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第2巻「風の犬の戦い」

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52.見えない敵

 「な、何がいるんだ!? 見えないぞ!」

 ゼンが叫びました。

 フルートも風の犬のポチにしがみつきながら目をこらしましたが、やはり何も見えません。部屋は空っぽのままです。

 と、彼らのすぐわきをひゅっと何かがかすめすぎ、真下の床にまた大きな穴があきました。地響きがして、床石が砕け、土煙が舞い上がります。

「いる……! すごく大きな魔の気配よ!」

 とポポロが悲鳴のように叫びました。

 また、風の犬のすぐ近くを見えない何かがかすめていきます。ポチが身をひねると、今度は壁が大きくえぐれました。鋭い爪の痕が残ります。

「見えない怪物だ!」

 とフルートは叫びました。まるで巨大な熊かライオンの爪痕のようです。

 またポチが身をひねりました。見えない獣が床を叩きつけ、床石が大きく落ち込みます。

「やばいぞ」

 とゼンが言いました。子どもたちは風の犬のポチにしがみついているので攻撃ができません。かといって、下に降りて体勢を整えようとすれば、その瞬間に見えない怪物にぺしゃんこにされてしまいます。

 また透明な前足が宙を打ちました。鋭い爪の先がフルートの兜をかすり、ゼンの頬をかすめていきます。

「おっ……」

 とゼンが声を上げました。頬に赤い傷が走り、血が流れ出します。

 ポチは必死で空を飛び、攻撃をよけ続けていました。気配で身をかわしているだけで、怪物が見えているわけではないのです。

 フルートは唇をかむと、剣を持つ手で苦労してペンダントをつかみました。闇の敵であれば、金の石の光が効くはずです。

「正体を見せろ!」

 と鎖が伸びる限り前に突き出すと、ペンダントからまた金の光がほとばしりました。部屋中をまばゆい光で充たします。

 とたんに、部屋の真ん中に幻のようなものが見え始めました。

 白い影がゆらゆらと揺らめきながら、見上げるように大きな怪物に変わっていきます。鋭い爪、尖った牙、大きな顎……と次第に実体化してきます。けれども、その体に肉や皮膚は現れません。やがて、彼らの前に姿を現したのは、全身白い骨だけでできたドラゴンでした。骸骨のドラゴン――ボーンドラゴンです。

 

「でかい……」

 とゼンがつぶやきました。

 ボーンドラゴンの頭は天井すれすれにあり、尾の骨の先は部屋の反対側まで届いています。翼の形の骨はほとんど部屋いっぱいに広がっています。太い足の骨が一歩前に踏み出すと、ずしんと地響きがして床に穴があきました。

 フルートはまた金の石のペンダントを突き出しました。聖なる光で闇の怪物を消し去ろうとしたのです。

 すると、そのとたん、ボーンドラゴンの前足が子どもたちをかすめました。骨だけの前足には鋭い爪が並んでいます。

 ポチは身をかわし、ドラゴンの背中へ回りました。

「ワン、金の石を!」

 と叫びます。

 フルートはまた金の石に呼びかけようとしました。

 とたんに、今度は太い骨の尾が飛んできました。子どもたちを横殴りにしようとします。

 ほんの数ミリというところでそれをかわしたポチは、部屋をめちゃくちゃに飛び回りながら叫びました。

「ダメです! ヤツの攻撃は、部屋中どこにでも届きます!」

 一度部屋を出て体勢を整えたいところでしたが、子どもたちが通ってきた扉は背後でぴったり閉まっていて、外に出ることができません。

 すると、ボーンドラゴンが大きな顎を開き、口から真っ黒な息を吐き出しました。煙のような息がかかったとたん、子どもたちの体が一瞬マヒして、腕から力が抜けました。闇の息を吹きかけられたのです。

 ついに、ポポロがポチの背中から滑り落ちました。悲鳴を上げながら落ちていきます。下は堅い石の床です。

「ポポロ!」

 フルートが叫んでポチから飛び下りました。少女に抱きつき、かばうように抱きしめます。けれども、床に激突する瞬間、ふわっと体が柔らかいものに支えられ、少年と少女は床に落ちて転がっただけですみました。

「いてて……おい、ポチ、大丈夫か!?」

 すぐ近くに投げ出されたゼンが、こぶのできた頭を押さえながらポチに駆け寄っていきました。ポチはフルートとポポロの後を追って急降下し、かろうじて2人を風の体で受け止めたのですが、自分はそのまま床に激突してしまったのでした。風の犬から子犬の姿に戻って、床の上で激しくあえいでいます。

