円形の部屋の端と端で、魔王と子どもたちは向き合っていました。双方の間では崩れた壁が山になり、石の床に大きな穴があいています。一段高い玉座に座る魔王は、たったひとりきりでした。
とたんに、ゼンが動きました。
「この野郎、覚悟しろ!」
と光の矢を魔王めがけて放ちます。あっという間のできごとでした。
矢は、まっすぐ魔王めがけて飛んでいきます。ところが、魔王が目を向けたとたん、光の矢は宙で破裂して、粉々に砕け散ってしまいました。
「せっかちだな、ドワーフ。まずは話し合おうとするものではないのか?」
妙に白々しく響く声で魔王が言いました。
へっ、とゼンは鼻で笑いました。
「話し合ったら、あんたは天空の国から手を引いてくれるのか? 呪いで白くなったものたちをみんな元通りにして、風の犬も解放して、地上を襲ったりしなくなるのか? そんな気持ちなんて、これっぽっちもないんだろ?」
すると、魔王が冷ややかに笑いました。
「当然だな」
「なら、話し合うようなことは何もねえや!」
とゼンが続けざまに矢を撃とうとするのを、フルートが抑えて言いました。
「魔王! どうしてそんなにみんなを苦しめるんだ? おまえの目的はなんだ?」
「目的?」
魔王は意外そうに目を見張ると、急に楽しげな表情になりました。ねじれた角の生えた頭をゆすって笑います。
「さて、目的などあったかな。とりあえず、天も地も海も、すべてわしの手に収めようとは思うが。皆を苦しめる訳か? 簡単なことだ、それが楽しいからだ」
「楽しい?」
今度はフルートが聞き返しました。
「そう、楽しいな。人や生き物たちが嘆き苦しんでいる声を聞きながら、わしは笑うのだ。他人の苦しみや悲しみによって、わしの喜びがいっそう際だつ。この世にこれほど楽しいことはないな」
フルートは、それを聞いて少しの間黙り込み、やがて、ふぅん……とつぶやきました。わきに立つ仲間たちが、なんとなしに、ぞくりと来るような声でした。
「天空王の言ったとおりなんだね……おまえは人の不幸を最上の喜びにする魔物なんだ。おまえとぼくたちでは、絶対に理解し合えないんだ……」
フルートが顔を上げて魔王を見据えました。その目は激しい怒りに燃えていました。怖いほど真剣な表情です。
「なるほど。話し合いは無用のようだな」
と魔王は冷ややかに言いました。手に持った黒い錫を掲げます。
フルートは剣を構えて駆け出しました。
「ポポロはポチとここにいて! ゼン、援護してくれ!」
「おう!」
ゼンがすぐさま弓に矢をつがえます。
フルートは、崩れた床のかたわらを、つむじ風のような勢いで駆け抜けていきました。
魔王が黒い錫を振りました。とたんに、錫の先の玉から真っ黒な光の塊がフルートめがけて飛び出してきました。
フルートは、とっさに立ち止まると盾を構えました。
シャァァァァ……!!
黒い光が盾に当たり、すさまじい音と共に破裂しました。闇の魔女レィミ・ノワールが発した光の球に似ていますが、威力を一点に集中させたような鋭さがありました。魔法のダイヤモンドの盾でなかったら、一撃で撃ち抜かれたことでしょう。
フルートは反動に思わずよろめいて、かたわらの壁にぶつかりました。盾を構える腕が、じーんとしびれています。
そこへ、次の魔法の弾が飛んできました。しびれた腕のせいで、一瞬盾を構えるのが遅れます。
すると、フルートの目の前で、黒い弾が霧と消え去りました。ゼンの放った光の矢が命中したのです。
「行け、フルート! 魔法の弾は俺に任せろ!」
とゼンが叫んで、後を追って走り出しました。時々立ち止まっては、フルートめがけて撃ち出されてくる魔弾を、光の矢で撃ち砕きます。
黒い光の粉になって散っていく弾の間をぬって、フルートは走り続けます。玉座の魔王が近づいてきます。
「こざかしい」
と魔王はつぶやくと、黒い錫で、とんと床を突きました。
すると、魔王の目の前に白い霧のようなものが集まってきて、床の中から大きな生き物が姿を現しました。
三つの頭を持つ巨大な犬……地獄の番犬、ケルベロスです。
床から躍り出ると、フルートの目の前に飛び下ります。
犬はフルートの背丈よりも大きく、頭の先から尾の先まで真っ黒で、尾は一匹の蛇になっていました。三つの頭で、いっせいにフルートにかみついてきます。
フルートは大きく飛び下がると、姿勢を低くして剣を構えました。
そこへ、ゼンが追いついてきて、すぐ後ろに立ちます。
「左の頭」
とフルートが言うと、ゼンがすかさず答えます。
「じゃ、俺は右の頭だ。任せろ」
フルートは飛び出していって、ケルベロスの目の前で、大きく左へ飛びました。地獄の犬がそれを追って横を向きます。
とたんに、ゼンの光の矢が一番右端の頭に命中しました。ギャーン! と悲鳴を上げて、犬の頭が一つ、霧散しました。他の二つの頭も激痛に悲鳴を上げます。
