その夜、フルートはベッドの上に横になると、大きなため息をつきました。
「ふぅ……」
すると、ベッドの足下で早々に横になっていたポチが、頭を上げてフルートを見ました。
「ワン。さすがに今日はちょっとくたびれましたよね。いろんなことがあったもの」
「そうだね」
フルートは苦笑いの顔になって、今日のできごとを思い出しました。
王都カルティーナに入ってから、本当にいろいろな人に会いました。シオン大隊長、エスタ国王、二人の偽の勇者とその一行、偽物を連れてきたデルフォン卿とエラード公、ノームの鍛冶屋のピラン……嫌な人たちもいましたが、フルートたちの味方になってくれた人たちもいました。
特に、シオン大隊長は、フルートたちに最大限の敬意を払って接してくれていました。今、フルートたちが泊まっているのも、大隊長の自宅です。由緒正しい貴族のシオン大隊長は、カルティーナ市内に立派な屋敷を構えていて、フルートたちを晩餐に招待してくれた上に、「今宵は泊まって行かれるように」と子どもたちひとりひとりに立派な客室を準備してくれたのでした。
部屋の窓の外からは、雨が激しく降る音が聞こえていました。大隊長が言っていたとおり、大雨になっていたのです。
それを聞くともなく聞きながら、フルートは、なんとなく落ち着かない気持ちでいました。ひとつは、魔法の鎧が手元になかったからです。ノームのピランが、明日までに強化しておいてやる、と言って城の仕事場に預かったのでした。いつもフルートを守ってくれていた鎧が近くにないと思うと、なんとなく頼りないような、不安な気持ちがしました。
そして、もうひとつ、もっとフルートが落ち着かなかった理由は――
ぴくっとポチが耳を動かしてドアを振り向きました。
「ワン。ゼンですよ」
すると、すぐにドアが開いて、ドワーフの少年が入ってきました。
「よう、フルート。風呂にはもう入ったのか?」
「うん。なに?」
「いや、別に用事はないんだけどな……どうも別々の部屋ってのが落ち着かなくてよ。今夜、ここで寝てもいいか?」
とたんに、フルートは笑い出しました。フルートもゼンとまったく同じ気持ちだったからです。
「もちろんだよ。ベッドはすごく大きいし、2人でも十分寝られるよ」
ところが、間もなくドアをそっと叩いて、今度はポポロが顔をのぞかせました。
「あの……なんだかひとりでいるとすごく怖いの……。ここに一緒にいてもいい……?」
ポポロもでした。少年たちは同時に吹き出すと、すぐに声を合わせて答えました。
「もちろん、どうぞ!」
半月近くも一緒に寝起きして旅をしてきた仲間です。例え安全な屋敷の中でも、離ればなれになっているのは、なんとも心もとないのでした。
少年たちは、遠慮するポポロに無理やりベッドを譲ると、自分たちは毛布にくるまって床に横になりました。床には分厚い絨毯が敷いてあったので、寝心地はベッドのように上々でした。
おおいをかけたランプからもれる薄明かりの中で、子どもたちは話し続けていました。
「ノームのおじいさん、明日の夕方までには鎧を直すって言っていたけど、本当に間に合うのかしら……?」
とポポロが心配そうに言いました。
「だって、あのおじいさん、フルートの鎧だけじゃなく、ゼンの胸当ても、二人の盾も、全部預かったんでしょう? そんなにたくさん、一度に直せるの?」
すると、ゼンがのんびりした口調で答えました。
「そうだな、普通のヤツなら無理だと思うが、あのじいさんは相当の名人みたいだからな。言ったからには、やるんじゃないか?」
「おもしろいおじいさんだったよね。話は難しすぎて半分もわからなかったけど、自分の仕事が好きでたまらないのはよくわかったな」
とフルートが思い出し笑いをしながら言いました。城の地下にある仕事場にフルートたちを案内したノームの老人は、まるで子どものように目を輝かせながら、これまでにどんな武器や防具を作ってきたのか、それがどんな魔法の力を持っていたのか、延々と話して聞かせてくれたのでした。
ゼンも笑いました。
「そうだな。俺の町にもよくいるぜ、ああいうタイプの親方……。頑固だけど、ホントにいい物を作るんだぜ」
ゼンは、高い天井の彼方にふるさとの山を思い出しているようでした。
ちょっとの間、沈黙が訪れました。