「す、すみません……すぐに風の犬に……」

 と立ち上がろうとして、ポチはまた倒れました。風の犬に変身しようとしても、首輪の石は淡く光るだけで、姿が変わりません。もともと天空城まで飛んでくるだけで疲れ切っていた子犬は、ここに来て、残りの体力もすっかり使い果たして、変身することができなくなったのでした。

 

 ボーンドラゴンの足が子どもたちを踏みつぶそうとします。

「危ないっ!」

 フルートはポポロを、ゼンはポチを抱えて飛びのきました。たった今まで子どもたちがいた場所に、ドラゴンの骨の足がめり込みます。

 フルートは光の剣を構えて、ドラゴンに切りかかっていきました。太い足首の骨を剣でなぎ払います。

 ゼンも弓を構えて至近距離から光の矢を撃ち込みます。

 ドラゴンの足の先と胸の骨が霧と消えました。

 その間に、ポポロが跳ね起きて、床に倒れていたポチを抱き上げました。そのまま、精一杯部屋の端に寄ると、子犬をかばうように胸の中に抱きしめます。

「見ろ!」

 ゼンがドラゴンを指さして叫びました。

 消えたはずのドラゴンの足に白い霧のようなものが集まって、足が再生していくところでした。光の矢を受けて消えた胸の骨も、またたくまに復活していきます。

「でかすぎて光の武器でも倒しきれないんだ」

 とゼンが舌打ちしました。

 フルートは三度首のペンダントをつかんで突き出しました。

「消えろ!」

 と叫びます。

 とたんに金の石が輝き、澄んだ光がボーンドラゴンを照らしました。

 ドラゴンが声にならない叫びを上げて身もだえしました。その全身が溶け始め、霧になって消えていきます。

 

 が。

 その霧が吸い寄せられるようにまたドラゴンに戻っていったかと思うと、再びドラゴンの骨格を形作りました。頭をもたげ、勢いよく前足を振り下ろしてきます。

 フルートとゼンは左右に飛びのき、かろうじて攻撃をかわしました。

「金の石が効かない……?」

 呆然とするフルートにポポロが言いました。

「この部屋のせいよ! 魔の気配が充満しているから、溶かされてもすぐに再生しちゃうの!」

「ちきしょう!」

 ゼンがどなりながら、続けざまに光の矢をドラゴンに撃ち込みました。けれども、矢を食らって消えても、やっぱり、すぐにまた元通りになってしまいます。

「ワン……逃げなくちゃ……」

 ポポロの腕の中でポチが身動きしました。

「ぼくが風の犬になります……みんな、ぼくに乗って……」

 と下に飛び下りましたが、とたんにまた、ぱたりと床に倒れてしまいました。ポチは立っている力さえなくしていたのでした。

 フルートが、ポポロとポチの前に飛び出して、振り下ろされてくるドラゴンの前足を光の剣で断ち切りました。

「逃げて、ポポロ! こいつから離れるんだ!」

 そして、再生してきた足をもう一度なぎ払います。何度切っても、ドラゴンの体は元に戻ります。

 ポポロはポチを抱いて走り出しました。ドラゴンの向こうに見える出口をなんとか目ざそうとします。

 が、すぐにポポロは立ち止まりました。

 目の前の床が盛り上がり、また次々とゾンビや幽霊たちが立ち上がってきたのです。部屋の中はあっという間に闇の怪物でいっぱいになりました。

 

 フルートはボーンドラゴンと真っ正面から向き合いながら剣をふるい続けていました。襲いかかってくる爪や牙をかわし、骨の体を断ちます。またすぐに再生するとわかっていても、戦わないわけにはいきません。一瞬でも気を抜いたら、たちまちやられてしまいます。

 と、ふいにフルートの足の下で床が崩れました。衝撃で床石が緩んでいるところを踏んでしまったのです。

 仰向けに倒れたフルートの上に、ドラゴンの足が迫ってきます。避けられません。

 すると、銀の矢が飛んできて、ドラゴンの足に命中しました。骨の足が霧散します。

「大丈夫か、フルート!?」

 ゼンが駆けつけてきて、フルートの前で弓矢を構えました。

 フルートは跳ね起きようとして、はっとしました。体が動きません。見ると、白い鞭のような幽霊たちがいくつも腕や足に絡みついていました。血まみれの男や女の顔が甲高い笑い声を上げています。

「フルート!」

 ゼンが幽霊たちに矢を射ようとしたとき、背後からドラゴンの前足が飛んできました。ゼンはよけきれず、まともに横腹を爪を食らって部屋の壁に叩きつけられました。床の上に落ちて、動かなくなります。

