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第2巻「風の犬の戦い」

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33.魔法の力

 ポポロは右手をさしのべて呪文を唱え続けていました。

「……リーマツアニートモノレワ、レエカ!」

 レエカ、と鋭く叫んだとたん、不思議なことが起き始めました。光の三日月がいっせいに向きを変え、バリバリと雷のような音を立てながら、ポポロの元へ押し寄せ始めたのです。

 今まさにゼンやオーダを切り刻もうとしていた刃も、倒れたライオンをさらに傷つけようとしていた刃も、狙いを少女に変えて飛んでいきます。

 ポポロは黒い布の長衣を身につけているだけで、何も身を守るものがありません。フルートは叫びました。

「ポポロ、逃げて――!!」

 光の刃がポポロに押し寄せ、まばゆい輝きの中に少女を飲み込みました。刃と刃がぶつかり合う音が、また雷鳴のように響き渡ります。

 

 すると、突然、ポポロを包んだ光が色合いを変えました。鋭くきらめく銀色が、少女の瞳と同じ澄んだ緑色になります。そして、光はぐうっと収縮すると、次の瞬間、爆発するような勢いで外に向かってほとばしりました。オーダやライオン、ゼンの頭上を飛び越え、駆けつけようとしていたフルートとポチのわきを飛び抜けて、まっすぐに、魔女とその一行に向かって飛んでいきます。その光の束の中には、緑に輝く光の三日月が無数に浮いていました。

 黒い魔女が、はっとして、両手を高くかざしました。魔女とライオネルとドワーフを銀色の光が包み込みます。攻撃から身を守るために、魔法で障壁(しょうへき)を張ったのです。

 緑に光る三日月が、いっせいに障壁にぶつかりました。耳をふさぐような音が響き渡り、三日月が砕け、消えていきます。ところが、三日月の光は後から後から押し寄せ続け、いつまでも尽きることがありません。魔女が放った三日月とは比べものにならない量です。

 障壁の奥で、魔女が目を大きく見張っていました。何かを叫びながら、何度も腕を回しては高く掲げます。その美しい顔は真っ青で、額には脂汗が吹き出していました。

 と、魔法の銀の障壁に、白いひびが入り始めました。ひびは三日月が当たるたびにどんどん広がり、ついに、ガラスが砕けるような音を立てて粉々に飛び散りました。

 ザーッと緑の三日月が通り抜け、障壁の中に立っていた三人の男女を打ち倒して、そのまま空の彼方へ飛び去っていきました。通りの向かいに立っていた時計台の先端が、鋭い刃物で切られたように、音を立てて路上に落ちてきました。レンガと屋根瓦が飛び散り、あたり一面にもうもうと砂埃がわきたちます。

 フルートとゼンとポチは、呆然とその光景を眺めていました。

 夜の魔女レィミ・ノワールも、銀の鎧のライオネルも、ドワーフのバリガンも、全身に傷を負って通りに倒れています。瓦のかけらが彼らに当たり、砂埃が降り注いできましたが、身動きすることさえできません。

 何が起こったのかは明らかでした。魔女が撃ち出した光の刃を、ポポロが魔法で自分に集め、それを敵に送り返したのです。それも、元の何十倍もの激しさで……。

 ポポロは袋小路の奥に倒れていました。赤いおさげ髪がほどけて、石畳の上にばっさり広がっています。フルートはあわてて駆け寄って抱き起こしました。

「ポポロ! ポポロ、しっかり……!」

 ポポロの顔には無数の傷が残っていましたが、どれも深いものではありませんでした。

 すると、ポポロがぱっちりと目を開け、緑の瞳でフルートを見上げてきました。

 フルートは急いで首から金の石のペンダントを外そうとしました。

「待ってて。すぐに治して――」

 すると、ポポロが突然両腕を伸ばして、フルートの首にギュッと抱きついてきました。

「できたわ、フルート! あたし、ついにできた……!」

「な、なに……?」

 フルートが驚いていると、ポポロは輝くような笑顔でまたフルートを見ました。

「暴走させずに魔法が使えたのよ! みんなを傷つけずに、敵だけを倒せたわ! とうとうできたのよ!」

 そして、ポポロはまたフルートの首に強くしがみついて、フルートをどぎまぎさせました。

 すると、ゼンがポチを従えて、足を引きずりながら近づいてきました。腕も足も傷を負って血だらけですが、歩くことはできたのです。

「ちぇ、よく言うぜ。そのために一度、自分に敵の攻撃を全部引き受けたんだろう? そんなに傷だらけになりやがって。フルートといいポポロといい、やることがかなり無茶だぞ」

 ゼンが苦り切ってそんなことを言います。

 すると、ポポロがゼンを見上げてにっこりしました。

「大丈夫なのよ。あたし、星空の衣を着てるから。これは魔法から身を守るための服なの。あれくらいの攻撃なら何でもないのよ」

 今まで見たこともないほど明るい顔をしているポポロに、ゼンは思わずことばに詰まると、顔を赤らめました。

「ワン。でも、顔が傷だらけだ」

 とポチが心配そうに言います。フルートは急いで金の石をポポロに押し当てようとしました。フルート自身が先に受けた頬の傷は、石の魔力ですっかり消えていました。

 すると、ポポロがそれを押しとどめて、後ろを指さしました。

「あたしたちより、あっちが先だわ……。早くしないと」

 指さす先に、ライオンの吹雪とオーダがいました。オーダは断ち切られた吹雪の足の上を服の切れ端できつく縛り上げていましたが、それでも血は止まらず、傷口からあふれ出て石畳の上に血だまりを作っていました。

