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第2巻「風の犬の戦い」

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第12章 エピローグ

64.真実の錫(しゃく)

 エスタ城の小さな石造りの部屋に、黒い鎧の戦士が剣を抱えて座っていました。かたわらでは、大きな白いライオンが昼寝をしています。オーダと、お供の吹雪です。

 オーダは、部屋の真ん中にぽつんと立っている木の扉を見つめていました。天空の国への扉です。オーダは、そこから戻ってくる者たちを、ずっと待ち続けているのでした。

 

 すると、突然、眠っていた吹雪が頭を起こして扉を見ました。

 金のノブがカチャリと回って、扉が音もなく開き始めます。

 オーダは思わず跳ね起きて、それを見守りました。

 扉が開いて、青空と、その中を上に延びている金の階段が見えてきました。階段を勢いよく駆け下って部屋に飛び込んできたのは、フルートとゼンとポチでした。

「一番! 俺の方が速かったぞ!」

「ワンワン! ぼくの方が少しだけ早くつきましたよ!」

「そうかなぁ。三人ほとんど同時だったと思うんだけど……」

 今まで静まりかえっていた部屋の中は、子どもたちのにぎやかな声でいっぱいになりました。

 黒い鎧の戦士は、元気に戻ってきた子どもたちに目を丸くすると、ふいに声を上げて笑い出しました。それで、子どもたちもようやくオーダに気がつきました。

「オーダさん!」

「へぇっ、俺たちを待っててくれたのかよ?」

 オーダは笑いながら子どもたちの頭を次々になでると、最後に少し遅れて扉から出てきたポポロを、勢いよく抱き上げて部屋の中に下ろしました。

「やっぱり無事に帰ってきたな、おまえたち! 天空の国の敵は倒したんだな!?」

 とたんに、子どもたちは真顔になってうなずきました。長い傭兵稼業で戦場をいくつも経験してきたオーダには、その目を見ただけで、子どもたちが、とてつもない死闘をくぐり抜けてきたことがわかりました。

 オーダは静かにうなずき返すと、また陽気な声に戻って部屋の外の番兵に呼びかけました。

「おい、エスタ国王にお知らせしろ! 勇者たちのご帰還だぞ!」

 ところが、番兵が部屋をのぞき込んだとたん、魔法の扉から最後の人物が姿を現しました。光のような白銀の髪とひげの天空王です。

 王が部屋に足を踏み入れたとたん、部屋の中は突然まぶしい光でいっぱいになったように見えました。

 あっけにとられているオーダと番兵に、フルートが言いました。

「天空王様だよ。ぼくたちを送ってきてくださったんだ」

 

 やがて、知らせを受けたエスタ国王が、飛ぶような勢いで駆けつけてきました。

 太った体で部屋に転がり込み、天空王の足下にぺったりとひれ伏してしまいます。

「て、天の王よ……! よ、よ、よくぞ我が城においでくださいました……!!」

 後を追って近衛大隊長のシオンもやってきましたが、主君が今までなかったほど素早く走ってきたので、天空王の出現やフルートたちの帰還よりも、そちらの方に驚いていました。

 ゼンも目を丸くして言いました。

「なんか雰囲気違うぜ、エスタ国王。なんでそんなに恐縮してるんだよ」

 ドワーフの少年は、相変わらず王族に敬意を払うなどということはしません。すると、天空王が笑いました。

「こう見えても、私は光と正義の王だ。この扉から私がこの国を訪れた時には、国に平和と幸福をもたらすと言い伝えられていたのだ」

「へぇ。天空王って偉いんだな」

 とやっぱり相変わらずのゼンです。

 すると、エスタ国王が言いました。

「天の王よ。あなたが現れたと言うことは、我が国から風の犬の恐怖が取り除かれた、ということでしょうか? 家臣より、正体の知れぬ大きな敵が、我が国を狙っていたとも聞いておりました。その危険もすべて取り払われたのでしょうか?」

