それは、突然姿を現しました。
一瞬前まで何もない青空に見えていた場所に、空をおおい尽くすほど巨大な岩盤が現れたのです。
岩盤は宙に浮いていて、その上には森や小高い山が見えています。町の建物らしい尖塔の先も見えます。岩の上から吹き下ろしてくる風が、木々のざわめきや花の香りを運んできます。
子どもたちは立ちつくしたまま、ぽかんとその光景を見上げていました。足下の魔法の階段は、頭上に浮かぶ大地につながっています。フルートが、かすれる声で言いました。
「天空の国だ……本当に、空に浮かぶ国なんだ……」
すると、ゼンが音を立てて階段を駆け上り、岩盤がむき出しになっている大地の底に近づきました。
「おい……これは俺たちの世界の大地を作ってる岩と同じだぞ。空飛ぶ魔法の岩だとかいうわけじゃない。俺たちの世界のと同じなんだ」
「どういうこと?」
とフルートがゼンの場所まで登りながら尋ねました。
「この国が、もともとは俺たちと同じ地上にあったのかもしれない、って言ってるんだよ。どうやって、こんなふうに宙に浮かせているのかはわからないけどな――」
ゼンは手を伸ばすと、すぐ近くの岩盤から岩をひとつむしり取って手の上で転がしました。
「玄武岩。火山で作られる岩だ。ポポロ、天空の国にも火山があるのか?」
「ええ。もう死んでいる火山だけど……その頂上に王様のお城が建っているのよ」
すると、ゼンは突然髪の毛をかきむしり、必死で思い出す顔になりました。
「俺はよ、勉強が苦手だから、学校で習ったことはろくに頭に残らないんだけどな……猟師小屋で親父の仲間たちから聞いた昔話は、けっこう覚えてるんだぜ。こんな話だ。昔々、まだドワーフもこの地上に現れなかった頃、地上には世にも栄えた美しい王国があった。ところが、ある時、国の真ん中にある火山が大爆発を起こして、国は跡形もなく吹っ飛び、国があった場所は海になったんだ。それが確か……確か、えぇと……バ、バル……?」
「もしかしてバルス海かい? ロムドの国よりもっと南の、中央大陸と南大陸の間を隔てている内海だよ」
とフルートは言い、考える顔で空の上の国を見上げました。
「その昔話、ぼくは初めて聞いたけど、理屈は合うよね。この天空の国は、大昔は地上にあった。その頃から魔法使いたちが住んでいたんじゃないかな。想像だけど、何かの必要から国を空に移すことになって、魔法で火山を爆発させて、その力で国を空に飛ばしたんじゃないだろうか……」
「ワン。でも、それじゃすぐまた下に落ちてしまいませんか?」
とポチが聞き返しました。
「それこそ、魔法の力だよ。きっと、ものすごい魔力で、この巨大な大地全体を空に浮かせているんだ。だから、すぐそばに来るまで目にも見えないし、感じることもできなかったんだよ――」
「すげぇな……」
ゼンがつぶやくように言い、手に持っていた玄武岩を試しに空に放ってみました。岩盤の一部だったときには空に浮かんでいた岩が、かけらになったとたん、あっという間に空を落ちていきます。
「フルートの言うとおりだな。岩に魔法がかけられているわけじゃない。国全体が空に浮かぶ魔法で包まれているんだ」
すると、ポポロが言いました。
「あたし……全然知らなかったわ。あたしたちが空の上に住んでいただなんて……。世界はすごく広かったし、行こうと思えばどこまででも行けたし……あ!」
ポポロは、突然、はっとしました。我に返ったような顔になります。
「違う……違うわ。あたし……あたしたち、遠くまで行ってみようなんて、思ったことがなかったんだわ。花野は確かに広かったけど、でも、その外に何があるんだろう、なんて考えたこともなかった。行ってみようとも思わなかった……。あの日が初めてよ。授業中に大失敗してみんなに笑われて……もう、みんなのところにはいられないって思って家出した日。あの時、生まれて初めて、足の続く限り遠くまで行ってやろうって思ったのよ……」
