部屋の中で、刺客の頭と子どもたちが、また向き合いました。
「へぇ、本当に知らせに来てくれたんだ。エラード公のところには行かなかったのかよ?」
とゼンが皮肉を込めて言うと、ジズが笑いました。
「なんだ、本気にしたのか? エラード公のうたぐりぶかいことは天下一品だぞ。負傷していたはずの俺が、怪我が治ったと言って公の元に戻れば、治したのは誰かと問いつめられて拷問にかけられるに決まってるからな。どんな阿呆でも、そんなことはせんよ」
「拷問ですか? 例えば、魔法医に治してもらったとしても?」
とフルートがびっくりすると、ジズは肩をすくめました。
「公のお抱え魔法医が治してくれれば信用もするだろうが、公にとって、俺たちは使い捨ての手駒だからな。捨てたはずの駒が戻ってくれば、敵に寝返ったんじゃないかと考えるのさ。王族なんてヤツらは、みんなそんなもんだ。今の王様に取って代わる画策に明け暮れているからな。エラード公自身だって、国王の座を狙っているが、同時に他の王族から命を狙われる身でもあるのよ」
「ちぇ! 身内同士が命を狙ったり狙われたり。やっぱり人間はわかんないぜ!」
とゼンは声を上げると、さりげなく自分の弓矢がある壁のほうへ移動していきました。
ジズが苦笑いしてフルートに言いました。
「おい、おまえの護衛に言い聞かせろよ。矢を突きつけられながら話なんぞできるか。俺の情報が聞きたいなら、ちょっとはこっちを信用しろ」
さんざん子どもたちの命を狙っておきながら「信用しろ」と言うのですから、男のほうも相当厚かましいのですが、フルートは言うとおりにすることにしました。ゼンを目で止め、ポポロとポチをかばうようにさりげなく前に出ると、男を見上げました。
「これでいいですか?」
そう言うフルート自身は、魔法の鎧も身につけていなければ、剣も持っていません。ジズはにやりと笑いました。
「上出来だ」
そして、自分は近くの椅子にどっかり腰を下ろすと、おもむろに腕を組みました。それがまるで、自分もおまえたちに手出しはしないぞ、と言っているように見えて、フルートはちょっと目を見張りました。
「さて、例の風の犬のことだが――」
とジズが話し出しました。
「天空の国の生き物だってんなら、もう知ってるぜ」
とゼンがすかさず口をはさみます。ジズは目を丸くして、ほう、と言いました。
「知っていたか。なら、話は早い。そう、あいつは天空の国に住む伝説の生き物だ。世界に悪しきものの手が迫ってきたときに、天空の国の魔法使いを乗せて現れる、と王族の間に言い伝えられてきたんだ。ただ、王族も本気でそれを信じてはいなかったようだがな」
「王族に?」
フルートは驚きました。それでは、国王もエラード公も、風の犬のことは知っていたことになります。
ジズは話し続けました。
「正義の味方のはずの風の犬が、どうして殺人なぞするようになったのか、その原因はさすがに俺にもわからん。天空の国がどこにあるのかもわからなかった。だが、世界は大昔から天空の国とは交流があったらしいな。地上のあちこちに天空の国につながっている場所があるという話だ。そこのお嬢ちゃんも、空を飛んできたんじゃないなら、そういうところを通って地上に来たんだろうよ」
フルートはうなずきました。予想していたとおりです。
「ポポロはロムドの国の南の花野に現れました。あそこに、天空の国とつながる見えない扉があるんだろうと思うんだけど……よくわからないんです。そこを通って、天空の国の人たちがポポロを探しに来なかったから」
「ははぁ。それで親は子どもを見捨てないのどうの、なんて話を大まじめにしていたわけか」
とジズは言うと、腕を組んだままで、ちょっと肩をすくめました。
「本当に、おまえらは馬鹿がつくくらいまっすぐだな。よっぽど親の育て方が良かったと見える。……まあ、柄にもなくそんなヤツらに肩入れしている俺も俺だが」
皮肉っぽい笑いは、自分自身に向けられたものでした。
すると、そのときポチが急にぴくりと耳を動かしました。
「ワン、人が来ます……シオン隊長の足音だ!」
フルートたちは、はっとしてあわてました。部屋にいるジズをどうしよう、と考えたのです。
ところが、刺客の頭は悠々と椅子に座ったまま、面白そうな顔をしてこう言いました。
「向こうから来てくれたのなら好都合だ。おい、おまえら、俺を味方だと言うんだぞ。それで大丈夫だ」
「大丈夫って、おい……」
ゼンがあきれました。ジズは殺し屋集団の首領です。近衛大隊長に見つかれば、たちまち逮捕されて処刑されるのは間違いないのですが。
けれども、迷う間もなく、ドアが開いてシオン隊長が部屋に入ってきました。
