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第2巻「風の犬の戦い」

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第11章 決戦・2

58.ルル

 空に浮かぶ風の犬は、とまどったようにポポロを見下ろし続けていました。攻撃するでもなく、逃げるでもなく、ただ見つめています。白い体の中で銀色の毛が光っています。

 ポポロはそれに向かって精一杯手を伸ばして、呼びかけ続けました。

「ルル! ルル! わからないの? あたしよ……!」

 フルートとゼンが一緒に空を見上げながら言いました。

「間違いないの、ポポロ?」

「ルルって、風の犬だったのか?」

「ううん、普通のもの言う犬よ。でも、間違いないわ。あたしにはわかるの……。ルル! お願い、返事して!」

 ポポロは必死でした。ルルは、ポポロが本当に小さい頃から一緒に暮らしてきた、姉のような存在の犬だったのです。

 すると、銀毛の犬が口を開きました。

「何故、私をその名で呼ぶ? 私はそんなものではないぞ」

 風がごうごうとうなるような低い音ですが、確かに、少女の声でした。

「魔王に操られて記憶をなくしてるんだ」

 とフルートは言って、光の剣を握り直しました。とはいえ、光の武器に風の犬の呪いを解く力はありません。何をどうしたらいいのか、まったく思いつきませんでした。

 ポポロはさらに手を伸ばして、銀毛の犬に呼びかけ続けました。

「目を覚まして! あなたはルルよ! あたしの大事なお友だちよ! お願い、思い出して!」

 銀毛の犬の後ろや周りで、他の風の犬たちが二の足を踏み、大騒ぎしていました。犬にとって群れのリーダーの命令は絶対です。リーダーの銀毛に攻撃を制止されて、ためらい、とまどっているのでした。それを見て、他の群れの犬たちも用心して、子どもたちを遠巻きにしています。

 すると、低い男の声が響きました。

「わしの犬たちを惑わせるな。まずその娘を殺せ」

 魔王が冷ややかに言い放ちます。

 とたんに、離れたところにいたリーダー犬たちが、いっせいにポポロめがけて飛びかかってきました。ひときわ大きな五頭の風の犬です。フルートとゼンは盾を構えてポポロの前後に飛び出しました。

 最初の犬がダイヤモンドの盾に激突して、フルートをはじき飛ばしました。青い盾を構えるゼンの腕が、飛びすぎていった風の犬に切り裂かれて血を噴き出します。

「ワンワン! みんな……!」

 空で戦っていたポチが飛び戻ろうとしましたが、後ろから風の犬にがっぷりとかみつかれて悲鳴を上げました。ばっと、青い霧のようなものが飛び散ります。風の犬の血は青いのです。

 別のリーダー犬が、ポポロめがけて飛んできました。鋭い牙の並んだ口を開けて、襲いかかってきます。ポポロはとっさに雷の杖をかざして呪文を唱え始めました。

「ローデローデリナミカローデ……」

「ふん。雷の杖か」

 魔王が錫を振りました。とたんに黒い魔弾が飛び出してきて、ポポロの背中に激突します。ポポロは悲鳴を上げて倒れました。

 そこへ、リーダー犬たちが襲いかかってきました。白い牙がひらめき、鋭い刃のような体がヒュウヒュウと音をたてて空を切ります。狙いは黒衣の少女ただひとりです。

「ポポロ!」

 少年たちは思わず叫びました。

 

 とたんに、すさまじい鳴き声が上がりました。

 ギャン! グゥゥゥゥ、ガウッガウッ……!!

 犬同士が激しくかみつき合い、もつれ合う声です。

 ポポロの目の前で、銀毛の犬とリーダー犬たちが取っ組み合っていました。銀毛が少女を守るために飛び込んできたのです。

 その隙に少年たちはポポロに駆けつけました。……息はあります。魔法の衣が魔弾から少女を守ったのでした。

 フルートが首から金の石を外して押し当てると、すぐに少女は正気に返りました。目の前で繰り広げられている風の犬同士の戦いに、大きく目を見張ります。

「ルル……!」

 銀毛の犬は他のリーダー犬と激しく戦い続けていました。たった一頭で四頭を相手にしているので、あっという間に全身が傷だらけになっていきます。

 フルートはゼンの腕の傷も金の石で治すと、すぐさま光の剣を構えて立ち上がりました。銀毛に後ろからかみつこうとしたリーダー犬を、光の剣でなぎ払います。たとえ光の武器が効かなくても、見過ごすわけにはいかなかったのです。が、やはり刃は犬の風の体の中をすり抜けていきます――

