フルートはポポロの父親を見つめました。
父親は確かに「逃げなさい」と言いました。それに、ポポロの母親ともみ合っているところを助けてくれたのです。
すると、父親は少し身を引き、苦笑いするような微笑を浮かべました。
「私にさわらないように。私まで君を殺そうとしてしまうからね……」
フルートは、はっとしました。さっき、ポポロの母親も同じようなことを口走りました。ということは――
「闇の魔法ですか！？ さわった人を殺してしまうような……！」
父親がうなずきました。
「魔王の呪いだ。すべての色が奪われたときに、同時にかけられてしまった。色があるものに触れると、我々は、それを破壊せずにはいられないんだよ――それが人ならば、殺してしまわずにはいられなくなるんだ」
そして、父親は足下に倒れている妻を見下ろしました。
「かわいそうなフレア……。母親に子どもを抱くなというのは、あまりにもむごい仕打ちだ。わかっていても、ポポロを抱きしめずにはいられなかったのだよ」
「おばさんは……自分で自分を刺そうとしてました。ポポロは殺させない、って言って」
とフルートが言うと、父親はまたうなずきました。
「ここまでずいぶん耐えていたのだ。夕食の時にも一度心を奪われかけていたようだが、そのときには君たちの犬が助けてくれたな。あの料理はポポロの大好物だったんだ」
それを聞いて、フルートは思わず声を上げました。
「どうして……どうして、話してくれなかったんですか！？ ポポロは本気で悲しんでいたのに！」
すると、ポポロの父親は目を上げて、フルートをじっと見返しました。
「言えなかったのだよ。一言でも話せば、そのとたんに、フレアは魔王に心を乗っ取られて、ポポロを殺そうとしたのだ。あの子は母親が大好きだ。そんな母親の姿は見せたくなかったんだよ……」
それから、父親は驚いているフルートにうなずき返しました。
「君たちにはもっと早く教えておくべきだったな。すぐにポポロを連れて逃げてもらうべきだった。私ひとりでフレアを朝まで抑えておけると思ったのだが、お茶に一服もられて、いつの間にか眠り込んでいたんだ。結局、あの子に一番つらいものを見せてしまった……」
悲しげに目を伏せる父親に、フルートは何も言えなくなってしまいました。
と、そのとき、家の外の方から少女の悲鳴が上がりました。ワンワンワンワン……とポチが激しく吠える声も聞こえてきます。
ポポロの父親とフルートは、ぎょっとして玄関へ走り、外の光景を見て立ちすくみました。
明るい月の光に、家の前の小道が照らし出されています。
道に張り出した大きな樹が、太い枝を腕のように振り回し、梢をざわめかせながら、ゼンとポポロに襲いかかっていました。
「ポポロはラホンドックにも触れていたのか――！」
ポポロの父親がうめき声を上げました。
「ちきしょう！ こいつ、木のくせに素早いじゃないか！」
とゼンはわめきながら、襲ってくる木の枝をかわし、密集した木の葉の下をかいくぐりました。抱きかかえられたポポロが、悲鳴を上げて、ゼンの首にしがみつきます。
番人の木がまた枝を振り下ろしてきました。ゼンがあわてて飛びのくと、枝はうなりをあげて地面を叩きました。まともに食らえば、人間などぺしゃんこです。
「なんだよ。侵入者をつかまえるだけじゃなかったのか！？」
とゼンはいまいましく言うと、逃げ道を探して周囲を見回しました。
月に照らされた小道の両脇に、生け垣がずっと続いています。ゼンは背が低いので、飛び越えるのは苦手なのですが、そんなことは言っていられません。
「しっかりつかまってろ！」
とポポロにどなると、助走をつけて生け垣を飛び越そうとしました。
すると、どこからか突然、蔓草が飛んできて、ゼンの足首を絡め取りました。ゼンは、かろうじて空中で体をひねり、自分が先になって地面に落ちました。その上にポポロが落ち、弾みで地面に倒れます。
