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第2巻「風の犬の戦い」

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65.ご褒美

 「ふん、見つかっちゃったわね」

 部屋に現れた黒いドレスの魔女は、居合わせた人々をにらみつけると、最後にポポロを見据えました。

 思わず後ずさった少女の前に、フルートとゼンとポチがかばうように飛び出しました。

「おまえ、まだポポロを狙ってやがったな!」

 とゼンがどなります。

 ポチはウーッとうなり、フルートは黙って背中の剣の柄を握ります。

 すると、レィミ・ノワールは、ふんと頭をそらしました。スタイルの良い体が優美な曲線を描きます。

「まったく、本当に嫌んなる子どもらだこと! せっかくこんなに長いこと待ったっていうのに、天空の国から光の王を連れてきちゃうなんて。これじゃ、あたくしにだって、手出しできるわけがないじゃないの」

 そう言いながらも、魔女の目は憎々しくポポロをにらみ続けていました。

「覚えてらっしゃい、おちびさん。いつか必ず、あんたを倒してみせるわ。あたくしは侮辱を決して忘れない女なのよ」

 ぞっとするような微笑を浮かべると、魔女はそのまま部屋から消えていこうとしました。

 ところが、とたんにドンと音がして、魔女の姿が戻ってきました。まるで、見えない大きな手でたたきつけられたように床に倒れ、そのまま起きあがることができなくなります。

 その前に天空王が立ちました。

「闇の魔力に魂を売り渡した愚かな人間よ。おまえの存在は、後々、人間にわざわいを及ぼすだろう。その魂にふさわしい罰を受けるが良い。真実の錫を持て!」

 有無を言わさぬ厳しい声で命令を下します。

 レィミ・ノワールは悲鳴を上げました。逃げようとあがきますが、まったく動けません。すると、その体が急にふわりと持ち上がって、魔女はその場に座りこみました。天空王の魔法です。天空王に合図されて、エスタ国王が真実の錫を魔女に突きつけました。

 魔女は真っ青になり、いやいやをするように首を振りました。けれども、その手がひとりでに上がって、錫に向かって伸びていきます。人々は声もなく、その様子を見守りました。

「やめて! やめて! やめて――!!」

 レィミ・ノワールの金切り声が響き渡ります。白い手が金と銀の錫を握りしめます。

 と。

 魔女の姿がこつぜんと消えました。悲鳴が、キーキーという甲高く細い動物の鳴き声に取って代わります。魔女が消えた跡にうごめいていたのは、ちっぽけな一匹の灰色ネズミでした。

「猫にでもなるのではないかと思っていたが、ネズミになったか。それがそなたの魂の姿だ」

 と天空王が言いました。冷ややかなくらい静かな声でした。

「行け。そなたにはもう人であった時の記憶はないが、人として生きるはずだった寿命の分だけは生き延びる。排水溝にもぐり込み、泥の中の虫を食らい、腐った水をすすって、何十年間もその身にふさわしい生き様をするのだ」

 とネズミに命じます。

 それを聞いたとたん、部屋に居合わせた者たちは、ぞっと背筋に冷水を浴びたような気分になりました。天空王は正義を司ります。もしも、彼らが真実の道に外れるようなことをしたら、天空王は正義の王として容赦もなく彼らを罰するでしょう。それがフルートやゼンたちであっても、きっと王はそうするのです。

 レィミ・ノワールだったネズミは、キーッと一声長く鳴くと、部屋を横切って外に飛び出していき、それっきり姿が見えなくなりました。

 

 部屋の中の人々は、しばらくは声も出せないでいました。

 やがて、つぶやくように口を開いたのは、エスタ国王でした。

「私は弟をこれで罰さなくてはなりません。弟はどのような姿に変わるのでしょうか……」

 と真実の錫を見つめます。

 エラード公は、家臣のレィミ・ノワールが城を魔法で破壊しようとしたことや、偽の勇者を使って真の勇者のフルートたちを殺そうとした罪を問われて、ライオネルたちと一緒に、城の地下牢に閉じこめられていたのでした。

「杖はその者の魂のありように合わせて罰を決める。王が思い悩むことではない」

 と天空王が言うと、エスタ国王は一礼をして、後はもう何も言いませんでした。

 

 天空王は子どもたちを振り返りました。

「さて、最後はおまえたちだな。天空の国を救い、このエスタを救った英雄は、紛れもなくそなたたちだ。天空の王として、そなたたちにご褒美を与えよう」

 そう言う天空王は、また前のように優しく穏やかな表情になっていました。

「ご褒美」

 とフルートたちはびっくりしました。今までただ夢中で戦ってきただけで、褒美など考えたこともなかったのです。

「何でも望みのものを言ってみなさい。人に与えられることが許されているものであれば、それを、そなたたちの勇気と正義の褒美として与えよう。ゼンは光の矢がほしかったのではないか?」

