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第2巻「風の犬の戦い」

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32.魔女

 大通りでは、フルートとライオネルが戦い続けていました。

 ライオネルの戦い方は優美です。剣が流れるように動き、思いもかけない方向から切りかかってきます。

 一方のフルートは、小柄で敏捷な体を生かし、相手の隙を狙っては剣をくり出し、素早く飛びのく戦法です。

 二本の剣は月にひらめき、金と銀の鎧が、近づいては離れることを繰り返しています。

 ライオネルは、長期戦に持ち込むことで、フルートの疲れを誘うつもりでいるようでした。どんなに剣技が優れていても、フルートはまだ子どもです。長時間打ち合っていれば、次第に疲れが出てくるのに決まっていたからです。

 ところが、ほんの一瞬の油断をついて、フルートの剣がライオネルの鎧の隙間を突き刺しました。ノーマルソードを使っていたので火を吹くことはありませんでしたが、傷口から血が噴き出し、ライオネルが悲鳴を上げました。

「よくも……!」

 ライオネルが美しい顔を怒りに歪めて叫び、稲妻のような鋭さで剣をくり出してきました。お返しとばかりに、フルートの鎧の隙間を狙って突き刺してきます。

 が、次の瞬間、ライオネルの剣がまっぷたつに折れました。まるでそこも見えない鎧でおおわれているように、剣がはじき返されたのです。

 ライオネルは愕然とすると、大声で呪いのことばを吐きました。剣を構え続けるフルートに対して、自分は武器がなくなってしまったのです。

 フルートは剣をちょっと引いて呼びかけました。

「降参しろ。そして、国王の前で何もかも白状するんだ!」

 とたんに、銀の鎧の男が表情を変えました。怒り狂っていた顔がすっと冷静になり、皮肉っぽい薄笑いを浮かべます。

「それはごめんこうむる……私の命がなくなるからな」

 そして、男は突然袋小路に向かって叫びました。

「ノワール! 何を遊んでいる!? 早く来ないか――!」

 

 ガウッと声を上げて、巨大なオオカミが袋小路から飛び出してきました。主人の足下にやってきて、フルートに向かって身構えます。黒い毛におおわれた体は、あちこちにライオンと戦った傷があり、血が流れ出していました。

 ポチがフルートの足下に走り寄って、ワンワン! と激しく吠えたてましたが、突然、驚いたように目を見張ると、鳴くのをやめました。

「この血の匂いは……オオカミじゃない。これは人間の血の匂いだ!」

 犬のポチは、オオカミが流している血の匂いをかぎ分けたのでした。

 ポチは背中の毛を逆立てながら、オオカミに向かって叫びました。

「おまえは人間だろう! いったい何者だ!?」

 すると、突然オオカミが口をききました。

「あらぁ、見破られちゃったのね。まいったわぁ……」

 黒いオオカミの姿がゆらめき、幻のようにかすんだと思うと、ひとりのうら若い女性の姿に変わりました。胸元が大きく開いた黒いドレスを着た黒髪の美女です。むき出しの胸や腕にはいくつも傷を負っていました。

 ライオネルが顔をしかめて美女をにらみました。

「どうして元に戻るのだ?」

「しかたありませんわ、ライオネル様。正体を見破られたら、あたくしは変身は続けていられないんですもの。ごめんなさいね」

 と美女が妙に鼻にかかった声で答えます。あまり謝っているように聞こえない言い方です。

 フルートは、油断なく剣を構え続けていました。この女性は、美しいけれども、ライオネル以上に危険な雰囲気を漂わせています。すると、美女がフルートに向かって艶やかに笑いかけてきました。

「残念ねぇ、坊や。あと三年くらい大人だったら、きっと、とても素敵な想いをさせてあげられたのに。幸せな夢を見ながら死ねたことよ。でも、今のあなたたちは、あまりにも子ども過ぎるわね」

 そう言いながら、美女は両腕を上に差し上げました。とたんに、女性の体がぼうっと淡い光に包まれ、みるみるうちに白い肌から傷が消えていきます。フルートとポチは、思わず息をのみました。まるで金の石の癒しの魔法を見ているようでした。

「魔法使い……?」

 フルートがつぶやくように言うと、黒いドレスの美女は、またにっこりほほえみました。

「そうよ、小さな勇者さん。あたくしはレィミ・ノワール。夜の魔女と呼ばれている女よ」

 

 袋小路の奥で、ポポロが立ちすくんでいました。魔法使いだけがわかる気配を感じ取っていたのです。このノワールという女性の魔法は、ポポロたちの魔法とは正反対の、闇の世界から来ています。それは破壊と破滅と欲望の魔法で、非常に強力ではあるけれど、絶対に手を染めてはいけないものなのだと、ポポロたちは教えられてきたのでした。

 ノワールのほっそりした体に、ぐんぐんと暗黒の力が集まっていくのを、ポポロは感じていました。みんな、逃げて! と叫ぼうとしましたが、恐怖のあまり咽がこわばって、声が出ません。

