あたりは一面の暗闇でした。
何も見えず、何も聞こえず、自分がどこにいるのかわからなくて、フルートはあたりを見回しました。
すぐそばにいたはずのゼンやポチの気配も感じられません。
すると、突然、暗闇はまた晴れて、周りが見えるようになってきました。
木の床、木の壁、丸テーブルに木の椅子。テーブルではお茶の入ったカップが湯気を立てています。そして、椅子に座っていたのは――
フルートは愕然として、その人たちを見つめました。椅子の人たちも驚いてフルートを見つめます。双方がしばらく見つめ合い、ふいに、向こうが椅子を倒して立ち上がりました。
「フルート!!」
青い瞳の男性と長い金髪の女性が同時に叫びます。
「……お父さん、お母さん……」
フルートは信じられないようにつぶやくと、自分の両親を眺めました。
そこは、魔王の城ではありませんでした。シルの町にある自分の家の中に、フルートはひとりで立っていたのです。
「フルート……! 本当にフルートね!?」
お母さんが悲鳴のように叫んで、息子に抱きつきました。温かい胸の中に、すっぽりと少年を抱き込んでしまいます。
「どこへ行っていたの!? 何も言わずに突然出かけてしまって、1か月近くもなんの音沙汰もなくて……お父さんもお母さんも、どんなに心配したことか……」
そう言いながら、お母さんは泣き出してしまいました。
ふと、フルートはポポロの母親が同じようにポポロを抱きしめたのを思い出しました。お母さんというものは、どこでも同じような反応をするのかもしれません。
「いったいどうしたんだ、フルート? 何故、急に現れたんだ?」
とお父さんが眉をひそめながら言いました。息子が無事だったのを喜んではいましたが、息子が抜き身の剣を握り、体中に返り血を浴びているので、ただごとではないと気がついたのでした。
フルートは我に返ると、泣いているお母さんをやっと引き離しました。あせって言います。
「お父さん、ぼく……ぼく、天空城で魔王と戦っていたんだよ。ゼンやポチも一緒だったんだ。どうして家に戻って来ちゃったんだろう……!?」
思い当たる理由はただ一つ。あの黒馬に乗った人のような怪物が、黒い光と共にフルートを家に送り戻してしまったのに違いありません。
ゼンは、ポチは、どうしたのでしょう? そして、魔王のいる天空城に、ひとり残されているかもしれないポポロは……?
フルートは必死になってあたりを見回しましたが、天空城に戻る入り口のようなものは、どこにも見あたりませんでした。
「魔王だって?」
とお父さんが聞き返しました。
「天空城……? おまえは、今までどこにいたんだ? 何がどうしたと言うんだ?」
そこで、フルートは手短に今までのことをお父さんたちに話して聞かせました。話しながらも、気持ちがあせってしかたありません。なんとか早く戻らなくてはならないのですが、戻り方がわからないのです。
すると、ふいに、お母さんが、わっと声を上げて泣き出しました。
「お母さん……?」
フルートが驚くと、お母さんはむせび泣きながら、こう言いました。
「なんて怖い……! 切ったり傷つけたり殺したり……そんな怖いことを、フルートがしていたなんて……! おまえ、そんなことして、自分で恐ろしくないの……?」
フルートは、さらにびっくりして、お母さんを見つめました。確かに、争いごとが嫌いな優しい母親でしたが、今までこんなふうに言われたことは一度もなかったのです。
「だ、だって、ぼくは金の石の勇者だから――」
たとえ嫌でも戦わなくちゃならないんだよ、と言おうとすると、お母さんがまた嘆きました。
「優しい子だったのに。誰も傷つけることができないような、本当に優しい子だったのに……。そんなに血まみれになって……血だらけの剣を持って……。恐ろしいわ。フルートじゃないみたい……。私のかわいい、優しいフルートは、どこに行ってしまったの……?」
フルートは何も言えなくなって立ちすくみました。さすがに、母親の嘆きは胸に応えます。目の前で泣き崩れるお母さんを見ながら、フルートはどうしていいのかわからなくなってしまいました。
すると、フルートの父親が、深い目でじっと息子を見つめて言いました。
「フルート、おまえ、無理をしているんだろう……? おまえは本当は争いや戦いが大嫌いな、心優しい子どもだ。金の石に勇者にされてしまったから、無理して戦っているんだね。いくら金の石の勇者だからと言って、そこまで自分を曲げる必要があるのかい?」
「お父さん……」
フルートは、ますますとまどいました。両親からこんなふうに責められて、何をどう言ったらよいのかわかりません。なんだか、急に涙が出そうになってきました。
「ぼ、ぼく……でも、ぼくは……」
自分の気持ちがことばになりません。
お父さんが、たたみかけるように言いました。
「勇者だからと言って、戦わなくちゃならないというわけではないはずだよ。剣で相手を切り倒すだけが戦いじゃないはずだ。もっと、おまえらしくする方法はないのかい? 戦いが嫌いなら、戦わない、という道もあるはずだぞ……」