 ところが、剣の先に手応えを感じたと思ったとたん、ぶつり、と何かが切れました。犬の首元で、ぱあっと何かが輝いて消えていきます。

 すると、突然、風の犬の体が白く輝き出しました。悲鳴を上げながら縮み始め……普通の犬の大きさまで縮んでしまうと、いきなり空から落ちてきました。

 フルートはあっけにとられました。

 キャン、と一声鳴いて床の上で跳ね起きたのは、ごく普通の黒いぶち犬だったのです。きょとんとした顔で、あたりをきょろきょろ見回しています。

「そうか……」

 とフルートがつぶやいたので、ゼンが尋ねました。

「なんだ、何がどうなったって言うんだよ!?」

「風の犬の正体は、ただの犬だったんだよ。そうだ……どうして気がつかなかったんだろう。ポチと同じように、風の首輪で風の犬に変身していたんだよ。ぼくは今、その首輪を切っちゃったんだ」

 ゼンは目をぱちくりさせると、すぐにうなずきました。

「なぁる。カルティーナで風の犬を倒したのも、それか。炎の剣が首輪を切ったんだな。じゃ、ゼイールで俺が風の犬を追っ払ったのも――」

「ゼンのショートソードが首輪をかすったからだ。風の犬たちは首輪が急所なんだよ!」

 フルートとゼンは、改めて風の犬たちの首元を見上げました。

 風の犬たちは、目の前で仲間がただの犬に戻っていったのを見て、警戒して周囲を飛び回っていました。銀毛の犬とポチだけが、それぞれに大きなリーダー犬たちと取っ組み合って戦っています。どの風の犬の首にも首輪がありました。ポチの首輪はきれいな銀色で緑の石がはまっていますが、他の犬たちの首輪は鈍色で、真っ黒な石がはまっていました。

「闇の首輪だ!」

 とフルートたちは思わず叫びました。魔王は風の犬たちの首輪を、呪いで闇の首輪に変えて支配していたのでした。

 

「よぉし、そうとわかったら戦えるぞ!」

 と張り切ってショートソードを抜こうとするゼンを、フルートがあわてて引きとめました。

「思い出してよ。ポポロのお父さんが言ってたじゃないか。闇の首輪を壊すと、首輪をはめられてる者まで死んじゃうんだ。光の武器でなければ、安全に首輪を外せないんだよ」

「てことは、俺はこの矢か」

 とゼンは光の矢を見て苦笑しました。

「これで首輪を切るのはえらく難しいな。こいつはエルフの矢みたいに百発百中とは行かないんだぜ。ま、やるけどよ」

 口では自信のないようなことを言いながらも、銀毛の犬の背中にかみついていた風の犬を狙って、ゼンは矢を放ちました。光の矢はみごと首輪に命中して、首輪と共に輝いて消えていきました。

 とたんに風の犬の体が光に包まれて小さくなり、茶色のむく犬の姿になって床に落ちてきました。フルートの推理は正しかったのです。

 フルートはポチと取っ組み合っている風の犬に走り寄ると、気合いを込めてその首輪を切りました。とたんに、その犬は金と白の長い毛の犬に変わりました。元の姿に戻った犬たちは、長い夢から覚めたようにきょろきょろして、後はもう戦う気をなくしていました。

「ワン、フルート……」

 風の犬のポチが息を弾ませながら飛びついてきました。体中から青い霧のような血を噴き出していましたが、フルートが金の石を押し当てると、すぐに怪我は治りました。

 フルートが言いました。

「ぼくを乗せて空を飛べる? 風の犬たちを解放しよう!」

「ワンワン! 任せてください!」

 ポチはすぐに空に飛び上がろうとしました。

 

 すると、魔王が玉座から立ち上がりました。

「そうはさせるか! 全員、砕けるがいい!」

 錫が空を差すと、黒い光がその先に集まってきました。上空を、暗雲のように、黒い光がおおいはじめます。闇の力が急速に呼び寄せられているのです。

 少年たちは、ぎょっと立ちすくみました。なんとなく、街一つを吹き飛ばすという、闇の魔女の黒い魔法を思い出せる光でした。

 ポポロも息をのみました。魔法使いの少女には、もっといろいろなものが見えていたのです。魔王が風の犬たちを巻き込まないために魔弾をほとんど使わずにいたことも、代わりに強力な破壊の魔法を子どもたちの上だけに集中させようとしていることも。

 ポポロはとっさに魔王に対抗して雷の杖を掲げると、闇の光を見据えて呪文を唱えました。

「ローデローデリナミカローデ……セケチウオウホマノウオマ!!」

 とたんに、はるか上空でまぶしい光がひらめき、巨大な光の柱が天から落ちてきました。

 グワラグワラグワラ……ドドドドドーーーーン……

 城全体を揺るがせて、雷があたり一帯を打ちます。

 振動が完全におさまった時、上空にはもう、黒い闇の光はありませんでした。魔法の杖が呼び寄せた雷にかき消されたのです。ポポロたちが使う光の魔法には、魔王が使う闇の魔法を打ち消す力があるのでした。

