「お母さん……」
ポポロは、あえぎながらつぶやきました。激痛で気が遠くなります。目の前の母親は、無表情な白い顔で娘をただ見つめています。ポポロは力なくその場に崩れそうになりました――。
すると、そんなポポロの体をぐっとつかんで支えてくれた手がありました。堅い鎧の胸当てや籠手が少女の体を抱きしめます。フルートでした。
急速にポポロの背中から痛みが消えていきました。フルートが首から下げていた魔法の金の石が、ポポロの体に触れて、傷を癒したのです。
フルートは、怒りをにじませた声で言いました。
「君のお母さんもお父さんも、魔王に呪いをかけられていたんだよ。君のお母さんは、君を殺したくないって言って、自分を刺そうとしたんだ……」
すると、そのとたん、フルートの姿が幻のように消えていきました。淡い緑の光が闇にまたたき、吸い込まれるように見えなくなっていきます。
お母さんの姿も、いつの間にか見えなくなって、ポポロはまたひとりきりで闇の中に立っていました。
すると、闇の中にまた一つの光景が見えてきました。
学校の中庭でした。広い植物園は雑草だらけで、貴重な薬草や魔法の植物が負けてしまいそうになっていました。
黒い長い衣に口ひげを生やした担任が、生徒たちに向かって言いました。
「今日はこの植物園の除草を行います。ひとりずつ受け持ちの区画の草を魔法で取り除くように」
クラスメートたちが次々に先生の前に出て、魔法の呪文を唱えます。これは授業の一環なのです。雑多に入り混じったものの中から、目的のものだけに魔法をかける練習です。器用に雑草だけ取り除く生徒もいれば、魔法の使い方が甘くて、薬草まで一緒に消してしまう生徒もいます。魔法の効果のほどを見て、先生が名簿に成績を書き込んでいきます。
すると、ふいに担任が闇の中に立つポポロを見ました。
「次は君だよ、ポポロ」
ざわっとクラスメートの間にざわめきが広がりました。たちまちポポロの周りから子どもたちがいなくなり、たっぷり十メートルは離れたところから遠巻きに眺めます。
ポポロは、おろおろしながら立ちすくんでしまいました。この光景にも見覚えがあります。ポポロが天空の国を去るきっかけになった、最後の授業です。
「どうしたね、ポポロ。やりなさい。草を取り除くだけだ。火を使うわけでなし、危険なこともあるまい」
すると、意味ありげな笑いが生徒たちの間のそこここから起こりました。ポポロが火の魔法の授業中に火事を起こして、学校と周りの家全部を燃やしてしまった事件を思い出しているのです。
ポポロは真っ赤になってうつむきました。また涙がこぼれてきそうになります。
「ポポロ!」
いらいらしたように先生が言います。ポポロは涙ぐみながら、草を枯らす呪文を唱えました。何かを持ち上げたり引き抜いたりする魔法は、怖くてもう使えなかったのです。
みるみるうちに、ポポロの受け持ちの区画の植物が枯れ始めました。雑草も薬草も貴重な魔法の植物も、区別なくあっという間に枯れていきます。
お願い、止まって……! とポポロは心の中で叫びました。
けれども、ポポロの魔法は自分の区画の中に留まりませんでした。あっという間に、周りに広がり、そこの植物も根こそぎ枯らしていきます。緑の植物園は、たちまち灰色と茶と白の枯れた世界に変わってしまいました。
はーーっと、担任が長いため息をつきました。
「ポポロ、本当に君はどうなっているんだろうな。まるで栓が壊れたワインの樽のようだ。一度開けてしまったら、出てくる勢いを止めることができないのだからな」
くすくす……とクラスメートたちの間に意地の悪い笑い声が広がっていきます。ポポロは震えながら、またうつむきました。
ポポロは覚えているのです。この後に何が起こるのか。どんな知らせが入ってくるのか。
空から翼が生えた馬が舞い下りてきました。ペガサスです。青い目に怒りをひらめかせながら、出しぬけに担任をどなりつけました。
「あんたは生徒たちに何を教えているんだ!! 花野が枯れていくぞ!! 我々を飢え死にさせるつもりなのか!?」
担任が真っ青になってポポロを振り返りました。
ポポロは、その場から消えてなくなりたい思いでいました。彼女のとんでもない魔力は、学校の中庭を軽く乗り越え、周辺の花野までものすごい勢いで枯らしていったのでした。
「ポポロ!」
先生が絶望的に叫びます。
「君は魔法使いには向かない! ここから出て行きなさい! その方が、皆の幸せのためだ!!」
ポポロはうずくまって目をつぶり、耳をふさぎました。
違います。先生は、そんなことまでは言いませんでした。これは、ポポロが考えていたことです。自分はこの世界に間違って生まれてきてしまった人間なんだ。あたしは、ここにいない方がいいんだ……。ポポロは、もう何年間も、ずっとそう考え続けて来たのです。
けれども、悪夢の中の先生や生徒たちは、口々にポポロに向かって叫びます。出て行け! ここから出て行け! と。
すると、ヒュッと風の音がして、目の前に風の犬のポチが舞い下りてきました。ポポロを追い出そうとする人々に向かって、牙をむいてどなります。
「ワン! 何も知らないくせに、そんなことを言うな! ポポロは、ずうっとがんばってきたんだぞ!!」
