさり雪があるだろうね。多すぎて、ぼくらじゃ立ち往生するよ、きっと」
そして、フルートは荒野の彼方に見える山脈に目を向けました。
ゼンはドワーフの少年で、フルートの親友です。北の山脈で一番高い北の峰に住んでいて、父親たちと一緒に猟師をしています。ドワーフは元来、地下で鉱物を掘り出して加工をする種族なのですが、中にはゼンたちのように地上で猟をするドワーフもいるのです。きっとゼンたちなら雪の中でも平気で山を渡り歩き、獲物を追って狩りをしているのに違いありません……。
ポチが何か言おうとして、ふと、首をかしげました。まじまじとフルートの顔を見て尋ねてきます。
「ワン、どうかしたんですか? 元気ないですよ。具合でも悪いんですか?」
フルートはどきりとしました。急にさっきの悪夢がよみがえってきて胸に迫ります。フルートはあわてて笑ってみせようとして、失敗して泣き笑いの顔になりました。
「フルート」
ポチが足下に来ました。心配そうな目をしています。フルートはため息をつくと、かがみこんで小さな仲間を抱きしめました。
「嫌な夢を見ちゃったんだよ。魔王とエレボスが出てくる夢……」
「またですか?」
とポチが驚きました。フルートはポチを抱きしめたまま、黙ってうなずきました。
フルートがゼンやポチ、魔法使いのポポロと一緒に天空の国へ行き、魔王とドラゴンのエレボスを倒したのは、ちょうど半年前のことです。その後、ポポロは両親がいる天空の国へ戻り、フルートたちもそれぞれの家に帰って、何事もなかったように、また平和な生活を送っていました。
そうして、夏が過ぎ、秋が過ぎ、冬が来たのですが、いつの頃からか、フルートはたびたび不吉な夢を見るようになったのでした。
夢には決まって魔王が出てきます。黒いドラゴンのエレボスも現れます。フルートは仲間たちと一緒に魔王に立ち向かうのですが、いつも、思うように戦えません。魔王の力に圧倒されているうちに、仲間たちは次々に傷つき倒れていきます。今朝のようにポポロが死んでしまう夢を見るのも、これが初めてのことではなかったのです。
何度も同じ夢を見ているのだから、現実のことではないとわかりそうなものなのですが、何故だか、夢を見ている最中には気がつくことができません。フルートはいつも、必死で仲間たちを守ろうとするのですが、力及ばなくて仲間を死なせてしまいます。そして、自分自身の悲鳴や泣き声で目を覚ますのです。
あまりたびたびそんな夢を見るものだから、なにか悪いことの予兆なんじゃないか、という気さえしてくるのでした。
ポチが伸び上がって、フルートの頬をぺろぺろとなめました。
「大丈夫ですよ、フルート。魔王は確かに死んだんです。あんまりすごい戦いだったから、いつまでも忘れられないだけなんですよ」
フルートは何も言わずに雪の上に座りこむと、ポチを抱き直しました。ポチのぬれた舌は温かくて、なんだかほっとする思いがしました。
ポチが言い続けました。
「それに、もしもまた別の強い敵が現れたって心配いりませんよ。ぼくたちは、みんな相当強いんだもの。見た目とは違って、そんなに簡単にやられたりしませんよ」
フルートはそれを聞いて、思わずほほえみました。
そう、彼らは皆、子どもです。一番年上のフルートでさえ、つい半月前に十三歳になったばかりです。追いかけて、ゼンは今月十三歳になりますし、天空の国のポポロは十二歳、もの言う犬のポチはまだ九歳です。
誰が見てもただの子どもや子犬で、なんの力もないように見えるのですが、彼らはれっきとした勇者の一行でした。金の石の勇者フルートと、その仲間たちです。一年前には、ロムドの国をおおった謎の黒い霧を打ち払って、中心に潜んでいた闇の卵を破壊しましたし、半年前には、天空の国まで上っていって魔王とエレボスを倒し、天空の国を呪いから開放して、隣のエスタ王国を風の犬の恐怖から救いました。彼らは本当に、知る人ぞ知るの勇者たちなのでした。