「フルート殿! 風の犬のことですが――」
言いかけた口がぽかんと丸くなり、次の瞬間、緑の瞳が鋭くひらめきました。
「貴様、何者だ!? どこから入ってきた!?」
と腰から剣を引き抜いてジズに突きつけます。
すると、黒ひげの男は椅子に座ったまま、動じる様子もなく笑い返しました。
「何者だ、とはご挨拶だな、ユーリー・シオン。俺を見忘れたのか?」
「なに?」
シオン隊長はいぶかしげに相手を見つめ、突然、驚きの顔に変わりました。
「おまえ……ジーズリードか!? まさか!!」
「久しぶりだな。二十年……いや、二十五年ぶりくらいになるか? お互い年を食ったな」
そう言って、ジズがまた笑いました。
子どもたちは、ジズとシオン隊長が古い知り合いだったことに驚いて、二人を交互に見比べていました。
すると、シオン隊長が子どもたちに尋ねました。厳しい声です。
「何故、彼がここにいるのですか? 彼が何を?」
それから、子どもたちが返事をするのを待たずに、続けました。
「この男がわしの友人だったのはもう二十年以上も昔のこと。最近は良い噂を聞いたことがなかった。――エラード公の傘下に入ったとも聞いておったが?」
とシオン隊長がまたジズを見ました。剣を突きつけたまま下ろそうともしません。ジズは涼しい顔で答えました。
「それはただの噂だな。本当にそうなら、こんなところに現れるか。俺はこの子どもらの味方なのさ」
「フルート殿たちの?」
「ああ。嘘だと思うなら、そいつらに聞いてみろ」
そう言われて、シオン隊長はフルートを見ました。
「彼の言うことは本当ですか? 本当に、彼は味方だと?」
フルートは一瞬ためらいました。シオン隊長は、どんな嘘でも見破りそうなくらい、厳しく険しい目をしています。けれども、一方のジズも、涼しい表情の陰から刺すような視線をフルートに向けていたのです。その目はフルートに向かって、さあ、どうする? と問いかけていました。
フルートは答えました。
「彼は本当にぼくたちの味方です。ここに来る途中で知り合ったんです」
とたんにゼンが変な声を上げました。咳払いとしゃっくりが一緒になったような音です。
「わ、わりぃ。くしゃみが出た」
とゼンはすぐに謝りましたが、もちろんそれは、危なく本当のことを言いそうになって、あわてて声を飲み込んだ音だったのでした。
シオン隊長が、それでもまだ疑わしそうな顔をしながら、剣を収めました。
「フルート殿がそう言われるなら信用しますが……ジズ、おまえもおまえだ。どうして正面から訪ねてこなかった?」
ジズが椅子の中でまた肩をすくめました。
「そんなことできるか。今のこの屋敷に、俺を覚えているヤツなぞ、もうほとんどいないしな」
「だからといって、こんな盗人のような真似をしてやってこなくても。だから疑われるのだぞ」
「ああ、わかったわかった。何十年経っても、ほんとにお堅いヤツだな、おまえは」
急に打ち解けた口調になっていく二人を、子どもたちはあっけにとられて眺めていました。なんだか、フルートとゼンの会話にも似ているような気がします。
すると、ジズが子どもたちに向かって笑いました。
「まあ、俺のことは後でこいつから聞いておけ。今はまず、教えることを教えておかないとな。風の犬と、天空の国のことだ」
とたんに、シオン隊長が、はっとした顔になりました。
「ジズ、おまえも思い出したのか……?」
黒ひげの男がうなずきます。
「俺たちにその話を聞かせてくれたのは、おまえのじいさまだったよな。王家に代々伝わる秘密の話なんだと言って。ちょうどこいつらくらいの年だったか? ワクワクしながら聞いたのを覚えてるぞ」
「わしは、昨夜のできごとを陛下に報告するうちに思い出したのだ。陛下にお尋ねしたところ、確かに風の犬と天空の国の伝説は聞いたことがある、とおっしゃっておられた」
「天空の国への扉のことは?」
とジズが鋭く聞き返しました。シオン隊長は目を見張ると、首を横に振りました。
「いいや。そんなものについては、陛下は何もおっしゃらなかった」
「ふん。やっぱり王族の最高秘密ではあるってことか」
とジズは口の端を歪めて笑うと、おもむろに子どもたちへ身を乗り出して言いました。
「いいか、よく聞け。さっきも言ったとおり、天空の国へ通じる扉ってのは、この世界のあちこちにある。お嬢ちゃんが通ってきたのも、おそらく、そのひとつだ。そして、もうひとつ――ここのエスタ城の中にも、天空の国への扉は隠されているんだよ」
そして、ジズは、驚いている古なじみや子どもたちに、深くうなずいて見せました。