フルートは、黙って父親を見上げました。涙が目の縁まで迫ってきて、今にもこぼれ落ちそうでした。
すると、お父さんがおもむろに部屋の窓を大きく開け放ちました。
「見てごらん、フルート」
と外の景色を示します。そこには荒野が広がっていました。一面、薄緑色の草におおわれ、そこここで赤や白の小さな花が咲き乱れています。遠くには、濃い青空を背景に北の山脈が淡くかすんでいます。思わず気持ちがなごむような、美しい景色です。
お父さんが言いました。
「ここはこんなに平和なんだよ。どうして、自分から争いごとの中に飛び込んで行かなくちゃならないんだ? 日々の生活を地道に暮らしていくことだって、立派に平和を守ることになると思うよ。それは、どんなに平凡に見えても、とても大事なことだ。そうだろう、フルート?」
フルートは父親を見つめ、それから目を伏せました。
お父さんが手を差し出しました。
「さあ、その物騒な剣は置いて。帰っておいで、フルート。本当のおまえに戻るんだよ……」
お父さんの声が優しく響きます。
フルートは、じっと下を向き続けていました。お父さんが近づいてきて、そっとフルートの剣を取り上げようとします。
とたんに、フルートは大きく飛び下がりました。
首を横に振り、光の剣を握り直します。
「だめだよ、お父さん……できない。今夜もエスタの人たちが風の犬に殺されるかもしれないんだ。天空の国の人たちが魔王の呪いにつながれてるんだ。ポポロのお父さんもお母さんも……ポポロも……。みんなを助けなくちゃいけないんだよ!」
「どうして、それをおまえがやらなくてはならないんだ!?」
とお父さんが声を上げました。
「金の石の勇者になったからと言って、おまえがやらなくちゃならないというわけじゃないだろう? 金の石の勇者は義務じゃないはずだ。それに、おまえがどんなにがんばったって、世界中の人たちを助けることは不可能なんだよ。おまえは無理なことをやろうとしている。そんなおまえを見ているのはつらいよ」
けれども、フルートは首を振り続けました。
「世界中の人を助けることなんかできないのは知ってる……ぼくに助けられるのは、ほんの一握りの人たちだけだ。でも、ぼくが戦うことで助かる人が何人かでもいるなら、ぼくは、やっぱり戦いたいんだよ」
そのとき、泣いていたお母さんが突然悲鳴を上げました。
「フルート! 血が……!」
フルートが持つ光の剣から、赤い血がぽたぽたとしたたって床を染めていました。まるで、剣の内側から血がにじみ出し、刃を伝って流れ落ちているようです。フルートが驚いていると、お母さんが髪を振り乱して顔をおおいました。
「もういや! 恐ろしすぎるわ! ここにいるのは、人を殺しても平気でいる殺人鬼よ! 私のフルートなんかじゃない……!!」
わぁっと激しく泣き出します。
フルートは真っ青になって立ちすくみました。
お父さんが痛々しそうな目をしながら、フルートに手を差し伸べました。
「帰っておいで。もうじき牛たちの見回りに行く時間だ。一緒に手伝っておくれ。私たちと一緒に、元通りまた平和に暮らそう」
お父さんが歩み寄ってくるので、フルートはじりじりと後ずさりました。青ざめた顔のまま、父親を見上げて言います。
「だめなんだよ、お父さん……。泣いて悲しんでいる人たちがいるんだ。その声が聞こえているのに、自分たちだけ笑っているなんてこと、ぼくにはもうできないんだよ……!」
「何故そこまで……! おまえが、そこまで抱え込むことはないんだよ! おまえはまだ十二才の子どもだ。子どもは大人に守られて、幸せに暮らす権利があるんだよ!」
お父さんが悲痛な声を上げると、フルートはふいに立ち止まりました。目を見張って父親を見上げ、それから、窓の外を眺めます。
しばらく、そのまま外の景色を眺めてから、フルートはまた向き直りました。再び話し出した声は、うってかわって静かでした。
「お父さん……。これをぼくに教えてくれたのは、お父さんだよ。もしも目の前に困っている人がいて、それを助けることができるのなら、助けてあげなさい。たとえ子どもでも、手伝えることはあるかもしれないんだから、って。いつもお父さんはそう言っていたんだ。――そして、もうひとつ」
フルートは父親を見つめたまま、窓の外に広がる荒野を指さしました。赤や白の花が美しく咲き乱れています。
「あのリリカの花は、一週間で散っちゃう寿命の短い花だ。ぼくが家を旅立った時、荒野はリリカが満開だった。あれからもう一か月もたってる。本物の荒野には、今はもう花は咲いてないはずなんだよ」
父親の動きが止まりました。母親の泣き声も突然聞こえなくなります。二人は表情の消えた顔で、まるで二体の人形のように、うつろにフルートを見つめました。
フルートは、光の剣を固く握りしめながら、両親の姿をしたものに向かって言い放ちました。
「ここは、シルの荒野じゃない! ぼくの家なんかじゃない! あなたたちも偽物だ! ここは魔王が作り出した幻惑の世界の中なんだ!!」
とたんに、視界がぐにゃりと歪みました。
父親も母親も家の風景も、すべて目の前でねじれていって――
あたりはまた、真っ暗になりました。