「え」

 ゼンがどきりとした顔になりました。

 フルートもゼンも、天空の国から帰ってくる時に、天空城に光の武器を返していました。フルートは自分のロングソードが戻ってきて、それで満足だったのですが、ゼンは光の矢を返してしまうのが密かに惜しくてしかたなかったのです。矢筒の中で増えて残っていてくれないかな、と期待したのですが、そういう時に限って、光の矢は増えることもなく、一本のままの姿で天空城の武器庫に戻っていったのでした。

「ほ、ほんとか!? ほんとに光の矢をくれるのか!?」

 とゼンは身を乗り出しました。

「そなたがそれを望むのならばな。さすがに、光の剣は天空の国の守り刀だから、それを与えることはできないが、光の矢ならば可能だ」

 うぅん、とゼンは嬉しそうな顔で考え込み始めました。他にもほしいものを考えて、光の矢とどちらがいいか検討しようと思ったのです。

 天空王は、フルートとポチとポポロにも目を向けました。

「そなたたちはどうだ? 望みのものはあるか?」

 彼らも考え込んでしまいました。ほしいものと言われると、山ほどあるような気がするのですが、いざ考え始めると、何も思いつかないような感じもしました。

 

 すると、ポチが思い切ったように言いました。

「ワン、ぼく……風の首輪がほしいです!」

 ポチの風の首輪は、最後の最後でドラゴンに食いちぎられてなくなってしまいました。ポチはそれが残念でならなかったのです。

「ワン。ぼく、風の犬に変身してフルートたちを助けられたのがすごく嬉しかったんです。もしもできるのなら、ぼくにもう一度、風の首輪をください」

 天空王はうなずきました。

「確かに、そなたには風の首輪がふさわしいな。そなたの血の中には、父親の風の犬の血が流れておる。そなたには、父が使った風の首輪を与えよう」

 それを聞いて、ポチはびっくりしました。

「お父さん……? 天空王様は、ぼくのお父さんをご存じなんですか!?」

 すると、王は優しくほほえみました。

「そなたの父は天空の貴族を乗せて、地上に正義を運ぶ風の犬だった。主人を守って勇敢に戦って命果てたのだ。そなたは、その忘れ形見だ」

 ポチは何も言えなくなりました。天空王の手に緑の石がついた銀の首輪が現れ、王自らがポチの首にそれを巻いてくれました。ポチは嬉しそうに尻尾を振りました。

 天空王はさらに言いました。

「本当ならば、そなたはこの地上より天空の国にふさわしい生き物だ。そなたが望みさえすれば、私と共に天空の国へ行って、風の犬として活躍することもできるのだが――」

 王はポチを見て、また笑いました。

「絶対それは嫌だ、という顔をしているな。そなたはフルートたちと一緒にいたいのだろう」

 ポチは、ワン! と元気に答えると、フルートとゼンの足下に絡みついていきました。

 

「さて、次はフルートだな。金の石の勇者は何が望みだ?」

 と天空王が尋ねました。

 フルートはそれまでずっと黙り込んでいましたが、そう聞かれて口を開きました。

「望みはひとつだけあります」

 ゼンやオーダが、おや、という顔をしました。なんとなく「ぼくはご褒美なんかいりません」とフルートが言うような気がしていたのです。「そんなもののために戦ってきたんじゃないですから」と。

「言ってみなさい」

 と天空王が促しました。

 少年は天空王のかたわらに立つ魔法使いの少女に目を向けてから、また天空王を見上げました。

「ポポロが天空の国に帰ってからも、ときどき、ぼくたちと会えるようにしてほしいんです。せっかく仲間になれたんです。これっきり、天と地に別れて会えなくなってしまうのはいやです」

 ポポロは目を見張り、たちまち嬉しそうな顔になりました。実は彼女もそれと同じことをお願いしようと考えていたのでした。

 すると、ゼンも口をはさんできました。

「あ、そんなら俺もそれがいいな! ポポロとまた会えるってのが一番いい! 俺の望みもそれにしといてくれ!」

 ご褒美の光の矢をあっさり捨てて、明るい声でそう言います。

「なるほど、勇者たちは三人が三人とも同じ望みか」

 と天空王は愉快そうに笑い、魔法使いの少女へ言いました。

「まことに良い仲間たちを見つけたな、ポポロ。そなたに欠けていたのは、自分を信じる心だ。だが、それは自分ひとりでは育たない。誰かから信じてもらって、初めて自分でも自分が信じられるようになるのだ……。よかろう。ポポロには天空の国の貴族の位を与える。そなたの犬のルルにも風の首輪を与えよう。そうすれば、そなたはいつでも望む時に天空の国から地上のフルートやゼンに会いに行くことができるぞ」

