「ポチ、飛ぶんだ!」
フルートが叫びました。
ポチがフルートとゼンを乗せたまま空へ急上昇します。
その後を、エレボスと呼ばれた黒いドラゴンが追ってきます。その上には魔王の黒い姿があります。ねじれた角を生やした魔王は、大きなドラゴンの背の上でも、堂々と存在感を示していました。
フルートは飛び立ってきた部屋をちらりと振り返りました。ポポロがルルを抱きしめたまま見上げています。金の石の守りは離れましたが、魔王が少年たちを追ってきたので、少女たちを攻撃される心配はなさそうでした。
「ワン、行きます!」
ポチが叫んで、真っ正面からドラゴンに突っ込んでいきました。
その背中から、ゼンが光の矢を次々と放ちます。けれども、魔王が片手を前にかざすと、手のひらから黒い弾が飛び出してきて、矢を撃ち落としました。
「あ、くそ。あいつ、錫がなくても魔弾が撃てるのかよ」
とゼンが舌打ちします。
けれども、フルートはゼンの後ろで光の剣を構えながら言いました。
「いいから、そのまま撃ち続けて。魔弾を防いでおいてよ!」
そこで、ゼンはまた続けざまに光の矢を撃ちました。ゼンが背負っているのは、エルフの魔法の矢筒。入っている矢は、いくら撃っても尽きることがありません。
ドラゴンが目の前に迫ってきました。圧倒されるほど大きな姿です。
と、その翼に光の矢が命中しました。魔王が撃ち落とし損ねたのです。
ギェェェ……!!
ドラゴンの咆哮が響き、黒い翼の一部が霧と消えます。
すると、すぐにまた霧が集まってきて、翼が元通りになりました。魔王が魔法で復活させたのでした。
フルートは光の剣を構え、ドラゴンのかたわらを飛びすぎながら、その胴体に鋭い切っ先を突き刺しました。
ばっと長い傷が走り、傷口から黒い霧が噴き出します。
また、魔王が呪文を唱えて、ドラゴンの傷を治しました。
「こしゃくな!」
とわめく声が空を伝わってきました。
「おい、フルート、いくら攻撃してもダメだぞ! 魔王が治しちまう!」
とゼンがどなりました。
フルートは剣を握りしめたまま答えました。
「それでもやるんだ。チャンスはきっと来る。それを狙うんだ」
ずっと以前、シルの町で剣の稽古をつけてもらっていた頃に、師匠のゴーリスから言われたことばでした。どんなに強そうに見える敵でも、絶対にあきらめるな。チャンスはきっとやってくる。それを見逃さずに狙うんだ――と。
「もう一度行きます!」
ポチがぐうんと大きくUターンして、またドラゴンへ突撃していきました。
ゼンがまた光の矢を連射します。フルートが光の剣を構えます。
と、ドラゴンが口から黒い煙のような息を吹きました。毒のある闇の息です。
けれども、次の瞬間、金の光の壁が闇の息をはね返しました。
フルートがすれ違いざまにまた、ドラゴンに切りつけます。
今度はドラゴンの右後足に傷が走り、そのままそっくり、足が消えました。怪物が叫び声を上げて、激しく羽ばたきます。
魔王は怒り、魔法でドラゴンを癒しました。また後足が生えてきます。
「ワン! もう一度!」
ポチがまた引き返します。
すると、突然ドラゴンが大きな口を開けました。
口だけでなく、長い首が根元まで裂けて、すべて口に変わります。ずらりと並んだ何百という牙が、巨大なワニのように、空飛ぶ犬と子どもたちをぱっくりやろうとします。
「うわっ!」
「おっとぉ!」
少年たちは思わず声を上げて頭を低くしました。ポチがとっさに身をひねって、ドラゴンの牙の間をすり抜けていきます。
その拍子に、子どもたちは魔王のすぐわきに飛び出しました。魔王の黒い大きな姿が、手を伸ばせば届くほどのところにそびえています。
魔王は黄色い目で少年たちを見据えました。底知れない深いところで憎しみと怒りの炎が燃える、魔物の目でした。
と、その手に突然黒い大剣が現れました。うなりをあげて、子どもたちに切りつけてきます。
金の石が発する光の障壁が、まるで布のように断ち切らて、大剣を通しました。
「くっ!」
フルートはとっさに自分の光の剣で魔王の大剣を受け止めました。バチバチッと火花のようなものが散り、黒と金の光のかけらが空から下へ落ちていきます。
ポチが風の音をたてながら、全速力で魔王のそばから離れました。
とたんにフルートが顔をしかめて右腕を抱え込んだので、ゼンがあわてました。