 いつもののんびりした口調が嘘のような、真剣な声でした。天空王はうなずきました。

「天空の国ばかりでなく、地上と海も支配しようとしていた魔王は、ここにいる勇者の一行によって倒された。呪いはすべて解かれ、風の犬たちも正気に返った。もう、エスタの国を夜ごとに脅かすものはいない。長い間、まことに迷惑をかけたな」

「と、とんでもございません……ひとえに、私の不徳のいたすところでございます……」

 恐れ入ってひれ伏すエスタ国王は、フルートたちに「天空の国へ行ったらどんな場所だったか教えるように」と気楽に言っていた王と同じ人物とは、とても見えませんでした。

 

 意外そうな顔をしている人々に、天空王がまた笑って言いました。

「王を甘く見るでない。エスタは大国だ。凡庸な者に王がつとまるような国ではないぞ」

 フルートは、目をぱちくりさせて言いました。

「じゃ……あれは演技だったってことですか? 呑気な王のふりをしてたってこと?」

 部屋の中の人々の目が、エスタ国王に集まりました。

 王は苦笑いをしながら身を起こしました。その顔は賢い知恵のある人のもので、お人好しで優柔不断な様子など、これっぽっちもなくなっていました。

「陛下!」

 シオン隊長が飛び出してきて、エスタ国王の前に膝をつきました。

「何故……何故、言ってくださりませんでした? 代々、王家に仕え、王に忠誠を誓ってきたこの私にさえ……!」

 すると、天空王が言いました。

「それはいたしかたあるまいな。人間は人の心を読むことはできぬ。その者が心から仕えているのか、いつか王を亡きものにして王座を乗っ取ろうとしているのか、うわべで見抜くことは難しい。王は、自分の命を守り、王としてできる限りの力を保つために、あのようなわがままで心幼い王のふりを続けていたのだ」

 人々は、ぽかんとしてしまいました。

 ゼンが頭を振って言いました。

「ったく、いい年した王様が馬鹿の真似までしなくちゃならないなんて……人間ってやつはホントに訳わかんないぜ!」

 エスタ国王が近衛大隊長に向かって言いました。

「許せ、シオン。そなたの忠誠を疑っていたわけではないのだ。だが、わしの命を狙う者はあまりに多かった。そなたに打ち明けることで、その者たちに真実を知られるのが怖かったのだ。馬鹿の王のふりをしていれば、即刻命を取られる危険は少なかった。エラードでさえ、わしを暗殺するより、無能な王としてわしを王座から追い払うことを考えておったからな」

 すると、あきれた顔をしている子どもたちに、オーダが言いました。

「まあ、おまえらは子どもだからわからんだろうな。大人の世界ってやつは、いろいろとめんどくさいものなんだよ……」

 苦笑いをするような声でした。

 

「古い約束の通り、私はエスタを訪れた」

 と天空王が言いました。

「私はエスタに平和と真実を与えよう。エスタ王よ、これを受け取るがよい」

 と何もなかった空間から取りだしたのは、一本の錫でした。魔王が持っていたような黒い錫ではなく、金と銀でできた先に青い玉がついた美しいものです。

「これは真実の錫だ。心にやましい思いや、人をおとしいれようという気持ちを持っている者がこの錫を手にすれば、たちどころに罰を受けることになる。……誰か、これを持ってみる者はあるか?」

 天空王に聞かれて、一瞬、人間たちは身を引きました。

「やましい気持ちがないヤツなんかいるのか? 俺だって、親父に知られたらこっぴどく叱られそうなこととか、いろいろ隠してるんだぜ」

 隠している割には、妙に潔い口調でゼンが言います。

 すると、天空王はまた、面白そうに笑いました。

「その程度では罰は下らぬよ。人をあざむいておとしいれようとしたり、人を殺そうとする気持ちを抱いていたり……そんな者が罰を受けるのだ。常に身近に危険な敵を抱えるエスタ国王には、ふさわしい贈り物だと思うがな。王が心確かめたいと思う者があれば、その者に、この錫を持たせてみればよいのだ」

