その夜、子どもたちはポポロの家に泊まりました。夜には魔王の闇の力が強まるし、ポポロの魔法も夜明けにならなければ回復しなかったからです。
夕食の後、客間に案内された少年たちは、自分たちだけになるとすぐに話し始めました。
「おい、本当になんだよ、あの親父さんの態度!? ポポロが話しかけてもろくに返事もしないし、近づこうともしない! なんであんな態度取るんだよ! あれじゃ、ポポロがかわいそうじゃないか!」
ゼンは腹をたてていました。
「うん……。ただ、ポポロを嫌ってるわけじゃないように思うんだけどな。何でなんだろう?」
とフルートは首をひねりました。本当に、なんだかしっくりきません。
「おふくろさんは優しいけど、親父さんがあんなじゃな! ポポロだって、せっかく家に帰ってきた甲斐がないじゃないか!!」
ゼンの声が大きくなります。フルートは、あわてて「しっ」となだめました。ポポロの部屋は隣です。ゼンの言っていることが聞こえてしまっては、かわいそうな気がしました。
すると、夕食の途中から黙り込んでいたポチが、口を開きました。
「ワン。ぼく、さっき、料理の皿をひっくり返しちゃいましたよね?」
「え? ああ、ポチにしちゃ珍しかったよね」
とフルートは答えました。ポチは、はしゃいで飛び跳ねていて、母親が台所から運んできた料理を、一皿全部ひっくり返してしまったのです。
すると、ポチは低い声になって言いました。
「あれ、わざとだったんです。なんだかわからないけど、あの料理から嫌な匂いがしたんです。何か入っていたんだと思います。食べたら大変なことになると思ったから、ぼく、ふざけたふりをして、ひっくり返しちゃったんです」
少年たちは子犬をまじまじと見ました。
「……何かって、何が入っていたんだよ?」
とゼンが聞き返します。
「わかりません。薬かもしれないし、草かもしれないし……。ただ、ぼくは犬だから、こういう勘は鋭いんです。あれを食べたら、ぼくたちはきっと、魔王のところへは絶対に行けなかったと思います」
フルートとゼンは顔を見合わせました。
と、フルートは立ち上がって、食事の前に外した装備を、また身につけ始めました。
「嫌な予感がする。ポポロの部屋に行こう」
「おい。ポポロのおふくろさんが俺たちを毒殺しようとしたって言うのか!? そんな馬鹿な!」
ゼンが抗議するように言います。ポポロの母親は、ポポロがフルートたちと魔王退治に出かけると聞くと、泣いて悲しみましたが、娘の決心が固いのを知ると、最後には涙をこらえて、子どもたちの好きそうな料理をいろいろ作ってくれたのです。その中に毒を盛った料理があったなどとは、ゼンは想像したくもなかったのでした。
すると、フルートが答えました。
「ポポロのお母さんのしわざじゃないかもしれないよ。ぼくたちに気づいた魔王の手下が、こっそり家の中に忍び込んで、ぼくたちを殺そうとしているのかもしれないんだ。夜のうちに狙われるとしたら、ポポロが一番危ないよ」
「あ、そ、そうか……」
ゼンもやっと納得した顔になると、あわてて自分の装備を整えました。
ポポロは自分の部屋のベッドで、膝を抱えてしょんぼり座っていましたが、部屋の中に少年たちが入ってきたので、目を丸くしました。
「どうしたの……!?」
フルートは何でもなさそうに肩をすくめて見せました。
「やっぱり、みんな一緒にいないと落ち着かない気がしてさ。今夜、ここで寝てもいいかな? ぼくたちは床でかまわないから」
「そんな、床は冷たいわよ。風邪ひいちゃうわ」
とポポロが心配しましたが、少年たちは強引に押し切ると、客間から抱えてきた毛布にくるまって、床の上に横になりました。枕元には、さりげなく剣や弓矢を備えておきます。
ポチがベッドに飛び乗って、ポポロのわきに来ました。
「ワン。ポポロは何を考えていたんですか?」
とたんに、少女はまたしょんぼりとうなだれました。
「お父さんのこと……」
少年たちは何も言えなくなりました。ポポロがまた泣き出すのじゃないかと内心はらはらしていると、ポポロは泣く代わりに、こう続けました。
「それから、ルルのこと……。いないのよ、どこにも。どうしたのかしら……?」
「ルルって、ポポロの家の、もの言う犬だよね? いないの?」
とフルートが身を起こしました。ポポロは悲しそうにうなずきました。
「いつもなら、このくらいの時間にはもう帰って来てるのよ。でも、来ないの。お父さんたちに聞いてみようかとも思ったんだけど、なんだか、教えてもらえないような気もして……」
それきり、ポポロは口をつぐみました。
フルートはまた横になると、考え込みました。ポポロの父親は、天空の国の生き物はすべて魔王に支配されている、と言っていました。もの言う犬は、人間並みに利口な生き物です。魔王に操られて、料理にこっそり毒を入れることだってできたかもしれません。
気がつくと、ゼンがじっとフルートを見ていました。油断のない目をしています。フルートはうなずき返すと、ゼンと一緒に寝たふりをしながら、家の中の気配に神経を研ぎすましました。