 城の床は前にも増して激しく崩れ落ちていましたが、子どもたちがいる場所だけは、金の石の力に守られて無事でした。一方の魔王も無傷でいますが、さすがに青ざめて立ちつくしていました。自分の闇の光の魔法が破られるとは思ってもいなかったのです。

 そして、空にあれほどたくさんいた風の犬たちの姿は、一頭も見あたらなくなっていました。

 その代わりに、崩れた床のはるか下の方から、キャンキャン、ワンワン、とにぎやかな犬の鳴き声が聞こえてきました。のぞき込むと、何十メートルも下にある石の床に、数え切れないほどたくさんの犬たちがいました。黒、白、茶、ぶち、金……様々な毛色や大きさの犬たちです。

「雷に打たれて、元の姿に戻ったんだ……」

 とフルートが言いました。さすがに驚いた顔をしています。あれほどたくさんいた風の犬が、一撃で呪いから解放されてしまったのです。

 ゼンがあきれた顔をしました。

「よく雷で死ななかったな」

「風だったからだよ。風に雷は効かないもの。ただ闇の首輪だけが、光の魔法に打ち壊されたんだ」

 ポポロはただ雷で魔王の闇の光を打ち消そうとしただけだったので、これは思いがけない成果でした。

 

 ところが、そのポポロは、足下に倒れている茶色の犬を抱きしめて泣いていました。

「ルル、ルル、死んじゃいやよ……!」

 銀毛の風の犬も、雷の魔法に打たれて闇の首輪から解放されたのですが、何頭ものリーダー犬と戦って全身に深手を負い、ぐったりとしていました。銀色の毛のまじった長い茶色の毛並みが、血で赤く染まっています。

 すると、犬が目を開けました。

「ポポロ……」

 少女の声です。ポポロは思わず強く抱きしめ返しました。

「ルル……!!」

「私、どうしたのかしら……? なんだか、長い夢を見ていたような気がするわ……。とても怖くて悪い夢。最後にポポロが殺されそうになるのよ。私、思わずポポロを守ろうとしたんだけど……」

 つぶやくようにそこまで言って、茶色の犬は大きくうめきました。傷の激痛が走ったのです。

「ルル!」

 泣きじゃくるポポロに、フルートがそっと言いました。

「大丈夫。心配ないよ」

 魔法の金の石を押し当てると、ルルの体からたちまち傷が消えて、元気になっていきます。

 ポポロは歓声を上げると、再び目を開けたルルと、抱き合って喜びました。

 

 フルートが再び剣を手に立ち上がると、ゼンが顎で向こう側をしゃくって見せました。

「見ろよ。面白いことが起こってるぜ」

 部屋の向こう側で崩れ残っていた玉座から、魔王が黒い弾を打ち出していました。魔弾です。ところが、魔法の弾は、子どもたちの数メートル手前まで近づいてくると突然砕けて、黒い光の霧となって消えていってしまうのです。何度繰り返しても、同じことでした。

 魔弾が砕けるたびに、金の光がひらめき、薄い光の壁のようなものが見えました。

「障壁だ……! この石が光の障壁を張ってるんだ!」

 とフルートは驚いて胸の金の石を見つめました。石は、きらきらと澄んだ金色に輝いています。魔法の雷から子どもたちを守った後も、そのまま光の障壁を張り続けていたのです。

「へへっ、今度はこっちから行く番だな」

 とゼンが言って、光の矢を立て続けに魔王へ放ちました。

 魔王の魔弾が矢を撃ち落とします。

 その隙に、フルートが叫びました。

「ポチ!」

「ワン!」

 すぐさま風の犬のポチが飛んできました。その背中に少年たちは飛び乗りました。

「魔王のところへ!」

 とフルートが声高く言いました。右手には光の剣をしっかり握りしめています。

 

 すると、魔王は突然、手に持っていた錫を足下にたたきつけました。音をたてて錫が砕けます。

 と、錫は真っ黒な霧に変わり、いきなり、ぐうっとふくれあがりました。みるみるうちに部屋いっぱいに広がり、部屋の壁を突き破ってさらに広がり続けます。ガラガラと音をたてて壁石が地上に崩れ落ち、黒い霧が、二枚の翼や、長い首や尾を形作っていきます……。

 子どもたちがまばたきをする間に、霧は真っ黒なドラゴンに変わっていました。大きな翼を打ち合わせて、空に浮かんでいます。

 その背中に飛び乗った魔王が、フルートたちを指さしてどなりました。

「行け、エレボス! あの生意気な子どもらを食い殺すのだ!」

 闇の色のドラゴンは、翼を打ち合わせると、少年たちめがけて、まっしぐらに襲いかかってきました――

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