「貴族……あたしが!?」

 あまりに意外なことに、ポポロはびっくりして思わず声を上げました。

「で、でも、天空王様! あたしはただの……!」

 すると、天空王が言いました。

「ポポロよ。天空の国の貴族というのは、身分や血筋のことではない。天空王の命令の下、正義のために天と地を守るだけの魔力を持った魔法使いに与えられる称号なのだ。天空の国全体をおおっている心の眠りの魔法を振り切って、花野の果てに何があるのか見極めようとした者だけが、貴族に選ばれていく。そなたはまだ幼くて、力を十分使いこなすことはできないでいるが、素質そのものは十分にある。予定より少し早かったが、三人の勇者のたっての望みでもある。ポポロを貴族と認めて、風の犬で地上に降りることを許可しよう」

 子どもたちは顔を見合わせました。

「魔法の国の仕組みはなんかよくわかんないけどよ……とにかく、またポポロに会えるんだな!」

 とゼンがまた笑います。

 フルートはポポロを見つめました。それを見つめ返すポポロの瞳は、エメラルドのようにきれいな緑色です。

「必ず会いに来てよね」

 とフルートが言うと、ポポロは涙ぐみながらうなずきました。

「うん。また会いに来るわ……必ず」

「その時までに、もうちょっと泣き虫を直しておけよ」

 とゼンが笑って茶化します。

 ワンワン、とポチは嬉しそうに吠えました。

「会いに来てくれなかったら、ぼくがフルートとゼンを背中に乗せて、天空の国まで飛んでいきますよ! 天空王様、それでもいいですよね!?」

「天空の国は、勇者たちにはいつもその扉を開く」

 と天空王は厳かに言いました。

「そなたたちが正義のために戦う時、天空の民は必ずそなたたちの味方をするだろう。……いつでもまた遊びに来なさい。そなたたちにだけは、天空の国が見えるようにしておこう」

 そして、天空王はまた優しい笑顔になりました。

 

 別れの時が近づいていました。

 扉の奥の金の階段に、天空王が進みます。

 エスタ国王、シオン大隊長、黒い鎧のオーダと白いライオンの吹雪、そして、フルートとゼンとポチは、部屋の中から黙ってそれを見送りました。

 ポポロが天空王について、扉に向かいます。

 少年たちは、じっとそれを見つめました。何も言えません。別れのことばも、何も。また必ず会えるとわかっているのに、なんだか離ればなれになってしまうのがひどくつらくて、ことばの代わりに別のものがあふれてきそうだったのです。

 すると、ふいにポポロが振り向きました。ポポロの目はすでに涙でいっぱいになっていました。

 少年たちと少女は、思わず互いに駆け寄って、しっかりと抱き合いました。とうとう泣き出したポポロが、少年たちに繰り返します。

「ありがとう、フルート、ゼン、ポチ……本当にありがとう……」

「元気でね、ポポロ」

「魔法の修行、がんばれよ」

「ワンワン、ポポロ。また会いましょうね!」

 少年たちが口々に言います。

 そして、少年たちは少女を天空の国への扉まで送りました。

 そこでは天空王が待っていて、厳かな声で人々に言いました。

「地上に正義と平和があらんことを。天空の国はいつも地上を見守っているぞ」

 大人たちは、いっせいに頭を下げました。

 子どもたちは、扉を見つめ続けました。扉がゆっくりと閉まっていきます。その奥で、ポポロが泣きながら笑顔になりました。またね、と唇が動きます。

 少年たちも笑い顔を作って、うなずき返しました。

 扉が音もなく閉まり、青空も金の階段も天空王もポポロも、何も見えなくなりました。

 

 ふぅっとゼンが大きなため息をつきました。

「なんか俺も家に帰りたくなってきたなぁ……。さすがに親父も心配してるだろうからなぁ」

「家を出てからもう一か月になるものね。ぼくもお父さんやお母さんの顔が見たくなってきた」

 とフルートも言います。そして、二人の少年は、頬の上の涙の跡を、こっそりこすり落としました。

「ワンワン。それじゃ、ぼくたちも家に帰りましょう!」

 とポチが元気に言います。

 すると、エスタ国王が言いました。

「いやいや、それはまだ早い。まずは祝宴じゃ。エスタを救ってくれた勇者たちに、感謝の宴を開かせてくれ。そなたたちの活躍もぜひ聞かせてほしい。そなたたちが家に帰る時には、エスタは国をこぞって盛大に見送らせてもらうぞ」

「え……?」

「うひゃあ、やめてくれよ、そんなの!」

「ワンワン! 大げさすぎますよ!」

 少年たちは思わず顔色を変えて、悲鳴を上げました。

「やれやれ。金の石の勇者の一行は、やっぱりガキだな! 本当に謙虚で全然欲がないぞ!」

 そう言って、黒い鎧のオーダが大笑いをしました。

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