雨が降りしきる音が聞こえています。この部屋は一階にあるので、地面を叩く雨音がうるさいくらいです。
ポチが口を開きました。
「フルート。風の犬をどうやって倒すつもりですか?」
「わからない」
とフルートは正直に答えました。
「ずっと考えているんだけど、何も思いつかないんだ。ノームのおじいさんが鎧を強化してくれたら、攻撃は防げるかもしれないけど、問題はあれを倒す方法なんだ。風なんて、どうやって攻撃したらいいんだろう?」
「宿屋で戦ったとき、確かになにか手応えがあって、風の犬が逃げていったんだよな。どこに当たったのか、それさえわかればなぁ!」
とゼンがため息をつきました。けれども、この中で一番風の犬を知っているポポロでさえ、その弱点については何もわからないのでした。
また沈黙が訪れました。雨音は一段と強くなったようです。
すると、ポチがまた、ふいに耳を動かして立ち上がりました。部屋の窓に向かってうなり出します。
「気をつけて、みんな。誰か近づいてきますよ……!」
フルートとゼンは飛び起きると、そばに置いてあった武器をつかみました。まともな人間が大雨の中を外から近づいてくるわけがありません。エラード公がまた、フルートたちの命を狙って刺客を送り込んできたのかもしれませんでした。
「ポポロ、ベッドの後ろに隠れて」
フルートはささやくような声でそう言うと、ロングソードを抜いて部屋の真ん中に立ちました。その少し後ろで、ゼンがエルフの弓矢を構えます。ポポロはポチと一緒にベッドの後ろに降りると、少年たちの邪魔にならないようにできるだけ小さく体を縮めました。
フルートたちの部屋の窓が、ふいにゴトリと音を立て、外から押し開けられました。猛烈な雨音が部屋に飛び込んできて、子どもたちの耳を打ちます。全身ずぶぬれになった人影が、窓に手をかけて乗り越えてこようとします。
「誰だ!?」
フルートは鋭く叫びました。
侵入者はぴたりと動きを止めると、薄明かりの中の子どもたちを見渡し、ゆっくりと口を開きました。
「よう、お揃いだったようだな、小さな勇者たち」
聞き覚えのある男の声です。フルートは、はっとすると、さらに低く身構えました。
「おまえ……刺客の頭だな!」
闇の森の入り口でフルートと戦った黒ひげの男が、薄暗がりの窓の上でうずくまっています。
ゼンは即座にきりきりと弓矢を引き絞りました。
「おっと、待て待て。もう、その矢はごめんだ」
黒ひげはあわてたように片手を上げると、フルートに向かって言いました。
「今日はおまえたちを殺しに来たわけじゃない。話があって来たんだ。入ってもいいか?」
「どういうことだ!?」
とフルートは相変わらず鋭い声で聞き返しました。フルートはこの男にもう少しで絞め殺されるところでした。話がある、と言われても、信用することはできません。
すると、黒ひげの男は窓枠の上に器用に止まりながら、こんなことを言いました。
「俺はエラード公からクビにされたのよ。なにしろ、おまえらをしとめることができなかったし、エラード公は新しい手を思いつかれたからな。おまえらももう会っただろう? ライオネルとか言う、キザなニセ勇者だ」
それでも子どもたちが警戒を解かないのを見ると、黒ひげは苦笑いをして、ベッドの後ろに隠れているポポロを顎でしゃくりました。
「安心しろ。闇の森をぶっ倒すような魔法使いがいるってえのに、おかしな真似なぞするものか。こっちだって命は惜しいからな」
子どもたちは、またはっとしました。フルートが、慎重に尋ねました。
「あの女占い師はどうした?」
「シナか? 命は取りとめたよ。そのお嬢ちゃんが魔法使いなのはシナから聞いたんだ。目の前で森の木がばたばたぶっ倒れていくんで肝をつぶしたらしいぞ。おまえらに会うのはもう二度とごめんだとよ」
それから、黒ひげは声を上げて短く笑いました。
「まったくな、おまえらのようなチビどものおかげで、エラード公ご自慢の刺客軍団が全員お払い箱だ。まあ、おまえらのおかげで、まともに戦えるヤツがひとりもいなくなったからなんだが。俺も右腕がよく動かん。だが、エラード公と関わりがなくなったからには、俺が誰とどんな話をしても、それは俺の自由になったというわけだ」
そして、黒ひげの男は、フルートたちを見渡すと、力のこもった声で言いました。
「俺を中に入れろ。おまえらを手伝ってやる――!」