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第2巻「風の犬の戦い」

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第7章 天空の国への扉

35.思い出話

 カルティーナの街で戦った翌日、子どもたちは夕方近くになって、やっと目を覚ましました。前の晩はシオン隊長に風の犬やライオネルたちのことを話しているうちに時間が過ぎてしまい、眠りにつく頃には、もう夜が明けていたのです。

 起きるとすぐに部屋に食事が運ばれてきました。シオン隊長の心づかいか、料理と一緒にケーキやプディングといった甘いデザート類もたくさん運び込まれてきます。ほとんど丸一日何も食べていなかった子どもたちは、歓声を上げて食卓に着くと、お腹いっぱい食べるだけ食べて、ようやく少し元気が出てきました。

 

 食事がすんだ頃には、窓の外には夕焼けが広がっていました。窓辺に立ってそれを眺めながら、フルートが言いました。

「もう夜になるんだね……今夜も風の犬が出るのかな?」

 すると、椅子の中からゼンが疑わしげな目を向けました。

「おい。まさか今夜も風の犬を退治に出かけるなんて言うんじゃないだろうな?」

 フルートは思わず苦笑しました。

「言わないよ。いくらなんでも、あの数には立ち向かえない。無茶だよ」

 そして、フルートは窓の外に向き直ると、悔しそうにそっと唇をかみました……。

「ワン、本当にどうしたらいいんでしょうね? 風の犬は三十頭以上いましたよ。いくらフルートの炎の剣でも、あんな数は倒せないし、炎の剣だって効くときと効かないときがあるみたいだし」

 ポチの疑問に答えられる者は誰もいません。子どもたちはすっかり考え込んでしまいました。

 その間にも、窓の外では夕暮れが進み、次第に外の景色が見えにくくなってきました。部屋の中に召使いが入ってきて、燭台に火をともすと、黙ってお辞儀をして、また出ていきました。

 

 とても長い沈黙の後、とうとう口を開いたのはポポロでした。

「あたし……天空の国に何かがあったんだと思うわ……」

 少年たちは魔法使いの少女を見ました。

「何かって……なにが?」

 とフルートが尋ねると、ポポロは首を振りました。

「わからないわ。でも、きっと何かが起きているのよ。……あたし、自分が住んでいたところが天空の国なのかどうかもよくわからないんだけど、でも、あの風の犬は絶対にあたしたちの国にいた生き物だわ。もし、あんなにたくさんの風の犬が国を抜け出して、よその国にこんな悪さをしていたら、必ず国王様が気がついて貴族たちをつかわすはずなのよ。国王様はとても立派な方なの。悪いことは絶対にお許しにならないのよ」

 それを聞いて、ゼンがはたと手を打ちました。

「そういや、ノームのじいさんが言ってたよな。天空の国の魔法使いは、地上に悪いヤツがちかづくと空を飛んで助けに来るって。もしかしたら貴族が風の犬に乗って飛んでくるんじゃないのか? なのに、風の犬が操られているから……」

「ワン。それで止めに来られないんですね! 天空の国から出てこられなくなってるんだ!」

 とポチも声を上げました。

 ポポロは頬に両手を当てて、ひどく不安そうな顔になりました。

「でも、風の犬は百頭以上もいるのよ。貴族はみんな、ひとり一頭は風の犬を飼っているから。それがみんな敵の手に渡っているんだとしたら、それって、どんな敵なの? 貴族はみんな、とても強力な魔法使いなのよ」

 少年たちは思わず顔を見合わせました。強力な魔法使い、と聞くと、どうしても昨夜戦ったレィミ・ノワールを思い出してしまいます。それに対抗して戦ったポポロも、一日に一度しか魔法は使えませんが、やはり強力な魔法使いです。そんな魔法使いたちを上回る力の敵が、どこかに潜んでいて、風の犬たちを操っているのかもしれないのです……。少年たちは、なんとなく、心の底にひんやり冷たいものを押し当てられたような気分になりました。

 

 また沈黙になりました。

 外はすっかり夜に包まれて、窓ガラスの上に子どもたちや部屋の中の景色が映っています。

 遠くからかすかに風の音が聞こえてきましたが、それが風の犬の飛ぶ音なのか、ただの風なのか、聞きわけることはできませんでした。

 すると、フルートがつぶやくように言いました。

「天空の国に行きたいな……」

「だが、どうやって?」

 と間髪を置かずゼンが聞き返しました。実は、ゼンもフルートと同じことを考えて頭を悩ませていたのです。謎を解き、風の犬を倒すための鍵は、天空の国にあるように思えるのですが……