そこへ、何十本もの蔓草が、細いロープになって襲いかかってきました。ポポロの体をがんじがらめにすると、大きく揺れて、少女の華奢な体を空中に放り出します。行く先には、巨木ラホンドックが待ちかまえています。
「ポポロ！」
ゼンは自分に絡みついている蔓草を引きちぎると、全力疾走して、落ちてきたポポロを受け止めました。
そこへ、ラホンドックが襲いかかってきました。堅いはずの木の枝が、極太の鞭のようにしなりながら、次々と振り下ろされてきます。
ゼンは必死で身をかわしました。自分ひとりならともかく、ポポロを両腕に抱いているので、思うように動けません。ビシリと、枝の先が青い胸当てに当たって、ゼンは思わずよろめきました。
すると、風が吹くような音がして、白いものがかたわらに飛んできました。幻のような犬の頭と前足――風の犬に変身したポチです。
ポチは宙でとぐろを巻いてラホンドックの枝に絡みつくと、そのままつむじ風になって上空に飛び上がりました。メリメリッとすさまじい音が響いて太い枝が折れ、木の葉がちぎれます。
吹き返してくる風の中に立ちつくすゼンに、ポチが言いました。
「ワン！ ぼくに乗ってください！」
半分透き通った長い体が、目の前に伸びてきます。
ゼンはポポロをその背中に押し上げると、自分もすぐに飛び乗りました。体の下に、ポチの温かい体をはっきり感じます。
「つかまって！」
と言うなり、風の犬のポチは空に飛び上がりました。彼らをつかまえようと腕を伸ばしてきたラホンドックの枝が、また音を立ててちぎれていきます――。
助けに駆けつけようとしていたフルートは、ゼンたちがポチに乗って空に逃げたのを見て、ほっと立ち止まりました。
振り返ると、ポポロの父親も安堵の表情でそれを見送っています。
フルートは、思い切って話しかけました。
「おじさん……。おじさんも、本当はポポロが帰ってきて嬉しかったんですよね……？」
ポポロの父親は苦笑いを浮かべました。
「ひどい父親に見えていただろう？ 四か月もの間、行方知れずだった娘がやっと帰ってきたというのに、喜ぶどころか、そばにも寄らせない。話さえさせようとしない。……だめなんだよ。あの子をそばに近寄らせたら、私は、どんなに気持ちを強く持とうとしても、抱きしめずにはいられなくなったから。そうしたら、フレアを止めるどころか、私まで、あの子を殺そうとしたからね……」
フルートはまた何も言えなくなって、ポポロの父親の顔を見つめました。
白い男の人は、薄緑の目を細めてほほえみました。
「そういえば、君たちにお礼を言うのもまだだったね。ポポロをここまで連れてきてくれて、本当にありがとう。あの子は泣き虫だから、いろいろ苦労しただろう？ 天空の国はご覧の通りのありさまだが、できることなら、魔王を倒して救ってほしい。でも、それが無理ならば――お願いだ、ポポロを連れて、地上に逃げてくれ」
ポポロの父親は真剣でした。フルートはまごつきながら言いました。
「で、でも……それじゃ、おじさんたちが……」
すると、ポポロの父親はまた穏やかに笑いました。
「他のものはどうなってもかまわない。自分の命だってどうでもいい。我が子が無事でさえあれば、それで本望。……親なんてのは、いつだって、そんなものなんだよ」
フルートは、完全にことばを失ってしまいました。
家の中から女の人の叫び声が上がりました。ポポロの母親が目覚めたのです。
ポポロの父親は家を振り返りました。
「早く行きなさい！ フレアは私が抑えておく。夜明けは近い。魔王のいる城を目ざすんだ！」
それから、父親はまたフルートを見ると、ほほえんで言いました。
「あの子が自分から誰かを助けたいと言ったのは、本当に初めてだった。君たちのおかげだな。あの子に足りなかったのは、自分を信じる心の強さだ。きっと、君たちなら、あの子に一番大事なことを教えてやれるんだろう。……ポポロをよろしく頼むよ」
家の中から叫び声が近づいてきます。