やがて、ポポロが寝息を立て始めました。ポチを抱きしめるうちに、眠りに落ちていったのです。けれども、その腕の中で、ポチも目を覚ましていて、あたりを警戒し続けていました。
夜は音もなく更けていきました――。
それは、真夜中にやって来ました。
ポポロの部屋のドアが音もなく開き、小さな灯りと共に誰かが入り込んできます。白づくめの影です。片手に握ったナイフが、灯りを返して鈍く光ります。
白い影はベッドのわきに立つと、寝ているポポロをじっと見下ろしました。規則正しく上下する胸をしばらく見つめ、暗がりにぼんやり浮かび上がる白い首を見据えます。と、その人物はおもむろにナイフを振り上げました。ポポロの首筋を一気にかき切ろうとします。
とたんに、ベッドの後ろからフルートが飛び出してきました。
「やめろ!!」
と叫んで、ロングソードでナイフを受け止め、跳ね返します。
刺客がよろめいて、部屋の真ん中で立ち直りました。手に持った灯りが床に落ちて、おおいが外れ、光が部屋と刺客の姿を照らします。
フルートはベッドで剣を構えたまま、その人物を見つめてしまいました。
部屋の片隅から弓矢を構えて飛び出したゼンも、驚いた顔で立ちつくします。ポチも、激しく吠えようとして、その声を飲みました。
騒ぎにポポロが目を覚ましました。ベッドの上のフルートに、ぎょっと驚き、次の瞬間、部屋の中に立つ人物を見て叫びました。
「お母さん――!?」
灯りを片手に部屋に忍び込み、ナイフでポポロを殺そうとしていたのは、ポポロの母親だったのでした。
「え、ど、どうして……?」
ポポロが震えながら言いました。混乱しているのが、はっきり伝わってきます。悪い夢を見ているのかと思っているのに違いありませんでした。
けれども、そこへ母親がまたうなり声を上げて切りかかってきました。ためらいのない、鋭い一撃です。フルートはまた剣で受け止めると、ポポロに叫びました。
「逃げるんだ! 早く!」
「いや。やめてフルート! お母さんを殺さないで!!」
ポポロが、逃げるどころか逆にフルートにしがみついて、フルートの動きを止めようとしました。そこへまた、ポポロの母親が切りかかってきます。
「――!」
フルートは自分の体でポポロをかばいました。鎧の表面をナイフが滑っていきます。
フルートは友人に向かってどなりました。
「ゼン、ポポロを頼む! 外に逃げるんだ!!」
「くそぉ! 何がどうなってるってんだよ!?」
ゼンはわめきながらベッドに飛び上がると、ポポロの体を両腕に抱き上げました。そのままベッドを飛び下り、母親のわきをすり抜けて、部屋のドアから飛び出していきます。ポチがその後を追います。
「お母さん……! お母さん……!」
ポポロの泣き声が遠ざかっていきます――。
「待て!!」
ポポロの母親がどなり声を上げました。優しくポポロを抱きしめて話しかけた人と同じ人物とは思えない、低くしゃがれた声です。ナイフを振りかざしながら、後を追って部屋を飛び出そうとします。
フルートは先回りをすると、出口の前に立ちふさがって、剣で応戦しました。母親はめちゃくちゃにナイフを振り回しているだけです。かわして剣で切り伏せるのは簡単でしたが、フルートは、絶対にそんなことはしたくありませんでした。しゃにむに切りかかってくる母親を、怪我させないように苦心しながら、必死で防ぎます。
そのとき、突然、母親が白目をむいて金切り声を上げました。
あまりにすごい声に、フルートは思わず立ちすくみます。
すると、母親は二、三歩よろめくように後ずさり、自分で自分の右手をつかみました。
「だめよ……あの子は殺させない……!」
白い唇が、つぶやくように言います。そして、ナイフを両手で握りしめたと思うと、いきなりそれを高くかざして、自分自身の胸に突き立てようとしました。
「危ないっ!」
フルートは思わずポポロの母親に飛びつきました。ナイフを奪い取ろうともみ合います。
すると、母親が泣き叫ぶように言いました。
「放して! お願い、私を死なせて! 私にさわっちゃだめよ! あなたまで殺してしまうわ――!!」
フルートは目を見張りました。
が、次の瞬間、母親はまた獣のようにうなると、ナイフを持つ手をひるがえして、フルートに向かって突きだしてきました。
ナイフの刃が、魔法の鎧に当たって、まっぷたつに折れます。
母親はナイフを投げ捨てると、しゃがれ声で吠えながら、フルートに飛びかかって部屋の壁に押しつけました。
「殺す、殺す、殺してやる――!!」
女の人とは思えないような、すさまじい力です。動けなくなったフルートから剣を取り上げて、それでフルートを刺し殺そうとします。今度はロングソードの奪い合いになります。
そのとき、部屋に白い人物が入ってきました。ポポロの父親です。
父親は、もみ合う二人をしばらく黙って見つめていましたが、おもむろに近づいてくると、妻の肩に手をかけて引き寄せました。
振り向いたところに、当て身を食らわせます。
ポポロの母親は短いうめき声を上げると、その場に崩れるように倒れました。
驚いているフルートに、ポポロの父親が言いました。
「逃げなさい。早く、この家から出るんだ――」