「ワン、ぼくたちは空を飛べませんからね」

 とポチがため息をつきました。

 すると、フルートは少し考えてから、こう言いました。

「でも、ポポロは空を飛んできたわけじゃないよ。花野を歩いていたら、いつの間にか、この世界に迷い込んだんだ。きっとどこかに天空の国と地上をつないでいる場所があるんだよ。見えない扉みたいな場所が。そこからなら、地上から天空の国に行けるのかもしれないよ」

「だが、そんな扉があるなら、それこそ、どうして貴族たちはそこから地上に来ないんだ? ……だいたい、おかしいぞ、最初から」

 と言いながら、ゼンがポポロを指さしました。

「ポポロは見えない扉をくぐって、地上の世界に来ちまった。それはいい。だが、どうして探しに来てやらないんだ? 普通、こんな女の子が迷子になったら、みんな必死で探すもんだぞ。まして、強力な魔法使いばかりがいる国なら、ポポロを見つけて助けに来るのなんて簡単なはずだ。親父さんなり、おふくろさんなり、とにかく大人が見えない扉をくぐって追いかけてくると思うぞ。なのに、誰もポポロを迎えに来なかった。変じゃないか」

 とたんにポポロは真っ青になって、悲鳴をこらえるように両手で口を押さえました。緑の目がいっぱいに見開かれています。

「違う……それは違うの……」

 と激しく頭を振ります。ポポロの急な変化に少年たちが驚いていると、少女は震えながら言いました。

「あたしは……みんなから見捨てられただけなのよ……。あたしがあんまりひどい魔法ばかり使うから……。だから、お父さんもお母さんも……誰も迎えに来ないのよ……」

 ポポロは今にも泣き出しそうになっていました。ゼンのことばは、少女が一番恐れていた、最も不安だったことを指摘したのでした。

「ポポロ!」

 フルートはびっくりして、思わず声を上げました。

「そんなはずないよ! そりゃ中にはすごく冷たい親ってのもいるかもしれないけど……でも、ポポロのお父さんやお母さんは、そんな人たちじゃない。二人とも、ポポロを大事に思って育ててきたんだ。それはポポロを見てればわかるよ!」

 フルートはポポロの両親を知りません。けれども、何かあるたびにポポロが仲間たちに優しい心づかいをしたり、心配したりするのを見ていて、その向こう側にポポロの家庭が見えるような気がしていたのです。家族からそんなふうに接してもらってきていなければ、ポポロにもそんな優しいことはできないように思えました。

 けれども、ポポロは目を見張ったまま返事をしませんでした。その瞳に、みるみるうちに透明なものがあふれてきます。少年たちが苦手な涙です。フルートはどきりとなって、それ以上何も言えなくなってしまいました。

 

 すると、少女の足下にポチが体をすり寄せてきました。

「ワン。ポポロは本気で自分が捨てられたんだと思っているんですか?」

 少女は黙ってうなずくと、顔をおおいました。フルートとゼンは弱って顔を見合わせてしまいました。どうやって慰めればいいのかわかりません。

 すると、ポチは小さなため息をついて、足下から少女を見上げました。

「それじゃ、ポポロ。これからぼくが言うことを、よく聞いてくださいね……。今まで、誰にも話したことがなかったけど、ポポロたちだけには聞かせてあげますから。ぼくが小さかった頃の話です」

 そして、ポチは静かに話し出しました。

 

「――ぼくは生まれたときには普通の犬と同じようにキャンキャンとしか鳴けなくて、人の話もわかりませんでした。でも、一歳を過ぎる頃から少しずつ人間の話していることがわかり始めたんです。初めはただ、人間の話していることをぼんやり聞いているだけだったけど、人の言うことがはっきりわかるようになってきたら、ぼくもなんだか話したくなってきました。最初は全然うまくいかなかったけど、真似しているうちに、なんとなく人間に近い声がだせるようになってきて……。ぼくは大きなお屋敷に母さんや兄弟たちと一緒に飼われていて、そこには小さな男の子と女の子がいたんだけど、ぼく、思い切って二人の名前を呼んでみたんです。ぼくはその子たちが大好きだったし、その子たちも、いつまでも小さいぼくのことを『チビ』って呼んで、すごくかわいがってくれたから。下手くそだったけど、名前はちゃんと呼べました。そしたら、その子たちは今まで見たこともないような怖い顔になって、それから、ぼくにおもちゃを投げつけて逃げ出したんです。当たらなかったけど……でも、そのとき初めて『化け物』って言われたんです」

