風の犬がゼンめがけて襲いかかってきました。白い幻のような頭の中で、白い牙がひらめきます。
ゼンはとっさに盾を構えました。魔法のサファイヤでメッキされた青い盾です。
ザザザーーーッ……!!
激しくこすれる音を立てながら、風の犬がゼンの横を飛びすぎていきました。ゼンの盾に防がれて、ゼンの胸当てのわきをかすめていったのです。フルートの防具と同様、青い胸当てや盾には、傷ひとつ残っていません。
「ひゅう、すげえ! ホントに丈夫になったな」
とゼンが感心していると、フルートの声が上がりました。
「ゼン、気をつけろ! まただ!」
上空に一度逃げた風の犬が、再びゼンに襲いかかってくるところでした。今度は防具におおわれていない頭を狙おうとしています。
「ゼン!!」
フルートはとっさに友人に駆け寄ろうとしましたが間に合いません。風の犬がゼンに急降下していきます――
と、突然ばっと風の犬の胴体がまっぷたつに切れました。
アオォォーーーン……!
風の犬が叫んで、上空へ逃げていきます。どうっと強い風が起こって、フルートとゼンがなぎ倒されそうになります。
子どもたちの前に、黒い鎧の大男が立ちはだかっていました。男は怪物を大剣で切り払ったのです。
「風の犬が切れた……!?」
フルートたちがびっくりしていると、オーダが振り返って笑いました。
「俺のこの剣は特別製なのさ! 疾風の剣と言ってな、切ると風を起こすことができるんだ!」
フルートはまたびっくりして、思わず自分の剣を見ました。炎の剣と同様、オーダの大剣も魔法の剣だったのです。
「風には風が効くらしいな!」
とオーダがからからと笑ったとき、ゼンが空を指さしました。
「見ろ! 戻っていくぞ!」
空の上で、風の犬の体が再生していました。切れてなくなった体の半分が、みるみるうちにまた長く伸びていきます。
オーダは地団駄を踏みました。
「おいおい、なんだよ! せっかくの人の切り札を……!」
フルートは、ちらりと袋小路の奥を振り返りました。薪小屋の中で、ポポロが右手をさしのべたまま、青ざめた顔をしているのが見えました。彼女も風の魔法を使おうとしたのですが、風の攻撃が効かないのを見て、とっさに呪文を止めたのでした。
「また来るぞ!」
とゼンが叫びました。風の犬は攻撃に移る前に、スピードを付けるために一度上空に飛び上がるのです。
「袋小路へ! 早く!」
フルートが叫び、ゼンとオーダとライオンは、いっせいに細い道へ駆け込みました。一番しんがりをフルートが行きます。
すると、その背後からまた風の犬が襲いかかってきました。フルートの鎧の背中を風の刃で切り裂きます――
が、結果はやはり同じでした。魔金でメッキされ、風の魔法を組み込まれた鎧は、いくら風の犬が攻撃しても、かすり傷ひとつつかないのです。
フルートは袋小路の途中で立ち止まって振り返りました。
「風の犬はぼくが防ぐ! みんなはヤツを攻撃してくれ!」
「攻撃って……どうやってだ!?」
とオーダがわめくと、ゼンがショートソードを構えながら言いました。
「俺はあいつに一度傷をつけた。どこかに一カ所だけ、攻撃が効く弱点があるんだ。それがどこなのか――」
ゼンは目を細めて、上空の風の犬を見つめました。
風の犬がまた急降下してきます。
フルートが道の真ん中で盾を構えました。風の怪物は盾に激突し、フルートたちをかすめて、また上空に飛び上がっていきます。とたんに、オーダの黒い鎧の腕が布を切り裂いたように、ぱっくりと切れ、切り口から血が噴き出してきました。
「うぉっ!?」
オーダが声を上げました。痛みより驚きのほうが大きかったようで、ぽかんと切り口を見ています。
フルートは、とっさに首から金の石のペンダントを外すと、それをオーダに押し当てました。みるみるうちに血が止まり、切り口の奥の傷が消えていきます。
「お……お、お……?」
オーダは驚きのあまり、目を白黒させていました。
フルートはまたペンダントを首にかけると、居合わせた者たちに言いました。
「ぼくから離れて! ポポロのところに集まるんだ!」
「来い!」
ゼンがオーダの腕をぐいぐい引っぱって、行き止まりの薪小屋のところまで連れて行きました。オーダは傷の消えた跡を、まだ信じられないように眺めていました。
「おい……俺は確かに怪我をしたよな……? どうして傷が消えたんだ?」
ゼンは面倒くさそうな顔をしました。
「そんなの、フルートが金の石の勇者だからに決まってるだろう! いいから、ここにいてくれ。俺はフルートのところに行く!」
そして、ゼンはまたフルートの元へ駆け戻っていきました。
風の犬の攻撃を受け止めようとしていたフルートが、足音を聞きつけて叫びました。
「来るな、ゼン! 危ない!」
けれども、ゼンはそれに叫び返しました。
「かわせ、フルート! 俺に考えがある!」
フルートは目を見張り、とっさに飛びのくと、正面から襲ってきた風の犬をかわしました。
「そうだ、このタイミングだ――!」
とゼンが言いながら、ショートソードを横に突き出しました。宿屋で風の犬と戦ったときに手応えを感じたタイミングで、攻撃を仕掛けてみたのです。
また、ちっと小さな手応えを感じました。剣の先が何かをかすめます。
とたんに、風の犬はつむじを巻き、上空高くへ飛び上がっていきました。
オゥオーオォォー……!