その隙に、フルートは左端の頭に光の剣を振り下ろしました。
犬の首が切り落とされ、ばっと血しぶきが飛び散ります。
ところが、ケルベロスの血が降りかかったとたん、フルートの顔に焼けつくような痛みが走りました。地獄の犬の血が、強い酸のように皮膚を焼いたのです。思わず悲鳴を上げて顔を押さえます。
「フルート!」
ゼンがあわてて駆け寄ろうとしたところへ、残った真ん中の頭が猛然と襲いかかってきました。
フルートとゼンは犬の体当たりを食らって後ろによろめきました。
と、ゼンが、はっとして踏ん張り、フルートの体を支えました。少年たちは床にあいた大穴のすぐ際に立っていて、後がなかったのです。
魔法の雷であいた穴は、何十メートルも下まで続いています。はるか下に、石の床が見えています。落ちたら、まず助かりません。
ケルベロスがまた襲いかかってきました。
「くそっ!」
ゼンは弓をわきに投げ捨てると、両手で犬の頭をがっちり受け止めました。黒い牙が生えた顎を押さえて、じりじりと力で押し返し始めます。
「ゼン……」
フルートは怪力の友人を見守りました。フルートの顔の火傷は金の石の力で消えていました。
ケルベロスが口を押さえている手を振り切ろうともがきました。頭を振り、激しく飛び跳ねます。
すると、ふいにゼンが犬の背に手を当て、気合と共にその体を持ち上げました。
「はぁぁっ!!」
とたんに、雄牛のように巨大な犬は、四本足を上にして逆さまになりました。足で宙を蹴り、どう猛なうなり声を上げますが、ゼンはまったく動じません。そのまま高々と持ち上げて、後ろの大穴から下へ投げ落とそうとします。
と、そのとき、フルートがゼンの前に飛び出してきました。
「危ないっ!」
構えた盾に魔弾が命中しました。魔王がゼンを狙って撃ち出したのです。
黒い光が盾の表面で破裂し、フルートは後ろに吹き飛ばされて、ゼンにぶつかりました。とたんに、ゼンがバランスを崩します。
「うわぁっ……!!」
少年たちとケルベロスは、一緒くたになって穴の中に落ちていきました。
「フルート! ゼン!」
ポポロは思わず悲鳴を上げました。少年たちの姿が穴の中に消えていきます。
すると、シュッと音がして、風の犬に変身したポチが少女の腕から飛び出していきました。まっしぐらに穴の中に飛び込んで、少年たちの後を追います。
「ポチ!」
少年たちが落ちながら叫びました。風の犬は素早く宙を飛び回って背中にフルートとゼンを拾い上げると、そのまま上に向かいました。
ケルベロスは穴の中を落ち続け、やがて大きな音をたてて下の床に激突しました。骨のへしゃげる嫌な音が響き、そのまま動かなくなります。と、その姿は白い霧になって消えました。
ポチは少年たちを乗せたまま穴から飛び出すと、床の上に降りました。元の子犬の姿に戻ったとたん、その場に力なく倒れてしまいます。
「ポチ……ポチ!」
フルートたちはあわててかがみ込みました。子犬は疲れ切っていたのに力を振り絞って少年たちを助け、また動けなくなってしまったのでした。怪我はありませんが、とにかく消耗が激しくて、立っていることができません。
少年たちは子犬を守るように、武器を構えて魔王に向き直りました。玉座までは、歩いて十歩足らずの距離です。
けれども、魔王は少しもあわてることなく、錫で床を突きながら言いました。
「なるほど、金の石の勇者たちは、そう簡単にやられはしないのだな。だが、これが相手であればどうだ……?」
すると、床の中から、また怪物が姿を現しました。
少年たちのすぐ目の前から真っ黒な髪の毛のようなものがせり上がり、その下に、黒い獣の頭が続きます。さらに奥からは、人のようなものも姿を現します……。
フルートとゼンは息をのみました。
それは、巨大な黒馬にまたがった人のような怪物でした。が、人のような、と言っても、人の姿をしていません。手、足、頭、胴、目、口、耳、鼻……人間のありとあらゆる体のパーツを何十何百と集めて、めちゃくちゃにつなぎ合わせ、それで人間の形を作ったように見えます。体中に無数にある目が、ぎょろぎょろと少年たちを見つめていました。
「げ……悪趣味な怪物だ」
とゼンが吐き出すようにつぶやきました。
フルートは黙って光の剣を構え直しました。どこをどう攻撃すれば倒せるかと、敵を観察し続けます。
すると、人のような怪物が、突然黒い光を発してきました。
フルートがとっさにダイヤモンドの盾を構えます。
ところが、光は大きな布のように広がると、少年と子犬に飛びかかって、すっぽりと包み込んでしまいました。
「フルート! ゼン! ポチ!」
部屋の一番手前で、ポポロがまた悲鳴を上げました。
少年たちの姿が、黒い光の布と共に、部屋の中から消えていったからでした――。