そして、次の瞬間、ポチの姿も淡い緑の光になって消えていきました。学校や先生たちの姿も、闇の中に見えなくなります。
ポポロは目を見張って立ち上がりました。
これはいったい何でしょう。
闇の中からポポロを責めるものが現れると、淡い緑の光と共に、フルートたちが姿を見せて支えてくれるのです。
ポポロは、震える声で闇の中に呼びかけてみました。
「フルート、ゼン、ポチ……」
お願い、姿を見せて! と強く願います。
すると、ポポロの星空の衣の上で緑の光がまたたき、幻のように、淡い光景が浮かんできました。
そこにいたのは、フルートたちではなく、ポポロのお父さんとお母さんでした。
ポポロの部屋から出てきたお母さんが、お父さんに話しかけていました。
「また泣き寝入りしてしまったわ、あの子……。ねえ、カイ、もう少しあの子に優しく言ってあげることはできないの? あれじゃ、あの子はますますおびえるばかりよ。すっかりあなたを怖がっているわ」
すると、お父さんは目を伏せて、苦笑いをしました。
「それは承知の上だよ。だが、あの子の魔法はこれからますます強力になっていくんだ。今、それをコントロールできるようにならなかったら、将来、あの子の魔力はあの子自身を巻き込んで暴走してしまうだろう。そうなったら、もう誰にもあの子を助けられない。それだけは、どうしても防がなくちゃならないんだよ。そのためになら、ぼくが憎まれ役になったって、しかたないだろう」
「カイったら……」
お母さんが涙ぐみました。
「私にもやらせてちょうだい。私だって、あの子の母親なのだもの。子どもに教えていく義務は同じくあるのよ」
「いや、君はいけない」
とお父さんが答えました。
「絶対に何があっても受け入れてくれる人も必要なんだよ。それが君だ。君までがぼくと同じことを始めたら、あの子は行き場所がなくなってしまうよ――」
お父さんの声が遠くなって、緑の光と共に、ふたりの姿は消えました。
ポポロは闇の中で立ちつくしていました。
緑の光は、次々に衣の上でまたたいては、淡い光を放って消えていきます。そのたびに、お父さんやお母さんの姿が浮かび、声が聞こえてきます。ルルが見えます。ポポロの知らないところで、家族はみんな、ポポロを心配してくれていました。
少女の瞳に涙があふれてきました。またたく緑の光の正体がわかったのです。
三回の魔法を使い切った後、ポポロの手の中で崩れていった雷の杖でした。砂粒のように小さなかけらになった杖が、星空の衣のそこここに引っかかって、この闇の世界の中にまでついてきたのです。
緑の光は、魔法の杖の記憶でした。杖が見聞きしてきたものを、闇の夢の中に再現しているのです。
優しい声が聞こえてきました。それは、お父さんの声でした。
「ポポロ、強くなるんだ。自分を信じなさい。そうすれば、きっと力はおまえを助けてくれるんだから……」
お父さんの姿がまた光の中に浮かびます。お父さんは、テーブルにつっぷして泣き寝入りしてしまったポポロの髪をなで続けていました。娘が起きている時には絶対に見せない、優しく切ない目をしていました。
それが消えると同時に、今度はモグラの天空王の声がよみがえってきました。
「雷の杖じゃな。そなたの父親の守りが感じられる。そなたには、その武器が一番ふさわしいのじゃろう」
ポポロは泣きながら自分の衣の上の光を抱きしめました。お父さん! と叫びます。
すると、ふいに光の中からゼンの声が聞こえてきました。
「ま、泣いたっていいから、がんばれよ。あてにしてるんだからな」
闇の中に、光と共に仲間たちの顔が浮かんできました。フルートが、ゼンが、ポチが、ほほえみかけています。
ポポロは少年たちを見つめ返しました。初めは怖いとばかり思っていたのに、いつのまにか、その優しさと勇気に魅せられて、自分はここまで来たのです。彼らの手助けがしたくて。仲間として、一緒に戦いたくて。
ポポロは、ぐっと頭を上げると、涙を拭いて周りを見回しました。
戻らなくちゃ、と考えます。フルートたちが待ってる。みんな、魔王と戦っているんだもの。あたしもそこに行かなくちゃ。
闇の中には、まだ過去のつらかった思い出がいくつも見えていました。けれども、ポポロはもうそんなものには心を奪われず、出口を探してあたりを見回し続けました。
闇の中を透かしてみても何も見えません。真の暗闇が横たわっているだけです。でも、ポポロは魔法使いです。目には見えないものだって、感じることができるのです――。
「こっち!」
とポポロは一つの方向を見据えました。
間違いありません。そちらから、外の世界の気配が伝わってきます。
悲しい場面や人々の叱責の声が、闇の中からひときわ大きく迫ってきました。思い出の中から伸ばされた人々の手が、ポポロの華奢な体を絡め取ろうとします。
すると、ポポロの体の周りを淡い緑色の光が包み、追っ手の腕を払いのけました。衣の上の杖の砂が、次々と輝きながら燃えて、少女を守り続けています。
ポポロは出口の方向へ走り始めました。外の世界へ、彼女を必要としてくれる仲間たちがいる場所へ。全速力で走っていきます。
すると、行く手の暗闇から、ルルの声が聞こえてきました。必死でポポロの名前を呼んでいます。
「ルル!」
ポポロが叫んだとたん、あたりが、ふいに明るくなりました――。