 少年たちは、初めて聞くポチの身の上話に、目を見張って聞き入っていました。ポポロでさえ、泣くのを忘れて思わず耳を傾けていました。

 ポチは静かな声で話し続けていました。

「ものすごい騒ぎになりました。ポポロの世界ではもの言う犬は普通かもしれないけど、この世界では動物が人のことばを話せるのは怪物の証拠です。神獣はしゃべれるけど、ぼくがそんなのじゃないのは、見ればわかるし……。大人たちがよってたかってぼくをつかまえて、檻(おり)に閉じこめました。ぼくのことを銀の矢で撃って焼き殺すんだ、って話しているのが聞こえて、銀の矢を作るのに、屋敷のご主人が自分から鍛冶屋に走っていきました。ぼくは、何がなんだかよくわからなかったけれど、自分が悪いことをしたんだな、ってことだけは感じてました。だから、ぼくは殺されるんだな、って。ぼくはただ、子どもたちの名前を呼んで『二人とも大好きだよ』って言いたかっただけなんだけど……」

 そして、ポチはちょっと口をつぐんで、遠い目をしました。まるで、昔の光景をはるか彼方に眺めるように。それから、ポチはまた話し続けました。

「でも、ぼくのお母さんが、ぼくを助けてくれました。人間たちの目を盗んで檻の下に穴を掘って、屋敷からぼくと一緒に逃げ出してくれたんです。ずいぶん長い間、人間たちが後を追いかけてきたけど、そのたびにぼくたちは逃げて、隠れて……。そのあとは野良犬になって、ずっとさすらい続けました。ぼくはその頃まだ本当に小さかったから、自分で餌をとることもよくできなかったんだけど、お母さんが餌を見つけてきて、ぼくに食べさせてくれました。餌があまりないときには、自分は我慢して、ぼくに食べさせてくれたんです。お母さんは真っ白でとてもきれいな犬だったんだけど、どんどん痩せちゃって……とても寒い朝、ぼくが目を覚ましたら、お母さんはぼくを抱いたまま冷たくなってました。ぼくがどんなに呼んでもすがっても、もう二度と目を覚まさなかったんです」

 そして、ポチは青ざめて立ちすくんでいる少女を見上げました。その黒い目は、意外なほどしっかりした光をたたえていました。

「でもね、ポポロ――ぼくのお母さんはね、最後まで、ぼくが人間のことばを話すことを叱らなかったんですよ。『人間の前では絶対にしゃべっちゃダメよ』とは何度も言われました。それでも、ぼくはつい忘れてしゃべっちゃって、そのたびに石を投げられたり、殺されそうになったりしたけど……でも、お母さんはそんなぼくでも、絶対に見捨てなかったんです。『かわいそうな子』ってぼくのことを呼んで……」

 そして、ポチはまた、そっと優しくポポロに頭をすり寄せました。

「フルートが言うとおりなんですよ。お母さんって、そういうものなんだ。もちろん、いろんなお母さんがいるんだとは思うけど……でも、どのお母さんも、心の底にはぼくのお母さんと同じものを持っているんだと思うな。どんなに子どもが普通じゃなくても、それでもやっぱり、子どもを守ろうとするんですよ。……迷子になった子どもを、いい厄介払いができたなんては、絶対に考えないんです」

 子どもたちは、本当に何も言えなくなりました。フルートさえ、ポチに何と声をかけていいのかわかりません。

 すると、ポポロが膝をつき、腕の中にポチを抱きしめました

「ポチ……ごめんなさい……ごめんなさい。本当にごめんなさい……」

 震える声で繰り返しながら、ポポロはとうとう泣き出しました。ごめんなさい、ということばは、ポチに向かって言っているようにも、自分の両親に向かって言っているようにも聞こえました。

 

 すると、窓の外からこんな声が聞こえてきました。

「ふん。そういう親に育てられたおまえらは、まったく幸せな子どもたちだと言うことだな」

 かすかにきしみながら窓のひとつが開き、そこに黒ひげの男が現れました。器用に窓枠の上に止まって、皮肉っぽく笑います。

「世の中にはいろんなヤツがいるぞ。子供を産んだだけで育てようともしないヤツもいれば、自分の子どもを平気で人買いに売り飛ばすような輩もいる。貧民窟に行ってみろ。親に見捨てられた子どもらがゴロゴロしてるぞ。だがまあ、そのお嬢ちゃんがそのお仲間じゃないのは、見ればわかるがな。そんな親の子どもは、お嬢ちゃんみたいには、どうしたってなれないもんだ」

「ジズ!」

 フルートたちは思わず声を上げました。

「……情報を持ってきてやったぞ」

 刺客の頭はにやりと笑ってそう言うと、滑るように部屋の中に入ってきました。

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