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第2巻「風の犬の戦い」

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37.支度

 「天空の国への扉があるんだ……本当に」

 フルートがつぶやきました。天空の国へ行きたい、と強く願ったのは、ついさっきのことです。まるで、天がその願いを聞き届けたようでした。

 シオン隊長が、また疑わしそうな顔になってジズを見ました。

「おまえは何故それを知っているのだ? 陛下はわしにさえその秘密を漏らさなかったのに」

 すると、ジズが、またおかしそうに笑いました。

「別に陛下が俺にこっそり教えてくれたわけじゃない。城なぞ、恐ろしくて入れるわけがないだろう。ただ、長年王族に伝わっていれば、なんかのはずみで一般庶民にも伝わることがあるってことだ。なんでも、その扉を通って天空の国の王がエスタに降りてくる、という言い伝えまであるらしいぞ」

 シオン隊長の顔つきがまた厳しくなってきました。

「ジズ……おまえは今、いったいどこで何をしている? 何故、そんな隠された王家の秘密を知ることができるのだ?」

 ジズは大げさに肩をすくめると、椅子から立ち上がりました。

「どうも面白くない話題になってきたな。俺の情報もこれでネタ切れだし、俺はこのへんで失礼するとしよう」

「ジズ!」

 シオン隊長が思わずその腕をつかまえると、ジズは深い目で古なじみを見ながらいいました。

「こいつらを陛下の元へ連れて行ってやれ、ユーリー。こいつらに天空の国への扉をくぐらせるんだ。――風の犬を倒したければ、それしか道はない」

 子どもたちは、思わず黒ひげの男を見つめてしまいました。ジズはエラード公の命令で、自分たちの命を狙ってきた男です。ですが……

 シオン隊長が、低い声で尋ねました。

「おまえ、それを言いたくて、わしのところに来たのか……?」

 ジズは皮肉っぽく笑うと、旧友の手をふりほどきました。

「俺はここにはもう二度と来んよ。後はおまえがなんとかしてやれ。――ああ、そうだ。裏庭の西の三本目の柵。いいかげん、あれは直しておいたほうがいいぞ。俺たちがガキの頃に屋敷を抜け出すのにはちょうど良かったが、こんなふうに誰かがあそこから侵入してくるかも知れないからな」

 そう言い残すと、黒ひげの男は、開いていた窓からひらりと夜の庭に飛び出していきました。

「ジズ――!!」

 シオン隊長は窓に飛びついて外を見ましたが、そのときにはもう、黒い男の姿は闇に紛れてどこにも見えなくなっていました。

 

 シオン隊長は部屋の中に戻ってくると、たった今までジズが座っていた椅子に、どさりと腰を下ろしました。急に疲れが出たように、がっくりと肩を落とします。

「……シオン隊長、彼はどういう人なんですか?」

 とフルートが尋ねました。聞いてみないではいられなかったのです。

 隊長は両手を膝の間にたらして、足下を見つめながら答えました。

「わしの幼なじみだ……屋敷の庭番の孫で、いつも一緒に遊んだ仲だ。そうだな、ちょうどフルート殿とゼン殿のようであったよ。どこへ行くにも、何をするにも一緒だった。共に王都を守る近衛兵になろうと誓い合って、士官学校にも共に通って、腕を競い合ったものだ。……だが、近衛隊の入隊検査にわしは受かり、彼は落ちた」

 ふぅっと、シオン隊長は深いため息をつきました。

「技量が足りなかったわけではない。彼の腕前は士官学校でも常に一番だった。わしよりも強かったよ。わしは十回腕合わせをして、やっと一回勝てる程度だった。だが、彼は身分が足りなかったのだ」

 子どもたちは思わず顔を見合わせました。「身分が足りない」という表現は、あまりなじみのないことばで、ぴんと来ませんでした。

 すると、シオン隊長は顔を上げて子どもたちを眺め、ちょっと笑いました。

「そうか。ロムドの国は、このエスタほど身分階級が厳しくないのだったな。簡単に言えば、近衛隊になるには中級以上の貴族の位が必要だった、ということだ。ジズは、貴族ではあったが下級の階層だったのだ。彼は国の南を守る辺境部隊に配属されたが、それが面白くなかったのだろう。部隊で上司と大喧嘩をして隊を飛び出して……あとはそれっきり、お互いに会うこともなかったのだ」