「吹雪……死ぬな、吹雪ぃ……!」

 オーダが男泣きに泣きながら呼びかけていますが、ライオンはすでに意識がなく、倒れたまま、ひくひくと体を引きつらせるばかりでした。

 フルートは大急ぎでそこに駆け寄りました。

「どいてください!」

 とオーダの大きな体を押しのけるようにしてライオンのかたわらにひざまずくと、魔法の金の石を押し当てます。

 とたんに、奇跡が起こりました。傷から流れ出す血がぴたりと止まったと思うと、切り落とされて路上に転がっていたライオンの足が、目に見えない手で引き寄せられているように、ずるずると体に向かって動き出したのです。ゆっくりと、足が元あった場所へと近づいていきます。

 オーダもゼンもポチもポポロも、そしてフルート自身も、息を詰めてその光景を見つめてしまいました。

 断ち切られた足が、吸い寄せられるように傷口に合わさり、すぅっと傷が消えていきます。白い毛が皮膚をおおい、傷があった場所さえ、まったくわからなくなります。

 すると、突然吹雪が勢いよく立ち上がりました。四本の足で地面を踏みしめ、白いたてがみを振り立てて、嬉しそうに一声吠えます。

「ふ、吹雪!!」

 オーダは、瀕死の淵からよみがえってきた相棒をしっかりと抱きしめました。吹雪ものどを鳴らしながら、何度も主人の顔をなめました。

「ひぇぇ。金の石って、こんなことまでできるのかよ!」

 とゼンが叫びました。感心するのを通り越して、あきれたような声です。

「ワン。たとえ体が失われたって、また元通りになるんですね。すごいなぁ……!」

 とポチが言うと、ゼンはちょっと考える顔になりました。

「だとすると、例えば炎の中に飛び込んだとしてだぞ、両足が焼けてなくなったりしたら、どうなるんだろうな? 灰の中から足が復活してくるんだろうか? それとも、また足が生えてくるとか……?」

 すると、フルートが顔をしかめました。

「お願いだから、実験して確かめてみようなんて気は起こさないでよね。君たちが傷つくたびに、こっちは生きた心地がしないんだから」

 ゼンにも金の石を押し当てると、その手足から傷が消えていきます。

 ゼンは、ふん、と鼻を鳴らしました。

「そのセリフ、そのままそっくり、のしをつけておまえに返してやるぞ。俺の気持ちが少しはわかったか」

「ぼくはいつも魔法の鎧と金の石を身につけているから大丈夫なんだったら」

 とフルートが言い返せば、ゼンも負けずと言い返します。

「それなら俺だって同じことだ。おまえがそばにいりゃ、たとえ手足がなくなって大丈夫なんだからな」

「間に合わなかったらどうするのさ!? 死んでしまったら、金の石だって生き返らせることはできないんだよ!」

「おまえこそ、死んじまったらそれっきりだ! だから、無茶はするなって言ってるんだ!」

 二人の間でまたきりのない言い争いが始まりそうでした。

 すると、ポチが困ったように言いました。

「フルート、早くポポロの怪我も治してあげないと」

「あ、ご、ごめん……!」

 フルートは我に返ると、大あわてでポポロにも金の石を押し当てました。傷だらけだった顔が、たちまちきれいになっていきました。

 

 子どもたちは、そのまま顔を見合わせると、ふいに声を上げて笑い出しました。

「やったね! 風の犬を倒したよ!」

 とフルートが言えば、ゼンもうなずいて、倒れている大人たちを示しました。

「うるさいニセ者どもも、こらしめられたしな。すっとしたぜ!」

「ワン! みんな無事でしたね」

「あたしも初めて、思い通りに魔法が使えたわ」

 ポチとポポロも嬉しそうに言いました。

 すると、オーダが吹雪をなでながら子どもたちに言いました。

「おまえたちには、なんと礼を言っていいのかわからないな。俺もこいつもおまえたちに命を救われたぞ。ありがとう」

 フルートはにっこりしました。

「オーダさんは風の犬が攻撃してきたときゼンを助けてくれたし、さっきもポポロを守ってくれました。お互いさまですよ」

「ふむ。お互いさまか!」

 とオーダは感心した声を上げると、面白そうに子どもたちを見ました。

「気に入ったぞ、おまえたち! 確かに、なりは小さくとも金の石の勇者の一行だな!」

 大きな笑い声が通り中に響き渡りました。

 そのとき、ゼンがふいに思い出した顔になりました。

「いけね。これを吹くのを忘れてたぞ。シオンのおっさんたち、きっとじりじりしてるよな」

 と首にかけていた銀の呼び子を取りだします。フルートはうなずきました。

「全部報告して、ライオネルたちはシオン隊長に引き渡そう。後はきっと大人たちでやってくれるよ」

 そこで、ゼンは袋小路を出ると、呼び子を高く吹き鳴らそうとしました。

 

 そのとき、通りの向こうから呪うような声が上がりました。

「よくも……よくも、よくも……」

 黒いドレスのレィミ・ノワールが、よろめきながら立ち上がってきます。

 子どもたちとオーダは振り返り、思わず身構えました。

 夜の魔女は淡い光に包まれて、全身から傷が急速に消えていくところでした……。

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