「お、おい、大丈夫か?」
大剣の一撃を受け止めたとたん、フルートの腕が剣を持っていられないほどしびれてしまったのです。
魔王は身の丈二メートルあまりもある大きな男、それに対するフルートは小柄な少年です。力で魔王にかなうはずはありませんでした。
ポチはスピードを上げて空を飛んで行きました。離れた場所からまた隙を狙おうとします。
けれども、その後をドラゴンが追いかけてきました。大きな翼が打ち合わされるたびに、どんどん距離が縮まっていきます。
すると、魔王がまた片手を前にかざしました。
魔弾ではありません。
もやもやと黒い霧のようなものが集まってきたと思うと、その中から、突然無数の黒い塊が飛び出して行きました。ギャアギャアと耳をつんざくような声が、空いっぱいに響き渡ります。カラスの鳴き声です。
何百羽という鳥の大群は、いっせいに少年たちめがけて飛びかかってきました。黒い翼、黒い体……けれども、その頭は鳥ではなく、笑っているような人間の顔をしていました。
「人面鳥だ!」
とフルートが叫びました。罪深い死者の魂がなるという、闇の生き物です。
「くそっ!」
ゼンは人面鳥に向かって光の矢を放ちました。矢が当たると、闇の鳥は霧になって消えていきましたが、数があまりにも多すぎます。ポチは、たちまち人面鳥の群れに取り囲まれてしまいました。
すると、突然子どもたちの周りで光が輝き、人面鳥が押し返されました。金の石の障壁が鳥を追い払ったのです。
障壁の外で怒り羽ばたいている鳥たちに、魔王が叫びました。
「障壁を食い破れ!」
たちまち、人面鳥が光の壁に取りつき、牙の生えた口でかみつき始めました。
けれども、鳥たちは闇の生き物。光の障壁に触れるうちに、火に近づきすぎた蝋細工のように溶け出します。溶けた鳥が霧と消えると、また別の鳥が食らいついてきます。ポチは周りが見えなくなって、空で立ち往生してしまいました。
そこへ、ゆっくりと魔王を乗せたドラゴンが近づいてきました。喉元まで大きく裂けた口を開けて、人面鳥や障壁ごと、少年たちを飲み込もうとします――。
崩れかけた城の一番上の部屋で、ポポロは、はらはらしながら戦いを見守っていました。
巨大なドラゴンの前では、空飛ぶ犬のポチも、その上に乗ったフルートたちも、本当にちっぽけに見えます。と、その姿が、真っ黒な人面鳥の群れに取り囲まれてしまいました。そこに、ドラゴンが大きな口で迫ってきます。
ポポロは思わず悲鳴を上げると、手にしていた雷の杖を高くかざしました。
「ポポロ?」
もの言う犬のルルが、驚いたように少女を見上げました。長い間呪いで風の犬にされていたルルは、ポポロがこれまでどんな戦いをしてきたのか知りません。ルルが知っていたのは、いつも魔法で失敗ばかりして、泣きべそをかいている小さな少女の姿だったのです。
ポポロは、空のドラゴンを見つめながら言いました。
「ルル、あたしの衣の裾に隠れていて。この杖ならコントロールは効きやすいんだけど、威力が大きすぎるから、とばっちりが来るかもしれないわ」
「え? ね、ねえ、ポポロ……?」
ルルはますますとまどいましたが、ポポロはもう返事をせず、ドラゴンに向かって呪文を唱え始めました。
「ローデローデリナミカローデレタキヨラシハノリカヒ……」
パチパチッとあたりの空気が音をたてました。雷が近づいてきて、帯電し始めたのです。ポポロの瞳がまた緑に輝き、衣が大きくはためき始めます。ルルは全身に総毛立つような気配を感じて、思わずポポロの長衣の裾に飛び込みました。
「……テウオキテ!!」
ポポロが叫んだとたん、呪文が完成し、上空から目もくらむような光の柱が落ちてきました。空にいるものたちすべてを、光の中に包み込んでしまいます。
ドーーーン、と稲妻が山の中腹に命中し、岩が崩れ落ちていきます。
光が通り抜けていった後、空に人面鳥は一羽も残っていませんでした。
フルートたちは金の光の障壁に包まれて空にいます。
そして、その目の前では、魔王を背に乗せた巨大なドラゴンが、ゆうゆうと飛び続けていました。
ポポロは思わず息をのみました。雷の杖の魔法が効かなかったのです。一瞬早く、魔王が闇の障壁を張って、稲妻の直撃をかわしたのでした。
真っ青になったポポロの手の中で、突然杖が砕けました。砂のように粉々になり、ざぁっと音をたてて降りかかってきます。