フルートがやっと笑顔になったので、ポチは尻尾を振って言いました。
「ワン、朝食にしましょう。そろそろ学校に行かないと、遅刻しちゃいますよ」
「あっ、いけない!」
フルートはあわてて立ち上がると、家の中に駆け戻っていきました。
台所に入ると、両親の姿はなく、ただテーブルの上に朝食が準備してありました。
「お母さんたちは?」
とフルートが尋ねると、ポチが答えました。
「ワン。スエズさんとこの奥さんに赤ちゃんが生まれそうだって、今朝早く知らせが来たんですよ。この雪で隣町の産婆さんが間に合わないかもしれないから、お父さんの馬で手伝いに出かけたんです」
「そっか」
フルートは外套も脱がずにテーブルに着くと、あわただしく朝食のパンと牛乳を口に運びました。チーズをちぎって、足下のポチにも分けてやります。
ところが、それをほおばろうとしたポチが、ふいに耳をピンと立てました。真剣な表情でフルートの部屋を振り向きます。
「なに?」
とフルートも緊張しました。ポチがこんな様子を見せるのは、ただごとではない証拠です。
ポチが部屋のドアを見つめながら言いました。
「音がします……この音は……」
その時、フルートの耳にも、かすかな音が聞こえてきました。シャララーン、シャララーンと、ガラスの鈴を振り鳴らすような音が、フルートの部屋から響いてきます。
とたんに、フルートは椅子を蹴倒して飛び上がり、部屋に駆け込んでいきました。音は机の引き出しから聞こえています。フルートは机に飛びつき、ポチも机の上に飛び上がりました。フルートが引き出しを開けます――
引き出しの中で、魔法の金の石のペンダントが鳴っていました。
中央にはめ込まれた石は、昨日までなんの変哲もない灰色の石だったのに、今は金色になって、音に合わせて強く弱く光り輝いていました。半年前、魔王を倒した時に眠りについた石が、また目覚めたのです。魔法の金の石は、平和な時期には不思議な力を持っていません。世界を脅かすほどの敵が迫ってきた時、目覚めて金色に変わり、勇者を呼ぶのです。
フルートがペンダントを手に取ったとたん、シャララーンという音がやんで、代わりに老人の声が聞こえてきました。
「フルートよ、急ぎの用じゃ。支度をしてわしの泉へ来るがいい」
金の石のペンダントをフルートに与えてくれた、泉の長老の声でした。このシルの町のすぐそばにある魔の森の主であり、不思議な力を持つ魔法使いでもあります。
フルートはあわててペンダントに向かって答えました。
「わかりました! すぐまいります!」
とたんに、石は強く弱く輝くのをやめました。普通の金のように、静かに光るだけになります。泉の長老の声も聞こえなくなりました。
フルートとポチは顔を見合わせました。
「ワン、何ごとでしょう?」
「わからないよ。でも、長老が呼んでるんだから、きっと大事件だ」
とフルートは言いながら、即座に準備を始めました。
部屋の戸棚から魔法の金の鎧兜(よろいかぶと)を出して身につけ、壁から二本の剣を下ろして交差させて背負います。フルートは小柄なので、腰に長剣を下げては戦いにくいのです。ベッドの下からは丸い銀色の盾を取り出します。盾は魔法のダイヤモンドで強化されていて、たいていの攻撃や魔法にはびくともしません。どれもこれも、強大な敵と戦うための、選りすぐりの装備品ばかりです。じきに田舎町の少年の姿は消え、代わりに金色の防具に身を包んだ小さな戦士が現れました。
最後に魔法の金の石を首に下げようとして、フルートは、ふと手を止めました。突然また今朝の夢を思い出してしまったのです。敵と戦って傷つき倒れ、血を流して死んでいく仲間たちの姿が思い浮かびます。そんな恐ろしい戦いが始まろうというのでしょうか……?
フルートは唇をかむと、黙ってペンダントの鎖を首にかけました。金の石は、ただ静かに胸の上で輝いています。
開け放したままだった窓の外は、抜けるような青空で、どこかで悪いことが起こり始めているようには、とても見えませんでした。