 フルートは少し考え込んでから言いました。

「ぼくは、なんだかあの人が貴族のような気がしていました。うまく言えないんだけど……なんだか、不思議と潔いところがある気がしたんです」

「そう言ってもらえると、幼なじみとして嬉しい気がする。だが――」

 シオン隊長は真剣なまなざしをフルートに向けてきました。

「正直に言われよ、フルート殿。彼は本当に味方なのか? わしは仕事柄、様々な罪人を見てきている。彼の目は、まっとうな道を歩んできた人間のものではない。むしろ――」

 言いかけて、隊長は口ごもり、たたみかけるようにフルートに尋ねました。

「彼については、良くない噂もずいぶん聞こえてきた。彼は今、何者となっているのだ? 本当に、彼の言うことを信じて良いのだろうか?」

 フルートは目を伏せました。草原の中でジズにもう少しで絞め殺されそうになったときの感触が戻ってきて、思わず首に手をやります。

 が、フルートはすぐにその手を下ろすと、シオン隊長をまっすぐに見つめました。

「あの人はぼくたちの味方です。信じてあげてください」

 とたんに、ゼンがくるりと後ろを向きました。やれやれ、という表情をポポロとポチだけに見せます。

「そうか……」

 シオン隊長はため息をつくように言うと、じっとまた床を見つめ、それから、ふいに椅子から立ち上がりました。

「よろしい、では、わしも彼を信じるとしよう! 支度をされよ、勇者たち。陛下の元へ行って、天空の国への扉を開けていただこう!」

 そして、シオン隊長は、ふいに皮肉めいた笑いを浮かべました。

「これでもし、ジズの言ったことがでたらめであったら、わしは不敬罪で処罰されることだろうよ。逆に本当であったとしても、それはそれで、王家の秘密を知ってしまったわけだから、命の保証はないわけだが……まあ、なるようになるだろう。とにかく、そなたたちを天空の国まで送り届けねばな! 支度がすんだら玄関まで出てこられよ。馬車を回しておく」

 

 シオン隊長は足早に出て行き、部屋には子どもたちだけが残されました。

 フルートが仲間たちを振り返ると、ゼンがあきれたように言いました。

「あいつの言うことを本当に信用するのか? シオン隊長の言うとおり、ガセネタだったら、俺たちは処刑されるかもしれないんだぞ」

「嘘じゃなくても、命は危ないかもね。でも、これしか道がないんだ。信じるしかないさ。……嫌ならここに残っていいよ。ぼくひとりだけでも行ってくるから」

「ぬかせ!」

 ゼンは即座に答えました。

「おまえみたいな危なっかしいヤツ、ひとりで行かせられるかよ。俺がそばにいて、必ず助けてやる!」

「ワンワン! ぼくも一緒に行きますよ!」

 とポチが言えば、ポポロも固い決心を顔に浮かべて言いました。

「あたしも行く……。あたしの国なんですもの。行って、何が起こっているのか確かめなくちゃ……」

 フルートはうなずきました。

「よし。それじゃ準備を整えよう」

 そこで、子どもたちは前の晩と同じように、戦いに備えた支度を始めました。鎧兜や胸当てを身につけ、剣や弓矢といった武器を手に取り――

 

 すると、フルートが急にゼンを振り返りました。

「ゼン」

「なんだ?」

 顔を上げた友人に、フルートは真剣な声で言いました。

「ぼくたちはずっと友だちでいようね……大人になってからも、ずっと」

 ゼンは目を丸くすると、ふいに笑い顔になって、フルートの肩に腕を回しました。

「あったりまえだろう! 年を取って、よぼよぼのじいさんになっても、ずっと友だちでいてやるさ!」

「よぼよぼの?」

 フルートも吹き出しました。腰が曲がり、しわだらけになった自分たちが「久しぶり!」と言って駆け寄っている場面を、思わず想像してしまったのです。

「……そうだね。そのためには、風の犬とその後ろの敵を倒して勝たなくちゃ」

「そういうことだ。さあ、敵をぶっ飛ばしに、天空の国へ行こうぜ!」

 ゼンの明るい声に、子どもたちはいっせいにうなずき、また身支度に取りかかりました――。

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