ポポロの父親は家の中に飛び込んでいきました。後ろ手に玄関の扉を閉めると、声は遠ざかりました――。
フルートは、花野を流れる川のほとりで仲間たちに合流しました。明るくなってきた空の下で、白一色の草と花が揺れています。
ゼンが、友人を見るなり駆け寄ってきました。
「フルート。ポポロが……」
弱り切った顔で川辺を指さします。
白い草むらの中に、黒いしずくのような少女の姿がありました。小柄な体を、まるで消えてしまおうとするように、小さく小さく丸め、両手で顔をおおっています。子犬の姿に戻ったポチが、一生懸命話しかけたり、体をすり寄せたりしていましたが、ポポロはうずくまったまま、身動き一つしませんでした。
「もう三十分もあんな感じなんだ。話しかけても返事もしないしよ……」
と、ゼンが頭をかきむしります。
フルートは、ぎゅっと唇をかみしめると、ポポロに近づいていきました。ポチが気がついて、救いを求めるように見上げてきます。慰め上手の子犬にも、さすがに今回はどうすることもできなかったのでした。
フルートはポポロのわきに膝をつくと、少女の体に腕を回して、胸の中に抱きしめました。
少女が身を固くします。
それをさらにきつく抱きしめながら、フルートは言いました。
「これは君のお父さんの分だよ、ポポロ……。お父さんは、本当は君を抱きしめたかったんだ。だけど、できなかった。魔王の呪いのせいで、君にさわると、君を殺したくなってしまうから……」
ポポロが驚いたように顔を上げました。泣きはらして真っ赤になった目で、フルートを見つめます。フルートはうなずいて見せました。
「君のお母さんも、ラホンドックも、呪いをかけられていたんだよ。君のお母さんは自分で自分を刺そうとした。君を殺したくない、って言って」
ポポロが悲鳴を上げました。あわてて家に駆け戻ろうとします。
けれども、フルートはそれを引きとめました。
「だめだ。魔王を倒さなければ、呪いは解けないんだよ！ 君のお父さんが言ってた。城を目ざして、魔王を倒せ、って。だけど、それができないときには、ポポロ、君だけでも無事に逃げてくれ、って……」
ポポロは目を見張りました。
「お父さん……！」
みるみるうちに、また涙が浮かんできます。
フルートはポポロをいっそう強く抱きました。堅く堅く、少女が息が詰まりそうなほど力をこめて抱きしめます。その腕や体が小刻みに震えているのに、少女は気がつきました。
「許さない……」
フルートが、つぶやくように言いました。
「お父さんやお母さんが、自分の子どもを抱こうとするのなんて、当たり前のことじゃないか。それを……その気持ちを利用して……人の想いを踏みにじって……。許さない。絶対に、許すもんか……！」
抑えた声に怒りがにじんでいました。フルートは心の底から腹をたてていたのです。
仲間たちは何も言えなくなりました。こんなに怒っているフルートを見るのは、初めてのことでした。
フルートは、ぱっとポポロを腕の中から放すと、立ち上がって言いました。
「行こう！ 城に乗り込んで、魔王を倒すんだ！ そして、みんなを解放しよう！ 天空の国の人たちも、風の犬も、ポポロのお父さんとお母さんも、みんな――！」
「おう、任せろ！」
「ワン！ 行きましょう！」
ゼンとポチが即座に応じます。
すると、ポポロがまた悲鳴を上げました。
「あたし……！ 杖を家に置いてきちゃったわ！」
家から逃げ出すのに精一杯で、魔法の杖のことは、思い出しもしなかったのです。
すると、ゼンが、にんまり笑って、背中の弓帯の下から杖を引き出しました。抜け目のない彼は、逃げ出すときに、ちゃんと杖も一緒に持ってきていたのでした。
装備の整った仲間たちに、フルートは言いました。
「行くよ！ めざすは天空城だ！」
子どもたちは、いっせいにうなずきました。
朝の最初の光が花野に差し、地平の彼方から太陽が上り始めました――。