「心をとらえる魔法だね。国の外に出てみる気持ちにならない魔法をかけられていたんだ」
とフルートが言いました。以前、魔の森で、逆にその場所から逃げ出したくなるような精神魔法の攻撃を受けたことがあるので、何となくわかったのです。
ゼンが難しい顔をしました。
「だとしたら、やばいんじゃないのか? 天空の国に足を踏み入れたら、魔法にかかって、地上に帰りたくなくなるかもしれないぞ。どうすりゃいいんだ」
「いいや……たぶん、ぼくたちは大丈夫だよ」
とフルートはさらに考え込みながら言いました。
「精神魔法は、こっちさえ気持ちを強く持っていれば勝てるんだ。ポポロだって、自分から遠くに行こうと思ったら、魔法を振り切れたんだもの。ぼくたちだって、きっと大丈夫だよ」
「うぅん。敵をやっつけたら家に帰るぞ、って考えてりゃいい、ってことか?」
と言いながらも、ゼンはちょっと薄気味悪そうに天空の国を見上げました。魔法で包み込まれた、得体の知れない国……とゼンには感じられたのです。
すると、フルートが声を上げました。
「ぐずぐず考えてたって、しかたないよ。ここまで来たんだ。天空の国に入って、何が起きているのか、この目で確かめなくちゃ!」
フルートが先頭に立って階段を登り始めたので、ゼンとポチとポポロも後について、また歩き出しました。
金の階段を登るに従って、岩盤の上の国が見えてきました。風にそよぐ森、その彼方にそびえる高い山々、寄せ合うように固まっている尖塔と家々の三角屋根……。
ついに子どもたちが階段を登り切ると、そこには大きな草原が広がっていました。無数の花が咲き乱れ、草原を横切るように、きらきら光る川が流れています。草原の右手には森が、左手には町が、正面の奥には山が見えています。そして――
天空の国の景色は、見渡す限り、ただ、白一色なのでした。
「なに、これ……?」
ポポロが目を見張って言いました。
「白いわ。真っ白……。どうして……?」
風に揺れる草も花も、遠くに見える山も、町の家々も、姿形は様々なのに、どれもこれも色を失ったように真っ白です。青みがかった白や黄色を帯びた白というような、淡い色の違いもありません。雪が降り積もっても、こんな景色にはならないでしょう。
風は吹き渡っているのに、花の香りも漂っているのに、白い景色はひどく現実離れしていて、子どもたちは、なんだか白紙に描かれた絵の世界の中にでもいるような気がしてきました。
「もちろん……元々は色がある世界だったんだよね?」
とフルートが尋ねると、ポポロは声もなくうなずきました。
ワン、とポチが吠えました。
「さっきの鳥、金虹鳥でしたっけ? あれも白くなっていたって言ってましたよね? ってことは、天空の国のものが全部真っ白になっちゃった、ってことじゃありませんか?」
「全部って、生き物も何もかも全部か――?」
とゼンが聞き返したとき、目の前を一匹の蜜蜂が飛びすぎていきました。黄色と黒がトレードマークのはずの虫は、羽根も体も色が抜けたように真っ白になっていました。
「――全部らしいな」
とゼンはつぶやいて、頭を振りました。何もかもが白くて、なんだか目眩がしてきそうでした。
すると、突然ポポロが声を上げました。
「お母さん……お父さん!」
この世界にいるはずの両親のことが、急に心配になってきたのです。少女は左手に見える町に向かって、一目散に駆け出しました。白一色の草原の中を、黒い衣と輝く赤い髪が走り抜けていきます。その後を、少年たちもすぐに追いました。鎧の金、胸当ての青、首輪の銀と緑……子どもたちの姿は、遠目にも鮮やかすぎるほどくっきりと浮かび上がって見えます。
空のさらに高い場所を、一羽の鳥が輪を描いて飛んでいました。トビのようなその鳥は、やはり全身が白一色で、鋭い目で地上の景色を見つめ続けていました――。