「ゼン!!」

 フルートは幽霊を振り切ろうとしました。が、できません。

 縛りつけられたように押さえ込まれた床から、真っ黒な悪霊がじわじわとせり上がってきて、フルートの体を飲み込み始めました。フルートの体がしびれてまったく動かなくなります。金の石のペンダントをつかもうと思うのに、指先ひとつ動かせません。

 骨でできたドラゴンが、フルートを真上からのぞき込んで大きな顎を開きました。鋭い牙が三重にずらりと並んでいます。その顔は、まるで笑っているように見えました。

 フルートは思わず目をつぶると、我知らず叫んでいました。

「ポポロ――!!」

 

 そのとたん、少女の声が響きました。

「ローデローデリナミカローデ――」

 群がるゾンビや幽霊たちの真ん中で、ポポロが片腕にポチを抱き、もう一方の手で魔法の杖を高くかざして立っていました。青ざめた顔を上げてボーンドラゴンを見据えています。呪文に合わせて少女の瞳が緑に輝き出し、黒い魔法の衣が風もないのに大きくはためき始めます。

「――テリタキリヨタナカテウオキテ!」

 呪文が完成したとたん、部屋の中に光の柱が落ちてきました。目もくらむような輝きが部屋の中のものを打ちのめし、床を砕き、壁を崩します。すさまじい音が響き渡り、あらゆるものを激しく震わせます。

 光が過ぎ去り、もうもうとわき上がる砂埃がおさまったとき、部屋にはボーンドラゴンの姿はありませんでした。ゾンビも幽霊も見あたりません。あとにはただ、床にぽっかりと大きな穴があいているだけでした。

 穴から塔のはるか下の階が見えていました。雷の杖が呼んだ稲妻は、怪物もろとも石の床を打ち抜き、消し去ってしまったのです。

 壁際に倒れていたゼンが、体を起こして穴をのぞき込み、ひゅう、と口笛を吹きました。

「すっさまじい雷だな。ポポロの魔法と同じくらいの威力じゃないのか?」

「ゼン! 大丈夫!?」

 フルートが大あわてで駆け寄りました。ドワーフの少年は、ちょっと顔をしかめて笑って見せました。

「命にゃ別状ない。ドラゴンの爪は胸当てに当たったからな。ちょっと打ち身になっただけだ」

 フルートは急いで金の石を友人に押し当て、それから、改めてポポロを見ました。

 少女は、魔法の杖とポチを抱きしめたまま立ちつくしていましたが、少年と目が合うと、ほどけるように笑顔になりました。

「フルート……あたし、やったわよ……」

 フルートがうなずき返すと、少女の目に涙が浮かびました。嬉し涙です。それをゼンがまた茶化しました。

「そらな。やっぱりべそをかいた」

「もう、ゼンったら――!」

 ポポロは思わず真っ赤になってむくれ、その拍子に涙は引っ込んでしまいました。

 ポチがポポロの腕の中から伸び上がって、ぺろぺろと顔をなめました。

「やりましたね、ポポロ……すごいや!」

「お父さんのおかげよ」

 とポポロはほほえむと、手に持った杖を見つめました。三度巨大な雷を呼べるという雷の杖。残りの魔法はあと二回です。

 

 なんとなく子どもたちの間に、ほっとした思いが流れたときです。

 崩れた部屋の壁の向こうから、低い男の声が聞こえてきました。

「余裕だな、ちっぽけな勇者たちよ。ここからが本番だと言うことを忘れているのではあるまいな――?」

 子どもたちは、どきりとして振り向きました。

 崩れた壁の隙間から、隣の部屋が見えていました。分厚い絨毯の先に階段があり、一段と高くなった場所に玉座が見えます。そこに誰かが座っていて、立派な衣の裾だけが見えていました。

 フルートは光の剣を握り直して呼びかけました。

「おまえが魔王か!?」

「いかにも」

 返事と共に、突然、部屋の間の壁が崩れ去りました。ガラガラと激しい音と砂埃がわき起こり、それがおさまったとき、フルートたちのいた部屋と奥の部屋は一つにつながっていました。

 玉座に大きな男が座っていました。縫い取りのある豪華な黒い服を着て、黒い錫(しゃく)を持ち、じっと子どもたちを見つめています。その口の端からは鋭い牙がのぞき、頭には二本のねじれた角が生えていました。

「魔王城にようこそ、勇者たち。我が城におまえたちの墓を造れることを、嬉しく思うぞ」

 魔王のことばが不吉に響き渡りました――。

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