 すると、ポポロの隣でオーダがどなりました。

「おまえが夜の魔女か! エラード公のお抱え女魔法使いだな! オオカミのくせに吹雪と互角に戦うから妙だとは思ったんだ……!」

 レィミ・ノワールは、袋小路の奥に目を向けて、うふん、と笑いました。

「正直言えば、あたくしは、こっちの姿でいられるほうが嬉しいんですわ。オオカミじゃ、せっかくの美貌がお見せできないし、魔法も使ってみせられないんですもの――」

 そう言いながら、女魔法使いは両手をまた高く差し上げ、口の中で何か呪文を唱え始めました。暗黒の魔力が矢のような勢いで魔女に集まっていくのが、ポポロには見えました。

 

「おっと、やばい。ここにいたら巻き込まれるな」

 ゼンと組み合って戦っていたドワーフが、突然そう言うと、勝負を放り出して逃げ始めました。後ろも見ずに、仲間たちのほうへ走っていきます。

「あ、この野郎! 逃げるな!!」

 ゼンが腹をたてて追いかけようとしたとき、レィミ・ノワールが両手を前に差し出し、鋭い声を上げました。

「はぁっ!」

 すると、手の先に淡い光が集まって光の球になり、その中から輝く三日月が飛び出してきました。無数の手裏剣のように飛んできて、フルートや袋小路の中の仲間たちに襲いかかります。

「危ない!」

 フルートはかたわらのポチに飛びついて、胸の中に抱き込みました。光の三日月は、魔法の金の鎧に次々と当たって砕けます。すると、突然頬に焼けるような鋭い痛みを感じました。三日月が、フルートの頬をかすめて切り裂いていったのです。

 ゼンは袋小路から外に飛び出そうとしていましたが、とっさに通りに身を伏せて、頭を抱えました。その上を三日月がかすめすぎていきます。とたんに、防具を付けていない腕や足が切り裂かれて、ばっと血が噴き出しました。

 通路の途中には、白いライオンの吹雪がいました。獣や人相手には勇猛な獣も、魔法の攻撃にはなすすべがありません。逃げようとしたところに三日月が飛んできて、鋭い音と共にライオンの左の後足に命中しました。

 オーダは、とっさに、大きな体の中にポポロを抱きかかえるようにしてかばっていました。その黒い鎧の背中に、光の三日月が次々に命中しては、砕けて消えていきます――。

 

 すると、袋小路中を揺るがすような獣の鳴き声が上がりました。ライオンの吹雪が吠えたのです。

 オーダが、はっと振り返りました。光の三日月は消え失せていて、狭い通路の上にライオンが血を噴き出しながら倒れていくところでした。その左の後足は、根元近くからぶっつりと切り落とされていました。

「吹雪!!!」

 オーダは絶叫すると、ポポロを放り出してライオンに駆け寄っていきました。

「吹雪! おい、吹雪! しっかりしろ!!」

 叫びながらオーダは黒い鎧の胸当てを脱ぎ捨て、下に着ていた服を引き裂きました。布で傷をしばり、血を止めようとしたのです。

「あらぁ、命中したのはライオンだけ? ちょっと威力が弱かったかしらねぇ」

 とレィミ・ノワールが首をかしげると、ライオネルが言いました。

「遊ぶな。あいつらを全員切り刻めというエラード公のご命令なのだ。風の犬の仕業に見せなければならないのだからな」

「わかってますわ、ライオネル様」

 夜の魔女は、また魅惑的にほほえむと、両手を高く差し上げました。腕と体がしなを作って、美しい曲線を描きます。その手の先にまた、淡い光が集まり始めました。

「また来る! みんな、逃げろ!」

 フルートが叫んで、仲間たちのほうへ駆け出しました。腕の中にはポチを抱きしめたままです。

 ゼンが跳ね起きようとして、よろめいて地面に手をつきました。腕や足が血まみれになっています。オーダはライオンの手当に必死です。布の服を着ただけの背中が、無防備にこちらを向いていました。

「ゼン! オーダさん――!」

 フルートは絶望的に叫びました。背後では魔女が呪文を唱え終わり、また両手を前に差し出しているところでした。

「はぁっ!」

 再び鋭いかけ声が上がり、無数の光の手裏剣が飛び出しました。袋小路の中の者たちに、三日月の刃が雨あられと襲いかかります――

 

 そのときです。

 袋小路の奥から、こんな少女の声が聞こえてきました。

「レータキヨバイーヤニトモノレワ……」

 フルートは、はっとしました。

 通路の一番奥で、ポポロが右手を前にかざして呪文を唱えていました。青ざめてはいますが、しゃんと立ち、彼方の魔女をまっすぐに見据えています。その右手は、魔女と同じように、淡い光に包まれ始めていました。

 けれども、その彼女にも光の三日月は迫っていきます。

「ポポロ!!」

 フルートは思わず叫びました。

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