雷の杖の魔法は三回まで。その回数が尽きたので、杖は粉々になってしまったのでした。
魔王が少女に目を向けました。
「まったく邪魔な魔法使いだ。やはり、まずおまえから始末せねばならないようだな」
「ポポロ!」
少年たちが叫び、猛然と魔王に討ちかかっていきました。まっしぐらに飛ぶポチの背中からゼンが光の矢を放ち、わきを飛びすぎながら、フルートが光の剣で切りつけます。
けれども、光の矢も光の剣も、すべて魔王の障壁と剣で防がれてしまいました。
魔王がポポロに向かって呪文を唱え始めました。黒い闇の光が魔王の手元に集まり始まります。
「やめろ!!」
少年たちはまた魔王に飛びかかっていきましたが、ドラゴンに食いつかれそうになって、あわてて逃げました。近づくことができません。
ポポロは、血の気の失せた顔で立ちすくんでいました。上空から魔王が悪意のある目で自分を見つめているのがわかります。黒い魔法がどんどん集まって、自分に矛先を向け始めるのが感じられます。気が遠くなりそうなほど、圧倒的な闇の力です。心の中を、ぞおっと恐怖が駆け抜けていって、思わず頭の中が真っ白になります。
すると、空からフルートとゼンの声が響きました。
「ポポロ! しっかりしろ!!」
とたんに、ポポロは我に返りました。思わずよろめきそうになった体を立て直します。
すると、少女の首の回りに現れ始めていた鈍色の首輪が、霧となって消えていきました。すんでのところで、ポポロは闇の首輪につながれずにすんだのです。魔法使いの少女を捉え損ねた魔王は、いまいましそうに舌打ちをしました。
フルートが叫びました。
「ポポロ! 自分の魔法を使うんだ!」
「え……」
少女は思わず自分の右手を見つめました。
ポポロの服の裾から出てきたルルが、驚いたように言いました。
「それはダメよ! この子に魔法を使わせるのは危険すぎるわ!」
ポポロが、どきりとしたようにルルを見ました。もの言う犬の少女は、真剣な声で言い続けていました。
「この子の魔法は強力だけどコントロールが効かないのよ! 敵と一緒にあなたたちまで倒してしまうわ!」
ポポロが、ぎゅっと自分の右手を握りしめて唇をかみました。今にも泣き出しそうな目になります。
すると、空からポチが急降下してきて、ルルに向かってどなりました。
「ワン! 何も知らないくせに、そんなことを言うな! ポポロは、ずうっとがんばってきたんだぞ!!」
ルルは、びっくりして後ずさりました。フルートとゼンも思わず目を丸くしてしまいました。いつもはおとなしいポチなのに……。
すると、ポポロが顔を上げました。涙は寸前で止まっていました。
大きくひとつ深呼吸をすると、右手をまっすぐ魔王に向かって突き出します。
「ポポロ……」
ルルが信じられないように少女を見上げました。
「やるんだ、ポポロ!」
「行け! 俺たちなら心配するな!」
フルートとゼンが口々に言います。
少女は魔王を見つめたまま、呪文を唱え始めようとしました。
そのとき、空の上から魔王も叫びました。
「来い、ナイトメアよ!」
とたんに、ポポロの目の前の床から、黒い髪の毛の塊のようなものが現れ始めました。長く伸びた毛がポポロに絡みつきます。ポポロは思わず悲鳴を上げました。
「ポポロ!」
少年たちは叫び、ポチから飛び下りて駆け寄りました。
すると、突然ポポロの体がぐいと空に引き上げられ、その下から大きな黒馬の頭が現れました。髪の毛のようなものは、悪夢の馬のたてがみだったのです。
たてがみは生きているようにうごめきながら、どんどんポポロを絡め取っていきます。ポポロは悲鳴を上げて抵抗しましたが、とてもかないません。
すると、いきなり少女の姿が消えました。どこにも見えなくなります。
「ワン、ポポロ!」
空を飛んで助けようとしていたポチが、寸前で見失って、つむじを巻きました。
「夢の中に連れて行かれたんだ!」
「この野郎、ポポロを返せ!!」
フルートとゼンが光の武器でナイトメアを攻撃しようとします。
すると、魔王が言いました。
「ナイトメアを倒せば、娘は二度と悪夢の世界から戻ってこられなくなるぞ。それでも良いのか?」
少年たちは、はっとしました。魔王を見上げて、悔しさに歯ぎしりをします。
闇色のドラゴンの背中で、魔王は声を上げて高らかに笑いました――。