「なんだ、こりゃ!?」
とゼンは思わず声を上げました。
あたりは真っ暗です。
たった今まで目の前にいた、黒馬に乗った怪物も、一緒に戦っていたフルートやポチも見あたりません。墨を流したような、本当の暗闇の中です。
と、ふいに暗闇が晴れて、明るい景色が広がりました。
同時に、わめくような男の声が聞こえてきました。
「おい、ゼン、何をぼやぼやしている! この一大事に、何を呆けているんだ!?」
ゼンは驚いて、目の前の人物を見つめました。顔に見覚えがありました。北の山の洞窟にすむドワーフのひとりです。
ゼンは、あわててあたりを見回しました。
広い広い空間に、岩を刻んだ回廊が張り巡らされ、無数の岩の柱が、岩でできた天井を支えています。その真ん中にそびえる太い柱の上では太陽のような明るい光が輝き、柱に埋め込まれた宝石を色とりどりにきらめかせています。太陽の石と、それを支えている大石柱です。広い空間の周りを岩の壁が取り囲んでいて、丸い椀を伏せたような家がひしめき合っています。
ゼンは、ぽかんと立ちつくしてしまいました。自分のふるさとの、北の山の洞窟に帰ってきてしまっていたのです。
「どういうことだ……?」
ゼンは必死であたりを見回し続けました。フルートもポチもいません。ポポロの姿もありません。もちろん、魔王や怪物も消えていました。ただ、懐かしいふるさとの町が広がっているだけです。
目の前でドワーフの男がどなり続けていました。
「こら、ゼン、聞いているのか!? 地底湖からまたグラージゾが現れて暴れているんだぞ! おまえの親父たちが討伐隊を組んで退治に出かけた! さっさと追いかけて、一緒に退治せんか!」
「グラージゾが?」
ゼンは、はっとしました。かつてフルートと苦労して怪物を倒した時のことが、頭の中に浮かびます。
ドワーフの声がほんの少し和らぎました。
「知らなかったのか? 今朝方のことだ。もう洞窟のドワーフが十人も食い殺されている。早くおまえも行って、親父たちの手伝いをするんだ」
と、地底湖に続く通路の入り口を指さします。
ゼンは思わずそちらへ走り出しそうになって、すぐに立ち止まりました。とまどって、またあたりを見回します。
「おい、ちょっと待てよ……なんで俺はここにいるんだ? 俺はフルートたちと、天空の国で魔王と戦っていたはずじゃないか。何がどうなったって言うんだよ……?」
「どうした!? 早く行かないか!」
とドワーフがまた強い語調になりました。ゼンが臆病風に吹かれたように見えたのでしょう。ゼンは、むっとしました。
「待てったら! ちょっと考えさせろよ! だいたい、どうして俺は戻ってきちまったんだ? フルートたちはどこに行ったんだよ?」
「フルート? あの人間の子どものことだな」
ドワーフが、急にあざけるような目になりました。
「相変わらず人間びいきだな、ゼン。我らドワーフの仲間より、人間の方が大切か。タージはしょせんタージということだな」
タージというのは、ドワーフが人間とドワーフの間に生まれた者を馬鹿にして言うことばです。たちまちゼンはかっと顔に血を上らせました。
「なんだと!? たとえ人間の血が入っていたって、俺は正真正銘ドワーフだぞ!」
「ならば、何故グラージゾ退治に行かん!? おまえがドワーフより人間を大事にしている証拠だ! ドワーフの風上にも置けないヤツだ!」
「だから、俺はただ――!」
わけが分からないだけだ、とゼンが言おうとするのを、相手は強い口調でさえぎりました。
「そもそも、おまえがドワーフを名乗ること自体、おかしいんだ! おまえの母親は人間の女だった。おまえの父親も人間の血が混じったタージだ。血の半分以上が人間のおまえが、どうしてドワーフだと言える! おまえは人間ではないか!」
「なんだと……?」
ぎろり、とゼンは相手をにらみつけました。ゼンは人間の血が入っている分、身長があるので、大人のドワーフと視線の高さがほとんど変わりません。
ドワーフはあざけるように言い続けました。
「自分がドワーフだと言いたいのなら、今すぐ、それを証明して見せろ! グラージゾを倒してこい! そうしたら、おまえが人間でなくドワーフだと認めてやろう! だが、我々仲間を捨てて人間の荷担ばかりしているようなヤツは、ドワーフではない! とっとと、この町から出て行け!」
地底湖に続くトンネルの入り口から、遠い音が聞こえてきました。ガガガガ……と何かを叩きつけるような音です。ゼンには聞き覚えがあります。グラージゾが通路を這い上がってくる時の足音です。
ドワーフがまたどなりました。
「どうした、おじけづいたか、タージめ! グラージゾが来るぞ! おまえがドワーフならば、ひとりであれを倒して見せろ! それとも、やっぱりおまえは人間か? 自分かわいさに敵の前から逃げるとは、いかにも人間らしい卑怯なやり方だな!」
ゼンは、うつむいたまま、黙ってドワーフのことばを聞いていました。
その様子に、ドワーフがまた笑いました。
「なんだ! 図星を指されて、ぐうの音も出ないか!?」
すると、ゼンが低い声で答えました。
「……言いたいことは、それで全部か?」
「なに!?」
思わず聞き返すドワーフを、ゼンは目を上げて眺めました。ゼンにしては意外なほど冷ややかな目つきでした。
「俺がドワーフかどうか、どうして、あんたに決めてもらわなくちゃならないんだ? 人間の血が混じっているから、どうだと言うんだ。その血の分量で、俺がドワーフかどうか、決まるって言うのか?」
ドワーフの男は思わず何も言えなくなりました。ゼンの全身から研ぎすました刃のような気迫が伝わってきます。男は気がつかないうちに、半歩、一歩と後ずさっていました。
ゼンが続けました。
「親父から言われているぜ。ドワーフかどうかを決めるのは、俺たちの心なんだ、ってな。自分をドワーフだと思って、ドワーフとして生きようと思えば、俺たちは正真正銘ドワーフなのさ。それは、誰かから決めてもらうようなことじゃない。俺たちの心が決めることなんだ」
そして、ゼンは、ずいとドワーフの男に近づきました。男がさらに後ずさります。そこにゼンがたたみかけました。
「だいたい、おかしいよな、あんた。どうして、そんなに俺をグラージゾ退治に行かせたいんだ? まるで、俺を何かから引き離そうとしてるみたいじゃないか。何をたくらんでやがる?」
ゼンが弓に矢をつがえてドワーフの男に向けました。
男は顔色を失ってわめき出しました。
「や、やめろ、人殺し!! 仲間を撃ち殺す気か!? やっぱりきさまは――!」
すると、ゼンがにやりと笑いました。
「安心しろ。これは光の矢だ。光の武器は、人は傷つけないで闇のものだけを打ち砕くらしいぜ。あんたが本物のドワーフなら、光の矢を食らったって死にゃしないさ」
そう言いながら、きりきりと弓を引き絞ります。その矢の先は、まっすぐにドワーフの男の胸を狙っています。
男は突然すさまじい声を張り上げました。
「きさま、とり殺してやる――!!!」
ドワーフの姿が一瞬のうちにほどけて、黒い闇に変わりました。スライムのように、ゼンめがけて飛びかかってきます。
「やっぱり魔王の手先か!!」
とゼンは叫び、闇に向かって光の矢を放ちました――。