風の音とも悲鳴ともつかない鳴き声が、街の上に響き渡ります。
「どこだ!? どこに当たった!?」
ふり仰いだゼンの視界に、真上から突っ込んでくる怪物の姿が飛び込んできました。風の犬は怒りに目を燃やしながら、小石が落ちるような勢いでゼンに襲いかかってきます。
「うわっ!」
「ゼン!」
ゼンが悲鳴を上げて飛びのいたのと、フルートがかばうように飛び込んだのが同時でした。フルートは炎の剣が効かないことも忘れて、思わず真正面から怪物に切りつけていました。魔法の剣が犬の体を通り抜けていきます。
すると――。
ぶつり。
突然、何かが断ち切れるような手応えが返ってきて、目の前で犬の体が白く輝き出しました。すさまじい悲鳴と共に、みるみるうちに犬の体が縮み始め、普通の犬くらいの大きさになったと思うと、いきなり火に包まれました。炎の剣の魔力です。
どさり、と犬の体が石畳の上に落ちました。炎が激しい音を立てながら燃え上がり、あっという間に犬を焼き尽くしていきます。
フルートとゼンは驚いてそれを見つめていました。あれほど何の攻撃も受けつけなかった風の犬が、突然炎の剣に倒れたのです。
「どういうことだ……?」
とゼンがつぶやきましたが、フルートにもそのわけはわかりませんでした。
「ワンワン、フルート!」
袋小路の奥からポチが駆け寄ってきました。その後ろからポポロとオーダもやってきます。
「フルート、ゼン、大丈夫!?」
ポポロは心配のあまり真っ青になっていました。ゼンは笑って肩をすくめて見せました。
「俺たちは何でもないぜ。何がどうなってるのかは、全然わかんないけどな」
「確かに手応えを感じたよ。何かを切った感じはした。そうしたら、風の犬が急に縮んで燃えだしたんだ」
とフルートは手の中の炎の剣を見つめました。炎の剣も、初めて風の犬と戦ったときにはまるで効果がありませんでした。その違いが何なのか、フルートには思い当たらないのでした。
すると、黒い鎧の大男がのろのろと近づいてきました。信じられないものを見るような目をしています。
「おい、おまえたち……いったい、何者なんだ……?」
その顔つきがあまりに間が抜けて見えたので、ゼンが、ぷっと吹き出しました。
「最初から言ってるじゃないか。フルートは金の石の勇者。俺たちはその一行さ」
オーダはつくづくと子どもたちを眺めると、傷の治った自分の腕を見つめ、それから大きく首を振りました。頭ではわかっているのに気持ちとして納得できない。そんな様子です。
「反則だぞ、おまえたち……。本物の勇者なら、なんでそんな子どもの格好をしてるんだ……?」
子どもたちは思わず顔を見合わせました。そんなふうに言われたのは初めてです。
「だって、しかたないですよ。ぼくたちは本当に子どもなんだもの」
とフルートが答えると、オーダはまた頭を振って、大きなため息をつきました。
「この腕のことがなかったら、まさか! と笑い飛ばしてやるんだがなぁ。……ああ、噂には聞いていたさ。本物の金の石の勇者は、どんな怪我や病気でも治す魔法の石を持っているんだ。さっきのペンダントがそれだったんだな?」
フルートはうなずきました。
すると、オーダは突然道の上に座りこみ、お供のライオンの首を抱きました。
「あぁあ、まったく世の中は広いな、吹雪! こんなガキどもが勇者の一行だとは! 予言通り、謎の殺人鬼を退治しちまったぞ!」
子どもがすねているような言いぐさに、フルートたちは何と返事をしていいのかわからなくなって、顔を見合わせてしまいました。
すると、突然、通りに別の男の声が響きました。
「おやおや。やはり金の石の勇者は風の犬を倒したか。さすがだな」
はっと一同が振り向くと、月の光を浴びて立つ人の姿が目に入りました。銀の鎧のライオネルと、仲間のドワーフです。足下には黒いオオカミが影のようにうずくまっています。
ライオネルは、じっとこちらを見つめていました――