 それでも、人々はすぐには動けませんでした。エスタ国王でさえ、凍り付いたように天空王を見上げていました。

 すると、シオン大隊長が進み出てきました。

「では、私が。陛下に私の忠誠を知っていただくために」

 と勇敢に錫を手に取ります。

 ……何事も起こりませんでした。

 忠臣であることを見事に証明したシオンは、一礼をすると、錫をまた天空王に返しました。

 それを見て、ゼンがフルートをつつきました。

「シオンのおっさんが大丈夫だったんなら、俺たちもきっと平気だぞ。さわってみようぜ」

 天空王が笑いながら、子どもたちに錫を手渡してきました。ゼンが言っていたとおり、フルートが手に持っても、ゼンやポポロがさわっても、果てはポチが触れても、何も起こりませんでした。

 その様子に、オーダがまた苦笑いをしました。

「まったく、これだから子どもってヤツは……! 俺はごめんこうむるぞ。別に王座を狙ってるわけじゃないが、そんなものを持って無事でいられるほど、心清らかな人間でもないからな」

 すると、意外なことに、エスタ国王がうなずきました。

「まことに、天空王の贈り物は人間には厳しい」

 真剣な声と顔でそう言って、子どもたちが無邪気に抱えている真実の錫を眺めます。

「これを私が使おうと思えば、私自身が、二心(ふたごころ)ない誠実な者にならねばなりません。もしも隣人を裏切るような気持ちを持っていれば、私自身が錫に罰を受けてしまうのですから」

 天空王はエスタ国王に目を向けました。

「人の誠意を得たいと思えば、まず、自分自身が人に誠実にならねばならぬのだ、王よ」

 と、いかにも天空王らしいことばを言います。

 エスタ国王はさらにしばらくためらうように座っていましたが、やがて、静かに天空王の前に立ちました。

「誓いましょう。私が王座にある限り、私は隣人を裏切るような真似はしません。エスタは良き隣国となるでしょう」

 そして、エスタ国王はフルートの手から真実の錫を取り上げました。

 錫は何事もなく王の手の中に収まり、青い玉が美しくきらめきました。

 

 すると、オーダが、どんとフルートとゼンをこづきました。

「おい、何をぼんやりしてる! おまえらは、史上最高の平和の大使になったんだぞ!」

「え?」

 フルートたちが、意味がわからなくてきょとんとすると、オーダはじれったそうに笑いました。

「わからんのか? エスタ国王はもう絶対にロムドの国に攻め込まない、と約束したんだよ! 和平が結ばれていたって、そんなものは口約束だ。いつだって約束を破って、戦を仕掛けることができる。だが、エスタ国王は、真実の錫にかけて、絶対におまえたちの国を攻めたりしない、と誓ったんだよ! 今まで、歴代の王や親善大使たちが成し遂げられなかったことを、おまえたちがやったんだぞ!」

 そう言われても、フルートはただ目をぱちくりさせるばかりでした。自分たちがいったい何をしたんだろう、と考えます。

 すると、ゼンが言いました。

「別に、俺たちの北の峰はロムドの領地なわけじゃないぜ。でもまぁ、ロムドとエスタがこれからずっと、本当に仲良くするって言うんなら、それは確かにめでたいよな」

 それを聞いて、大人たちは、どっと笑いました。

 

 笑い声がおさまると、天空王が言いました。

「さあ、片づけねばならぬことが、まだいくつか残っている。順番に行くとしよう。まずは、そこに潜んでおる夜の闇だ。――出でよ!」

 それまで優しかった王の声が、突然鋭い鞭のように部屋に響き渡りました。王の指先が部屋の壁の一カ所を指しています。

 はっと振り向いた人々の目に、壁から何かがにじみ出てくるのが見えました。

 黒い染みのようにそれは広がり……

 夜の魔女レィミ・ノワールの姿になりました。

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